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大学入試でよく取り上げられる文章。
「自分ってなんだろう?」という、誰でも一度は考えるテーマについての本。
自分の中で、新たな発見とめぐりあえる。
同じことの繰り返しだが、説得力がある。
鷲田氏の文章は、ゆっくり読むと味があっていい。
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大阪大学副学長・鷲田清一著、『じぶん・この不思議な存在』は今から10年前に書かれたもので、内容はタイトルを読んだとおりのもの。『じぶんとはなにか?』という問いかけを様々な視点から検証し、考えている。読めば読むほど、考えを深めれば深める程に坩堝にはまり抜け出せなくなる。『じぶん』とは何か。何者なのか。『じぶん』とは果たして自分一人で形成されているものなのか?始まりは?終わりは?『じぶん』はいつから『じぶん』だと認識するのか。『どこ』からが『じぶん』なのか。色々なことを考えさせられます。書き方も難しくないし、厚くない本なので何度でも読み返すことが出来ます。むしろ、読み返さないと見えてきません。『じぶん探し』をしている方必見です。何かヒントが見つかるかもしれません。
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期末テストのレポートにてお世話になった本。アイデンティティ問題について分かりやすい文章で書かれているので、興味のある人は是非一度読んでみてください。
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中学の時読んで、しばらくぐるぐる考え続けた。そんで鷲田(てゆーか身体論)にはまった(はまるようなもんか?)
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「他者の他者」としてでしか<わたし>はありえない、ということを主題とした本。よく大学入試に取り上げられるほど優れた文章であるらしいが、それゆえに、洗練された思考力を要求する。僕はムリだった。
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?年以上も前に読んだもので記憶が飛んでしまったが、ずいぶんいろいろ考えさせられたように思う。
自己分析してるひまがあったら他人のことを考えろという指摘を人様にもらい、それもまあ当時の自分にとっちゃもっともだと思ってそれ以上の思考は停止させておいたが、何かの分岐点にに気になったらまた読みたい。
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高校入学時に課題として出され、初めて読んだ新書。そのときは何が言いたいのか全然わからなかったけど、今改めて読んでみると、自己と他者に関してもっともなことが書いてあります。
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じぶん探し なんて無い。
誰もが一度は問いたくなる、じぶん について。何だろう。誰なんだろう。
この本は私が高校一年の時に課題図書として配られたものである。当時はデカルトなどの近代哲学な実存的な在り方に傾倒していたが、
最近になって読んでみると、見田宗介の言うような「関係性」やその始まりであるミクロなレベルでの<他者>についての視座から俯瞰する事が出来た。
鷲田清一氏は、多角的に じぶん の問題について身体や他者との関係に則して
例示も踏まえてわかりやすい文体で鮮やかに<じぶん>についての関係性を抉出している。
鷲田氏は皮膚や身体、嗅覚 触覚 視覚 などのいわゆる五感から哲学する 「臨床哲学」とよばれる哲学を研究されており、コムデギャルソンや山本耀司を初めとする日本のファッションもモード論として哲学している、非常に興味深い哲学者である。
この本は、冒頭の大学生の女の子の回答からして、惹かれたし、一日で読めた。
じぶん探しなんて無い。
でも、じぶんを考えることをはじめるきっかけをこの本は与えてくれる。
ハンナアーレント、レイン、クリプキ、レヴィナス、ラカンを読む前に読めて良かった。
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「じぶんらしさ」などというものは、わたしたちの内部にはない……とは、実に簡潔だ。あまり注意深く、かつ念入りには読まない方がいいかもしれない。一応きっちり読んだつもりだけど、ぼくはそう思った。
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身体論というと触れたことが無い人が多いと妄想しているのだが
そんな人のための入門書としては良くかけていると思う。
哲学というものに興味がある人にとっても触りとしては良いであろう
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大好きな鷲田先生の本です!☆非常にわかりやすく書かれていたと思いますが、わかりやすくても内容をつかむのに途中から苦労しました(><)。先生も、この本ではまた”答え”を見つけてらっしゃらなかったです。いつかその謎を解いて下さるまで、自分も努力しながら先生の本読みま〜す☆☆☆
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3章末尾の
そこでこんなふうに考えられないだろうか.わたしは「なに」であるかと問うべきなのではなくて,
むしろ,わたしは「だれ」か,つまりだれにとっての特定の他者でありえているかというふうに,
問うべきなのだと.
というとこが,一番覚えてる.
自分の中をいくら見つめても,自分をそこに見つけられない経験は,
某自己分析的な行いで経験していたので.
他にも「女の子は『女装』によって女になる」とか
「じぶんがぼやけることの心地よさ」とか,
おもしろい.
でも読みやすいようで意外と読みやすくはない.たぶん
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哲学書。言葉自体は易しいものの、内容が難しい。
具体例・引用文がかなり多く、電車で化粧をする女性の話などは納得できた。人間は可能性を捨てながら生きているというのにも頷ける。
しかし、「“じぶん”は他者との関係でしか存在し得ない」というのにはいささか疑問が残る。
確かに現代の私たちは他者に影響を受けながら生きているが、元を辿ればそうでもなかった時代や人があったのではないだろうか。本書には、過去を交えての論拠が見当たらなかったので説得力に欠けていたと思う。
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言葉は易しいし、具体例もふんだんにつかってある。しかし、哲学者の言葉の引用が分かりにくい。
ただ、本書の言わんとすることは、以下に引用するエピローグに集約されている。
「さて、わたしがこの本のなかで伝えたかったことはただ一つ、〈わたしはだれ?〉という問いに答えはないということだ。とりわけ、その問いを自分の内部に向け、そこに何か自分だけに固有なものをもとめる場合には。そんなものはどこにもない。じぶんが所有しているものとしてのじぶんの属性のうちにではなくて、誰かある他者にとっての他者のひとりでありえているという、そうしたありかたのなかに、ひとはかろうじてじぶんの存在を見いだすことができるだけだ。問題なのはつねに具体的な「だれか」としての他者、つまりわたしの他者であり、したがって〈わたしはだれ?〉という問いには一般的な解は存在しないということである。ひとはそれぞれ、自分の道で特定の他者に出会うしかない。」
このあとにも続くのだが、ここがほとんど全てあろうと思う。
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なんていうか、ちょっと良くわからない。他人を排他するって当り前のことじゃないの?私は自分には自分の世界があって、そこに他人を入れることは絶対に出来ない。
友達であっても、彼氏であっても、無理。
自分という存在に疑問なんてない。ただ私は私であってそれ以上でもそれ以下でもないでしょ。私の体は私だけのものでもあるし、私だけのものでもない。
私という存在は他の人が居てこそ成り立つけど、そこには一枚の薄い幕見たいのがある。
私は完全に他人を受け入れることは絶対に出来ないし、したくもない。
どんどん進むにつれて、??になってしまって読むの止めてしまった。