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微妙かなー。
考えることのきっかけにはなる。
定量的、わかりやすい、早く、簡潔にが全てと教わってきている環境の人達にはおすすめかも。
ただ、微妙と感じているのは、デザイン的思考にまだ私がついていけてないだけかも知れない?
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深く考えることでどんな効果が得られるか。逆に、深く考えていないことでどんな弊害があるのか、という観点の本だった。
「即断即決できる人間=仕事ができる」は正しい?
考えずに直感で動いてるだけではないか?
深く考えることで新しい発見を絶やさない人生にしていきたいと感じた。
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すでに自分が持っている概念を当てはめて世界を認識するのは「分かったつもり」。
すでに自分が持っている概念を組み合わせて新しいことを発想するのは「浅い考え」。
どんなにがんばっても「言葉にできない」何かを追求しよう。
新しい概念を見出し、これまで人類が認知不能だったものを
認知可能にしようという営みが「深く考える(Deep Thinking)」である。
成果を目掛け、たくさんの知識と経験から即応即答する。
こういった頭の使い方ばかりすると「浅く考える」ことに頭が最適化されてしまいかねない。
スピードを求めると、自分がすでに持っている概念の範囲で、当嵌めと組合せばかりをしがちになる。
強力なエビデンスを求めると、思考の分母(範囲)が小さくなる。
大勢に正確な意図を伝えようとすれば、誰もが知っている概念しか使わず、
他人には理解しがたい(=本当に「珍しい、変わっている、自分らしい」)が乏しくなる。
思考を節約しては深い思考にならない。
みんなが疑いなく同意しているような、暗黙の理りに疑問をもち、スローに考える。
言葉にできない、再現性の低い表現しかできないような何か、深く考えて書きまくる。
他人には再現性の低い言葉でしか伝えられない何かを求めることが、深く考える力を磨くことになる。
そのためには「鉛筆」を使うのがベストである。
......。
「鉛筆」のくだりは正直にいってまったく分からなかった。
よって、この本のオリジナリティは「鉛筆」のくだりにあると考える。
言語はコミュニケーションのためではなく、思考のために生み出されたという説がある。
言語を使って思考する上で、書くという行為は強力である。
その、書いて深く考えるという行為をできるだけ自由に行うには「鉛筆」を使うのが良い。
「パソコン」は「鉛筆」よりも多くの自然法則と
「人との約束(人為的ルール)」の上に成り立っている。
我々が受け入れている自然法則も、人間が見出した理り(=約束)である。
それを信じることは、結局、「人との約束」を信じる(=前提とする)ことでもある。
約束を重畳的に前提としてしまうと、Deep Thinkingの分母が減り、思考の自由度が減る危惧があるということであろうか?
人類がいまだ認知できていないもの認知できるように、新しい概念に到達しようというとき、
物理的で、その存在や機能の前提として信じなければならない約束事が少ない「鉛筆」が
「パソコン」「ボールペン」「万年筆」などより盤石でふさわしいというニュアンスだろうか?
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ページの上下の余白に鉛筆でメモをひたすら書く。ノートを書いている感じだ。
深く考えるとはプロセス!「鉛筆」で書き込み、頭の中で言葉が沸き上がるままを書く。間違えても消さない。すべてに意味がある。
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https://twitter.com/itaya_gaiax/status/1344526477904080897?s=21
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物事を深く考える癖がないので、思考力をつけるためにこの本を読んだ。
率直に言ってビジネスの場では中々応用が出来ない内容だった。
大学入試の評論文を読んでる感じだった。笑
著者の言っていることもわからなくはない。
ただ研究者など、ある種一般人な社会組織とは少し違った状況にある人向けの内容に感じた。
そんな中でも良いなと思った部分は下記の通り
○バリエーション豊かな1000通りのやり方を実践し、失敗もすることでようやく自分に合ったやり方に出会う。
※ただ回数をこなせば良いと言うことではなく、様々なアプローチを行うことで、過程が経験となる。
○経験に実感が伴うには、経験前と経験後で何が違うかを明確に実感する必要がある。
○経験のプロセスを推し量るための3つの指標は「現在の立ち位置」「プチゴール」「やりたくてやっているかの実感」
日常生活に活かしていきたいこと
1つの事について、固定観念にとらわれず色々なアプローチを行なって効果を検証していく必要性があると感じた。パッと思いついたのは、ストレス発散法とか?