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随分と大胆な推測を盛り込んで西郷の謎に迫っている。それはそれで面白いし、歴史の見方かという気もするが、あまりに度を越した推測もどうかと思う。
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川路さんを見直した。
あまり歴史で善悪決めつけすぎないようにしないといけない。
色々誤解してた部分もおおく。久光や帯刀に興味が。
大久保さんはやはり昔から好きになれない。タイプの違いなんだろうけど。周りの評判もきくとたまたまのし上がれたタイプ?
西郷さんのすごさはかわらない。繊細なひとだったのね。
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推測的な部分もあるが書簡より読み解いているので、まだ説得力は感じる。
西郷隆盛に匹敵する人物紹介や大久保利通との関係など、なかなか面白い。
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史料に基づいて、西郷隆盛の実像を読み解いた本。
日本史の人物として超有名ですが、意外と実像がわからないのが西郷隆盛という人。その西郷を研究し続けた著者が西郷隆盛の実像や大久保利通との関係などを解明していきます。
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歴史の流れや他の人との比較の中で論じる要素は少ないので、私のように歴史に疎いとピンときにくく、途中挫折。
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何かで読んだのだけど、日本人は「覇」という文字を、例えば「〇〇高校甲子園制覇」」のようにいい意味として使う傾向があるが。漢字の本家、中国では「覇」はいい意味の文字ではないらしい。
「覇」というのは、国を力で治める(だったか?)みたいな時に使う言葉で。
国は「徳」で治めなければならないとする中国の価値観では、力で治める「覇」は卑しいみたいな感覚があるらしい。
それを知った時、『三国志』の主人公が、物語の主人公としては大よそツマンナイ劉備玄徳と諸葛孔明なのはそういうわけなのか!wと大いに納得したというのはさておき(^^ゞ
つまり、私たち日本人が西郷隆盛(の価値観)を理解できないのは、そういうことなんじゃないかと思うのだ。
だって、昔から日本人は、織田信長を絶対的に英雄としてきたのだ。
織田信長といったら、「覇王」という言葉が枕詞になっているくらいなわけで。
つまり、日本を徳をもって近代国家たらしめたかった(らしい)西郷隆盛を理解しようにも、私たち今の日本人はそれを理解する物差しがないんだと思う。
というわけで、自分も西郷隆盛よりは大久保利通を全然尊敬している(^^ゞ
それは、たぶん大久保利通という人が、そもそも合理的な思考の人で。なおかつ、西欧合理主義で近代化することで豊かな国をつくろうと考える、(西郷隆盛と比べて)効率を良しとする価値観を持った人だったからだと思う。
つまり、大久保利通の価値観は、今の日本人の価値観と同じで。同じだからこそ、その功績がわかりやすいということなのだろう。
てことで、この本。
前半は面白んだけどなー。
後半、著者の説である、小松帯刀と島津久光こそが維新に功績のある人物である云々が書いてある辺りから、急につまらなくなった。
その理由を著者は書くのだが、なーんか、イマイチ(というか、全然)説得力がないw
維新後、すぐに死んじゃった小松帯刀はともかく。島津久光がそんなに優れた人物なら、なぜ、維新政府で活躍しなかったの?と思ってしまうのだ。
こう言っちゃなんだけど、ありがちな学者が自説にやたら固執する自己承認欲求ってやつ?なんて思っちゃうのだ(^^ゞ
最近思うのは、歴史上の人物、それもこの西郷隆盛のような人を想像するというのは、現代のような平和な時代に暮らす学者には把握しきれるものではないんだろうなーと。
自分は、司馬遼太郎の小説というのは、キャラ設定が強すぎることがあって、最近は好きではないのだが。
でも、こと、西郷隆盛に関しては、「彼についてなら何日でも語ることが出来る。でも、いくら語ったところで、西郷隆盛という人物は見えてこない」みたいなことを言っていた司馬遼太郎が一番的を射ているような気がする。
それこそ、この本の著者の持説である「小松帯刀と島津久光こそ維新の功労者」にしても、西郷隆盛と大久保利通二人の画策を、二人を信頼して任せた小松帯刀が、やはり彼を信頼して任せている島津久光の承認を得て、藩の方針とした(久光が藩士に命令した)という方が納得感があるし。
なにより、維新後の状況に沿っていて、無理がないように思う。
ていうか。
この著者に限らず学者は、西南戦争を“西郷隆盛の失敗”と表現することが多いように思うが、それがわからない。
だって、現代の価値観では、戦争=絶対悪だけど。当時は、戦争=やる時はやらなきゃならないもの、というのが価値観の大勢だったと思うのだ(現に、西郷隆盛もそういう言葉を残してる)。
なら、「それが必要ならやらなきゃならない」のは、(当時の価値観に照らし合わせれば)当たり前のことだし。
なにより、西南戦争に西郷隆盛が負けることで、明治政府は安定するわけだ。
なら、それは“西郷隆盛の失敗”ではなく、“西郷隆盛の功績”と言った方が実態に即しているように思う。
そんなこと言うと、西郷隆盛が西南戦争で自らが負けることで全ての乱を終息させることを目論んでいた証拠がないという話になるのだろうが。
そんなもの、あるわけないじゃん(^^ゞ
新政府に反乱起こすなら、本気で新政府を倒す気にならなきゃ誰もついてこない。だって、それは戦争だ。死ぬかもしれないのだ。
そのようなことに、「自らが反乱を率いて負けることで、戦乱を終わりにさせたい」なんて書いて、証拠を残すヤツいないよ。
いたとしても、そういう世の中に未練を残した人には誰もついてこないと思う。
今は平和で豊かだから、誰しも自分に未練を持つのが当たり前だ。
でも、当時は全く違う。200年以上当たり前のようにあった江戸幕府が無くなって。それを成し得た、薩摩や長州等の下級武士が新政府で権力を握った。
そういう全てがひっくり返った時代だ。
それを目の当たりにした人たちなら、自らも一発逆転に賭けてみようと思ってみても全然不思議ではない。
江戸幕府を倒した最大の功労者である西郷隆盛なら、それはわかっていた。だから、それをやった、と想像する方が無理がないように思う。
学者は、“西郷はこうこう書いた文書を残している。だから、西郷は世間で語られているような大人物ではない”と書くのが大好きなようだが(^^ゞ
人生のあるタイミングで、たまたま書いた一文書で、こうだった。ああだったと断定するのは、どこか変ではないかい?
西郷隆盛だろうと、なんだろうと、所詮は人間だ。
真剣になる時もあれば、おちゃらけている時だってある。エッチした相手に「〇〇ちゃーんったら、かっわいいー」なんて、恥ずかしいこと言ってたことだって絶対あるはずだ(^^;
後世に自らが歴史小説やドラマの主人公になるだろうと、御大層なことばかりやっているわけではないのだ。
たまたま、きまぐれだったり、その時の誰かとの会話の流れでいつもと違うことを言ったり書いたりしていることだって絶対あるわけだ。
なのに、そういう重箱の隅つつくような文書を見つけちゃ、「俺は新説を発見したぞ!」と学者同士で承認欲求し合っている今の状況って、一般庶民からするとなんかダサいしw
なにより、それで新説が見つかったからって、世の人にどれだけ役に立つのだろう?と思ってしまう。
というか、そんな重箱の隅つついた新説なら、司馬遼太郎のキャラ小説wの方が世の人の人生の指針になっているだけ、よっぽど素晴らしいように思う。
西郷隆盛について、例のフィラリ��症で肥大したアレのことを歴史学者が語ることはあまりないように感じるが、そこも大いに疑問を感じる。
女性に魅かれるそういう年頃の時に、自らのそこがそんな風になってしまったとしたら、それはその人の人生観にものすごく大きな影響を与えるはずだ。
もちろん、現代人に西郷隆盛の人生観を想像することは出来ない。
もしかしたら、西郷隆盛だけに、そんなことと泰然自若としていたのかもしれない。
でも、そのことはこの著者も書いているが、西郷隆盛というのはとってもナイーヴな面を持った人だったと思うのだ。
だからこそ、敗者に寛大な態度を示せたり、また、多くの人に慕われたんだと思う。
そう考えると、西郷隆盛といえども、嫌でも目にしてしまう自らのソレに相当な絶望感と自己嫌悪感を抱いていて。そのことは、西郷隆盛の死生観を形作る要素の一つになっていると考えるのは決して不自然ではないと思う。
その死生観こそが、自らが西南戦争で負けることが日本という国への最後の奉公だと西郷隆盛を決意させた…。
自分は絶対そう思うのだが、学者は逆立ちしたってそんなこと言わないだろう(爆)
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理路整然とした文章で読みやすい!
1日で読破。構成もわかりやすく、西郷隆盛の人生を一通り知っている人であれば誰でも楽しめる1冊。
どの章も魅力的でわかりやすいけど、特に惹かれたのは西郷の7つの謎のうち、
何故早い段階で自決しなかったか、という点を
自分のために死んでくれる者がいることを無上の名誉だと思っていたのでは、という
筆者の見解。
正しいか正しくないかは置いといて、いやー面白いし正直、ありえない話ではない。
筆者が述べている通り、西郷隆盛はただ単なる豪胆なヒーローではなくて、繊細、人間嫌いな面もあり自分を好んでくれる人間には優しくする。
そう考えると、とんでもなく歪んだ自己肯定感としては、前述の見解もありえるんではないかなと。
その他の、
無類の犬好き=不器用さ、人間とはわかりえないなにかを分かち合っていた部分や、
写真嫌い=生きる、死ぬ、のために残しておくという考え方がなかった
など、他の謎にもなかなか面白い見解が多く、
本当に興味深い。
どこか人間くさく、不器用だけど愛らしい西郷が好かれていくのと対照的に、
自分の考えや意見を必ず優先される大久保が嫌われていったのも納得だし、もうイメージぴったり。
でもそれも西郷自身が、斉彬との出逢いや、二度の流島経験から変わっていったことを考えると、
やはり偉人も、様々な経験で変わっていくのだなということを実感させられます。
とてつもなく読みやすい。わかりやすい!1冊でした。