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短編集で、「意識のリボン」を読みました。交通事故の話しのようでしたが、イメージが次から次へと流れて行くような印象です。物語の筋らしきものを感じることなく終わりました。僕も原付バイクに乗っていて、軽トラと田舎道で衝突して、2、3メーターほど飛ばされたことがあります。死ぬことはなく、意識はありました。聖書の言葉で「すべてのことがともに働いて益となる」(ローマ8:28)が何度も浮かびました。
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- オンナトハ、ドウイウ生キ物デスカ
女は…他人の噂話が好きですね
- オトコトハ、ドウイウ生キ物デスカ
男は…、おっぱいが好きですね 〈こたつのUFO〉
女とは何か、男とは何か、私たちが偶然にも宇宙人に出会うことがあったなら、こんな風に女と男の特徴を説明したりするのでしょうか?もし、小説に宇宙人が登場すればこれはもう誰が何と言ってもその作品はフィクションです。また、エッセイと銘打った作品を読めば、それは作者のノンフィクションの世界であるとハッキリわかります。でも、小説の場合、果たしてそこに書かれていることはどこまでが現実のことで、どこからが作り話かの境界線は作者以外にはわかりません。では、そんな小説の本文の中に『あくまでフィクションですから、主人公と同一視しないでください。創作上の話で、私は主人公と似通った境遇も思考も一切ありません』、と書かれているとこれはどう捉えればいいのでしょうか。私たち読者は、そこに書かれている小説を単純に楽しめば良いわけで、そこから離れて、そこに書いてあることが作者のことであろうがなかろうが本来は何の関係もありませんし、それによってその作品の評価が変わるようなことも本来はあり得ないはずです。でも、『三十歳になったばかりの私が、三十歳になったばかりの女性の話を書けば、間違いなく経験談だと思われると、これまでの経験から分かっている。』、と、”もしかして”と勝手な想像をする気持ちは誰にだってあるものです。読書は自分の楽しみのためにするものです。そんな”もしかして”と勝手な想像をする読書だろうがそれでその読書に面白みが増すのであればなんだって良いのかもしれません。「意識のリボン」、この作品はそんな読者の”もしかして”の期待に応えてくれる、現実と絵空事の境界線が極めて曖昧に感じられる、そんな物語です。
『赤ちゃんは取り上げられてから泣くものだと思ってたから、自分の股の間から声が聞こえたときはびっくりしたよ』と嬉しそうに語る母。『当時の私は母の胎内の記憶を語った』という二歳の時の主人公・真彩。『ままのね、おなかのなかでね、だいだいいろ。せまくてね。くちゃくてね。でてくるとき、あたま、すごーくいたかった』、という『出生前記憶を語る幼児の、けっこう貴重な映像』を『真彩には生まれる前の記憶がある』と喜んでいた母は、『誇らしかったからこそ、わざわざ二歳のときの動画を全世界で視聴可能』なようにYouTubeに投稿します。それからも『私の成長記録は随時発信され』続けます。中学一年生まで残るそれらの映像を『いまではかけがえのない動画として消すに消せない』という真彩。『視聴回数のうち、少なくとも千回以上は、私がクリックした分が含まれる』というその映像には『私に話しかける、若いころの優しい母の優しい声。最後の最後に、姿見に映った母が0.1秒ほど』映っていました。『ずっと見つめていると、目から涙がこぼれた』という真彩。『母は亡くなってしまった。心筋梗塞で五十四の若さであっという間に』、『私たちには笑顔の記憶だけを』残していなくなってしまった母親を偲ぶ真彩。そんな真彩にまさかの展開が訪れます。『さて、私はスクーターに乗っていて乗用車に���突し、ぽーんとお空を飛んでいる』、というどこか他人事のような感覚。『私は絶対に長生きするからね、と泣きながら父に誓ってすぐだったので、親不孝者と言えるだろう』、と冷静に語る真彩。そんな真彩は『瞬きをしてまた目を開けたら、二メートルほど下に自分の身体を見下ろしていた』というまさかの状況に置かれてしまっているのに気づきます。そして、そんな真彩のまさかの臨死体験がリアルに語られていきます。
8つの短編から構成されるこの作品。登場人物に会話らしいものがある、いわゆる小説という感じの体裁をとるのは最後の〈意識のリボン〉だけで、他は主人公視点で自身の内面から見た世界、感情が切々と語られるものが中心です。その中で私が特に印象に残ったのは序文に触れた〈こたつのUFO〉を含めた四編です。では、残りの三編。まずは〈岩盤浴にて〉。『他人の会話を盗み聞きして心を乱すのは、私の悪い癖だ』という主人公が岩盤浴をしながらそこに聞こえてくる他の人々の会話を聞きながら、ああだ、こうだと考えを巡らせます。三十万円以上したコートを売りに出したら五百円だったという愚痴を連れに語る女性。これを『愚痴に見せかけた自慢話』だ。『高かったコートを安く買い叩かれて腹が立った話をしているように見せかけて、高いコートが買えた、かつての自分を自慢している…』、といった感じでただただ他人の会話の内容に思いを巡らす主人公。これはエッセイなのか、小説なのか、読み終わってもはっきりしないほどに綿矢さんを感じた物語でした。次は〈怒りの漂白剤〉。『自分のことしか考えていないのに、人の顔色を気にしすぎて気を揉んで早数十年、あちこち考えすぎて暗い思いを溜め込んできた』という主人公が『“怒りと別れたい”という思い』に向き合う中で『怒りには神的なパワーを感じるときがある』、そして『ほかの感情に比べて鋭く強く熱量も多いし、実体化したら雷のようにピカッと光って地面に落ちそうだ』と考えます。確かに喜怒哀楽の四つの感情の中で、怒りの感情だけは、その対象を特定し、その対象に向かって放出される強い感情とも言えます。だからこそ『なにくそ、見返してやる、と奮起の材料になったりもするので、使い方次第では大きく化ける可能性もある』、とこれまた主人公がただただ内面でああだこうだと思いを巡らせます。そして、その感情と『漂白剤』を結びつけていく発想、これまた、綿矢さん自身のことなのかなぁ、と考えながらの読書、でもそれ以上にとても上手くまとめた作品だと思いました。
そして、この作品の中でも圧倒的に絶品なのは間違いなく〈意識のリボン〉です。出生前記憶と、まさかの臨死体験が主人公視点で描かれるその内容。特に臨死体験は、あまりのリアルさ…と言っても私に臨死体験はありませんが、その描かれる世界の説得力、そして綿矢さんならではの絶品の言葉が散りばめられていて、これは圧巻でした。あまりに出来上がった世界の描写に読書スピードが思わずスローダウン。そして、一字一句を味わいながらの読書となり、“良いもの”を読んだ感いっぱいの後味が残りました。中でも『人間は浮き沈みがあってこそ、深く学び、深く輝く』という人生を俯瞰したからこそ出てくる言葉はとても印象的です。また、『仕事』というものに対す���こんな考え方も登場しました。『いままで一度も仕事を自由と思ったことはなかった』という真彩。しかし『時間は有限だとはっきり自覚して眺め渡して』見た時には、それは全く違うものに見えてきたと言う感覚。『人生において仕事ほど贅沢に自由を使っている”遊び時間”はない』、という仕事が自由という言葉と結びつく瞬間。そして『体力も気力も野望も十分あってこそ挑戦できる、社会へのゲームだ』、と『仕事』というものに対して今まで抱いていた感情・感覚が反転してしまう、そんな考え方に至った真彩の臨死体験。ただ、こう書いても今ひとつ上手く伝えられていない感じがしています。やはり、この臨死体験のシーン全体を読んでこそ、初めて全てが納得できる、そんな風に思いました。
この作品、そして絶品だと思った短編集「憤死」はもとより、綿矢さんの作品は全体として短い作品、もしくは中編が多いという印象があります。『短編には、自分が主張したいことや何か強く思っていることというより、生きていて、ちらっ、ちらっと感じたことや好奇心をもりこめる喜びがあります。とても贅沢な場所だと思います』、と語る綿矢さん。綿矢さんの作品を読んでいると、もしかして、これは作り話ではなく、綿矢さん自身のことを書かれているのではないか、そんな風に感じてしまうのは、短編に盛り込まれた綿矢さんの主張が色濃く感じられるからなのかもしれません。
圧巻の内面描写と、ハッとする表現の数々に魅了された逸品。サクッと楽しめる短編の中に、ふっと奥行きを併せて感じた、そんな作品でした。
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履歴のない妹→元彼が撮った裸の写真
声のない誰か→通り魔の噂
意識のリボン→臨死体験
は、よかった。
短いから物足りないけど、長くてもなーみたいな、淡々とした文章。
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どの話も考えさせられる。
自分だけが悩んでいると思いがちだが、同じように悩んでいる人は腐るほどいる。そう思うと安心するような、なんだか切ないような。
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夫が珍しく早く寝てしまった夜に、読み切った。
声のない誰かが、ホラーが主役の話では無いのに怖くて、一人暮らしをしていた頃を思い出した。
当時は外が暗くなると、窓の側やドアの隙間に何かが潜んでいそうで怖くて、寝る直前まで明るいアニメや動画を見ていたな、と。
夫と一緒に暮らすようになってすっかり意識していなかったが、誰かが一緒にいてくれることの心強さを思い出した。
綿矢りさは露悪的な作品が多い印象だったが、本作は等身大の、どちらかというと前向きな語りの短編集。
物語の動きは少なくて、
一言では伝えられない考えや思いを、第三者に納得できるよう伝える補助としてキャラクターやストーリーがあるという印象。
この本で仲の良い女友達と読書会をしたら、色々な本音が聞けそう。
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綿谷りささんの話はどれも好みなのですが
この話もとても好きでした。
8編の物語が入ってる短編集です。
個人的には「岩盤浴にて」、「怒りの漂白剤」、「意識のリボン」が気持ちを入れて読んだ話でした。
「岩盤浴にて」
の中で聞き役の女性と喋り倒す女性の会話を盗みぎく主人公が、聞き役の女性の態度によってもう1人の女性は喋さざるを得ない状況になるのではないか、という考え方とか、面白いなぁ、と。
「未来に出会う女友達とは、歳を取れば取るほど、何てことの無い、ささやかな無邪気な会話で盛り上がりたい。」という、フレーズがとても共感できました。
「怒りの漂白剤」
怒りの感情をどうなくしていくか、ということをひたすら考える女性の物語。「嫌いなものを無理やり好きになろうとするより、ものすごく好きと執着している気持ちを平かにしていけば、自然とものすごく嫌いの方の気持ちも薄まる」というところも面白い考え方だなぁ、と。
綿谷さんの話は情景の描き方が興味深いなーとも思います。
「街路樹は葉どころか枝さえ刈られて、精神鑑定のテストでこの木を描いた人間がいたら、即異常と判断されそうな無惨さだ」というところとか、なるほどなーと。
この本はまた読み返したいな。
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エッセイのような小説のような、不思議なお話が8個入っている。
どのお話も作者の鋭い人間観察力が光っていて、読んでいてドキッとすることが多かった。
8つのお話の中で特に気に入った3つの感想を書いておく。
「岩盤浴にて」
パワーバランスの偏った女性二人組をひたすら観察しているお話。私自身聞き役でいることが多いので読んでいて冷や汗が出てしまいそうだった。
「こたつのUFO」
訳がわからないけど何か勢いがあって面白いから好き。
「履歴のない女」
姉妹の会話にほっこりした。
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短編。
ブームの去った岩盤浴に一人で行き
デトックスしてくるはずが、ヨガの声や常連客の会話を
惰性で盗み聞きしては頭の中ぐるぐる状態の人。
気だるい体に鞭打ってなんとか図書館に行き
こたつに対する愛と、鍋料理を自分で作って食べた誕生日の日に
そのこたつでうたた寝した時に見た宇宙人の夢。
結婚したての姉と手伝いにきた妹の会話、
女の順応性に感心すると同時に沸き起こる不安。
結婚する妹の引っ越しを手伝う姉との会話。
妹が昔付き合っていた男が撮った彼女の裸の写真を見たことによって
芸術的な不自然さなんかよりも真っ直ぐで嘘くさくてありきたりなことの方を信じていきたい。
近所付き合いのない街で誰もが話す猟奇的な事件の噂。
噂に不安がる一方で被害者の情報も犯人も曖昧なまま
結局デマだという結論の後に声のない被害者の姿を見たような気が、した夜。
母が亡くなり、父と二人で悲しみを共有していた矢先に
自身もバイク事故で生死を彷徨って見てきたもの。
他あと2つお話あったけどそれは正直あんまりよくわからんかった省略。
綿矢さんの話って面白いなあ。女女してる感じ。
こたつのUFOは自分が船橋で一人暮らししていたことを
思い出して面白かったなあ。
流石にこたつは持ってなかったけど。
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前半はエッセイみたいなお話で、
アラサー女子の日常がかかれて
笑えるところもありました。
後半はミステリとかオカルトっぽい
フワッとしたお話の印象です。
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この本には、どこかしら太宰治臭が漂う。作中でも『千代女』や『人間失格』にも言及しているし。
しかしそれ以上に、〈私〉という一人称で仮構されたそれぞれの物語の主人公の意識の流れが、もとい語りが、太宰っぽいのだ。『女生徒』っぽいのだ。
『岩盤浴』は、デトックスを求めて行ってるはずなのに、いつのまにか周囲の会話に毒され、意識を他人に乗っ取られる「おひとりさま」あるあるを描いた傑作!
そして忘れられないのが『こたつのUFO』!
綿矢りさの創作エッセイですか?と思わせる序盤から、いきなりの飛躍。
「オトコトハ、ドウイウ生キ物デスカ」という問いに対する、プリミティブな答え!
たしかに2014から2017年の短編を寄せ集めたもんだから一冊の本としてはまとまりに欠けるけれど、書くという営みをつづけるこの作家の格闘の軌跡を、垣間見た気がした。
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最後のタイトルにもなっている「意識のリボン」が良かった
死んだらこんな感じなのかな〜とぼんやり不思議な気持ち。
「履歴のない妹」も心に残る。
確かにどんなに魅力的な写真でも、裸体は残しておけない。
でも、そんな危うい写真だからこそ人の心を揺さぶるのかなと考えたりした
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綿矢さんの短編集
「岩盤浴にて」「こたつのUFO」「ベッドの上の手紙」「履歴の無い女」
「履歴の無い妹」「怒りの漂白剤」「声の無い誰か」「意識のリボン」
8篇が収録されています。
最近気になってずっと読んでいる綿矢りささん
今回はひょっとして好き・嫌いが分かれる作品かも知れない。
でも私は凄く好きだ。
8篇共に小説でありながらそのうちの何篇かはエッセイを読んでいる様な錯覚に陥る。
それはきっとリアリティがあって年代が違えども登場人物に共感、共鳴出来る面が多々あるから。
綿矢さんならではの独特な言葉の言い回しも新鮮で時々「おお!」と唸ってしまった。
激しい展開があるわけではないけれど、ヒトの内面にぐぐっと切り込むサマは小気味良かった。
個人的に印象深かったのは「怒りの漂白剤」
怒りを溜めこむ自分にはドンピシャな作品
なるほどと思えたり参考になる点もあったり。
表題作の「意識のリボン」も好き
しみじみと心に沁み渡る作品でした。
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タイトルと同じ「意識のリボン」が一番よかった。
死後の世界の本は色々読んだけど、だいたい同じ。
家族のふれあいがとても温かいストーリーだった。
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「履歴の無い女」の子供が重い病気にかかっている時に「自分は健康で幸せ」と感じてしまう話にざわざわした。
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綿矢りささんの本も、素敵な装丁がとても多い。
この本もポップで可愛いイラストが描かれているけれど、色鉛筆で描かれているため、どこか優しく温かい雰囲気。
本作は8つの作品から成る短編集。短編小説と随筆が混ざったような感じ。
最初の作品『岩盤浴にて』は、『私をくいとめて』のマッサージの描写然り、リラクゼーション好きの私としては「今すぐにで岩盤浴に行きたい!!」となった。近くのおばさん方の会話を盗み聞きしながら、二人の関係性を邪推したり、あれやこれやと思いを巡らせるシンプルな展開。とても好きだった。
P. 12
ウォーターサーバーに近寄り、置いてあった紙コップに水素水を注ぐと、かぼそい一筋の流水が紙の底を打つ音が聞こえた。紙コップにプラスしてこの音を聞くと、どうしても検尿を思い浮かべてしまう。一回り小さめのコップのサイズまで同じだ。検尿しているときにウォーターサーバーの水は思い出さないのに、不思議だ。
二番目に収録されているこたつのUFOは、作家がぶつくさと頭のなかで考えているだけの話。こういうのが結局一番共感できたりする。
P.38
人と話すのが嫌いとか、引きこもりになって何年とかではなく、私はごくごく普通に人と接するのは好きだ。バイト先でも同じシフトの子と仲良くなり昼ごはんもいっしょに食べてたし、年末に開かれた忘年会にも出席した。でも辞めたあとも会うほど仲良くなれた人は1人もいなかった。元カレもそう。(略)
人間たちにコミットしようと扉を叩く、彼らは出迎えてくれる、そのなかで一定の期間を過ごす、そして、んじゃ。と外に出るともう二度と元の場所には帰れない。きっと外に出るから悪いんだよね。居心地が悪くなっても空気が薄くても、彼らに囲まれて過ごしたいのなら、自分の椅子をしっかり守り、我慢強く居続けなければいけない。(略)
みんな、こんなぷっつり切れちゃうものかな。家はあるけどまるでノラだよ、ノラ女だよ。街で見かける人はみんな他人さ。
でも悲壮感はない。それは自分でも気に入ってる。
中盤に連続で収録されている『履歴のない女』と『履歴のない妹』は唯一内容が繋がっている。とりわけ私は妹の方に登場するいわくつきの写真が、文章だけでこうも魅力的な写真であるということを表現できるのか、とちょっと感動した。
P.95
それまでの写真とはまったく雰囲気の違う写真にぶち当たり、思わず手が止まった。
はだか。
薄暗い部屋のなか、ベッドの上に二人の女が全裸で寝そべっている。よくあるタイプの写真かもしれないが、女のうち一人が妹だった。(略)もう一人のやせ形で、妹より背の高い美人は、前髪と顎までの髪を切りそろえたクレオパトラみたいなボブカットで、ずっとリラックスしている。撮られ慣れた雰囲気がある。右の彼女の方がスタイリッシュでフォトジェニックなのに、被写体のメインは明らかに、落ち着きなく体を動かし続けている妹の方だ。(略)
隣の女性は終始横向きで寝そべって、きれいな形の乳房を腕を折り曲げた隙間からちょっと見せたり、長い脚をシーツに泳がせたり、挑戦的だがどこか媚を含んだ視線をカメラに投げかけ��いて、十分に色っぽいはずなのに、妹の隣だと、やせっぽちの木の背景みたいだった。
P.104
「(略)この写真に鋏を入れて、私とこの女を切り離そうとしたの。でも試しに切る前に、もう一人の女を手で隠してみたんだ。そしたら、この写真には何の魅力もなくなっちゃったんだよ。ほら」
妹が手で右側の女性を隠すと、左の妹はたちまち色を失った。なんの魅力もなく、ただベッドにだらしなく横たわる女だ。太っているわけでもないのに、妙にたるんでいる腹ばかりに目が行く。笑顔が野放図すぎて、歯を見せすぎているのが気になる。ただの裸をさらけ出して身をくねっている、エロ本に出てくる黒い目線の入った素人の娘みたい。ただの背景に見えたもう一人の女の裸身が、写真の大切な、繊細な部分を支えていたのだ。
『怒りの漂白剤』も印象に残った。
P.119
半年間怒らない習慣を心がけた結果、たどり着いたのは意外な答えだった。
好きを好きすぎないようにする。
一見怒りとはなんの関係もなく思えるこの心の持ちようが、私にとっては重要だった。私の性格の特徴として怒りっぽさが挙げられるが、同じくらい"好きなものはとことん好き"というひいき癖がある。目を輝かせて語るほど好きな対象の数が多く、想いが濃いほど、その他の影が濃くなる。好きなものを神格化しすぎず、距離をおいてよい面も悪い面も見極められるようになると、ものすごく嫌いだと思っていた物事のちょっとした良い面も見つけられ、あんまり嫌いでなくなる。
強烈に印象的な文章を書けるという点が綿矢りささんの一番好きなところかもしれない。