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すごい!
あまりの面白さに一気に読んでしまった。
著者は『進化の教科書』の訳者でもある。
直立二足歩行、社会集団、骨格の変化、脳の増大化、言葉、、、
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「一度でいいから、ネアンデルタール人と話してみたかった。」
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「ただ想像することしかできないが、今の私たちが考えていないことを、昔の人類は考えていたのかもしれない。たまたまそれが、生きることや子孫を増やすことに関係なかったので、進化の過程で、そういう思考は失われてしまったのかもしれない。ネアンデルタール人は何を考えていたのだろう。その瞳に輝いていた知性は、きっと私たちとは違うタイプの知性だったのだろう。もしかしたら、話せば理解し合えたのかもしれない。でも、ネアンデルタール人と話す機会は、もう永遠に失われてしまったのである。」
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これはおもしろかった。きっと文章がうまい。理解しやすい。説得力がある。どうして今まで同じ著者の本を逃していたのか。しかしながら、残念なことに私の記憶力不足のため、そのおもしろさを十分にお伝えすることができない。ぜひ、直接読んでみてほしい。頭に残っていること1つめ。ミトコンドリア・イブはヒトの起源ではない。少し考えればわかることなのに、気付けていなかった。要するにミトコンドリアのDNAは母親からしか伝わらない。それで、母の母の母の・・・とたどっていくとアフリカに住んでいた1人に行きつくというのだが、そこからだけどんどん広がっていったと考えるのはおかしい。男の子しか産まなかった母のミトコンドリアDNAはそこで受け継がれないことになる。そんなことはあちこちで起こっているはずであって、ミトコンドリアDNAをたどってもそれほどの意味はない。そういうことができるという事実があるだけだ。覚えていること、2つめ。直立二足歩行は草原で目立つ。つまり肉食獣に狙われやすい。そして走るのが遅い。カバですら桐生くんより速いのだから、すぐにつかまってしまう。ならばなぜ、直立二足歩行をするようになったのか。唯一ヒトだけが。いろいろな理由が考えられている。本書では次のような見解が述べられている。すなわち、ヒトは空いた前足(手)で食糧を運ぶことができた。さらに、我々の二足歩行は燃費がいい。長距離を歩くこともできたという。集団で生活をしていた我々の祖先は、そうして十分な食糧を手に入れ、ネアンデルタール人よりも、少し多くの子孫を残すことができたのだろう。本当にこの1週間ほどの間、ちょっとしたミステリーでも読むかのごとく本書に引き込まれました。
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「我々はなぜ我々だけなのか」川端裕人ブルーバックスとよく似たテーマの本が続いた。この分野いろいろと発見があってちょっとした推理SF的で楽しい。原始人という言葉が懐かしい。
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「我々はなぜ我々だけなのか」に続く、人類の歴史をたどりながら、絶滅していった数多くの別の人類との違いを記した一冊。
こちらの方が生物学的な雰囲気が強いですが、八勝七敗のようなたった一番の違いが私たちと彼らを分けていったという論述に、何とも不可思議さと残酷さを覚えます。
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疎林 チンパンジーとボノボで約1.2% ゴリラで約1.5% 集団生活の中で一夫一妻的なペアを作ることは難しい 人類とチンパンジー類が分岐したのは約700万年前 アウストラロピテクス・アファレンシスの化石の中で最も有名なものは「ルーシー」と呼ばれる若い女性の化石だ 臼歯 年子 「おばあさん仮説」閉経後も長く生きる 大きな脳というものは、たくさんダウンロードしてしまった有料アプリのようなものだ 直立二足歩行の隠れていた利点 ホモ・エレクトゥスの化石 トルゥカナ・ボーイ8歳160㎝成長を終えていた可能性があるのでせいぜい170㎝ 初めて走った人類 足の指は短い 大臀筋 三半規管が大きい ハゲタカ ハイエナ 肉を手で持って、走って帰れるのだ。そしてメスや子供に分配するのである。 上がった体温を下げるために汗をかいて、その汗を蒸発させることによって体温を下げる。 アフリカの暑い草原でホモ・エレクトゥスに追跡されれば、多くの哺乳類は逃げ切ることができないだろう。 体毛がなくなると、紫外線を含んだ日差しが肌に当たる。紫外線から肌を守るためにメラニン色素が増えて、肌が黒くなる。したがって、肌が黒くなった時期は、体毛がなくなった時期に一致するというわけだ。 食人が日常的に行われていたとすれば、他者への共感も持っていなかっただろう。 剝片はくへん 投槍器とうそうき カレドニアガラス 8勝7敗でいい ミトコンドリアDNA 交雑 椅子取りゲームのように、1人が座れば、もう1人は座れなくなるのだ。 もしもホモ・サピエンスが、あらゆる点でネアンデルタール人よりも劣っていたとしても、ホモ・サピエンスの方がたくさん子供を産んでたくさん育てれば、ネアンデルタール人は絶滅するしかないのだ。 1+1が2より大きくなる。それが協力というものだ 使わなくなった有料アプリを少し整理している時期なのだろうか 考えることはAIとかに任せて、人類の脳はさらに小さくなっているかもしれない。もしかしたら、そのAIに絶滅させられて…いや、そういう未来にならないと信じたいけれど。
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年明けからこっち、すっかり人類史に嵌まっています。
本書は、地球上にはかつて多様な人類がいたのに、なぜ私たちホモ・サピエンスだけになってしまったのか―という謎に迫ります。
未読の方の興趣を殺いではいけませんので、その謎の答えについては本書をお読みいただくとして、ここでは触れません。
ところで、私たち人類はどうやって誕生したのでしょうか?
私たちの祖先は、アフリカの森に住む類人猿でした。
アフリカは当時、乾燥化が進み、森林が減っていました。
私たちの祖先は木登りが下手で、つまり個体として弱くて、森では生きられなくなりました。
それで仕方なく、疎林や草原に出て行きました。
そして、食料を手で運搬して妻や子に食べさせるために二足歩行を進化させ、人類が誕生したと言われています(最も有力な仮説です)。
私たちの出自が「弱い」ことに由来していたというのは、何とも示唆に富む話です。
人類が進化する過程で犬歯が縮小した事実や現生のヒトと類人猿のデータなどを合わせて総合的に考えると、人類は元々、平和な種なのだというのも誇らしいですね。
冒頭で、「謎の答え」については触れない、と書きましたが、少しだけ。
実は、既に絶滅したネアンデルタール人は、私たちホモ・サピエンスより脳の容量が大きかったことが知られています。
ネアンデルタール人の脳の容量は1550ccで、1万年くらい前のホモ・サピエンスは1450cc、ちなみに現在のホモ・サピエンスは1350ccです。
脳が大きいからといって直ちに頭がいいとはなりませんが、ネアンデルタール人が相当な知性を備えていたのは事実のようです。
「ネアンデルタール人は何を考えていたのだろう。その瞳に輝いていた知性は、きっと私たちとは違うタイプの知性だったのだろう」(222ページ)
そんなことを想像するのは、楽しいことですね。
私たちの祖先と人類の歴史について気軽に知ることができるだけでなく、ロマンもかき立ててくれる良書です。
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とある展覧会に行った際,人類の進化について,自分が学んだことよりも,かなり知見が発達していることに驚き,興味を持ちました。
近いテーマの「我々はなぜ,我々だけなのか」とは,違った切り口で記載されており,こちらの本の方が,なぜホモ・サピエンスだけが生き残っているのかという謎に迫っています。
ネアンデルタール人は,ホモ・サピエンスより脳の容量が大きかったのに,なぜ絶滅したのか。脳が大きい方が知能が発達するから,生き残るとは必ずしもいえないとは目からうろこでした。
ホモ・サピエンスが,ついネアンデルタール人他の人類を虐殺して絶滅させたと思ってしまいがちでしたが,ホモ・サピエンスの台頭が,他の人類の絶滅に関係していることは間違いないにしても,偶々そのときの環境に適し,子孫をたくさん残せたという偶然の要因による可能性も大きいというのは,少し救われた気がしました。
ロマンが尽きないテーマであり,今後の研究の発展が待たれるところです。
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進歩著しい「サル学」の集大成のような本である。わかりやすく論理的であり、実に興味深い。
人類の犬歯の形態からの「人類は平和な生物」との論考には思わず微笑んでしまった。
今までの多くのサル学本で「示唆される」とされていた知見が、本書では歯切れよく言いきられていることは読みやすくもあるが、学問の進歩を間近に見るようで心地良い。
ヒトは所詮サルなのだということを明らかにする本書の知見が、今後社会学や哲学などの広い世界に波及するかもしれないとワクワクする思いをもった。
2018年3月20日読了。
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例え話が多いので分かりやすく、それでいて仮説も検証を交えながら説明しているので説得力もあります。
手に取ったらやめられなくなりあっという間に読み終えてしまいました。
冒頭の森の中に棲んでいた王様と家来の例え話は、王様が人間かと思いきや反対で、類人猿が王様で人間は家来でした。弱い人間たちは環境の変化で、棲みやすい森を出て草原へと向かわなければならない存在でしたというお話。
ゴリラやチンパンジー、オラウータンなどの人間に近い存在とされる大型類人猿と人間=ホモ・サピエンスの共通祖先から枝分かれした種は、何とかつて25種類がいたといいますが700万年の間に絶滅し、ホモ・サピエンス1種のみになりました。それは何故なのか?という疑問を解き明かしていきます。
ヒトの脳が何故大きくなったのか?ただ大きいだけなら絶滅したネアンデルタール人の方が大きかったとは驚くべき事実もありながら、スマホのアプリ使用の例え話で使いこなせなければ不要と説明しています。
森を出なければならなかった人類は、直立二足歩行になった。それは手を使えるので食糧運搬をもたらし、一夫一婦的な関係性は発情期を失くし、オス同士の闘いを減らした。そして子どもをたくさん産むことが出来るようになり、ヒトの子育ては家族の協力関係が必要である。また、道具を工夫して使うことにより狩りの効率もあがり、二足歩行の利点である長く歩くこともできるようになる。肉をたくさん食べることによるエネルギーの増大は脳の容量を増やし、食事や消化に時間をかけなくてよい分、余暇の時間をもたらした。集団行動はコミュニケーションを必要とするから言語が生まれる・・・
著者は、様々な環境の変化それは、最初の例え話に出たように必ずしも有利な条件でなくとも、それに対応できるように生き延びてきたのが今の私たちの祖先であるということを述べています。
地球という限られたパイの中にあって、最近までといっても、4万年前まで共存していたネアンデルタール人は、どんどん増えてしまったホモ・サピエンスとは共存できなかったのではと推測しています。ヒトの繁殖力が勝った結果ということになりますが、これからこのまま何万年も繁栄するとは思えない今の地球の状況です。
著者が最後につぶやくネアンデルタール人が今でも生きていたら・・どんな会話をしてくれるかなあ・・という夢想に何だか胸が痛みます。
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ヒトはかつて25種類以上いた人類の生き残りだった。
例えば、アウストラロピテクスとネアンデルタール人が生き残っていて、お隣やお向かいに住んでいたら? フランス人とインド人がご近所さんという状況と何が違っただろうか?
私たちホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、あるとき、ひとつ地球の上で同居していて、子供だって作ったのだ。でも、下り坂の彼らは地球からいなくなって、上り調子だった私たちは4万年後も生き残って繁栄を貪っている。別々の種族が別々に暮らすことができるほど、世界が広かったのだろうか? 文字通り、食うか食われるかの争いがあったのだろうか? ハラハラドキドキである。
読み終えたあとも知的好奇心は募るばかり。
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チンパンジーとヒト(ホモ・サピエンス) の溝は深いが、その間には、25種類(くらい)の化石人類の存在(ネアンデルタール人etc)が確認されている。
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過去に多種な人類が出現し、絶滅していった。結局ホモ・サピエンスだけが生き残った。夢をかきたてる。
多産な生物が生き残る。
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図書館で借りた本。
世界中で見つかっている、いろいろな人類の化石から、わかること、予測されることなど。私たち、ホモ・サピエンス以外の人類はいなくなり、ホモ・サピエンスだけが生き残った。ホモ・サピエンスが優秀だったからなのか?という話。難しいことがたくさん書かれていたけど、興味深く読み終えることができた。同じ生態地位を占める2種は同じ場所に共存できない法則について、もっと知りたい。
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2019/02/13読了
人類の歴史が700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスに始まって、多数のアウストラロピテクス種を経てホモ・サピエンスに至っていること知る。人類の最も近縁な種が現生の大型類人猿(チンパンジー、ゴリラ)と言われてもピンとこなかったが、その間に属する2番手から25番手くらいの種は全て絶滅したという説明は納得できる(最も近い種はネアンデルタール人)。
アフリカの大地溝帯からヨーロッパに移動したホモ・エレクトゥスがネアンデルタール人に進化し、アフリカにとどまった種からホモ・サピエンスに進化したらしい。その後ホモ・サピエンスもヨーロッパに進出し寒冷化に耐えられる技術、狩猟に長けた技術、多産だったことなどで生き残ってゆく。結局、共存していたネアンデルタール人は縄張りや獲物を奪われ続けて絶滅した。
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現生人類がチンパンジーと系統を分かったのが約700万年前と推定されている。そこから、現生人類に至るまで、化石上の証拠からはネアンデルタール人をはじめおよそ25種の人類が見つかっている。彼らが絶滅をして、われわれが生き残ったのはなぜなのかを考えるのが本書の目的である。
大きな脳を維持する方が有利なようにならないといけない。大きな脳が生存上有利とは言い切れない。なぜなら、脳は非常に多くのカロリーを消費するからである。その投資分のリターンが得られなければならない。例えば、ネアンデルタール人の脳はホモ・サピエンスよりも大きく、脳が大きい方が生存に有利であるとは言い切れない。
大きな脳のメリットの一つが、石器の利用と火の利用であったという。まずは食料を消化しやすくすることで、腸などの消化器官を小さくし、消化に必要なエネルギーを他に使うことを可能にした。次が言葉の使用である。言葉を操ることができるだけの脳を有した人類は、互いに協力することで生存確率を上げることができるようになったという。
人類史の中でも、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの間に起きたことは何かということは興味を惹く話題である。特に、両者が共存した時代に交雑して、結果としてネアンデルタール人由来の遺伝子が非アフリカ人の中に存在することがわかったことも興味を高める原因として大きい。
ネアンデルタール人と現生人類は、7,000年程度しか共存せず、特にヨーロッパでは3,000年間程度しか一緒にいることはなかったと考えられている。
約5万年前にホモ・フロシエンシスが絶滅し、4万年前にネアンデルタール人が絶滅した。その前後にデニソワ人が絶滅し、ホモ・サピエンスだけが生き残った。
その理由は単純にホモ・サピエンスの方が多産であったからなのかもしれない。ただ、言語的能力が優れていて、協調できたことで他よりも有利であったのかもしれない。
何だか、大きなテーマを掲げた割にはすっきりとしない結論の本。