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認知症状の初期段階から重度に至る過程が現実的によく描かれていると感じました。アルツハイマーからレビー症状を疑ったりリアルです。生きる術を忘れていく不安からの介護抵抗の様子など身につまされる思いがしました。認知症のひとりの老人の孤独と介護する側の家族の諸事情と現実が絡み合う状況が他人事とは思えなく身近な問題と捉えました。
認知症が始まった主人公がわけのわからない言葉を孫との会話で発する場面では孫がおじいちゃんの直近の状況、状態をその場の様子から理解しようとするがそれは介護の基本でありよい場面でした。なにげなく作者は認知症の方の接し方を優しく示しているようてした。
また、妻である曜子が何もかも忘れてしまう夫に対して夫は夫で何者でもない
ええ、夫は私のことを忘れてしまいましたとも。で、それが何か?
という心の叫びを発するところりっぱでした。
主人公と取り巻く家族の身になって(なれないけど)考えることをすこしでも出来ればなあと思います。
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認知症になった元校長のお父さんと、お父さんを愛情たっぷりに支えて一緒に暮らすお母さん、家を出て別の生活をしているけどそれぞれに父と母を大切にしている3人の娘たち、そしてその家族の話。
認知症の怖さ、忘れてしまう側の心細さとか淋しさや、忘れられる側の不安とか一緒に生活する苦労もすごく感じたけど、それ以上に家族が支えあったり思い合う気持ちの温かさが伝わってくる本だった。
親孝行したくなった。
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認知症の父と妻、3人の娘達の10年の話。
読もうかどうしようか、だいぶ悩んだ。介護の話だけに、すごく心が重くなるのではないか。自分自身が少し弱っている時には、ダメージが大きくなりそうで、、、
読んでみての、ざっくりとした気持ちとしては、思ったほど、辛く苦しくはなく、淡々と進んでいく感じ。
介護をしているお母さん(妻)が、少しずつコミュニケーションが成り立たなくなっていくことに、そこまで悲壮感がなく、愚痴は言いながらも、受け入れていく人だから、読んでいて救われた。
だけど、自分の親の介護が、そろそろ近づいてきた年齢にもなり、うちは、母親が随分前に亡くなったいるので、一番近くにいて独り者の私が、必然的に介護の中心人物になるのだろうな、兄弟も男ばかりだし、と思うと、
遠くから、認知症って悲しいな、とか、自宅で老老介護を頑張る妻は偉いな、とか悲しんだり感動して読めるものでは無かった。
アメリカでは、認知症のことを『長い別れ』と呼ぶのだそうだ。少しずつコミュニケーションが成り立たなくなり、体も弱っていく、まさに長いお別れ。
そうやって、いつか来る、決定的なお別れまでの間に、ゆっくりとこれまでのこと、最後をどう迎えるのか考える時間があると言うことではあるのかな。だけど、現実は毎日毎日が大変で状況に合わせて、決めなくてはいけないことを決め、何とか乗り切ることに精一杯になるのだろうな。
私の母は脳の病気で、発作を起こして病院に運ばれてから、ずっと意識はなく、そして1ヵ月ほどで亡くなってしまったから、伝えたいことを伝える時間もなく、聞きたいことを聞く時間もなかった。あっという間のお別れだった。だから、父の時は、急なお別れは嫌だな、せめて本人の気持ちを聞いて起きたいけど、、、それでもやはり、認知症は、本人にとっても家族にとっても辛いな。
長々書いてきたけど、結局、そんな感想(苦笑) やはりテーマが今の自分にとって、身近過ぎた。
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読みやすくて素直な小説だ。展開も凝ったものはない。それなのにとっても感動する。読み終わった時、気持ちが落ち着いて「あ~そうなんだ」と言いたくなる。
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認知症を患う東昇平とその妻と3人の娘。
当人たちは昇平に振り回され、特に妻の曜子は、付きっきりに近い生活を送っている。それでも、東家の生活はどこかコミカルで、ほんわかとしている。
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泣き笑いの一気読みでした。認知症の父とそれを支える妻、子(三姉妹)の物語。いろんな感情の波状攻撃で、文体はユーモラスで穏やかなのに、読んでる私は笑って泣いて、息つく暇がない。読中は気づかなかったけれど、少し不思議な作品でした。
この作品に描かれてるのは、フィクションでもなんでもなく、超高齢化社会を迎える、私を含めた現役世代の遠くない未来に当たり前のように起こることなんだと思うと、ゾッとします。。
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今年逝った父の事を思った。認知症ではなかったけれど、耳が遠かったので、思うように話ができなかった。何を思って逝ったのか、、家族はいいな。
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淡々と、されど冷めているわけでなく、ユーモアも織り交ぜながら、認知症の進行してゆく様子とその周囲の人々を描くのは、とっても難しいことと思う。
認知症は誰にでも、どこの家庭にでも起こりうること。全員に、それとは別の日常があること。そして最期は必ずしも感動的でないこと。全てが現実的。
…でも、『お嬢さんが、がんばるしかありません。』
この台詞は現実的かもしれないけど私はさすがに言わないな。
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映画の原作ということで読みました。映画は映画、小説は小説。
視点が、「若い人」だと思いました。そこが、当たり前だけど、「作りごと」になっているいる原因なんでしょうね。受けると思いますが、ちょっとあざといかな。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/201906260000/
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認知症における老々介護を
つとめて明るく書いているので
興味があるけど、重たすぎるのは読みたくない!
という私にはちょうどよかった。
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再読なんだけどこっちで。本当に良い話だと思う。最初の姉妹のエピソードからやっぱり泣けた。端々で笑わされ、理由は分からないけど最後はおいおい泣けた。本当に巧いし良い話。
そして解説も素晴らしい。お父さんを「ライ麦畑のキャッチャー」と表現するなんて何て素敵、と思う。
映画は姉妹のキャストにありがとうと言いたい。期待はしすぎず見てみようと思う。山崎努も良いのだろうな。
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タイトルにもあるように、きっと最後は「お別れ」がくるのだろうと思いながら読んでいくのが切ない。はじめのほうは笑ったり怒ったりの日常が書かれていて、物語が進むにつれて、徐々にその日常がたたまれていくような感じがしました。静かな気持ちで読み終えました。
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映画化されたという記事で覚えていて、古本セールで見つけて手に取った。
小説なので介護の苦労は、そこそこ描かれている程度。それよりも、認知症と診断された東昇平本人と家族の心の通い合い、周りの家族同士の絆がメインに描かれる。
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遠くない将来、自身にもふりかかりそうな認知症の介護。どんどんと遠くなっていくイメージがつかめた、という意味では読んでよかった。
本文の中で、ちょこっと登場する人物たち、たとえば冒頭の幼い姉妹、元恋人、孫の恋人とライバル、娘の同級生、などの人物たちが、物語の先で深く関わってくるのかと思いきや、全く出てこないので、そのあたりが拍子抜けで、そうであればそのサブキャラたちをあんなに細かく描写しなくていいのに。と思った。
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介護や認知症なんて、自分とは無関係の世界だ、とどこかで思っていた。いや、考えすらしたことがなかった。
この作品がこれまでねじれの位置にあった世界と私を結びつけてくれた。自分のことを一番に想ってくれていたはずの親が、記憶を失っていったら。意のままに動けなくなってしまったら。
登場する娘たちの視点から、父を煩わしくも愛おしく、母を心配し、だけど自分の生活も営みたい、同じような気持ちになりながら読み進めた。