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本を読むのって楽しいんだったと久々に思い出させてくれた。
彼女と小雪の蜜月な時間に交わされる会話が文学少女らしくて痺れた。文学好きな人たちの会話ってこんなかんじなの???
後半、たたみかけるように彼女が再生に向かうが、こんなに簡単に深淵から再生へに迎えるものなのかと少し疑問。でも案外そんなものなのかな?と思ったり。駆け足で読み終えてしまったので、もう一回読んでみる!また感想が変わるかもしれない。最後の一文、空がとても綺麗なんだよなぁ。
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LGBTの人にとっての自由が全て恋愛や結婚に集約されていることが少し気になったので手にとってみた。
それは彼ら、彼女らが
ノンケの人々ができていることが
私達にはできていないという不完全さからだろう。
(相手がいたとしても、隠さなければいけない、親や友達にカミングアウトするまでの過程など)
ただ本作も台湾から渡ってきたセクマイ(セックスマイノリティの略?)の彼女は自分が日本に渡ってきたのは台湾に居場所がなかったから、もしくは元カノ達とうまくいかなかったからと言ってるけど、元カノじゃん!とも思う。
前の恋愛を引きずるのは当たり前でそれだけが日本に逃げてきたというべき理由か??となるが
(日本で働いている会社では、日本的な振る舞いで寧ろ会社では頼られたり、必要とされたりしているポジションにいるのだが、そこに対してもみんなは本当の私を知らないとか思ったりして、それはある目線からは奢りじゃないか?とも思う)
そこはちゃんと主人公に最後に
気づきを与えてくれているところが
モヤモヤしたものを晴らしてくれる読後感になっている。
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台湾出身の著者が日本語で書いて、群像新人文学賞優秀作を受賞している作品。だからこれは海外文学なのか、日本文学なのかわからない。でもわからないままでいいと思う。わたしはそういう「あいだ」の文学がすき。
台湾ではクィア文学が割と広く読まれていて、作品も多く出版されている。本書もクィア文学のひとつ。レズビアンの女性が主人公。
先に結論を言ってしまうと、この物語は主人公の女性が自身の性的指向とそれがもたらす社会とのズレや葛藤、そしてある事件によりもたらされてしまった傷を抱え、そのせいで大切な人を失い、苦しみながらも最期には「それでも人生は続く」と歩き続ける喪失と再生の物語だ。よくあるプロットだと思う。
それにもかかわらず、この作品が私の胸を抉ったのは、ここに描かれている彼女(たち)の生活が私にとってはめちゃくちゃリアリティのあるものだったからかもしれない。レインボーパレードだったり、二丁目のバーだったり、そういう「わかりやすい」ゲイカルチャーのど真ん中で明るく生きているというよりかは、それを日常の支え、息抜きの場とはしながらもどこか日陰者の意識が拭えずにぼんやりと「死にたいなあ」と思い続けているような女の子。それでも実際自殺行為を繰り返したりは、しない。良くも悪くも中途半端。その中途半端さがすごくリアルだった。
そのぼんやりした希死念慮から逃れるように文学に耽溺していくのも、まあ日陰者の通るありがちパターンで、もれなく私もそうだったわけだけれど。(希死念慮の理由付けとしてセクシャリティだったり性的暴行だったりっていうのはあんまり関係ない気がする、いやこの作品上は関係あるんだろうけど死にたさなんてそのへんの雑草くらい身近なものだから、なんかそこに絡めていくのは無粋な気もした)なんだか彼女の通る道がとても既視感があって、切ないとか哀しいとかよりも過去の自分と対峙するような面映さがあって、苦しかった。
めちゃくちゃに傑作!!と大手を振って言い切れる作品では、私の中ではないけれど、著者のまっすぐな文学への愛が感じられた良作だと思う。
ラストはご都合主義すぎという意見があったみたいで、それに対して著者自身が弁明?している文章も(noteにある)あるけれど、まあ、確かに都合いいよねとは思うがそうしないといけなかったってのもよくわかる。あそこで対峙させなかったら、このお話は先へ進めなかったんだろう。
あと、人が恋に落ちる瞬間を描く作品て、もうこの世に何億とあるわけだけど、その描写が美しい作品は良い作品、というジンクスみたいなものが私にはある。この作品もまさしくそうだった。主人公と、その恋人・小雪との出会いの場面はもう本当に眩しくて目が潰れるかと思った。そこだけでも読めて良かったと思える作品。
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台湾人の作者による、自らのセクシュアリティに葛藤しながらも、もがきつづける魅力的な女性の半世記。もちろん全編日本語。
作者の熱量がビシビシ伝わってきて、一気に読めた。
時々、言語感覚に違和感もあったが(この言葉、今は使わないよなー、とか。主人公を一貫して「彼女」と表すのも、意図的なのだろうが、馴染まなかった)日本語が母語ではない若者がここまで美しく日本語を操っていることに感嘆。若干文章が硬いのは、これから磨かれていくだろう。
台湾におけるレズビアンの扱いに、前から思うところはあった。ドキュメンタリー映画「母と私」を見ていたからだ。
日本よりレズビアンは顕在化していて、だからこそ露骨な嫌がらせもあるが、少なくともこの国より市民権を得ていると感じる。
レズビアンの存在は「いるもの」として了解されている。
日本では、ゲイが話題に登ることはあっても、レズビアンは身近には「いないもの」として扱われているように思う。だからこそ、この小説のようにフォビアも起きにくいが…それは果たして、日本の方が女性同性愛者にとって生きやすい、ということなのか?違うだろう。
これは、日本におけるセクマイの扱いというよりむしろ、日本における女性の扱いの問題に大きく起因しているのだ。
台湾の女性はパワフルで、凛としていて、主張ができる。この小説における主人公とエリカの描き方が(クレバーだが控えめ)、うまい対比になっている。
折しも、最近、ロンドンのレズビアンカップルが「レズビアンである」という理由で暴力を受け、その姿をFacebookで公開したというニュースが流れた。
この小説の主人公の姿と重なる。
レズビアンが社会で存在を認められ、迫害を受けない社会へ。自らのセクシュアリティゆえに自死を選ばなくてもよい社会へ。
ダイバーシティと声高に叫びながら、個々のセクシュアリティには「性の問題」として目を瞑る傾向のある今の日本は、果たしてそんな社会を作っていけるのだろうか。
ラストの、解放感のあるオーストラリアの山岳景色は希望を感じさせてくれた。
現実の社会もよい未来になりますよう。
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淡々と物語が進んでいっているように思えるのは主人公が「わたし」ではなく「彼女」だからか。いつものように主人公に入り込むのでなく、俯瞰して彼女の人生を眺めるように読み進めていった。
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そうか、生きていくためにはこの色を見つめていなければならないのだ、と彼女は思った。
死について書くことで、彼女は生き延びた。
(P.24)
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【訣別したい自分との闘い】
初めて読んだ李琴美さんの小説。
主人公の趙迎梅は、台湾で生まれ育つ。女性しか愛せないと知り、そうやって高校、大学でも同性の恋人を持つ。
社会の価値観と自分の現実にギャップを感じつつ、それでも自分なりの社会関係や進路を見つけていくのだけれど、特にトラウマになっていたのは、高校の卒業時に受けたレイプ。自分のアイデンティティを否定されたように感じ、そんな過去を自らも消し去りたいという思いもあってか、趙紀恵に改名、日本に移住。普通の会社員としての生活を手に入れる。会社の人には、過去のこと、自分のことは隠しつつ、プライベートではLGBTQコミュニティで交流する。
それでもずっと、自分と対決し続ける。最終的に、死ぬことで自分を消すことを選ぶ。
「和解」ではなく「忘却」「訣別」を試みる過程。
たぶん、自分を愛している、だからこそ、消えてほしい自分の部分が強くあるのだと思う。そいういう意思を持っているからこそ、今の人生に満足できずに、死によって自分の意思を主張してしまうのかもしれない。
『空白を満たしなさい』を読んだ後でもあり、そんなことを考えた。