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五十音が次第に消えてゆき、音が消えると同時にその言葉も消えてしまう話。
発想が面白そうで読んでみたんですが、ものすごく読みづらくて途中でやめてしまいました。
音が1つも2つも3つも減っていくのですから、当然かもしれませんが。
読書初心者の僕には、ちょっと楽しめませんでした。
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文章から文字(ひらがな)がひとつずつ消えていく意欲的実験的作品。(『幽々白書』でそんなのあったね) 最後は残り数文字で文章を綴るという凄まじさ・・・なんだけど、作者お疲れ様って感じで、面白くもなんともなかった。どうしよ、筒井作品、ヒットがないぞ。。。
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すすむごとに、使える五十音がなくなっていき、その消えた言葉が含まれるものは、なくなってしまう。本当に使われてないのか、と探すより、残された言葉だけでも、こんなに表現が出来て、それを読んで想像させることが出来るのか、と面白く感じました。擬音という表現は、単純だけど、広い。
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小説から平仮名1文字づつが消えてゆく…。
マジですげー。本当に文字が無くなっていく。それでいて内容は最後までしっかりと続いて、終わる。
時折、作中でもらす独自のブラックユーモア。いつのまにか3人称でつづれなくなって独白になっていく。パラレルで進んでいく物語に引き込まれて混乱する。
『さらに「ん」を引けば世界には何も残らない』
圧巻だ。天才。
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『実験的長編小説』と言われているこの本の舞台は”言葉が一文字ずつ消えていく”世界。
得意(?)のメタフィクション全開の一冊。こんな小説アリですか?と思わせる。
「おもしろい」という言葉では表現できないおもしろさ。
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章を進めていく度に文字が1つずつ消えていく...
消えた文字を含むものが世界から消えていく...
文字に果たしてただの記号なのか,それともそこに感情が介入されるのか.
切ないけどどこかコミカルに感じられる小説.
ちなみにあたしの存在はいちばん最初の章であっけなく消えてしまって,あとは透明人間になった気分で読みました.
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98043
言葉が消失していくにつれ、文体も変化していくのが面白い。最後の方は言葉遊びによる詩のよう。
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一文字ずつ文字が消えていく虚構の世界、「あ」の文字が消えると朝や雨などの概念も消えていき、以降その文字は本の中にも出てこない。最初の方は普通に読めるのですが、文字が消えていくにしたがってどんどんカオスになっていきます。消えた文字を使わずにいかにそのものを表現するか、文を読んでその単語を推測するのも面白かった。最後の方はほとんど狂気でした。
途中の濃すぎるラブシーンにはかなり辟易だったけど、文字が一文字ずつ消えていくって発想そのものがすごい。なんつー本だ!
作者の筒井康隆氏は言葉狩りに対してずいぶん戦ったそうで、これを読むと言葉狩りへの強烈な皮肉がこめられてるのがわかります。面白いなぁ。
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とても面白い
結局、言葉が一部なくなってもやることは一緒
言葉で表現できることは多くなく、つたえたいことの周囲を撫で回しているだけ
使い慣れた言葉は「それ」を表現できているような錯覚をするけど、実際はこの状態と大差ない。
言葉があるから存在すること、というのはしかし、どの程度のものだろうか
それらは消える?
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世界から一字ずつ音が消えていくという話に合わせて文章そのものからも一字ずつ消えていくという実験的小説。
音が減っていくなんて、作品の主人公のように小説家にとっては致命的なことだろうに、筒井康隆は自分にすごいノルマというかそんなようなものを課しているな、と。
ストーリーと言うにはあれだけど、全体として辻褄は合っていて面白いし終わり方も好み。
ちなみに最初から最後まで「あ」は一度も出てきません!
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小説内から、一文字ずつ使える文字が消えていくという実験的な小説。
「あ」が消えると「あいしてる」は言えない。
「あ」から順番に消えて聞く文字、残された文字だけで表現される小説の限界に挑戦した実験作品。
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ツイ友さんにオススメ頂いたので読みました。筒井康隆3作目。
現実は虚構であり、虚構は現実である
本作は二重に実験的小説です。
まず、本作の主人公・佐治は作家です。この作家の作品はメタ小説でありまして、小説内の人物と作家が話し合ってしまうような訳の分からない作品を書いています。本作はそんな佐治が、一番の読者である評論家の津田に唆されて始めるメタ小説です。
世界から言葉がひとつずつ消えていったら
メタ小説の内容はというと「もし世界から言葉がひとつずつ消えていったら」というものです。例えば「あ」が消えたら「ありがとう」とは言えなくなり、「た」が消えたら「田中さん」はいなくなる、というようにです。
虚構的現実を生きる
では、本作が「そんな作品を佐治が苦戦しながら書く作品」かというと、そうでありません。佐治は、佐治と津田が生きるその現実をこそ虚構であるとしているのですから、言葉がなくなるのは佐治と津田が生きる世界です。
筒井康隆が佐治が書く小説を書く
ですから、もし「あ」という言葉がなくなれば佐治も津田もその他の人も「ありがとう」とは言えなくなります。
なぜなら、その言葉は世界から既に消えているのですから。
本作は、ほぼランダムに消えていく言葉を使わず、残った言葉のみで佐治の生活を佐治が書く(生きる)という物語です。
言葉のプロ
時間が経てば経つほど言葉が減っていくのですから、当然、書きにくくなります。
ですが、そこは言葉のプロ。多彩な同義語を比喩を駆使して、巧みに物語を進行させてゆくのです。
やっぱりドタバタ
とは言え、物語を進行させていくこと自体が物語になっているのですから、佐治は普段の行動や言葉が消えていく中で困ったり悲しんだりする状態を記していけばそれで良いのです。
途中、著者であり主人公でもあるはずの佐治も事態に戸惑いを覚えます。最後の方なんてもう何をしているのか分かりません。結局、ドタバタして本作は終わります。さらに「」を引けば世界には何も残らないのです。(「」の中に何が入るかはぜひ読んで確かめて下さい)
よくぞやり切った!
そんな訳で本作はストーリーというものがあってないようなものなのです。
というよりこの企画をやり切ったということ自体がストーリーであり、筒井康隆が天才と呼ばれる訳が分かったような気がします。ホントよくこんなアイデアを形にできたものです。いやもうアホかと。バカかと。でも、そんなユーモアが僕には魅力的に映るのでした。
気になった文章
では、最後に気になった文章を以下に挙げておきます。
たかが小説なのだ。何もためらうほどのことはない。いつもの、執筆にとりかかる寸前の如く、努めて気軽に、極めて気楽にとりかかるべきではないのか。 p.20文頭より
(この心持ちは素晴らしいと思います。境地というのでしょうか。見習いたいものです。)
・読者によって、まだそこに存在すると無意識されているわけだから~ p.33より
(この言葉遊びは好きです。)
・では意識野からまだ消えないうち、その残像に薄化粧を施し、唇に紅をさしてやろう。 p.50より
(寂しく、でも、ロマンチックな表現。)
・ 現実には虚構のようなはっきりときた論理がないからだろうねえ。 p.95より
(この倒錯。好きです。)
・p.157からの一連のくだり。
(凄い!の一言。)
・p.307
(見事なオチです。)
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高度な言葉遊技だ。
後半文字が減るなかで、主人公意外の人は言葉を上手く表現出来ずに苛々しているのが何ともいえず面白おかしい。
自分だったら、全く会話が出来ないだろう。
ちなみに50音の始めの文字を消して
みた。
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大・大・大おすすめの一冊。
世界から文字が消えていく設定が面白い実験的小説です。面白かったのは後半に喫茶店でジュースを注文するシーンのいいまわし。文字が消えることをイメージしたイラストもすてきです。
そして、小説の後に小説がどのように書かれたかを分析した論文がついています。1冊で2度も3度も楽しめる心憎いつくりの本です。
詳しくは http://d.hatena.ne.jp/ha3kaijohon/20120724/1343161350
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小説の中から一文字ずつ文字が消えていく
そんなふざけた話があっていいのか
そもそも物語として成立するのか
最初に消える文字はなんだ…
じゃぁ最後まで残る文字はなんなんだ…
「あ」が消えてしまったら「愛してる」とは
言えなくなってしまうし、大切な人に「ねぇ貴方…」
とも呼びかける事もできない。
消えても支障がない文字なんて一つもないはずなのに。
内容はともかくとして私はタイトルの
「残像に口紅を」という言葉がとても好き、そんな一冊。