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「間 」やほどよい距離感のようなことが思い浮かびました。鈴木さん、宮崎さん、高畑さん、それぞれの違いがわかって面白い。受け身ではだめだと思っていたけど鈴木さんの発言を読んで、そうとも言えないことに 気づきました。でも単なる受け身ではなく攻撃的受け身。その域まで行ってみたい。ちょっと努力が必要ですね。
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禅宗の僧侶とジブリプロデューサーの鈴木敏夫さんの対談を書籍化したもの。
以下記憶に残った言葉
「それは理想とする自分がいて、そこから今の自分を見ているからでしょ。そうじゃなくて今、目の前のことをちゃんとやりなさいよ。」
→これにはハッとさせられる。少し前の自分は現在の職場に漠然とした不安と不満があり、転職してステップアップしたいと考えていた。あの頃は理想とする自分がいて、そこから現在の自分を見て絶望していたのだと思う。それだといくら頑張っても今の自分に合格点を上げられないんだよね。ようやく分かりました。
「宮崎駿も色々なものに影響を受けていて、影響って、いわば真似ることじゃないか。誰にも真似できないって主張するのは違うのでは」
→仕事は真似することが大事。人の真似をすることはオリジナリティがないと思うかもしれないが、真似というのは必ずする側の脚色が入り混じるわけで、それゆえ同じものにはならない。真似は悪いことと思われやすいが、それは違うのだと思う。
「自我は自分だけがという心。自己はじっくりと見つめるべき対象」
→自我を捨てて、自己を見つめよ。自分があれこれしたいという煩悩は捨てて、周りの中での自分をじっくりと見て、行動しなさいということ。ギブアンドテイクというのは見返りを求める欲求が含まれるので自我が含まれる。ギブアンドギブの精神を持つことは周りの中で自分の役割を考えて行動するということ。これをできるようになれば、良い人間関係が築ける。
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なるほどなあ。過去や未来に捉われることの一番の問題は、今この瞬間に集中できないこと。だから僕は「もっと今に集中しろ」ってしょっちゅう言っているんです。(鈴木)
ひと昔前なら天気予報が雨でも実際は降らなかったりして、まだ救いがあったんです。だけど予報も的中率が上がって、一時間後の天気までわかってしまうと息苦しくて、これはこれで不幸だな、と思ってしまいます。(細川)
何もわからないからおもしろいはずなんですよね。自分の身に何が降りかかるのか。(鈴木)(p.30)
「この世の中、捨てたもんじゃないよ」というのがジブリの基本的な姿勢なんで。だから、やっぱり言いたくなるのは「もっとさ、先のことを考えずに今のことをちゃんとやったら」ってこと。そういうときに「放下著」「即今目前」という言葉は、もっとみんな知っておいたほうがいいんじゃないの、って思ったんです。(p.34)
そもそも西洋と日本では物語の作り方が違うんですよね。評論家の加藤修一さんがおっしゃるには、「西洋の物語で、最初に決めるのはラストシーンである」と。ラストに向かって物語を進めていく。一方で日本は、『源氏物語』であれなんであれ、物語がどこへ転がるかわからない。「それが日本の伝統だ」とおっしゃっているんです。子どもが育っていくみたいに、その時々で主人公を育てていくのは、日本の伝統ですよ。(鈴木)(pp.83-84)
死は近くにあるもの、いや、なきゃいけないものだと思うんです。今の世の中、あまりにも死を隠そうとするじゃないですか。(鈴木)
そうなのよ。テレビでも何でも、隠しちゃうでしょう。(横田)
ジブリの事を話しちゃいますけれど、僕らは『火垂るの墓』という映画で死体を扱ったんですね。舞台は戦時中、荒れ果てた状況で死体はどうなるのか。肉は腐り、ウジ虫がわく、これをリアリズムで描いたんですね。これは嫌われましたね。それでもやっぱりね、これだけ世の中から死が隠されているとしたら、絵でもいいからむごい死との対面は必要だと思ったんです。(pp.114-116)
中国に両行という言葉があります。それは、対立するもの両方をそのまま生かしておくと、必ず何かが生まれてくる、という考え方なんです。ひとつの案が得方で絶対化してしまわないで、対になるような考え方を常に持っておく。相矛盾する両方を生きていくしかない、そういう思想が日本人のベースにもあると思うんです。矛盾っていいですよね。(玄侑)(p.152)
―玄侑さんは前に、日本には必ず対になる意味の言葉があるとおっしゃっていましたね。
ええ。「旅の恥はかき捨て」には「立つ鳥跡を濁さず」。「急がば回れ」なら「善は急げ」。対立する二つの言葉があるんです。でも「今日できることを明日に延ばすな」という慣用句には対がない。だから対を作らないと健全じゃないんです。「明日できることは今日するな」という(笑)。(玄侑)(p.153)
「一切をあるがままに受け入れるところに真の自由がある」(100分de名著『荘子』)
この言葉を知って、ぼくは救われた気持ちになった。何を隠そう、ぼくは人生を受け身で生きて来たへんな自信がある。とはいえ、そんな立派な考えでそうやって来た訳はじゃない。ましてや、そこに真の自由があるなど考えたこともない。しかし、この番組をきっかけに、ぼくは積極的に受け身を追求してみようと決めた。(p.155)
私は中国の『荘子』という本が好きなんです。その冒頭がすごい。もともと小さな魚の卵が、鯤という巨大な魚になり、魚になったかと思ったら、鵬(おおとり)になって空へ飛んでいく。まるでジブリの映画のような、何なんだこれは、と思わされるような生物が描かれます。
ここでは、「これが自分だ、とおもったものを何度でも脱ぎ捨てなさい」と説かれているのだと思うんです。「自分とは、これだ」と思ったときから苦しみは始まる。だから、「、あだ途中なんじゃないのか」と問いかけるんですね。「自分を捨てる」と言うと難しいですが、「違う自分がいる」くらいに思うといいんだと思います。(玄侑)(p.180)
あるとき、宮さんから言われたんですよ。「『忘れられない日本人』の中に鈴木さん、こう書いてあるでしょう」と。そのとき僕は読んでいなかった。だから「読んでない」って言ったんですよ。そしたら「無知ですね」と。(会場笑)
これ、頭に来ますよね。当然その日のうちに本を買って、一晩で読みました。それで、今度はこちらからですよ。「こういうことが書いてありましたね」って。(鈴木)
それはもう、攻撃的受け身ですよ(笑)。(玄侑)(p.185)
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ジブリのプロデューサーの鈴木さんと禅僧の対談。
ジブリ映画を契機に禅の話がとても分かりやすく語られる。禅の言葉と、ジブリ作品の中で描かれた禅的なものが語られていて、とても興味深い。
今、目の前のことに集中すること、足るを知ること(すなわち、不要なものはすてること)の大切さを改めて学ぶ。理想の自分にとらわれると、現実の自分がみじめになってしまう。だから、今、目の前の事に集中することが大切ということ。
そして、本来無一物。全ては縁によって成り立っているので、自分一人でゴールまで行くのではなく誰かにバトンを渡すというスタンスでいればよいという言葉に感銘を受ける。なんでも、一人で全てやろうと思わなくてもよいし、それは思い上がりだと知る。この本来無一物という言葉が、小説宮本武蔵にも出ていると言われており、再読しようかと思った。
「両行」:対立するもの両方をそのまま生かしておくと、必ず何かがうまれてくる、という考え方が説明されていて、救いを感じる。これは、平川克己の「21世紀の楕円幻想論」での語られた貨幣経済と贈与・全体給付の対のバランスをとるということの基本になるという気がした。
また、怒りもエネルギーの源だから、完全に捨て去るのではなく、怒りをどの程度自分の心に残すかがカギであるという禅僧の言葉には、驚いた。
そして、禅のすべては「着て」「食べて」「出して」「寝る」。ああ、その通りだという横田南嶺老子の言葉は平明で、そこに集約して考えれば、迷いがなくなるような気がした。
しかしながら、荘子の一節で「一切をあるがままに受け入れるところに真の自由がある」というのは、とてもとてもたどり着ける気がしなかった。
とにかく学び、気づきの多い一冊。何度でも読み返そうと思う。
心に残ったのが次の言葉たち。
・即今目前
・放下著
→いろいろと放り出して、目の前のことに集中せよ
・前後際断
→過去も未来もどんどん捨てろ
・小説 宮本武蔵の中で、「本来無一物」という言葉が出ているということ。本来無一物とは、自分は何も持っていない、全ての縁によって成り立っていること。「金も名誉もすべて手放せ」と言っているのではなく、自分が無一物であることを認識すると、悩みも自分の影法師である、と。
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仏教の教えには、生きづらい現代社会に癒しの効果がある。この本を読んで救われる気持ちになった。
強調されるワードは『過去や未来に囚われず今を生きる』ということ。
鈴木氏がエピローグで書いていたように「禅とは何か?」の答えがこの本の中にある。これから禅を学んでみたいと、まず手に取る本としては大正解だった。
●ゲド戦記の裏話
●コラムの中で鈴木氏の死生観が語られていて興味深かった
●荘子の100分名著のテキスト読んでみたい
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禅には特に興味無く、ジブリは作品には興味あり、スタッフには興味なし。しかしこれが並ぶと「うん?」と違和感から手が伸びました。
宮崎駿監督、高畑勲監督の作る作品のプロデュースを長年続けて来た鈴木氏がどう禅と繋がるのかが気になったのだと思います。
禅というのはは自分自身と向き合う事なんだと思っていますが、概ねその通りの事が書いて有ります。
対談相手が僧侶なのですが意外と大したこと言っていないので雑談感がすごい。
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東洋思想と西洋思想って全然違う。最近の風潮として、やはり分かりやすく答えが明快で出やすい西洋思想に偏っていると思う。目標、計画、実行。
鈴木さんは始終受け身の人間だというけど、それでここまで大成しているのだからやはりただ者ではないのだろう。普通の人はやはり東洋的思想だと不安に耐えられなくて西洋思想に飛びつくのではないかと思う。社会全体がそうなるのは、なんか厚みがなくなってしまう気もした。
過去の話をしない、今ここ。
2021.4.26
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スタジオジブリ・プロデューサーが、
3人の禅僧と語る“半径3メートル”の禅問答。
本書のキーワードは、
「今ここを生きる」ということ。
・人は生きている以上、必ず何らかの影響を受ける。
完全なオリジナルという発想ではなく
オリジナリティは真似る事を
極めた先に後から付いてくるもの。
・今の社会は多様な価値観があり
情報や物は溢れている。
自分にとっての幸せとは何か?
足るを知ることとは、
必要か必要でないか判断しながら生きること。
あとがきで、たくさん有る依頼の中から
今回の企画は
ある疑問と興味があり
進めることになったと、
結局最後まで
明確な回答は得られなかったが
この上なく楽しい仕事であったと
締めくくっている。
楽しさをつかむ直観の感度が高く
時には熟考よりも
正確でスピード感のある判断が
そういった仕事を
引き寄せているように思いました。
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未来に向かって行きるのしんどくなってる人や、「目標もなりたい自分も、そんなの見つかんないよ」と希望を失いかけてる人へ。こわばった肩をほぐしてくれるような本。 禅のエッセンスとジブリの価値観がおりまぜられており、語り調なのでとても読みやすい。 今を生きるしんどさの理由って、実は世間で言われる「個性」や「将来設計」の必要性を信じ切ってた自分自身にあったのかも。 自我ばかりにとらわれて悩んでもどうしようもないので、これからは利他的に生きることで、より幸せを感じたいです。
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プロデューサーの鈴木敏夫と、龍雲寺住職-細川晋輔、円覚寺派管長-横田南嶺、作家であり僧の玄侑宗久和尚との対談集。ジブリから入るとわかりやすい。
モロがアシタカに問う「お前にサンを救えるか」
アシタカ「わからぬ」「だが、共に生きることはできる」。
まさに高僧達磨の「不識(ふしき)」。わからない、でも幸せを祈って生きていくことはできるというのが仏教の根底にある教え。
「不立文字(ふりゅうもんじ)」。
言葉ではなく、間。 ハウル
坐禅は何かを得るというよりも捨てる場。少し立ち止まり自分に向ける時間。『魔女の宅急便』のキキも寝込んで仕事できない時間があったからこそ、また空を飛べるようになった。そして、黒猫ジジはキキ自身。まだ自己を確立していないキキが自分になったからジジは話す必要がなくなった。
「壺中日月長(こちゅうじつげつながし)」。
時間を超越した悟りの境地(壺から出てきたら成長していた) 。千と千尋、トトロ
「柳は緑、花は紅くれない」
(見たもの聞いたものを、そのまま受け止める心。私たちも所詮、自然の一部でしかなく、身構える必要などない) 。レッドタートル
「苦」
足下に咲いているユキノシタ。
(思うようにいかない)風立ちぬ
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興味はあるけど未知の世界である禅について、ジブリを切り口にすることで、朧げにだけど、とっかかりができた感じ。
過去も未来もなく、今この瞬間を生きるという考えは、
過去に読んだ潜在意識系の本にも同様のことが書かれていて、それ以来自分の考え方にもかなり影響を与えているので、一気に禅を身近に感じることができた。
もっと禅について知りたい!
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ジブリの鈴木さんか3人の禅僧との対談をまとめた本。禅の「いま、ここ、自分」という考えがしっくりくる。
鈴木さん解放されたかったのにまた社長になっちゃったんだなーとニュースみて思ってしまいました。
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3回読み直した本
君たちはどう生きるかの公開に合わせて読み直した。
勉強に人間関係に、そして時代に、自分の人生は多くの坂や濁流によって真っ直ぐ進めないそんな時に一度立ち止まって今自分はどうすべきか、どう生きていくべきなのかを改めて考えさせてくれる本。
生まれた時から見ていたジブリの総合プロデューサーの鈴木敏夫さんと禅宗の和尚さん達の会話が収録されている。
それぞれの方々からの発言から学べること感じることは読む時々の自分によって毎回変わる。
読み終わった後、最も自分の心にポッと残っているその言葉が今の自分に1番必要な言葉なのかもしれない。
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好きと好きの組み合わせ。
最高!
手元に置いて何回か読み直したくなる本。
ジブリのシーンに禅のマインドがどう反映されているのか読み解ける。
対談形式なので禅の考えにも割とわかりやすく触れることができる。
余談ですが、対談に参加している龍雲寺の細川住職の座禅会に5年前?くらいに私が参加したことがあることが判明。
肩をバッシーーン叩いていただいた記憶あり。
最近本で過去の出来事の伏線回収が多い。
そんな時期なのかしら。
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昨年父を亡くし、人生観が変わった
いつ人は死ぬのかわからず、
そしてそれは誰しも避けられない不変の真実であると
改めて思い知らされました
それからというもの、
人生観や死生観などに関しての書物を
好んで読むようになりました
ジブリ作品が好きなこともあり、
本作を知って即購入しました
自己啓発本には、この限りある人生を
いかに有意義に、健康的に、効率的に、豊かに、
なるためのメソッドがたくさん書かれていますが
ありのままを受け入れる、自分の弱いところを
認めて、まあそんなもんかと肩肘張らず
欲張らず、ただ毎日を一生懸命生きる
そうゆうことなのかなと、私はそう感じました