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昭和十年八月十二日、一人の軍人が執務室で斬殺された。陸軍軍務局長永田鉄山。中堅幕僚時代、陸軍は組織として政治を動かすべきだとして「一夕会」を結成した人物である。彼の抱いた政策構想は、同志であった石原莞爾、武藤章、田中新一らにどう受け継がれ、分岐していったのか。満蒙の領有をめぐる中ソとの軋轢、南洋の資源をめぐる英米との対立、また緊張する欧州情勢を背景に、満州事変から敗戦まで昭和陸軍の興亡を描く。
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太平洋戦争は、陸軍、特に統帥部が暴走し、海軍やその他の省庁がひっぱられて、戦争に突入したという常識がある。
しかし、この本は、丁寧に昭和陸軍の人物の思想、具体的には、永田鉄山、石原完爾、武藤章、田中新一の考えをおって、極めて冷静に現状を分析しつつ、戦争に追い込まれていく状況を明らかにしている。
個別の事項で認識を新たにした点と、教訓がある。
(1)上記4軍人に共通しているものとして、すばらしい構想力を持っているが、組織の指示、指揮権に従わすに、組織的判断を停滞させるという、陸軍に対する欠陥をつくりだした。
今の役人と同じく、局長、部長、課長という職種のものが、大臣の意向、あるいは、部長が局長に従わないといった行動が、実は、統一的な行動をとらせなかった原因ではないか。
自分も役人として上司の意向にあわないことはあるが、組織の長として、最終的には従わなければいけない、自分で単独でこれに反した行動はとらないと決意している。このような決意がなくなった組織は暴走することがよくわかる。
(2)先日読んだ『スターリン』では、日本が早々に対ソ戦を断念したため、極東軍をソ連が対独戦にまわせたという記述を読んだが、日本陸軍は、冬に入るのぎりぎりまで、むしろ極東軍の移送状況を分析して、30%しか、対独戦にまわされなかったことから、対ソ戦をあきらめたとしている。(p253)
こちらの方が確かに説得力がある。ソ連も日本を十分に牽制して、日本が攻撃にでないと判断した後に軍隊を移送したのだろう。
(3)開戦時の陸軍省の軍務局長の武藤章は、対米戦開戦をできるだけ避ける努力をしていたが、参謀本部の作戦部長の田中新一は開戦やむなしと早期に判断していた。(p263)
対米戦になれば物量等で圧倒的に不利になるとわかっていて、陸軍の枢要な地位のある軍人でも対米戦を避ける努力をしていた。
(4)武藤軍務局長は、海軍に戦争に自信ないのなら海軍からそう発言すれば陸軍内を押さえるといっていたのにかかわらず、及川海軍大臣は自分で責任をとらず、近衛総理に一任すると発言した。(p292)
責任のあるものが、悪い予測であっても、責任をもって発言しないことがどういう悲劇を招くかがよくわかる。責任者はえばるだけでなく、まさに責任をとる必要がある。
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陸軍の優秀なエリートたちが、どうして戦争に日本を突入させてしまったのかについて、という、読み応えのある本です。あんまり簡単な内容ではないですが……昭和陸軍のこと知らないけど、という人は、もうちょっと読みやすい本から入っていったほうがいいでしょう。
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本書は、1931年(昭和6年)の満州事変から1945年(昭和20年)の太平洋戦争の敗戦まで日本の針路を主導・壟断した日本陸軍の内実を詳細に調査・解明した興味深い書であると思った。
わが国の「昭和の戦争」について、つねづねその国力差から、負けることがわかりきったアメリカとの戦争になぜ突っ込んでいったのかという疑問は、誰もがあるのではないかと思う。本書を読むと、当時の日本に世界戦略がなかったわけではないことがわかる。
「日本陸軍省軍務局」。この日本陸軍の一機関が当時の日本の国家戦略を策定して日本を動かしていたとは、当時の日本の国家構造に疑問を抱いた。本来、国家戦略を練るべき政治家や外務省は何をしていたのだろうか。よく、当時の日本陸軍が当時の日本国家を誤導・壟断したと言われるが、その実態が本書を読んでよくわかった思いがした。
本書を読むと、世界戦略を策定できるような人間はそうは多くない。1930年(昭和5年)に陸軍省軍務課長となった永田鉄山。1937年(昭和12年)陸軍参謀本部作戦課長となった石原莞爾。1939年(昭和14年)陸軍省軍務局長となった武藤章。1940年(昭和15年)参謀本部作戦部長となった田中新一。彼らが国家戦略をいかにして策定し、それを現実のものとしていったのかの経過が本書では詳細に研究されていると感じた。
それらの国家戦略を、現在の目から見た場合、どうだろうか。歴史を後から決め付けるおろかさかもしれないが、当時のソ連との戦争を展望して、自給自足経済を目指し、そのためには、満蒙と東南アジアの資源が不可欠とした判断や、中国と満蒙を分離できるとした判断。中国が武力の一撃で屈服すると見た判断。ドイツがヨーロッパで勝利すると見た判断。これらの当時の国家戦略の内容には、多くの疑問が付きまとうし、これらの国家戦略が当時の日本国内で広く議論・共有されたことはなかったように思える。ただ、その内容は妥当ではなかったかもしれないが、当時の日本がはっきりした国家戦略の下に動いていたことが本書でわかった。
しかし、軍人というものは武力を持って戦争で勝利するための独自の教育システムで育てられているものだと思う。その軍人が国家戦略を策定し、政治を引っ張る当時の国家像には、やはり強烈な違和感を感じた。、国家の進路を決めるために必要な知識と価値観は、軍人の価値観とはちょっと違うのではないのかと思った。
また本書では、戦争ヘ向かう種々の意思決定の過程も詳細に追跡している。そこで感じるのは「縦割り組織の弊害」である。本書では、昭和の戦争にいたる様々なレベルの国家意思の決定の過程を詳細に追いかけているが、日本の政治システムには、下部のそれぞれの機関の主張を上部で判断し選択するシステムが確立されていないと感じた。結果、下部機関の派閥抗争となり、その力関係で政策が決定されてきたのではないのかと思った。この国家システムは、ひょっとしたら、現在の日本でもあまりかわっていないのかもしれないとの危惧さえ持った。
しかし、日本には、この力を持った陸軍省軍務局のみではなく、海軍軍令部もあったはずだし、アメリカとの戦争の決定には海軍の発言も大���な力を持っていたはずである。そちらの研究も是非読んでみたいと思ったし、本来ならば外交・戦争の判断は、外務省が主人公だろうと思う。その研究も知りたいと思った。
本書は、新書のわりにはページ数も多いが、飽きずに読める良書であると思った。
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正直流し読みだった。
よく「あの戦争は軍部の暴走を止められず起こった」という説明がなされるが、その軍部って何だったのか、どんな体制でどんな思想でどんな動きをしたか、を詳述している。
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近年のこういった分野を扱うものとしては抜群におもしろかった。
対米戦争については一般的には軍部、それも陸軍が無定見、無計画に突っ込んでいったというのが定説のような気がする。
しかし、永田鉄山から発するいわゆる「統制派」の流れは、まったくそうでなく、満蒙問題を解決し中国国内に資源を求め自主自衛の体制を整えてから、最終的な世界大戦に備えるというものだった。
それにむけて特に陸軍要職に「統制派」幹部を就かせるという人事をもって、その「構想」の実現に向かっていた。
その人事の強引さからか、永田は軍務局長の要職にありながら惨殺される。
そして、その衣鉢をついだ石原莞爾や武藤章がその思想を変容させながら突き進んでいく。
永田生きざれば対米戦争は行われたであろうか。
また、東京裁判の「共同謀議」というものが仮に当てはまるとすれば、この「統制派」流れが筆頭であることも指摘しておきたい。
今までの常識を覆す好著である。
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昭和の日本陸軍の思想の系譜をたどる。
永田鉄山の構想では、第一次世界大戦を経て総力戦に突入する状況や米英仏等、ブロック経済に移行する中において、日本が生き残るために、満州や華北を含めた自給圏域をつくることになった。
その後石原完爾が華北に進出するよりは、どんどん国力を増しているソ連に対して、国力が増す前に戦い、北方の脅威を取り除くべきだと主張していく。
永田鉄山は惨殺され、石原は日中戦争に伴い主流から外れているなかで、永田の構想を引き継いでいったのが、武藤章、田中新一。
日中戦争が拡大し、泥沼化していく中で軍務局長となった武藤の構想は、永田の構想である満州、華北を含めた勢力圏の確保のほか、南方への進出についても勢力圏にするべく移行している。ただし、武藤は、米国との戦争は避けるべきと考えており、米国も含めた戦争をするべきとする田中との対立につながっていく。
対米戦までの日米交渉等における政府のやりとり、陸軍内部における考え方の相違と激しいやりとり等、コンパクトにまとめられ、一気に読むことができた。
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この本、ちょっと新鮮な視点でございました・・・
戦前の日本軍、特に陸軍は何の戦略、見通しもなく、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と暴走し、泥沼にハマって国を滅ぼした・・・
いやいや意外にそうでもないですよ、と・・・
本書を読むとわかる・・・
や、別に大日本帝国礼賛の本じゃないですよ・・・
念のため・・・
陸軍首脳は・・・
太平洋戦争開戦をどのように決意したのか?
何であんな無謀と言われる戦争を起こしたのか?
っちゅーのを、戦前の昭和を主導してきた陸軍の・・・
さらにその陸軍を主導していった永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一らの構想を辿って紐解いていく・・・
永田鉄山っていう、カリスマ性があって、頭のハイパーイイ軍人の・・・
資源が超少ない日本が・・・
いずれ必ず起こるであろう世界大戦・・・
それも長期に渡る、経済競争も含めた国家の存亡を(勝手に)賭けた総力戦・・・
その国家総力戦に生き残る、いや勝ち残るためにはどうすべきか?
そのための構想がすべての軸・・・
満州事変から始まる、永田のその構想がのちの大東亜共栄圏など、昭和陸軍の源流となる・・・
永田自身は陸軍内の永田率いる統制派と皇道派の激しい派閥争いの中、斬殺される・・・
けども・・・
その永田の亡き後を主導していく石原莞爾もまた、永田が属していた一夕会のメンバー・・・
ただ石原は永田に劣らずデカい構想(最終戦争論)があって、いずれ起こるであろう、アメリカとの世界の行方を賭けた最後の決戦へ向けて陸軍、ひいては日本を主導していく・・・
いや、いこうとしたんだけど・・・
永田ほどの人望は無かったんですかねぇ・・・
中国を巡る考えで・・・
自分の部下なんだけど永田の影響をモロ受けている武藤章たちに激しく抵抗され・・・
結局、途中で陸軍中央を去っていくという・・・
石原を追い出した武藤章や田中新一は永田の構想を強く引き継ぎ、かつ各自拡大し、彼らが陸軍を主導していくことに・・・
そして対米戦争開戦時の首相、東条英機は永田の弟分的存在だったけども・・・
構想や戦略は永田に遥かに及ばず、その武藤や田中に頼る形だったので・・・
開戦後、武藤や田中が次々と東条と決別した後は・・・
もはやナァナァ(というには忍びないけど)という有様に・・・
一気に戦略性が蒸発していくことに・・・
永田鉄山の構想が源流にあったけども・・・
それに固執するだけで・・・
状況が変わっても方向転換できず・・・
皆、永田ほどの構想を新たに作れず・・・
皆、永田ほどのカリスマ性、もしくはリーダーシップが無いので・・・
対中、対独、対ソ、対米と、事あるごとにそれぞれの考えが対立し・・・
毎回その時々の強硬派に掻き乱され、引っ張られ・・・
ズルズルと悪いほうへ悪いほうへ向かって行く・・・
そんな流れが見て取れます・・・
結構明快に見て取れます・・・
これがヤバイ・・・
知っといて損はない・・・
なのでゼーヒーでオススメ
永田が死ななければ、とも考えられるけども・・・
その永田にしたって主導権争いで殺されているのでアレですね・・・
ちなみに太平洋戦争は何故起きたか・・・
中国を巡る日米の対立によるものではなく・・・
それは欧州戦線にて、ドイツに劣勢なイギリスを崩壊させないため、という・・・
いつもと違った話が展開されております・・・
詳しくは読んでみてちょ・・・
最後に・・・
この著者・・・
読んでて何だかスゲー説得力を感じさせる文章をカマしやがるぜ・・・
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年表だけ見ると1930年代は柳条湖事件・満州国成立・停戦協定・盧溝橋事件とどこかで区切りにできなかったのかと思うときがある。しかし陸軍が意思や法則性に則って活動を行うことを本書で知るとき、区切りはあまり関係の無いことを感じた。
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満州事変から日米開戦へ至るまでの
陸軍における主要人物の構想と人間模様を描く。
日中戦争の深みにはまるまでの石原と武藤のやりとり、
日米開戦を回避しようともがく武藤と田中とやりとりが実に面白い。
従来とは異なる目線から開戦の経緯を知れ、非常に勉強になった。
実際はこれに加え、政界人や民間人の活躍もあった訳であり、
さらに知見を深めたいと感じさせる一冊。
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第一次世界大戦における、国家総力戦が日本に如何なる影響を与えたか?
大正十年、ドイツ南部のバーデン・バーデンにおいて永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次の三人が落ち合い、将来の国家総動員態勢実現に向けて話し合ったところからはじまる。
昭和史を読み解くにあたって、もっとも重要なひとつにおける「一夕会」。
本書はタイトルにも示されているように、永田鉄山を中心に、昭和陸軍の軌跡に迫った一冊である。
中堅クラスのエリートであった永田ら一夕会メンバーが、如何にして軍の中枢を握り、自らの理想のために軍を動かしていったかが丁寧な筆致で語られている。
大東亜戦争における、原因のひとつといえる中堅エリートたちの暗躍があったというのは重要なポイントだ。
この一夕会が後の統制派と皇道派をうみだす契機になったということからも、日本史におけるターニングポイントであった。
本書では、統制派と皇道派の対立を、戦略上の相違に基づく対立と位置づけ、それぞれの戦略を丁寧に解説している。
また、国際関係における、永田と北一輝・大川周明との相違点なども興味深く、北一輝の説く「国家改造」と永田のスタンスの違いなど、明確に整理してあるあたりは非常に参考になった。
本書では、永田暗殺後の515事件、226事件、さらには永田の後継者であった東条英機・武藤章・田中新一らが、日米開戦をどのように決断し、敗戦を迎えたかまでが描かれている。
ただ、近衛文麿に関しては著者の専門ではないらしく、記述が曖昧であったのが残念では合った。
統制派・皇道派・近衛、そして昭和天皇とその側近たちがどのようなパワーバランスの上になりたっていたかを知るには、他の研究所で補完する必要があると思う。
昭和陸軍における入門書としては、オススメの良書です。
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満州事変から終戦までの政治的キーパーソンがどのような考えで戦争を進めていったのかを、陸軍を中心として描く。
主なキーパーソンは永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一である。
彼らは単なる官僚であるにもかかわらず、国家指導者のように政治闘争し、戦略を練り、戦争を指揮した。
厳しい国際情勢の中で、優秀な頭脳を持った軍部官僚が必死で考えたが、結果は何百万人もの日本人が死んだ。
本書は日本がどのように戦争したのかを軍部の視点から知りたい人にお勧めで、特定の立場に肩入れせず、極めて客観的な立場から書かれた優れた歴史書である。
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15年戦争の経緯をわかりやすく説明してくれた良本。今の時代から回顧すれば、100%無理だと感じる太平洋戦争になぜ陸軍は向かっていったのか。そもそも満州事変は何を狙い、日中戦争はどのような戦略のもと行われたのか。それを解き明かしていく。陸軍の流れは、山形有朋の長州閥→一夕会の永田鉄山による総力戦準備のための資源確保のための北支領有→対ソをめぐり主戦派の皇道派と時期尚早説の統制派の対立→統制派の勝利後永田暗殺と二二六事件で皇道派の失墜→石原莞爾の反拡大派→武藤の満蒙確保→日中戦争行き詰まりで武藤の非拡大と田中の対米戦不可避の対立という流れがわかる。
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これまで敢えて避けてきた感のある昭和の陸軍に関する本。
イメージだけで言ってしまうと、海軍は論理的で欧米に精通したエリートであり日米開戦に最後まで反対し続けたベビーフェイス。
かたや、陸軍は精神論を武器に感情的・直情的であり、なんの戦略もなくなし崩し的に国家崩壊の寸前にまで追い込んだヒール。
そんなステレオタイプで捉えがちである。
かくいうボクも、満州事変以降、なぜ日中戦争へとむやみに戦線を拡大し、さらには太平洋戦争にまで踏み込んでいったのか、政党政治を潰してまで権力を掌握して実現しなければならないモノとはなんだったのか?この手の本をいくら読んでもいっこうにわからないのだ。
なぜなら、陸軍自身の戦略がお粗末にしか見えない書き方がされているから。
国家を掌握し、自ら信ずる方向へ舵取りするような巨大な陸軍という組織が、そんなお粗末な精神論と妄想だけで動けるはずがない。
石原完爾といった名のある戦略家が次々と更迭されて人材不足に陥り、組織が硬直化したというだけの話ではないはずなのである。
そこには絶対に当時の陸軍としての確固たる思想があってしかるべきなのである。
本書は昭和陸軍として戦争の道へ進むに当たり、陸軍中央を掌握するまでの長州派、統制派、皇道派といった主要派閥の派閥争いから、最終的に中堅幕僚を中心とした統制派が権力を握るまでに至る経緯と、それを支える統制派の思想、その中心人物たる永田鉄山、石原完爾、武藤章、田中新一と続く政戦略構想を時系列に基づいて整理されたものである。
かつて、昭和初期の政党政治は脆弱なものであり戦前の幾多の困難に耐えきれず、自壊していったとされてきた。
そこになんの戦略ももたない陸軍が政治家を恫喝することで権力を掌握し、無謀な戦争へと導いたとされてきた。
しかし、近年の研究では当時の政党政治はかなり強固なものであり、国内外を含め相当安定性をもっていたということが明らかになってきている。
だとすれば、その安定した体制を突き崩すにはそうとうな戦略構想と体制打破に向けた準備が必要だったはずである。
本書はそこに焦点を当て、昭和陸軍の推進力となる中堅幕僚層の中核メンバーの戦略構想を明らかにする。
本書を読む限りにおいて、その構想自体は精神論ではないロジカルなものである。けしてなんの戦略もなくなし崩しだったわけではない。
しかし、中央の陸軍省や参謀本部のエリートの限界もやはり垣間見られるのだ。
『〜できれば、〜という結果となるはずである』
ビジネスでも同じだが、仮定をおいて推進することは必要なことである。しかし、『こうなるはず』が外れたときのBプランの確保と時期を逃さずに決断することの二つが出来ていないと、そのプロジェクトは崩壊する。
本書における昭和陸軍の姿勢も同じように見えるのである。
やはり、まだまだこの時代の『なぜあの戦争に至る決断をしたのか?』という部分は腑に落ちないのである。
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話が細かすぎたのと、やや登場人物に対して好意的であった。しかしまあ、なんでこんなに失敗してしまったんだろね。統制が取られていなかったのは一つだろうけど… 一つのグループが中枢を占拠すれば、良くも悪くも一つの方向性に定まるが意見の多様性は減るし、拮抗しているならどうしようもない妥協案は出うるが多様性はなくもないだろうけど、その悪いとこどりをしたような感じで…