紙の本
アダム・スミス
2013/10/01 21:20
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投稿者:いろはにほへと - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を読むとアダム・スミスが述べた「(神の)見えざる手」とは一体何だったのかが分かるヒントになるかもしれません。経済に興味のある人向けだと個人的に思う。
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日経新聞書評 by 猪木武徳
スミスの人間学は、ギリシャ悲劇やドストエフスキーに勝るとも劣らない奥深さを秘めている。『道徳感情論』の随所でスミスが人間の崇高さと賢明さだけでなく、「醜さ」「滑稽さ」「愚かさ」について平然と言及しているのを読み、「これは人間の明と暗を厳しく観察した人のみが書きうる文章だ」と勝手に想像してきた。
本書は、「富と幸福の関係」「野心と虚栄心と経済発展の関係」を念頭に置きながら、スミスの二著の連続性を検討するというもの。
スミスの道徳感情の分析は、ひとつの “the Sentiment”に限定されたものではなく、さまざまな感情が作用しあうことによって社会秩序が形成されるとする点に特質がある。スミス以降、人間像を単純化することによって長足の進歩(ちょうそくのしんぽ:短期間で大幅に進歩すること)を遂げた経済学がともすれば等閑(なおざり)にしてきた重要なポイントでもある。
またスミスは「公平な観察者の原理」を国際秩序の形成の問題に適応する。彼の倫理学はナショナリズムと国際平和の問題にも重要な枠組みを与えているのである。「万民の法」から「万民の富」へという展開が、「同感」と「公平な観察者」を柱とする『道徳感情論』から「分業」と「資本蓄積」を論ずる『国富論』へとスミスを導いたと著者は見る。
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アダム・スミスの著作、『道徳感情論』『富国論』の2冊を解説してる。
新書なのに解説が凄くうまい。
要するに、
●道徳感情論
人間には同感という感覚があり、他人のことでも嬉しいことは積極的に同感するが、悲しいことは同感することをためらう。
人間は成長していくにつれて"公平な観察者"を形成する。
この公平な観察者は正しい行為を行えば同意するが、正しくない行為には非難の声を上げる。
しかし世間の評価は公正な観察者の判断とは矛盾することがある。
この矛盾にめげずに公正な観察者が賞賛する行為を行おうとする(世間の評判に反しても)人間は賢者であり、世間の評判や欲に負けて正しくない行為をする(世間の評判が肯定していても)人間は弱者である。
富を求めるのは悪くない(ルールを守っている限りは)
●国富論
経済の正しい発展は農業→商工業→輸出であるべき。
なぜなら農業が発展すると余剰生産物が商工業に向き、みんなが余裕出てくると輸出入により生活を豊かにする嗜好品などを手に入れるようになるから。
その結果とても貧しい人もある程度の生活レベルもある程度は向上する、これは"見えない手"によるものである。
見えない手が興るためには資本家が儲けるのを非難するべきではないし、税金なんかごっそりもってってる場合じゃない(税金を持ってく→商工業に回る金が減る→下層の人間まで金がまわらない)
しかしヨーロッパは西ローマ帝国の崩壊とゲルマン民族の流入に伴い、農業が荒廃した結果之とは反対の成長ペースになってしまっている。
結論正義と秩序を保った公正な競争が国家をより豊かにする。
めっちゃ簡単に書いたな。
詳しく知りたくなったら買うべし。
書いてて自分しか意味が分からないのは分かってる。
最初の方とか既に忘れてきてるけど\(^o^)/
だから国富論の方が多いんだね、うん。
読むと道徳感情論と国富論読みたくなります。
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「あなた方は、自分の自由を宮廷の奴隷となることと決して交換することなく、自由に、恐れず、独立して行きようと真剣に決意しているだろうか。この高邁な精神を継続させるには、ひとつの方法があるように思われ、おそらく、そのひとつしかないように思われる。それは、あのようにわずかな人だけしか帰ってくることができなかった場所に決して入ってはならないということだ。」【『道徳感情論』1-3-2:p78】
「幸福は平静と享楽にある。平静なしには享楽はありえないし、完全な平静があるところでは、どんなものごとでも、ほとんどの場合、それを楽しむことができる。」【『道徳感情論』3-3:p79】
「健康で、負債がなく、良心にやましいところのない人に対して何をつけ加えることができようか。この境遇にある人に対しては、財産のそれ以上の増加はすべて余計なものだというべきだろう。そして、もし彼が、それらの増加のために大いに気分が浮き立っているとすれば、それは最もつまらぬ軽はずみの結果であるにちがいない。」【『道徳感情論』1-3-1:p80】
「「賢人」は、最低水準の富さえあれば、それ以上の富の増加は自分の幸福に何の影響ももたらさないと予想する。(略)一方、「弱い人」は、最低水準の富を得た後も、富の増加は幸福を増大させると考える」【p83】
「自然がこのようにしてわれわれをだますのは良いことである。人類の勤労をかき立て、継続的に運動させるのは、この欺瞞である。」【『道徳感情論』4-1:p86】
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2008年度サントリー学芸賞政治・経済部門受賞作品ということで、買って、読んでみた。
何十年か前、大学で習ったアダム・スミスとは全く違うイメージのスミスがそこにいた。
経済書「国富論」の前提に哲学がある。
スミスは、真の幸福とは心が平静であることであると説く。心が平静であるためには、それほど多くのものは必要としない。
まるで東洋的な心境である。目から鱗であった。
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アダムスミスの最初の著書である「道徳感情論」と、有名な「国富論」を融合的に考察している本です。
今までアダムスミス=国富論とばかり思っていた。
でも、道徳感情論という倫理学的な本を通して「社会秩序を導く人間本性は何であろうか。」という疑問を一緒に考えることができた。
そして道徳感情論に続いて、国富論があるんだなと思いました。
すごい興味深い本。
「幸福は平静と享楽にある。」
この言葉が心に残った。
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スミスの2大著書「国富論」は知ってましたが「道徳感情論」の方は、恥ずかしながら知りませんでした。本書を読む中で「道徳感情論」の章の方が読みやすく理解もすんなりできました。「道徳感情論」があってこその「国富論」だと実感しました。
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現在の世界恐慌は【市場原理主義】が原因に他ならない。
アダムスミスの【見えざる手】理論、つまり個々人が利益を最大限に得るように努力を促す社会は、社会全体の利益につながるというものは、一見市場原理主義支持以外の何ものでもないように感じる。
しかしスミスの道徳感情論を見るとその考え方は一掃される。スミスは人間に【賢さ】と【弱さ】があると考えた。人は【弱さ】ゆえに富や名声を求める。それ故、結果的に蓄積した富は、より多くの名声を求めるために分配されると考えた。
それを前提にすすめたという点で、現代のネオリベとは違うかなぁと。
『私たちは観察者としての経験、そして当事者としての経験を通じて、自分が所属する社会において、公平な観察者たちが実際に他人の感情や行為をどのように判断するかを学ぶ。そして経験によって得られた知識に基づいて、私たちは、自分の感情や行為について、公平な観察者であればどのような判断を下すかを想像し、自分の感情や行為を公平な観察者が是認すると思われるものに合わせるようにする』
『いったん心の中に公平な観察者が形成されれば、私たちは、当事者としてだけでなく、観察者としての自分の判断をも、胸中の公平な観察者を用いて調整するのである。』
『スミスは実際の観察者、すなわち【世間】を、裁判における第一審にたとえ、各個人の胸中にある公平な観察者を第二審にたとえた。私たちは、自分の行為について、まず第一審、すなわち世間の評価を仰ぐ。しかし世間の評価が適切でないと感じる時。第二審、すなわち胸中の公平な観察者に訴え、最終的な判決を決める。賢人はほとんどの場合、第二審の判決を重視し、弱い人はすべての場合に第一審の判決を重視する。』
『スミスは社会を支える土台は正義であって、慈恵ではないと考える。もちろん慈恵的な社会はそうでない社会よりも快適な社会である。ただ社会の構成員が他人の利益を増進しようとしなくても、他人の生命、身体、財産、名誉を傷つけないことをしっかり守ろうとさえすれば、社会は存続する。』
『集団生活を営むようになる→生活にとって必要な水準以上の富、社会的地位を求めるようになる。富と地位への【野心】をもつのはそれの便利さ、快適さのためではなく、それらを手にすることによる他人からの同感や称賛、あるいは尊敬や感嘆のため。スミスはこのような野心の動機を【虚栄】と呼ぶ。虚栄とは自分の本当の値打ち、すなわち胸中の公平な観察者が自分に与える評価よりも高い評価を世間に求めること。』
『世間は【英知】と【徳】のある人を尊敬し、愚かで悪徳に満ちた人を軽蔑する。しかしながら、世間は、同時に、裕福な人、社会的地位の高い人を尊敬しし、貧しい人、社会的地位の低い人を軽蔑、少なくとも無視する。そして世間にとって叡智と徳は見えにくいものであり、富と地位は見えやすいものである。そのため世間の尊敬は英知と徳のある人よりも、裕福な人、社会的地位のある人に向けられがちになる』
『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』
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ラストなんか感動した。
心の平静・公平な観察者
前半の倫理学的なところがすごくわかりやすくて面白かった。
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手段の価値は、目的の価値を決して上回らない。
公平な観察者を自分の中に置きさえすれば、あのお祭り騒ぎの理由が、目的を見失いっぱなし、心の落ち着く所が解らない、とまどえる弱い群衆の貧乏揺すりに過ぎない事がありありと見える。
冷めてるのか醒めてるのか。
どちらも含んだその冷静さこそ、まず最初の幸福だろう。
落ち着きとは停止ではなく。
派手さと嘘で塗り固められた社交を嫌う前進だ。
「芸術的である」とはつまり、どこまでも正直で、フェアであるという事に過ぎない。
世間で持て囃されているゲイジツの正体は、弱い者いじめをする行動動機に過ぎない。
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この手の本では
めずらしく読みやすい本。
アダム・スミス入門書として
オススメの一冊。
読後感はナルホロと
アダム・スミスが分かったつもりになれます(笑)。
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しまざき「おもしろかったです。わかりやすい」
min「アダムスミスを説明する本ですか?」
しまざき「概要的な本です。感動的です」
ラファエル「感動的かー」
しまざき「説明的な感動で。人間の本能の積み立ての経済、っていう説明が時代に左右されないと思います。」
min「経済興味ないけど気になる」
min「★は?」
しまざき「★は、5つ!おもしろわかりやすい!」
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読みやすく、面白かった。
『道徳感情論』と『国富論』を中心にアダムスミスの思想を解説してゆく、という意味では分かりやすい概説書だし、
『道徳感情論』に軸足を置き、市場に対する政府介入以上に個々人の道徳的行動を重視していた、という意味ではこれまでのアダムスミスんじ対する大方のイメージに異議を唱えたともいえるように思う。
特に前半の倫理学的な視点は、社会学の分野でもある。
こういう本が経済思想の教科書だと、入門には最適だと思う。
この本は、時期も良かったし、内容と時運がうまくかみ合っていた。
構成もよい。
だから売れた。
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「政治学研究Ⅰ」という授業で読みました。
簡単にまとめると。アダム・スミスの見方が変わった!
*読む前のスミス*
「見えざる手」とか言っちゃってるし、
政経の教科書にも載っちゃうくらいだし
難しいことばっかり考えてる人なんだなー
経済について語ったら止まらなくなりそう。。。
↓
*読んだあとのスミス*
ちょ、書いたの「国富論」だけじゃないの?
「道徳感情論」とか題名も中身も人間研究じゃん!
てか経済について書いたのって、
人間研究してたら経済にたどり着いたってだけじゃん!
しかもスミス、
「市場社会は人と人をつなぐという機能を持っている」
「市場は富を媒介にして見知らぬ者どうしが世話を交換する場」
「手近にあるものを大切にし、それらに満足することによって
私たちは十分幸せな生活を送ることができる」
…って、めっちゃいいこと書いとるやーん!
なーんて思ってしまいました。
スミスすごいよスミス。
ただ、時々矛盾するものが出てきたり
今の時代と合わない部分が出てきたり。
18世紀のことだし、仕方ない…か。
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スミスのもうひとつの著『道徳感情論』があり、
私はそれをベースに考えないと、
スミスのことを間違って解釈してしまうのではと思いました。
ちょっと(長いですが)内容を書いてみます。
個人が正義の諸法をまもって行動する限り、
このような個人の行動は、「見えざる手」に導かれて社会に
最大の利益をもたらす。
ここで重要なのが、
個人が合理的な行動をしたときでなく、
「正義の諸法」を守って行動するとき。
ということです!!!
アダム・スミスが言った正義とは、
胸中の公平な観察者が非難に値すると判断するであろう、
すべての行動は回避されなければならない。
ということから、
簡単に言うと、
『他を傷つなけい」ことです。
慈恵ということばで、「他人の利益を増進する」ことも言っています。
この、慈恵、正義を一般的諸規則として、
社会生活の根本の考えとしています。
人を傷つけてまで、
経済を高めるというのは、おかしいと思いませんか?
それと、スミスも言葉は違いますが、
他のためになる(慈恵)ことは基盤であると言っています。
そして、スミスはもうひとつ大事なことを言っています。
「野心」について、
我々が富と地位への「野心」をもつのは、富や地位の便利さや快適さのためだけでなく、
それらを手にすることによって得られる他人からの同感や賞賛あるいは尊敬や感嘆のためである。
→他人の目を気にするという人間の本性が起源なんだね!
これらの野心への動機を「虚栄」とよんだ。
野心の領域に入ってしまうと、
「いつでも自分の力が及ぶ範囲にある真実の平静」を犠牲にしてしまう。
スミスは、幸福は「平静」と「享楽」にあるといった。
「平静」とは、心が乱れていないときを言うんだと思う。
「一寸先は闇」なのに、野心に取り付かれて、全速力で走ってしまう。
そうしたら、どんなに危ないことか。。。
他人にぶつかって、怪我をさせてしまう危険もある。
多くの人が陥る本当の不幸は、真の幸福を現実するための手段が手近にあることを忘れ、
遠くにある富や地位や名誉に心奪われ、静座し満足しているべきときに動くことである。
傲慢にならず謙虚に。
富や地位を求めてもいい。そして個人が富や地位を求めることによって、社会は繁栄する。
しかし、
富や地位は手近にある幸福の犠牲にしてまで、追求される価値はない。
一歩一歩。
自分の出来る最大の力。
そしたら、自分は、思った以上に成長する。
そしたら、
また一歩一歩進めばいいんだよ。
他のために、他の役に立つために。
傲慢にならず謙虚に。
人は、人を傷つけず(正義)、他のためになることをする(慈恵)をすれば、
野心のなかので生きなければ、
絶対幸せになれる。
「見えざる手」をつくるのも人の行動である。
人がちゃんとした心を持って行動するならば、
皆が幸福を感じられる世界に近づくのだと思う。
経済システムが変わっても、
人間が変わらなければ、
世界は変わらない。
論理的に行動できることはすばらしい
しかし、他のためになっていなければ、
本末転倒である。