紙の本
怨み辛み渦巻く暗黒大陸ヨーロッパ
2002/03/07 16:29
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を読んでつくづく思うのは、日本人の戦争に対する「うぶ」さだろう。欧州の歴史は血に塗られている。親の敵、妻の敵が国境を隔ててすぐそこに住んでいるのだ。それがパスポートをもって易々と自分の国にやってくる。この感覚は四方を海に囲まれて外敵から守られている日本とは根本的に感覚が違う。欧州では戦争で殺されても、それは犯罪ではないし謝罪の対象ではない。そんなことは良くあったことだし、それが戦争だからだ。戦争で殺されたのは「まぬけ」だったからやられたという認識がお互いにある。従軍慰安婦も同じで、兵隊に売春婦はつきもの。納得ずくでやったなら、それは正当な取引だし、一般の女性が強姦されても、それが戦争であり兵隊にとって女は重要な戦利品だったのだ。そんな当たり前のことをホジクッテ問題にする日本の従軍慰安婦問題追求の運動をドイツ人はアジアの文化のせいではないかとわけのわからない解釈をひねり出す。兵隊にセックスはつきもので、そんなこと誰でも知っていること、でも出来るなら隠しておきたいことなのにわざわざその人間の暗黒面をあばいて悦にいる「偽善」は「アジアの文化のなせる技」と考えない限り理解できないというわけだ。この本を読んでいると、ドイツもその周辺国もドイツを孤立させないため、敢えて大嘘をついてお互いを誤魔化しあい、かろうじて精神の健康を守ろうとしている痛々しさを痛感する。本当はドイツ人なんか皆殺しにしたいと考えているフランス人、チェコ人、ポーランド人も多いだろうに。
紙の本
本当の意味の戦争責任
2003/07/27 19:25
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ドイツは、ちゃんと戦争責任を取り、戦後処理もきちんとやっているのに日本は、全くなってない」というのが一般的な見方であり、私もそう思うところがあった。しかし、事実は、そうとは言い切れないという事が本書を読んで理解出来た。
ドイツ人は、ナチスというスケープゴードを巧みに用い、戦争責任を全てナチスに押し付け、国防軍の犯罪については、そちらを省みなかったのである。戦争責任についても、A級:平和に対する罪、B級:通例の戦争犯罪については、国民は意識もせず、C級:人道に対する罪でナチスのユダヤ迫害についてのみ言及しているのである。
こういう状況にも関わらず、日本とドイツの戦争責任に対する対処の仕方の国際評価はドイツの方が断然高い。何故だろうと考える。本書には書いていないが、それは、欧米人と東洋人の性格の違いによるのではないかと思う。欧米人は、物事の白黒をはっきりとつけるのに対し、東洋人は曖昧にする面がある。自分が悪いと思っても、欧米人は、はっきりと自分の非を否定する。東洋人は自分に非がある場合、はっきりと非を否定出来ない。本書でいろいろ解説していたが、本質はここにあると思う。従軍慰安婦問題にしても、この問題を最初に取り上げたのは、被害を受けた韓国人でなく、日本人からだそうである。日本人から問題を大きくしなかったら当時の韓国大統領は、処置済みの問題として見過ごすつもりだったらしい。ドイツにおいても同様な犯罪を犯していたが、これを正面きって取り上げるドイツ人は皆無だったそうである。
侵略戦争に絡む数々の犯罪を正当化する事は出来ない。ドイツのようにナチスをスケープゴードにしてドイツ自身を正当化するのも間違っているであろう。しかし、戦争自体が犯罪的行為であり、それに伴う行為の責任は、ある一線を引かねばならないと思う。日本の在る一線とは、サンフランシスコ講和条約だと思う。政治的責任は、これで完結しているのである。人道的責任は、難しい面も残るが、戦争という非人道的状態も考慮されなければならないと思う。そこを自虐的に責める事は、周辺諸国に対して卑屈になるという事ではないだろうか?
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戦争責任についてはドイツは日本の対極にあって、模範的だとみられることが多いが、それはいわゆる「ホロコースト(大量虐殺)」を戦後問いつづけ、全ての責任をヒットラーやナチスに負わせてしまったことからきている。ヒットラーやナチスだけが悪いのではないという認識が戦後生まれたようだが、慰安婦問題などは今でも問題にならないという。日本で言えば、東条たちA級戦犯に戦争の全責任をとらせようという発想に通じる。戦争責任は重さの違いこそあれ、全国民が負わなくてはならないものだ。ドイツではホロコーストが強調されるあまり、侵略の責任、慰安婦を含む戦場での犯罪は不問に付されてきた。ドイツ人にとっては、むしろ戦後ソ連が入ってきたときの大量強姦等による被害者意識の方が強かったようだ。戦争責任というものを世界的に考えてみる必要を感じた。
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ドイツの戦後における戦争責任を取り上げ日本と比較させている。
ドイツは、戦後きちんと戦争責任を取ってきたというけれども真実だろうか・・・。
その答えは現段階では出し切れないのであろうか。筆者からしては「責任」を取れているとはいうものの、実際に「被害者」の立場の人間からすれば、「責任」を取っているとは必ずしも言い難いのではないだろうか。
加害者側であるドイツ(そして勿論日本も)は、過去の過ちを清算してしまいたいがために、被害者国や全世界にいろいろな施策を行ってきた。しかし実際に被害にあった立場からしてはいくら資金援助や奉仕活動を加害者側の国が行ったとしてもなんの罪滅ぼしにならない。そしてその被害の傷は子孫達にも伝えられていくだろう・・・。
戦争責任は実際に戦争には荷担していない子孫も持っていかなければならない負の財産である。ただ過去の過ちはいけませんでした。すみませんでした。という謝意を持ち続けるということが戦争責任であるとは思わない。大切なのは、現在、未来にわたって、事実を国民に伝え、二度と同じような過ちを繰り返さぬという意識を持つことではないだろうか。そして被害者の国家に対して、偏見で捉えず、相手の文化を知って新たな関係を築いていくことが必要であろう。友好な感情が芽生えた時点で戦争責任の本当の意味が判るであろう。
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(2008.05.21読了)
ドイツと日本を比較して、第二次大戦に対する責任のとり方について論じている本です。
「ドイツは日本と同じように第二次大戦でヨーロッパ中を戦火にさらし、敗戦国となって戦争責任を問われた。しかし、現代の国際社会では、その過去の扱いについて非常に肯定的に受け止められている。」(ⅳ頁)
「旧ドイツ軍は大虐殺をしたり、従軍慰安婦のような制度を持ったりしていなかったのだろうか。あったとすれば、戦後どう対応し清算したのだろうか。首脳の演説などで触れられ、謝罪や金銭的償いも行われたのだろうか。
その答えは、ほとんどの人にとって意外なはずだ。ナチスがユダヤ人などを大虐殺したいわゆる「ホロコースト」はよく知られている。それとは別に、旧ドイツ国防軍による虐殺が大掛かりに行われ、旧日本軍とそっくりの慰安婦制度もあった。だが、戦後半世紀の間、そうした事実は人々の目から隠され、当事者も忘れるか忘れたふりをしてきた。戦争被害者への保障でも誠意ある対応は行われなかった。それでも、社会的に問題視されることはなかった。
なぜ、そのようなことが可能だったのだろうか。
ヒトラーとナチスをスケープゴートとして、普通のドイツ人の罪と責任をかばったのだった。」(ⅴ頁)
この本の副題は「清算されなかったドイツの過去」です。ナチスの過去は語られても、ドイツの過去は語られない。ユダヤ人虐殺についての謝罪はあっても、侵略した国々に対する謝罪は、行われていません。そして、ユダヤ人虐殺は、ヒトラーとナチスが行ったことで、普通のドイツ人は知らなかったことになっているのです。
この本を読んで、非常にびっくりしてしまいました。
●ドイツ国防軍の強制売春(92頁)
国防軍は、売春宿(慰安所)を設置する指令を出した。1940年夏、フランスで既存の売春宿を兵士用に指定したのが第一号で、1942年には500軒以上にのぼった。戦線の移動や兵員の増減により、閉鎖、新設された。
ナチズムの人種政策に基づき、これらの施設で働かせるのは、ポーランド、ロシア、ギリシャ、フランス、ユーゴスラヴィア出身のユダヤ系を除く女性とされた。
東部戦線では、戦地指揮官が女性の手配をし、強制的に集めることもしばしばだった。
●非ナチ証明書(108頁)
ドイツでは、戦後すぐに、ナチとナチでなかったものを公式に区別する手続きが行われた。ナチとされたものは公職から追放され、非ナチとされたものを社会に復帰させて国の再建に当たることになった。
ナチではないと認められたものには「非ナチ証明書」が発行された。
米英仏の西側占領地区全体で、1667人が重要犯罪人とされた。
アメリカ人が「非ナチ化」と呼んだ施策は何か表面的なものでした。
非ナチ化は、関係した多くのものをできるだけ早く名誉回復させ、復職させるためだけのものとなった。
●ポーランドによるユダヤ人迫害(155頁)
1930年代、ポーランドではユダヤ人商店のボイコット、ユダヤ人からの借金帳消しなどナチス・ドイツと変わらない迫害が行われた。ポーランド政府は、国内にいる300万人近いユダヤ人を、全てマダガスカル島などへ送り込もうとしたこともある。
著者 木佐芳男
1953年 島根県生まれ
1978年 読売新聞社入社
ニューデリー、ボン、ベルリン各特派員を経験
退職・独立
(2008年5月27日・記)
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[ 内容 ]
1995年にドイツ各地で開かれた「国防軍の犯罪」展は激しい抗議運動を引き起こした。
ナチスばかりでなく正規軍も残虐な行為を行っていた事実に光が当てられたためである。「ドイツは自らの戦争責任を認め、謝罪してきた」と言われてきたが、それは正しいのだろうか。
膨大な聞き取り調査を通じ、ドイツが冷戦構造の中で巧妙に論理のすり替えを行ってきたことを検証し、歴史と向き合うことの重さと意味を問う。
[ 目次 ]
序章 日独でちがうもの、おなじもの(ふたつの舌禍ドイツ版“君が代論争”)
1 善いドイツ人と悪いドイツ人=DEトリック(旧ドイツ国防軍の暗部、トリックの仕掛け人 ほか)
2 忘れられた「戦争」の罪責=ABCトリック(ふたつの国際軍事裁判、すれちがう日独比較 ほか)
3 粉飾された国家像=ABC・DEトリック(トリック集大成―ヴァイツゼッカー演説、トリックからの決別―ヘルツォーク演説 ほか)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ドイツによる第二次世界大戦の清算過程における問題を、
非ナチ化と三種の戦争犯罪という面から議論する一冊。
日本との対比もあり論点が明確でわかりやすい。
また急速に進行した東西冷戦の影響が強かったことも印象的だった。
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戦争責任をはっきり認め、国際社会の信用を得ているというドイツだが、実は「ナチスがドイツの名において、ホロコーストを行った」と、まずナチスをスケープゴートにして、ドイツそのものの責任逃れを行い、ホロコーストのみを強調し、「平和に対する罪」を不明確にしていると主張する。世界に好感を与えたブラント首相のゲットー記念碑での膝付き行為、ヴァイツゼッカー大統領の40周年記念演説も批判する。著者の主張はだから日本の戦争責任への認識が甘いことのみ追及されるのはどうか、と言わんばかりであり、かなり不愉快な本でした。
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戦争責任については、中韓からは「未だに過去を清算できない日本」と言うメッセージが世界中にばら撒かれており、片やドイツは現在の処この問題を実にすっきり処理しているように見えます。
この日独両国の差を解きほぐそうとしたのが本書で、非常に精力的に取り組んだ本だと思います。
結果から言うと、
①ドイツはヒトラーを絶対的な悪役にしてあっさり責任を押し付けた。
ヒトラーは敗戦直前に自殺をしていたので、裁判にかける必要がなかったし、しかも彼は外国生まれの成り上がり者であり、ドイツには遺族や親族もいなかった。
この事により、ヒトラーとナチスをスケープゴートにした国家的トリックが仕掛けられ、かつ見事に定着した。
ここに、日本の天皇との 大きな差があると思います。
②二番目が日独両国の首脳の資質の問題。
戦後のドイツの首脳の配慮の行き届いた発言に対して、日本の歴代の首脳の配慮を欠いた発言は枚挙にいとまがない。
これらの発言により、責任を取ればまだしも、そうではないので、国際社会から見れば、日本人が「反動的」な首脳を支持しているように映り、かつ過去を清算していないという負のイメージが、更に膨らむという悪循環を繰り返している。
著者は上記に加え、更に1985年のドイツのバイツゼッカー大統領の演説で「ドイツの敗戦」が「ドイツの解放」という言葉に置き換えられた。これは見事な国家的なトリックであると。
ただ、良心的なドイツ人からは、ドイツ国民はナチスから解放されたのではなく、当時の相当数の国民がナチスに加担した事実や(ナチスではない)国防軍の責任について考えるべきだと言う意見が時折出てくるが、本書のサブタイトルの「清算されなかったドイツの過去」とあるように、現在の処そのような意見は封印されてしまっているようである。
日本の戦争責任の問題をこの欄で言うのは話がややこしくなるのでやめるとしても、我々日本の戦後世代が思うのは、せめて国益を損なうような政治家の行為や失言だけでも止めて欲しいものです。
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同じ戦争敗戦国であるドイツと日本でどう歴史認識を行っているのか、それが世界でどう認識されているのか。今韓国、中国から非難されている日本は過去の日本政府、官僚、国民の対応の結果だろう。ドイツも形こそうまく清算したかのように見えるがそれは見せかけだけ。調べてみると負の部分はどんどん出てくる。今一度歴史を考えてみるべきであろうと思わせる良本。
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本年9冊目。日本の戦争責任についての書ではない。その対比としてしばしば取り上げられるドイツの事例について書かれたもの。
書を通して感じたのは、過去を知ろうとすること、知って、考えてみること。考えてみる、とは、例えば他国は何を知っているのか、どう考えているのか、に想像を巡らしてみること。
今を生きている我々に必要なことなのかもしれない。
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『#〈戦争責任〉とは何か』
ほぼ日書評 Day439
Day431で紹介した『「反日」化するドイツの正体』の著者による、ちょうど20年前の著作。
ドイツやナチスに関する内容は、ほぼほぼ同じなので、知見を広めるという点では、遡ってもう一冊読む必要はなかったかという印象。
が、両書とも未読の場合は、本書を先に読んだ方が、エッセンスは頭に残りやすいだろう。
「反日」…の方は、清算されなかったドイツの過去というファクトに関する記述と、反日勢力によるドイツ人感情の政治利用というイデオロギー的側面に関する記述が不即不離となり、場合によっては理解の妨げとなる懸念があると感じる。
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