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フロイトの唱えた「喪の仕事」とは失った対象へのアンビバレンツな感情の、そのネガティブな側面への洞察である。防衛機制がそれを妨害するという解釈を改めて確認した。社会へ適応しようとする心の努力が逆効果を招く矛盾。
しかし、「モラトリアム」が継続し、すべての私は「仮」の私である、という人間にとっては、リアルな不安や悲哀自体がすでに失われている、これはまったく恐ろしい話で、暴力的衝動が野放しというに近いかもしれない。現代の犯罪や社会問題をこういった視点から捉えなおす、これはとても重要に思える。
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中学生の時に、繰り返し読んだ。その後の自分の人生の動機付けになった一冊です。愛するものを失う悲しみと混乱について、最初に教えてくれた一冊。
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とても面白かったです。
同時に読み進めてたやさしさの精神病理とリンクするものがありました。
悲しんだり苦しんだりする能力の欠如、その裏に隠れる汚れ、醜さ、不快、悲しみを遠ざけておきたいことが発端で現れる形だけのやさしさだったり。
自己愛が強くて自己同一視し誰かを愛するポーズをとること、その錯覚から解かれると傷ついて、誰かを1人の自我と見れないこと、、、
タイトル買いしたけど、とてもあたりでした。
言いようが難しい感覚をこの本でわかっていく、そんな感じがしました。
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近親者の死や失業といった、自己のアイデンティティの喪失を引き起こすような出来事を体験した人びとが直面する危機と、そこからの回復の可能性について考察している本です。本書では、そうした体験を「対象喪失」と呼び、その心理的体験をフロイトにしたがって「悲哀の仕事」(mourning work)と解釈しています。
著者は、精神分析学の創始者であるフロイトが父親や同僚のフリースに対する激しい心理的葛藤を演じていたことについて比較的ていねいに検討をおこない、フロイトの精神分析学の確立が、まさに「悲哀の仕事」として解釈できることを示しています。
また、深刻な現代の対象喪失の経験を持たない現代、新たに生じつつある問題についてもとりあげられています。
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失った対象への同一化、排除、理想化……様々な対象喪失反応が事例とともに書かれていて面白かった。後半はフロイトさんの勉強になった。ひとつの決まりきった対象喪失反応の流れが書いてあるのかと思ったら、そんなに単純な話ではないらしい。精神分析的な話(死んだ父への思いを姉の結婚相手に投影うんぬん)は時々屁理屈のように感じてしまうけれど、単純に「こんな風に捉えられるのかあ」と読めば面白い。
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小此木先生の文章は、
本当に接しやすく、
ユーモラスでもあるのに、
どこまでも専門的だ。
悲しむことに寄り添う仕事に、
胸を痛めながら従事している専門家にも、
なにゆえこのような作業が必要で、
我々が何を引き受け、
何をなそうとしているのかということを、
示唆してくださるようでもある。
悲しむという究極的な内的作業を、
いかに自らが達成すべきか葛藤しながら生きているが、
フロイトの生き方に半ば同一化しながら、
学びを深めているのだということを、
自覚できることに感謝する。
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小此木啓吾『対象喪失』中公新書 読了。大切な何かを失う悲しみをどのように乗り越えるか。やや昔の精神分析論だが、いつの時代も変わらない重大なテーマ。現代社会においては悲哀を排除しがちだが、対象喪失を受容し克服していくには、悲しみ苦しむ、その自然なプロセスを踏むことこそが必要である。
2017/06/12
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何かを失うということはつらいこと。
つらいことは避けたくなるけど、きちんと向き合うことが今後の自分にとって大切なことだと教えてくれた本。
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フロイトの「mourning work」を中心にした対象喪失の解説。
初版79年代のため内容はやや古くさいというか全体的に「70年代知識人」と言った感じがする。良い悪いは別として。
内容の新しいモーニングワークの本を読んだ方がよかった気もする。
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愛する対象を失う悲しみをカガクする一冊。本書は、愛情・依存の対象を失うこと(「対象喪失」)に対する心のメカニズムを、フロイト研究でも有名な精神科医の著者が一般読者向けに解説したものである。その内容は、精神科医として著者がこれまで診てきた患者を例に「対象喪失反応」について分析した章と、フロイト研究者として彼の精神分析理論が構築される過程を分析した章に分かれる。
著者は、対象喪失に対しては「その悲しみや思慕の情を、自然の心によって、いつも体験し、悲しむことのできる能力を身につけること」(p.156)が大切だとする。一見すると”当たり前“の話に思えるが、実際には、その”当たり前“が非常に難しいことを本書は教えてくれる。即ち、失った対象への悲しみだけでなく、憎しみや罪意識といったネガティブな感情が生じるのは人として必然であり、そうした感情に真正面から向き合う覚悟こそが重要となる。
本書は「悲しみ」に対する特効薬となるような記述があるわけではない。だが、そうした場面に直面した時、人の心はどのような反応を示すのかを知っておくことで、初めて人は素直に「悲しむ」ことができるのではないだろうか。
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小此木啓吾 「 対象喪失 」 対象喪失により引き起こされる悲哀 に関するフロイトの研究をまとめた本。対象喪失とは、愛情や依存の対象であった者の死、アイデンティティの喪失など。
著者の主張で 驚いたのは
フロイトの悲哀研究は、父の死を経験したフロイトの自己分析から行われているとした点。悲哀の心理プロセスを、転移、投影同一視、未開人の喪の慣習 から 紐解いている
悲哀を避けるな 克服せよ という 父性的メッセージを感じる
*悲しみを悲しみ、苦痛を苦痛として味わう〜人間にごく自然に与えられた心のプロセス
*人生は対象喪失の繰り返し〜悲哀と対象喪失をどう受容するかは もっとも究極的な精神課題である
山あらしのディレンマ
寒さに凍えた山あらしのカップルが、暖めあおうと近づいたが、近づくほど、トゲでお互い傷つけてしまう。近づいたり離れたり繰り返して、適当に暖かく、お互い傷つけない 距離を見つけた
フロイトの母の言葉「人間は土から作られていて、土に戻らねばならない」
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肉親や恋人・配偶者、子ども。ひとは生きていれば必ず死別を経験する。
私が経験した死別は、当時の私にはとても強烈であり、数年にわたってーいやおそらく一生にわたって、大きな影響を残した。まさに喪失だった。
悲嘆に暮れる日々に大学の図書館をあてもなくさまよっていたとき、この本の背表紙が目に入った。そこには、自分がまさに経験している悲嘆と同じものが描かれており、自分の抱えている、どうしようも処理しきれない莫大な感情が、「対象喪失」のあとに起こることとしては普通のことなのだと知ることができた。当時の私にとっては、そのことだけでも大きな助けを得た気持ちだった。胸を張って悲嘆することができるようになったと言おうか…。
近年は「グリーフケア」ということも言われており、対象喪失とその後の悲嘆に対するケアの重要性が説かれている。本書はフロイトのエピソードや分析を紹介しつつ、悲嘆がどのようなものかを事例をもとに解説する、基本的な書物の一つだと思った。
なお、紹介されている事例は、単純な悲嘆のみならず、むしろ葛藤のある関係での喪失体験の紹介が多い。これは、そういった事例で精神神経科的な問題が起こりやすいことの表れなのだと思われた。
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人は悲哀することを辞めている。
悲哀排除型社会
人間味がある人になりたいと改めて思った。
愛着。
喪失による、憎悪、自己批判、自己承認、賛美化。
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フロイト個人の対象喪失についての章は少し退屈で飛ばしてしまったが、全体的に読んで良かったと思える本。悲哀の仕事を途中で止めることなく、自然な心の動きを無視しないことの大切さがわかった。
対象喪失の反応は喪失から1年間は現れるとのことだった。自分も焦らずに気長に悲哀の仕事をしていきたい。
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前半の本当にさわりの部分は面白い。後半も少し面白く為になる内容が書いてあるが、全体的に価値観が現代と違っていて今ひとつピンとこない。「そう…かなぁ?」「ぇえ〜?」と思いながら読み進め続けることになったので苦痛すぎて中盤の退屈なフロイト話は全部飛ばした。
終章の、フロイトが母親から死について教えられた時の話が良かった。
「人間は土から作られていて、土に戻らねばならない」
そして母親が団子を捏ねた捏ねカスを見せて、
「人間もこういうカスでつくられているだけ」
あとP66の望郷の一説も良かった。
肝腎要の対象喪失の克服にはどうしたらいいのか具体的な策については自分の中ではボーンヤリ。