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この本は、あとがきにもあるように
筆者が「感動したことを書く、あるいは心が激しく動いたことを書く」を主体に書いた4編の短編小説がまとめられています。
この中で僕が一番好きな小説は『生きる喜び』です。
表題作『ハレルヤ』では筆者が飼っていた花ちゃんとの別れについて書かれていますが、『生きる歓び』はそれと対をなす花ちゃんとの出会いが書かれています。
作品自体はかなり前に書かれた小説だそうです。
「生きている歓び」とか「生きている苦しみ」という言い方があるけれど、「生きることが歓び」なのだ。
この一文に僕は心が激しく動きました(詳細は実際に読んでみてください!)
読みやすいとはちょっと言えない文体ですが、筆者の意識や思考に時折触れるような一冊です。題名も表紙も素晴らしい!
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『ただ、心の感じるがままに綴られたエッセイ小説』
この本の第一印象:えっ、エッセイ?著者は、エッセイか私小説かと問う事自体意味がないと言う。また、言葉は人間を不自由にさせるものだとも言う。筆者が日常感じたことを、そのまま感じ取る。そんな読み方で、楽しみ倍増!
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4つのエッセイ。
愛猫はなちゃんとの別れと出会い。
谷中霊園での出会いと、片目が生まれつき不自由で衰弱しているにも関わらず、看病の末に元気をとりもどし
18歳生きて旅立っていった。
心が動かされたこと、生きること。
猫が本当に好きなんだなあって感じ。
はなちゃん、幸せだったろうになあ。
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感動したこと、心が激しく動いたことについて書かれており、読み手はそれを読んで何かを思い出したり感じたり。そういうシンプルな関係性がわかりやすく実感できた。特に猫好き、生き物好きには身近に感じられる話。
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"ハレルヤ"ってそういえばどういう意味だろうと思って調べてみたところ歓喜・感謝を表す言葉とのこと。私はなるほど!と感動した。私が感動したのは、ひとつにこの本におさめられた四篇はいずれも歓喜と感謝をあらわしているからで、その代表たる表題作およびこの本自体にこれほど相応しいタイトルもないなと納得したというのがあるが、もっと深くに私の胸を打ったのは、ハレルヤという言葉がひとつの語句の中に歓喜と感謝という展開を内包していたことに因る。
「歓喜する」というのは自動詞というか自分の意思とは関係なく反射的に起きる現象だが、「感謝する」というのは対して他動詞的であり、対象を要する。つまり、「何か自分にとって歓喜することがあり、それに対して感謝する」という、歓喜と感謝が起きる流れみたいなうつろいが"ハレルヤ"という言葉の中にはある。そしてその歓喜→感謝といううつろいこそが、小説(そして本の)「ハレルヤ」に描かれていることだと思った。歓喜だけ終わることでもなく、また何もないのに感謝するわけでもない。歓喜があって、感謝を行う。
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NHKの理想的本箱で「初めてお葬式に行った時に読む本」として紹介されていたので、保坂さんの作品を久しぶりに読みたいと思った。1作目の「ハレルヤ」は4作目の「生きる歓び」に19年の歳月を経て呼応している。片目の花ちゃんとの18年8ヶ月。「生きる歓び」に登場した、保坂さんの中学高校同級生の息子である10歳の全盲の天才少年ピアニストは辻井伸行君のことだろう。現在も一線で活躍していることが嬉しい。「世界があれば生きていた命は死んでも生きつづける」「世界があるからこそ命は無になることはない」