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書中でも触れられていたが、「科学者の集団にはクライアントが不在(だった)」。この言葉に全てが集約されている気がする。思えば不思議な特別扱いだが、責任を曖昧にされては困る。
現在の科学には公的なお金が降りていたり、あるいはその影響がこれまでにない広く大きな範囲に渡ってしまうためにクライアントとしての市民の存在が重要になってくる…というのは至極真っ当な流れだと思うのだが、どこから手をつけるのか、というのが問題になってくると思う。その点でどうにも浅い分析しかなされていないのが残念。
現在でも「サイエンスカフェ」のような市民と専門家の垣根を取り払う試みは行われている。「知っている」という意味での知識の値打ちが暴落した時、果たして「素人と専門家」という二分法は通用するのだろうか。
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工学部は東大が初めてらしい
大学=ある哲学を学ぶ所
ということからするに,生活に役立つものへの応用を考える工学は大学には似つかわしいものであったらしい
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科学・科学者の役割について。これまでどうだったか、今後どうあるべきかをいくつかの事例(原発事故等)を元に考察する。
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『科学の現在を問う』(村上陽一郎、2000年、講談社現代新書)
本書は、科学発展の簡単な歴史から、現代の科学技術にかかわる論点(たとえば、科学技術と医療、科学技術と倫理、科学技術と教育)を解説しています。
独特な切り口から論じているのでなかなか面白かったです。
(2009年10月31日)
(2010年12月10日 大学院生)
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村上陽一郎さんの著作はこれで二冊目。同じ著者の本をいくつか読むと理解が深くなるというが本当かも。それに加えて、必要に迫られて科学者倫理の勉強をしたことがここで役立ったと言えるかもしれない。
と言っても、この本はべつに学術的に難しい本でも何でもなくて、科学史・科学哲学を専門としてきた著者がややこしい詳細は省いて分かりやすく説明してくれているといった内容だ。サクサクと読める。科学・技術を「安全」「医療」「情報」「倫理」「教育」をテーマとして語られる。
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[ 内容 ]
科学と技術の発展は人間を幸福にしたか?
原発・医療・情報化など様々な角度から問い直す。
[ 目次 ]
第1章 科学研究の変質
第2章 技術と安全
第3章 医療と現代科学技術
第4章 情報と科学・技術
第5章 科学・技術と倫理
第6章 科学・技術と教育
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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科学と技術の発展は人間を幸福にしたか?原発・医療・情報化など様々な角度から問い直す。(「BOOK」データベースより)
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2011 5/3読了。筑波大学図書館情報学図書館で借りた。
科学史、科学哲学、科学社会学強化キャンペーンの一環として借りた本。
村上先生の名前はよく聞くけど本を読むのは初めて?
以下、メモ。
◯1章
・19世紀の成立時には閉鎖的であった科学の後の変質について
・(memexで知られる)ヴァンネヴァー・ブッシュは初代MIT工学部長にして、第二次大戦下のアメリカで科学の総動員計画を指揮した(p.19-20)
・NSFもブッシュ由来
◯6章
・東京大学は世界で最初の工学部を持つ総合大学?
・2-5章は現代(2000年当時)の科学にまつわる様々なトピックについて。面白くはあるが自分のテーマと直接に絡みはしない。
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科学者としての倫理。科学とは何か。我々は様々な情報を得る以上、使うこともできるが責任も生じる。情報とは何か。
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東海村での核燃料製造会社JCOの臨界事故や、クローン羊ドリーの誕生、日本初の脳死者からの臓器移植など、出版当時に話題になったニュースを取り上げながら、社会の中での科学・技術のあり方について論じた本です。幅広い題材を扱っているために、個々の問題点についての掘り下げは足りないようにも思えますが、それぞれの問題について考えるための入口の役割は果たしているのではないでしょうか。
科学は元来、自然を探求したいという研究者の純粋な知的関心を追及する活動として生まれたと著者は言います。それはいわば、クライアントを前提としない活動であり、そのような科学の性格は、内部倫理だけを考慮すればよいような科学の世界を作ってきました。
しかし、第一次大戦のころからこうした科学の自己閉鎖性・自己充足性は変質し始めたと著者は言います。とくに第二次大戦注にアメリカは軍事利用のための科学研究を強力にバックアップし、原子爆弾を作り出すマンハッタン計画の発足に至ります。こうした国家と科学との関係は、戦後も維持されました。ルーズヴェルト大統領の諮問に対する科学者の報告書『科学―この終わりなきフロンティア』では、限りなくフロンティアを拡大しつつ前進する科学研究の成果を最大限に活用することで、国家・社会が抱えている問題を解決し、国家と社会も限りなく進歩・発展できると声高に語られています。
いまや科学は、かつてとは異なる大きな社会的役割を担うようになっています。科学の専門家は、社会から隔絶された環境で研究に従事するだけでなく、社会について理解することが求められます。また非専門家の方も、現代の科学がはたしている役割について考察することが求められます。著者はこのような立場に立って、現代の科学教育のあり方について考察をおこなっています。
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東海村の核燃料製造会社で起こった臨界事故、新幹線トンネルのコンクリートがはがれ落ちた事件、日本のH2ロケット打ち上げ失敗、これらはすべて1999年に起こった事故である。日本の技術は信頼度が高かっただけに衝撃は大きい。一方、臓器移植、遺伝子治療、人工授精、などなど科学技術の進歩により、少し前にはあきらめていたことがどんどんできるようになっている。携帯電話の普及などとどまるところを知らず便利になるばかりだ。この便利さは科学技術の進歩によるところが大きい。私たちは科学技術について自分の頭で考え判断する力、知識を身につけるべきだ。にもかかわらず、小中高と上にあがるにしたがって、理科嫌いが増えるという。私立文系の大学に進むには全く理科の勉強は不要となる。大学に入っても一般教養の授業の拘束が弱まり、自然科学を選択する必要がなくなっているらしい。逆に将来技術者となるような人間が、倫理について学ぶ機会も減っているようである。これで21世紀人類に幸福はあるのか、というのが著者の問題意識としてある。私は、村上先生の授業を学生時代、「科学思想史」というタイトルの集中講義として聴いた。うまい落語家は羽織を脱いだりしなければ、どこまでがまくらでどこからが本題か分からないことがある。ちょうど村上先生の授業はそのようなものであった。科学史の本題かと思っていると少し横道にそれ、余談かと思っていると本題に戻っている。私のノートはそれらの横道にそれた話も含めて、ぎっしりとすみずみまで書き込まれている。このノートは今も私の宝物だ。2週間の間、一時も気を抜くことなく、必死に聴きながらメモを取った。こういう授業を自分もしてみたいけど、難しいよな。とは言え、村上先生の授業でも寝ているヤツはいたから(失礼な!)、やっぱり問題は聞き手の側にあるのかも知れない、と逃げておこう。本書を読んで、将来、科学者・技術者になるような人には自分たちの社会に対する責任・倫理を知ってほしいし、それ以外の人も、自分の頭で判断できる知識を身につけるよう学んでいってほしい。
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研究者やその支援者は、多くの場合、グラントの獲得と交付の維持に日夜関心を持ち続けている。「国家が科学研究の成果を、国家目的のために収奪」(p.26)していることの裏返しなのだが、当然それによるメリット・デメリットの双方を我々は享受している。この意味で科学研究は、社会の一部を構成するシステムともいえよう。
また意外に、研究を行う場である大学における教員に対する注文が厳しい。この点が他の科学史家、科学社会学者より目立つと思った。
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2000年刊行。著者は国際基督教大学大学院教授。科学技術をテーマにした書としては少し古いが、科学における科学者の倫理、社会への影響度への洞察、理工系教育等多面的な分野を解説。まぁ、新奇な書とはいえないものの、叙述内容は平易で、ある意味常識的であることを考えれば、読んで損はないと思う。