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踊念仏を広めた人物として中学校の教科書にも太字で登場する一遍の評伝。鎌倉新仏教のなかでもとりわけインパクトとの強い彼の本質であり迫力を、見事につかんているのではないかと思う。仏教への批判や偏見として知られる『天狗草子』を時衆の雰囲気を伝える資料として活かした叙述も、素人的には面白い分析手法と感じた。網野善彦さんが読んだら、どんな感想を抱いただろうか。
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アナキストによる一遍上人の評伝。一遍上人は、踊り念仏で各地を遊行してまわった偉いお坊さん。空也上人に影響を受けており、「捨ててこそ」という思想を実践した。仏教は極楽浄土へ行く方法として、他力とか自力とかいろいろ議論されてきたが、一遍上人は、人間の考えの及ばない力で救われるんだから、とにかくすべての執着を捨てるために、踊り狂って念仏を唱えようと考えていた人のよう。男も女も偉いも汚いも金持ちも貧乏も一切関係ない。現世のしがらみ、すべてを捨てて念仏を唱え、自分を破壊し、仏になっちゃいなよという感じ。
とにかく文章が読みやすく、力強い。「プレゼントにつぐプレゼント、そしてさらなるプレゼントだ」という表現など笑ってしまう。
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相変わらず栗原康は最高だ。
全て捨てろ、踊り狂え。
自分が取り憑かれている上昇志向、スキル身につけなきゃいけない信仰、生涯学習とかいう言葉、そういうのすべてNOだ。向上心、くたばれ。
踊るぞ、踊るぞ、踊り狂って死ぬぞ、
そんなことを思う。
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NHKBSで「英雄達の決断」という番組をやっていて、あるとき取り上げられていたのが一遍上人。そしてそのときコメンテーターとしてこの本の著者が出演しており、かれの“アナーキズム研究家“という珍しい肩書きと解説のわかりやすさに惹かれ、彼が一遍について描いた著書を読んでみることにした。
一般的な伝記とは異なり、独特の文体で描かれているので最初はやや面食らう。なんだろう、町田康みたいな感じ。
さすがアナーキストというか。ロックな感じというか。
一遍がいかにして浄土宗に帰依し、そして踊り念仏に目覚めて時宗の開祖となり、諸国を漫遊していくのかをきちんと史実に沿って描きながらも、おそらく著者が一番強調したい、一遍のメンタリティ「すべてが無常であるならば、いっそすべて捨ててしまえ。すべてを捨てて踊ってしまえ」という部分をロックな解釈を踏まえてダイナミックに記述している。
仏教のおしえについても、わかりやすく解説してくれていて、教養書としても読み物としても楽しめた。
すべてが無常だとしたら、いっそ捨ててしまうことが果たしていいことなのかどうかはわたしにゃわからん。
ただ、困ったら「南無阿弥陀仏」と唱えてみようとは思った。時宗は、信心があってもなくても、念仏を唱えれば救われるというのが教えで、そういう楽ちんな心のよりどころはとてもいいと思う。
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栗原が絵巻物『一遍上人絵伝』をものすごいドライブ感で実況中継しているような感じ。新約聖書の福音書のようでもある。
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とにかく一遍上人のかっこよさが伝わった。
僕もいらないものはすべて捨て、新しい人生を好き勝手生きてみたい。
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「自由」という単語を聞いてイメージするものは人それぞれ違うと思うが、私のイメージする自由がここにあった……!
こういう風に生きれたら、心の底から思えたら、どんな感情が待ってるだろうな
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図書館で衝動的に借りた。「無政府主義=アナーキスト」を自称するマルクス主義者による一遍上人評伝。同じ言葉なのに漢字表記だったりひらがな表記だったりと、表記が不統一で非常に読みづらかった。踊り念仏を実施するシーンで「フォー」などの根拠不明で意味のわからない擬態語がやたらに出てくるのも不快だった。一遍上人による仏教的な清貧思想と自身のマルクス主義的な私有財産権否定とを強引に重ね合わせただけの内容で、教義についての説明も一面的かつ中途半端なのもいただけない。