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ヨナタンのレビュー
コミュニケーションデザインを学ぶかたは、この本で「記号論」とは何か?の基本を押えておくことを強くオススメします。
ピクトグラムに文字はありませんが、言語を超えた共通の理解を共有できます。
レポートを書くうえでも、この本を土台とした組み立てをすると書きやすいです。
ことわざや広告・ナンセンス詩など、身近な日本語の表現を引きながらの考察が展開されていて、読み物としてもオモシロイです。
今後あるべき、情報コミュニケーション社会への洞察と予測が的確に論じられていて、
1984年に書かれたとは思えないほど、今の時代にとても当てはまっています。
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人間は、自分のまわりの事物に対して意味づけをしないではいられない存在である
コミュニケーションとは、自分が頭の中に抱いている抽象的な広義の思考内容のコピーを相手の頭の中にも創り出す行為
言語が有する固有の価値
実用的機能 すでに決まっている一定の意味内容を運ぶ手段
美的機能 言語そのものが新しい意味作用を生む ex. 詩的機能 既成の体制の枠を超え、新しいものを生み出す創造的な働き
コードとコンテクストの相補関係
ある人が本来慣習的に何らメッセージとして機能していないものに意味作用を認め(つまり、メッセージとして捉え)、自らの判断状況に基づいてそれに解釈を与える
主体的な判断(推論)のコード化→ことわざ、迷信
仮説の実際の妥当性はさまざまであるが、この仮説的推論という操作は人間が自分のまわりの出来事を自分との関連で捉え、それを自分を中心とする秩序の中で位置づけようとする主体的な営みの基礎にあるもの
主体的に判断する「人間」という要素が導入されることによって、「コード」に定められた意味と当事者の意図する意味との間に緊張関係の生じる可能性ができる。当事者の意図する意味は新しい「コード」の提案として、既成の「コード」を脅かし、時にはそれを改変してしまうこともある
当事者が自らの主体的な判断に基づいて、あるものが別のあるものを表していると認定すれば、その瞬間にそのものは「記号」になる。このやり方で、人間は事実上すべてのものを「記号」にすることができる
記号表現(シニフィアン)=指示物>記号内容(シニフィエ)
ex. 記号表現:OPENという言葉 記号内容:店は営業中である
シンボル的な「記号表現」としての規定だけを確実にしておけば、「記号内容」は十分その存在が暗示される。 ex.ナチの鈎十字
記号の機能 「意味づけする」「価値づける」
意味が記号内容の場合、指示物が記号内容の場合
固有名詞は指示物が中心 ex.新加勢大周
広告は指示物が意味に合わされる。
一般化した捉え方を定着させるのが「記号」である。「指示物」でなく「意味」を通例その「記号内容」とすることによって、問題となる対象なり事例は特定の空間、時間の制約から解き放たれる。
記号はその意味を通じてのいわば「虚の指示物」を創り出す。
イコン(類似性)ーインデックス(近接性)ーシンボル(無契的)
アイコン=類似性に基づく有契的記号 赤いボール→赤い丸形のプラスチック板
インデックス=近接性に基づく有契的記号 空間的近接(出口を→で表す) 時間的近接・因果関係(雨を黒雲で表す) 全体に対する部分(王を王冠で表す)
シンボル=無契的記号 Aで赤いボールを表す
表示義(デノテーション) 文字通りのバラ
共示義(コノテーション) バラで「愛」を意味する
記号→文→テクスト
テクスト 統辞的単位間に何らかのつながりがあるもの
ミクロ的レベルのテクストのコード ex. 接続詞、時制、法、相
恣意的
��語という記号体系がどれくらい「実の世界」への依存から解き放たれて、自らの「虚の世界」を自由に創り出す可能性を持つようになる。操作、創造が自由になされうるようになる。
ex. 時間的に継起した出来事を回想風に逆の順序で再構成、現実の出来事を非現実であるかのように見立てる、実際には因果関係などなかったところにそのような関係の存在を想定する
主体の意図は情報の連続性というテクスト構成の基本的な要件をも無効にするくらい強い
何か(What)を伝えたり、表したりするためにメッセージを作るということではなくて、いかに(How)メッセージを作るかということがテクスト生産者の意識の焦点となる場
Ex. 恋人に書く手紙
言語の実用的機能と美的機能
美的機能=コードからの逸脱、解釈を迫る力
美シイ瞳ノ咲ク道
既存のコードに基づく解釈とコードを超えたメッセージの提案するコードの修正、この2つの間の緊張した「対立」を通じて重層的な意味作用(文学批評で言う「曖昧さ」の状態)が作り出される。コードとメッセージの緊張関係
新しい意味作用を生み出すきっかけとなるのは新しい「対立」の関係を創り出すということである
「美しい花が咲く」ということと「美しい瞳(の女の子)が現れる」ということ、既存のコードでは別の次元に属するものとして分類されている事項が、実は「対立」するものとして捉えられうるとメッセージは主張し、それに合うようにコードの修正を提案している。
「チチ」という語は「ハハ」と対立させる時、「ムスコ」と対立させられる時などによってそれぞれ違った価値を呈する。そして、基本的にはそのコードの中で「チチ」が対立しているすべての項との関係で生じうる価値の全体が「チチ」の記号内容を構成している→松岡正剛
コードに基づく意味作用では、対立する二項にとって基本的に重要なのは共通性よりも「差異」。新しい意味作用が新しい対立関係の設定によって起こる場合は、逆に差異よりも「共通性」が問われる。
主体が解釈を試みるという意思決定をしなければ「異化」はただのナンセンスとしてとどまるだけ。異化作用の「ふさわしさ」
ex. 芸術的な作品と対する場合によく感じる「そうでしかありえない」という印象、虚の世界が虚であるにも関わらず必然的であるというあの印象
自らを取りまく外界の対象や現象に対して自らとの関連という視点から意味づけを行い、コードという形で秩序化する、あるいは、コードに従ってメッセージを作り出したり読みとることによって、その秩序を修正したり、新しい秩序を創造したりする
人間が自らの主体的な判断に基づいて意味を読みとることによって「記号」化する、こういう過程を含めることによって「記号」と見なしうるものの範囲は事実上無限に拡がる。
「記号」としての文化的対象の「記号内容」は、それがその文化内で与えられている「文化的な価値」
「言語」の記号内容とは、「思想・感情の表現・伝達を機能とすること」言いかえれば、「言語」とは「記号として機能すること」
「言語」は「物言う記号」、多くの文化的対象は「物言わぬ記号」
人間はもともと「物言わぬ記号」���「物言う記号」に変えてしまう。 Ex. しゃもじ → 主婦連、草刈り鎌→革命
文化的対象の「記号」としての性格がもっとも明確な形で現れるのは、それが本来の表示義のレベルよりも共示義のレベルで機能するようになった場合 ex.弾く訳でもないピアノ、百科事典→余裕のある生活
文の構成原理「範列的」と「統辞的」
民話の統辞的構成 構成を見れば、みな同じ
2つの世界の対立自分たち=良い、他者=悪い →3つの世界 自分たちより相対的に良い他者、自分たち、自分たちより相対的に悪い他者
それぞれの世界の中で事が起こっている限りは、それはその世界の文化的コードに従ってのことであるから、予想されるような、それ故、新しくはない出来事である。それに対し、別の世界に入り込むということは、それが属していた世界にとっても、予想されなかった出来事であり、秩序を破ったということになる。このような出来事こそ物語るに値する出来事であり、物語はたいていそういう種類の出来事をめぐって展開する。
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池上嘉彦ですね。
高校生のときに現代文の教材で使用して、
それから気にはなっていた作品。
記号論。好きです。
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人間はさまざまな「記号」、とりわけ「言語」をあやつる。人間の文化的な秩序を確認し、維持し、機能させ、「記号」そのものを操作して、現実を超えた「虚の世界」を創造していくのである。「記号論」を具体例を交えてわかりやすく解説した一冊。
「人間は「構造化を行なう動物」であると言われる。自らを取りまく「外界」を主体的に意味づけ、価値づけ、自らの住む世界として秩序化していく。これは「自然」を「文化」に変える営みであり、そのような営みを主体的に行なうという点で、人間は本能に縛られ「自然」の域にとどまらざるをえない他の動物と異なるというわけである。」
私たちが当たり前に使っていた「言語」は「記号」なのであり、その「記号」は自然と人間の文化を規定していることになっていたとは!ちょっと難しいけれど、じっくり読むとすごくわかりやすく解説してあって、学問への道が開かれているように感じました!
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*購入
正直わかりにくかった記号論が非常にわかりやすく説明されていたと思います。課題内で利用した新書だったのですが、自分でもどんどん読みすすめたくなるほど読むのが楽しく感じました。
たとえも多く、純粋に読み物としても面白かったです。
入門書として非常によいと思います。
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小難しいことが書いてあるのかと思ったらかなり理解しやすく書いてあった。普通に読み物として消化できるし手元においておきたい一冊
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記号と書いてあるが,どちらかと言えば「ことば」という記号についての話だと思う.
普段,何気なく使っている「ことば」だが,記号の観点から見ていくと感心する所や新たな発見がある.
一度読んだだけでは全て理解できていないので再読の必要あり.
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[ 内容 ]
いま広範な学問・芸術領域から熱い視線を浴びている「記号論」。
それは言語や文化の理解にどのような変革を迫っているのか―。
ことわざや広告、ナンセンス詩など身近な日本語の表現を引きながらコミュニケーションのしくみに新しい光をあて、記号論の基本的な考え方を述べる。
分かりやすくしかも知的興奮に満ちた、万人のための入門書。
[ 目次 ]
1 ことば再発見―言語から記号へ(記号とは、符号とは? 「言語創造」 ほか)
2 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーション―伝達をめぐって(コミュニケーション 伝達の仕組み ほか)
3 創る意味と創られる意味―意味作用をめぐって(記号と意味作用 分節と意味作用 ほか)
4 記号論の拡がり―文化の解読のために(記号の「美的機能」から芸術記号論・詩学へ 文化記号論へ向けて)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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この本も論文を書き始めた頃に読んで参考にした本です。詩の言葉をどのように考えたらよいか、その基本原則を教えてくれます。
内容(「BOOK」データベースより)
いま広範な学問・芸術領域から熱い視線を浴びている「記号論」。それは言語や文化の理解にどのような変革を迫っているのか―。ことわざや広告、ナンセンス詩など身近な日本語の表現を引きながらコミュニケーションのしくみに新しい光をあて、記号論の基本的な考え方を述べる。分かりやすくしかも知的興奮に満ちた、万人のための入門書。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
池上 嘉彦
1934年京都市に生まれる。1961年東京大学大学院博士課程修了。専攻は言語学、英語学。現在、東京大学名誉教授、昭和女子大学教授
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記号論の入門書として紹介されていたので手に取った。
この分野は未体験なので眉間にしわを寄せながら読んだが、発見の多い本だった。
コミュニケーションというのは暗号解読をいつも自然にやっているようなものだし、詩というのは日常を越えた新世界への冒険だ。
占いの論理や比喩、コンテクストと主体の介入、祭りについての話も興味深い。
中盤~後半は統辞論も加わって記号のシステムについての話だが、言語ってよくできたシステムだなーと本当に感心してしまう。
ソシュールやエーコの記号についての本も読みたいところだが、用語や考え方が身につくまでこちらを反復して読んだほうがいいのかもしれないなあ。もっと難しいのだろうし…。
本の中で紹介されていた『シャーロック・ホームズの記号論』も読んでみたい。
記号性を持つのは言語に限ったことじゃないという例がいくつかあったので、日常生活で記号発見遊びをやってみると面白そうだ。
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記号は意味作用を持つ.この働きは一つには文節という働きによって特徴づけられる.これは事物間の共通点,相違点を区別する働きであり,記号の持つ本質的な働きである.実はその意味は固定されたものではなくむしろ創造的なものですらありえる.創造的な働きは読み手の,蓋然性に基づいた推論に基づくという主張がされている.言語は意味作用を持つという意味で記号の一例であるが.やはり創造的な活動が見られる.それは例えば詩や文学の形として現れるものだ.本の大半は言語,特に慣習的な意味作用と創造的な意味作用ということの対立・緊張関係にに関する話題で占められている.
おそらく筆者の興味なんだろうなと思いながら読んだ.後半部では記号の持つ美的作用ということに主題が移る.読み進んでいくとこれもまた言語におけるコードを超えた意味作用の創出であるということがはっきりしていく.
まあ,いろいろ考えながら読んでみた.
自分からすると興味深い点がいくつかあった.本文中では書かれていないが,上で「蓋然性に基づいた推論」と書いたもの,これはサイエンスの世界でアブダクションと呼ばれる推論とおそらく同一のものだと強く感じる.興味深い.また最後の方にあった詩歌と「祭り」の類似性に対する指摘も興味深いと思った.体系だってないので読みづらいけど結構面白い.
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全部で240ページ程なので、ページの分量的には確かに「招待」レベル。
でも、中身はなかなか難しい…。
本の中に出てくる例は、身の回りを思い返すと「確かにそうだな」と思えるけれど、そこから本題に入っていくとなかなか理解するのに時間がかかります。
「招待」とはいうものの、事前に知識をもった人が読んだほうがいいような気がします。
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ロゴとかサインとか扱う立場なのでそもそも学校で勉強しておけよ、という話である。(ゼミでS先生が取り上げてた記憶はある。)
言語学的なことよりも、商標として保護される対象が日本とアメリカ等では全然違う(アメリカでは色、音、におい、製品の見た目自体も対象)ことの要因は記号論の理解や法律への反映というのがあるんじゃないかとか思ったり。あと漢字とかなカナの存在も。
自分の、演劇見るコンピュータ妄想もここかな。批評理論のコードをDBにしてプログラムに詰めておけばいいんじゃないの?
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池上嘉彦(1934-)。専攻は言語学、英語学。
目次(抜粋):
Ⅰ ことば再発見―言語から記号へ―
Ⅱ 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーション―伝達をめぐって―
Ⅲ 創る意味と創られる意味―意味作用をめぐって―/1 記号と意味作用/2 文節と意味作用/3 記号と統辞/ 4 「テクスト」と〈話す主体〉
Ⅳ 記号論の拡がり―文化の解読のために―/1 記号の「美的機能」から芸術記号論・詩学へ/2 文化記号論へ向けて
246㌻。1984年、岩波新書、定価780円(2009年第43刷、税別)。
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ずっと興味はあったんだけど、なんとなく大学のとき手を出しそびれていた記号論。
仕事として広告という分野に関わることになったことで改めて勉強し直します。
面白いのは広告を始めとして「メディア業界」と記号論など学術分野の関係性。
サービスとして行なっている事象が研究対象であり、批評されつつ、
その研究結果を一番に取り入れ利用していくのもまた同じ主体だったりするわけで。
言葉や表現というものの持つ意味には敏感でいたいなと思います。
すくなくとも態度として。
言葉や表現そのものだけじゃないか。
特にいまのトレンドからするとデバイスの変化やそれに伴うサービスの変化が持つ意味(とそれにともなって変化する言葉や表現)に視点を移してた方が良いのかな。
あと2、3冊読んで頭に視点を叩き込みたいです。