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文章が合わなかった
アーティスト、天才的思想なのか話がどんどん途切れることなく、繋がっていて何の話ししているのだろうという箇所が多かった
考え方も極端な気がし、あまり参考にはならなかった
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著者が、とあることで禁酒を始め、とある理由をさぐりながら、しらふを続ける利点について述べている。禁酒の価値は現代の価値と思われていることの脱価値であるが、なかなか、その認識に至るのは難しいから、皆、苦労するわけである。ただ、その認識に至った人だけが、見えてくる世界があり、それは、その境地に至った人にしか体験できないものである。少し文体が回りくどいのは酩酊感を出すための工夫か、そうでもないのか。
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週4、5日酒を飲み、休肝日は意識的に設けなければならない。ふと気を抜いてしまえば、自然とアルコール飲料コーナーに足を運んでいる私にとって、この本に期待したのは、断酒のメリットのみだった。
しかし、断酒のメリットだけでここまでの文量は稼げない。それを知りたいなら、冒頭部分と、終盤だけでいい。
本書の大半は、飲酒に至るメカニズムと、それを乗り越える思考についてではないか。
著者が語る、飲酒に至るメカニズムは、
①人生は幸福なはずなのにつまらない。
②酒を飲んでいる間は幸福である
③これが途切れないように酒を飲み続ける。
かと。
そして本書の肝は、なぜ人間は①と考えてしまうのかという点。断酒者の思考を知る為に読んだ本だったが、これが意外なことに、人生論を説かれてしまった。それが意外に自分を省みるいいきっかけとなったのである。
好き嫌いが分かれる文章だが、一読の価値はある。
タイトルから期待していた内容ではないが、我慢して読み進めて欲しい。
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この本を読んで本気で酒をやめようかと思いました。すぐに思い直しましたが。テンポのよさは抜群です。なかなか本を読んで声をあげて笑うことがないので、ビックリしました。図書館で借りたので、買って持っていてもよいと思いました。手元に置いておきたい本です。他の作品も読んでみたいと思いました。
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よくもまあ、断酒だけのテーマでこれだけ書けるものだ。
アルコール中毒になると丁度良いほどほどのお酒とのつき合いができなくなり、全か無かの二択しかないのだろうか?
いずれにしても、体調もよくなり節約もできて、良いことずくめのハッピーエンドであった。
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20200320 酒好きな人が酒をやめた記録。アル中からの脱出というような内容ではなく。作家らしい心の遷移を主観的に表現している。よくわからなかったので何か作品を読んでみようと思う。
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星1.5。禁酒方法、素面の良さ、依存性の怖さを説いた本を期待し読んだが、一体何の話?という脱線蛇足脇道が9割で合わなかった…
以下好きな箇所(意訳)「断酒理由は不明。酒を飲む正気が降って湧いた酒をやめる狂気を歩道橋から突き落としたせいで、本人行方不明」「資産負債と同じく楽しみにはそれに見合う苦しみが必ず伴う」「自分を普通以下の阿呆と認識すると、逆の認識から生じる虚無・退廃から自らを救い、より多くの発見と驚き学びを齎す」「断酒で阿呆が賢くはならぬが、酒を飲むと賢い人が阿呆になる。そして阿呆はもっと阿呆になる」
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酒をやめるに至ったエッセイ本かと思いきや、そりゃそうだよな、グチグチグチグチ、グダグダグダグダ、そうでした、町田康でした。
真剣に読んでるとあれ?バカバカし…?となるこの感覚だけども、自分は普通以下のアホと思うとか、そもそも人生は楽しいものではないとかの認識改造については、酒関係なしに、楽に生きられるヒントを与えられたようでした。
実際、酒を辞めてから変わったことの最後の章を読んで、私も酒に逃げる習慣を辞めてみようと思った。
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ここ半年くらい、酒をやめたくていろいろな断酒本を手に取っていた。
その矢先、大好きな町田康がこんな本出してる、てか酒やめたの!?とびっくりして、久しぶりに読んだ町田康。
人生は普通苦しいもの、それを「楽しむ権利がある!」と毎晩酒を飲む…
人生を楽しむ者=勝者、人生を楽しまない者=敗者、というのは、ひとつの欺瞞
この解釈が私にはすごーく腑に落ちて、結果それから酒飲んでません。
ありがとう!町田康!
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めちゃめちゃ思い当たるフシがありながら、めちゃめちゃ笑い転げながら読んだ。私には普通の位置が高すぎた。大酒はやめます。
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私もタバコをやめた時筆者と同じような思いをしたことがあります。それまで感じなかった、草木の香りや食べ物の味のこれまでとの違い、空気や雨の香りまで感じられるようになったのには驚いた。
様々なことが敏感に感じられるようになったように思えた。
でも私は酒はもう40年以上飲んでるが、やめられない。確かにやめて得るものも多いと思うが、嫌なことを忘れられたり、普段言えないことを言えたり、やれないことをやれたり、夢見たりもお酒の力で出来たりする。お酒の友達は必要だ。私の人生には必要なのできっと私はやめないだろう。
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うーん、文体に癖があり、非常に読み辛かった…
自分を平均以下のアホと思う=酒なんて飲んでるうちはアホと考える、と捉えて、この本はおしまい。
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町田康は比較的面白い小説を書く人らしいと言った程度の認識で、氏の書いた小説はひとつも読んだことがない。
新聞の書評に大酒飲みがある日突然断酒をしたそしてそのご一滴も飲んでいないということを知った。書評では老いていく自分を冷静にみようとして断酒したように書いてあったが読んでみると確かにそうとも読めるが、なぜ禁酒するにいたったかのいろいろな思考の変遷が書いてあった。
要するに飲酒による快楽とは一種の逃避行動であり、それは本当に悲しみや不安から逃げているのではなくほっかむりをしている状態だということで、ほっかむりはいつか脱がないといけない。ならほっかむりはないことにしようというそういう話だった。常にしらふでいると頭もスッキリ、体型もほっそり、仕事のかっきりといいことずくめ。出費も抑えられ家計もバッチリといいことづくめのようである。
これにならってみようかなと思う。
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大伴旅人は大酒飲みだった。酒を讃むる歌十三首。
酒の楽しみは、人生の資産ではなく、負債そのもの。
マイナスのほうが大きい。
物事には、プラスとマイナスの面がある。酒はマイナス面のようが大きい。楽しみの本質は、酔い、であって数時間で消える。残らないので負債だけが残る。
嫌酒剤は、割が合わない。楽しみがないのに苦しみだけがある。
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人はどうせ死ぬ
ならば、毎日を少しでも楽しむのが生きる甲斐というもので
そのために人は酒をたしなむのだ
あらゆる酒害を顧みたとて、人はどうせ死ぬのだから
飲酒は別に悪いことではない
いやむしろ正しいことであるはずだ
それなのに、ホワイ?
そんな正当性にも背を向けて
なぜこの人は飲酒をやめてしまったの?
「しらふで生きる」はそれについて記した本である
それはいいがしかし
断酒の観念的ロジックに溺れるあまり
発心の動機をどこかに置き去りにしてしまった印象は強い
そりゃ、町田康の熱心な読者なら想像はつくだろう
犬や猫を残しての早死にを思うのが、きっと辛いんだ
でもだからといってもちろん
誰もがその前提を共有できるわけじゃないし
何事にもモチベーションというものは重要なのだ
救いを求めてこの本に手を伸ばす人もいるであろうことを思うと
動機をきちんと書かないのは片手落ち、怠慢、あるいは吝嗇ではないか
そんな気がする
とはいえ
動機を他者に依存することは
ある意味では責任の押し付けともなるわけだ
アルコールに依存する弱い心
すなわち自分の問題を
愛という言葉にすり替えて他者に背負わせるなど
あってはならないことだ
そう考えると、観念的ロジックに限定した記述は
むしろ潔いとも思える
かように、断酒とは倫理的な営みなのであった
結局、ストイシズムに酔ってるようでもあり
まあ…モノに溺れない人には馬鹿みたいな話かもしれないが