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宇沢先生が、自動車の効用について経済学的にどのように考えるか解説した本。んまぁおもしろかったが、自動車の効用と言うよりやはり経済学的な考え方の本だったかな。
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・日本の道路設計は自動車を使う利益にばかり目が向けられ不利益(=事故,騒音等公害)が考えられていない.
・自動車にかかる費用が自動車を使わない人にも分配されてしまっている.
感想:自動車を国家産業にするために意図的に目を背けてきた部分もあるのではないかなぁ..という感がある.じゃあ道路を歩行者が通りやすいよう整備しなおしましょうといっても,ある程度経済的に発展してしまうと特に都市部ではこれを是正するには膨大なコストがかかってしまう(新興国ならある程度可能?).
地方での新たな街づくりのあり方として考えると,ある程度の一極集中+車に頼らない街づくりはありなのでは?もちろん地方分権が進むことが前提ですが...
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たしかに、日本の道路は歩行者に配慮在る作りになってはいないが、中国なんかに比べると、運転手が歩行者に配慮しながら走っていることが多いことを鑑みれば、まし、と言えるのではないだろうか。
作者は、一貫して車を「悪」とみなしていたが、経済がここまで発展したのは車のおかげであり、今の生活にはなくてはならないものである以上、車が優先されてもしかたがないことなのではないかなぁ。と。
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日本の経済学界を代表する宇沢弘文氏による本であるということ、かつTPPでは経済学者では珍しく反対という立場で鮮明にしていたということで、彼の主張にふれておきたいと思ったので、手にとってみた。正直言うと、岩波でこのクオリティというのは頂けなかった。自動車社会に対する不安を考慮すべきという視点はそれなりに評価すべき点ではあったと思うが、議論の進め方がやや緻密さを欠いていた点で岩波らしさを感じなかった。なにより研究/執筆の契機となった問題意識の書き方が情緒的で具体的な論理に支えられたものではないところが好感が持てなかったのが、本書に対する強烈な感想である。感覚的に経済学に反感を持った人たちには非常に扇情的で共感は得られ、場合によってはバイブルとして位置付けられそうな本であるとは思うが、そこまでの思想的及び学問的含蓄はない。細かな点として、ホフマン法による統計的生命価値を批判しているところは、社会的/文化的価値を含めた生命価値に対する評価額を踏まえた現在の統計的生命価値の算出方法を知っている私にとっては的外れであった。仮に執筆時期において最新の統計的生命価値の算出方法がなかったとしても、著者の批判は建設的批判とは言えなかった。他にも必需品の価格弾力性についても現実味が不十分であると思った。なぜなら、必需品とはいいつつもその中身及び種類は多様であり、弾力性が低いと一様には決められず、むしろ牛丼などの現実ぼ例が示すとおり、価格弾力性は比較的高く、そしてデフレが問題になるほど価格が下がっているからだ。ただ負の所得税によるインフレ可能性については検討に値すべきである。最後に、あくまで自動車の外部費用を内部化すべきと主張している点で、留保という選択肢を持つ科学者としての姿勢を欠いて、推計の困難性のみを理由に物事に反対するといったことはなかったことに、皮肉にも安心した。また宇沢さんの後世の業績としては勿体無さを感じずにはいられなかった。
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社会的費用とは、「第三者あるいは社会全体に及ぼす悪影響のうち、発生者が負担していない部分をなんらかの方法で計測して、集計した額」の事を指します。本書は、自動車の利用が社会全体に及ぼす影響と膨大な社会的費用が発生している状況について、経済学者の視点から論述しているものです。発刊は1974年。論述に使用されているデータや時代背景はやや古いものの、現在においても根本的な問題は変わらないところから、社会問題を鋭く指摘した名著として、現在でも版を重ね、読み続けられています。新古典派経済学の限界、社会的費用の増大に伴うしわ寄せを受ける社会的弱者の問題、業界によって異なる自動車の社会的費用試算額など、これからの社会を考える上での重要なエッセンスがたくさん詰まっています。社会科学系の学生にはぜひ一読をおすすめします。
(2012ラーニング・アドバイザー/シス情SATO)
▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=258074&lang=ja&charset=utf8
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・他人の自由を侵害しない限りにおいて各人に自由な行動が認められるという近代社会の原理に照らし合わせたとき、著者は(とりわけ狭い路地において)自動車の自由な通行が歩行者の自由な歩行権を侵害しているという。
・自動車の通行権と歩行者の歩行権との衝突が激しかった時期の、いわば過渡期の作品という印象。かつて頻繁にあった「飛び出し」という歩行権の直接行動的主張が輪禍の一大要因であり、そして本書刊行当時(約40年前)と比べて今日では交通事故死者数はおよそ1/4まで減少していることを考えあわせると、この40年間で自動車の通行権と歩行者の歩行権との間に一定の秩序が出来上がったと見ることができる。ゆえに今さら歩行権の侵害などというものを取り上げる実益はあまりないように思える。
・また本書で批判されている非人道的な歩道橋はもはや新たに作られてはいないし、排ガスや騒音の規制も強化され、さらに飲酒運転などへの制裁が厳しくなったこともあり、総じて運転する側のモラルも向上した。著者の自動車に対する公憤は、正直なところ現代においてはなかなか共感しづらい。もっとも、この公憤のおかげで社会が良い方向に前進したことは忘れてはならないが。
・外部不経済の内部化を学ぶうえでのモデルケースの一つとして本書の価値は失われていない。第三章は熟読すべし。
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本日は、この本を読み返す人が
日本全国で何万人といるでしょう。
私もその一人です。
(2014年9月26日)
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著者宇沢の言い分のうち「他者の自由を全く侵害しない」という「近代市民社会の原則」の論がたびたびでてきたのには、違和感を覚えずにはいわれなかった。私はむしろ、各人が(あらゆる格好で)他人に迷惑をかけている(つまり他人の自由を、多かれ少なかれ侵している)というのが、都市とか集団社会の本質だと考える。勿論、だからといって、他人の自由の侵害を擁護するものではない、けれど、その「原則」を出発点にしつづける議論は、やや理想論にすぎるのではないか、ということ。基本的な部分では宇沢の主張にしばしば納得・感嘆させられたのだから、あまり極論に走られてはもったいない。
「名著」と呼ばれるにふさわしい、意義深い、社会への問いかけ。こういう本を読むと経済のことをきちんと勉強したくなってもくる。とはいえ、経済学者が前向きな(社会を導くことができるような)答えを見つけられないというならば、それは土木計画学の役割になる。
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昨年亡くなった宇沢弘文さんの代表作ということで何気なく読み始めたところ、とても面白い著作でした。自動車を引き合いにした、新古典派経済学の批判の書ということなのだが、それよりも1970年当時の自動車社会に対する世の無批判に対する憤りを読者に強く感じさせるところが名著たる所以なのだと思う。
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新古典派の経済学による非人間的経済発展による道路社会の構築を鋭く批判し、収入格差によって生じる環境格差や子どもの遊び場としての街路の喪失という矛盾を明らかにしながら経済学的指標を用いた分析からクルマ優先社会から人間のための社会への転換に向けた理論を構築している。近年アメリカを中心に注目を集めていた環境的正義の視点に当初から問題意識を持っていたことを感じさせる。
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1974年刊。著者は東京大学経済学部教授。車両保有台数に加え、交通事故被害が急増した昭和40年代半ば。水俣病患者に深い関心を寄せた著者が、問題山積の「自動車」に焦点を当て、一定の経済的便益をもたらすものは同時に余分な費用を不可避的に発生させる。その内実を著した書である。自動車が時代を反映するが、原発・火力発電所、大学、飛行場等々、多様な別物を想定することも可能だろう。勿論、費用の額・内実(化石燃料使用による炭素酸化物の増)、さらに社会的費用を賄う方法(ガソリン税・自動車税等)の解説につき古さは否めない。
が、その思考法は多くのテーマに応用可能であり、発想法を咀嚼するという現代的意味は失われていないだろう。
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自動車にたいする経済的・社会的価値がますます高まっていた1970年代にあって、その負の効用について警鐘を鳴らし、そのコストの取り扱いについて具体策を提起した書。この時代にあってこのテーマということで、著者の先進性は際立っています。
第1章「自動車の普及」では自動車普及の歴史が、主にアメリカを中心にして語られます。
ここで自動車の普及が様々な経済分野の発展に寄与したことに一定の評価を行いつつも、騒音や環境汚染などで市民生活の質を劣化させた点を指摘しています。
個人的に興味深かったのは、フォードの「Tモデル」がアメリカにおける自動車普及を飛躍的に高めた点。1900年にはわずか4000台そこそこの自動車生産台数が、1920年には実に200万台(!)をこえるようになったのは驚異的です。
そして、1956年に導入されたハイウェイ・トラスト・ファンド制度。これによって自動車用ガソリンに課税された税金はそのまま全額が新しい自動車道路の建設に充てられるようになったのですが、その巨額な資金が一気に道路網を拡充させたことは想像に難くないでしょう。なんとも思い切ったことをしたものです。
第1章の後半では、自動車の急激な普及が様々な弊害を生み出し、それによって環境や市民生活に配慮した制度の導入が徐々に進んできている、そのようなストーリーが展開されるのですが、これはおそらく第2章「日本における自動車」に対する布石でしょう。要するに「世界はこのように改善の兆しがあるのに、日本ときたら・・・」といったレトリックであるように感じました。
第2章「日本における自動車」では、日本の自動車の普及状況が批判的に語られます。数字を用いた定量的な議論がある一方で、いささか感情論的な指摘も多いのですが、このような感情的な指摘は著者の議論の ”冷静さ” を減じさせる印象しか残さないため、個人的に残念です。
ただ、よほど著者が当時の自動車の普及状況に憤懣やるかたなかったのかを理解できます。
第3章「自動車の社会的費用」が本書のハイライトです。まず社会的費用とはなにか?ですが、私はこの用語を全く知らなかったのですが、以下のような定義みたいです。
「ある経済活動が第三者あるいは社会全体に対して直接的あるいは間接的に悪影響を与えるとき、そのうち発生者が負担していない部分を何らかの方法で計測して集計した額を社会的費用と呼んでいる。」
従来の社会的費用は「ホフマン方式」と呼ばれる方法が主流なのですが、これについて異を唱え、別の集計方法を提示しているところに本書の独自性があると思います。
「ホフマン方式」を簡単に説明すると、例えばある人が交通事故で命を落としたとして、その人が命を失わなかった場合に生涯でどれくらいの所得を稼ぐことができたかをもって損失額をはじき出す手法です。この場合、無職の方が命を落としたケースを計算すると、極端な言い方をすると損失額はゼロと結論されることもあり得ます。著者はその非人間性を批判します。
そして議論は「ホフマン方式」が前提としている新古典派の理論への批判と移っ���いきます。
この「新古典派」の理論はいろいろな特徴はありますが、要するに人間を生産及び消費のイチ要素と捉え、その活動の経済的価値(つまり金額)を市場の評価と合わせて算出する、といった点が大きいとうけとりました。
著者はこのような新古典派の考え方を批判します。自動車の生じる騒音や公害は、社会的弱者がより多くの弊害を被っていると考えられますが(金持ちが多く住むところに幹線道路は通さないし、金持ちなら住居を変えたりリフォームすることで対策を講じることができます)、彼らの生み出す経済的価値は相対的に低いため、従って社会的費用も低くなるためです。
この辺の新古典派の理論特徴の説明や、その欠陥を分析している個所はとても面白いし、とても勉強になります。
そのうえで著者は、人や社会に被害を与えない道路の要件を定義して、そのような道路を作ったり、既存の道路をそれに改修するための費用を見積り、これを自動車利用者に負担させる方法を提案します。
この費用はなかなかの額になると想定されるのですが、これにより自動車の最適数が維持され、同時に人や社会において好ましい都市構造を構築できるという効果が説明されます。これも一種の持続可能な社会といえるのでしょう。
本書は経済学の基本知識(すくなくともミクロ経済の知識)がないと少々読むのに苦労します。私は経済学の入門書(※)で経済学の知識を補いながら本書を読みました
(※)『入門 経済学』(伊藤元重/日本評論社)
本書は主な経済理論を網羅しており、かつ内容も平易なのでおススメです。
しかしながら、著者の新古典派への反駁はなかなか読みごたえがあります(これに対する個人的な反論もいろいろあったわけですが)。
自動車の社会的費用という課題と対策に関する様々な考え方・捉え方に触れられ、同時に経済学のお勉強もできる良書だと思います。
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現実の社会問題と経済学の理論とが、斬り結ぶさまを学ぶことができた一冊。
自動車という、それなしには考えられない事柄に対しても、批判理論を展開し、同時に理論的な枠組みを越えた社会規範についても論じられている。
社会経済における自由と公正に関する議論では、”応益負担””応能負担””応分負担”それぞれの方法の適応が課題となっている。最適な解はおそらく一つではないし、また、不変とも限らない。常に社会的な議論と合意形成の努力が必要であろう。
その際には、本書で示されているような、実際の課題を正面から論じる勇気、その理論と規範とを論じる知性が欠かせない。
今日、自動車に関して、新たな技術的、社会的状況も生まれている。どのように論じることができるだろうか。Jane Jacobs『アメリカ大都市の死と生』も合わせて参照したい。
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この本の後も自動車の保有台数は30年増え続けた一方で技術の進歩により改善に向かった問題もある。ただし自動車ビジネスに関わる立場の人は認識しておくべき問題提起であることには今も変わりはない。
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40年前のこのような考え方を著した事に脱帽.数値的には古いが社会的共通資本という考え方は色あせない.ただ現実のどう落とし込んでいくかと言うのは難しいね.