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【由来】
・「岩波新書を読む」で。これもかなりの基本書みたい。
【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
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車が当たり前の社会で、考えさせられる内容です。ペーパードライバーの私には、納得できることだらけでしたが、日常的に車に乗っている人は「そうは言ってもね〜」と否定的にみられるかもしれません。道は、本来歩行者のためのもの。高速道路などの自動車専用道路以外は、「自動車は歩行者の道を走らせて頂いている」くらいの意識で丁度いいのかもしれません。マイノリティーな意見だと思います。経済優先の社会では無視されるに違いありません。しかし、無駄なお金を負担し合っていることを、日本人は認識すべきかもしれません。
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こちらも読書猿さんの図書「はじめての新書」での紹介に
よるものです。ちょっと冗長なところもあるけど、こんな経済学もあるのかと軽いショックを受けます。
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昨今、これまで以上に自動車事故のニュース(とりわけ、あおり運転や高齢者ドライバーによるもの等)がクローズアップされている。私は自動車を運転しないものの、著者の名著に触れようと手に取ったものだ。
著者は、社会的資本である道路が誰のためのものなのか、歩行者でなく、自動車のためのものなのか、ということを迸る憤怒を交えながら(時には、自動車をガン細胞とも)、熱い思いで読者に語りかける。自動車保有率など、現在の状況とは符合しない点もあるものの、半世紀ほど前に刊行されたその警句的な示唆に富んだ内容に読者と著者の距離感が縮まっていくことを自覚してしまうほどだ。
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この本にある経済学的な思考は誰にでも備わっているべきである。我々は、社会的な価値判断を前提として生きている。しかし、その社会的価値判断は一度下されると、再び検討されることがない場合がある。それが問題となるのは、本書の主題となっている「自動車通行に伴う社会的費用の発生」といったような、社会的価値判断が結果的に我々に被害を及ぼしている場合と言って良いだろう。
1973年という、高度経済成長の盛りに上梓され、世に送り出された本書の提言は今もなお現実的なものとして、目の前で繰り広げられている我々の価値判断に伴う社会的活動を考え直すきっかけと、その際に必要な思考の土台を読者に対して提供している。
当時、社会問題となっていた「公害」も、今日における「気候変動問題」も本書の射程である。
本書を読むことによって、「自らがどのような社会に生きているか」「どのような社会に生きるべきか」が見えると同時に、いかに、「日本社会における都市構造と自動車交通」を含めた社会人インフラストラクチャーが「非人間的」かつ「環境不適合」なのかが自ずと感じられることだろう。
21世紀が始まって、20年を迎えようとしているが、度重なる自然災害に、凶悪事件、自殺、交通事故、原発の問題など、様々な社会的価値判断が引き起こしてきた問題が眼前に山積している。
新型コロナウイルスという「社会的脅威」が我々を脅かしている今日こそ、本書を読み、ありうべき社会とは何か、そしてそれはいかに造られるべきかを考えることは有益である。
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少々の時代遅れ感は否めないが、社会的費用という概念を学習するにはベスト。
企業は機会費用という概念が好きだが、同じように見えない費用として社会的費用は改めて見直されてもいいのでは。
例えば「某OSの社会的費用」。僕らは1年のうち何時間ただグルグル回るアイコンを見させられ、ハッカー対策に幾らのお金を使っているのか?なんてね。
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著者も書名も知っていたけれど未読のまま数年。書店でたまたま目に留まって購入。
B/C分析は2020年の今も道路計画を評価するベースの考え方だが、冒頭でさっそく斬り捨てられていて笑ってしまった。
令和になってようやく歩行者フレンドリー(ウォーカブル)な計画が積極的に志向されるようになり、時代が追いついてきた感もある。
「社会的費用」と銘打っているものの、数値的な評価については紙面上重きを置かれておらず、159頁からの10頁ほどでまとめ的に論じられている程度。しかし、そこに至るまでの経済学の思考についても丁寧に述べられていて読みやすい。
宇沢モデルのような著名な業績からは離れた分野だが、名著として知られているのも納得。
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「自動車の社会的費用」宇沢弘文著、岩波新書、1974.06.20
180p ¥799 C0233 (2020.11.07読了)(2020.10.28借入)(2019.02.05/45刷)
いろんな方々が勧める本なのでいつか読もうと思っていたのですが、先日、日本経済新聞で、池上彰さんが、読書週間にどうでしょうか、と勧めていたので、この機会に読んでしまうことにしました。1974年のベストセラーです。
宇沢弘文 略歴(日経の記事より)
1928年生まれ
1951年、東京大学理学部数学科卒業
特別研究生となり、経済学の研究を始めた
1956年に渡米、スタンフォード大助教授やシカゴ大教授などを歴任した
1968年に帰国し、
1969年、東大経済学部教授に就任した
得意の数学をいかして60年代、数理経済学の分野で数多くの先駆的な業績をあげた
経済が成長するメカニズムを研究する経済成長論の分野で、従来の単純なモデルを、消費財と投資財の2部門で構成する洗練されたモデルに改良
1974年、「自動車の社会的費用」がベストセラーになった
交通事故や排ガス公害などを含めた自動車の社会的コストを経済学的に算出し、大きな話題を集めた
地球温暖化をはじめとする社会問題にも積極的に取り組み、発言・行動する経済学者としても知られていた
1983年に文化功労者、
1989年に日本学士院会員に選ばれ、
1997年に文化勲章を受章した
2002年3月には日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆した
2014年9月18日、肺炎のため死去、86歳
「日本における自動車通行の特徴を一言にいえば、人々の市民的権利を侵害するようなかたちで自動車通行が社会的に認められ、許されているということである。ところが、自動車通行に限らず、すべての経済活動は多かれ少なかれ、他の人々の市民的権利に何らかの意味で抵触せざるを得ないのが現状である。このことは、産業公害の例を出すまでもないことであろう。ところが、経済活動に伴って発生する社会的費用を十分に内部化することなく、第三者、特に低所得者層に大きく負担を転嫁するようなかたちで処理してきたのが、戦後日本経済の高度成長の過程の一つの特徴であるということができる。そして、自動車は、まさにその最も象徴的な例であるということができる。」(ⅲ頁)
【目次】
まえがき
序章
1 自動車の問題性
2 市民的権利の侵害
Ⅰ 自動車の普及
1 現代文明の象徴としての自動車
2 自動車と資本主義
3 アメリカにおける自動車の普及
4 公共的交通機関の衰退と公害の発生
5 一九七三年の新交通法
Ⅱ 日本における自動車
1 急速な普及と道路の整備
2 都市と農村の変化
3 非人間的な日本の街路
4 異常な自動車通行
Ⅲ 自動車の社会的費用
1 社会的費用の概念
2 三つの計測例
3 新古典派の経済理論
4 社会的共通資本の捉え方
5 社会的コンセンサスと経済的安定性
6 市民的自由と効率性
7 社会的共通資本としての道路
8 自動車の社会的費用とその内部化
Ⅳ おわりに
あとがき
●欠陥道路(5頁)
自動車事故による死亡者が年々二万人にも達し、100万人近い負傷者が出ているにもかかわらず、歩・車道も分離されていない欠陥道路に依然として自動車の通行が許されている。そして、都市と農村を問わず、子どもたちにとって、自動車を避けるという技術を身につけることが、生きてゆくためにまず必要になっている。これまで貴重な遊び場だった街路は自動車によって占有され、代替的な遊び場もない。
●社会的害毒(10頁)
自動車の通行によって、都市環境は破壊され、自然は汚染されてきた。そして、市民生活の安全を脅かし、社会的な安定性は失われつつある。
☆関連図書(既読)
「欠陥車と企業犯罪―ユーザーユニオン事件の背景」伊藤正孝著、現代教養文庫、1993.03.30
「クルマを捨てた人たち―自動車文明を考える」田中公雄著、日経新書、1977.03.25
「自動車が走った―技術と日本人」中岡哲郎著、朝日選書、1999.01.25
「自動車絶望工場」鎌田慧著、現代史出版会、1973.12.05
「自動車王国の暗闇」鎌田慧著、すずさわ書店、1984.04.10
「アメリカ自動車幻影工場」鎌田慧著、潮出版社、1985.11.25
(2020年11月11日・記)
(アマゾンより)
自動車は現代機械文明の輝ける象徴である。しかし、自動車による公害の発生から、また市民の安全な歩行を守るシビル・ミニマムの立場から、その無制限な増大に対する批判が生じてきた。市民の基本的権利獲得を目指す立場から、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の方途をさぐり、あるべき都市交通の姿を示唆する。
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社会的公共財としての道路を使用する自動車の社会的費用の賦課方式は、自動車保有と使用に対してなされる。理想的道路の構造および自動車な公害防止基準に依存する。観光道路も同様。
歩車分離、自転車道、歩行者保護や公害防止等の為、自動車重量税、ガソリン税が使われるべきと言えるが、すでに一般財源化されており、どう手立てしていくかは課題。
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日本のモータリゼーション期に生じた負の側面が思い起こされる。半世紀経ち、少なからず改善されて来たとは思うがまだまだ。社会的費用の観点は初めて知った。
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同時期に発売されたシューマッハーの『スモールイズビューティフル』と土地の扱いに関する提案でほとんど同じことが書いてあったことに、そしてこの提案が今ほど必要な瞬間もないと痛感することに、驚き。
多くの人に読んでほしい。
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筆者は自動車の社会的費用を分析するにあたって近代経済学の重要な柱である新古典派理論の限界を指摘している。と同時に、社会的費用の発生を許す経済活動自体、市民の基本的権利を侵害しているとの論理で展開する。
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「資本主義と闘った男」宇沢弘文氏の名著。自動車に限らず、任意の製品や仕組みを導入するときに、社会全体でどのように費用が発生しているのかという思考実験を実演している。本書が出版された1974年は世の中に急速に自動車が流通され始めた時代であり、政府が一斉に高速道路の建設など、社会を自動車向けにし始めた時代でもある。社会の変化において、何か恣意的な変化をもたらす場合には、その変化にかかるコストとベネフィットを精緻に比較する必要がある。宇沢氏の問題意識としては、当時の時代状況として、自動車のベネフィットをことさらに主張する人間が多く、コストについて今一度目を向けるべきであると主張している。結論を先取りすれば、道路建設による非人間的な横断歩橋の出現に地域の人々の不便さ、道路建設による自然破壊、排気ガスによる環境破壊、自動車事故による死亡者・後遺障害が残ってしまった人の逸失利益などがコストとして挙げられる。また、非人間的な横断歩橋の出現や自動車を中心に作られた道路建設は、街の形を変えてしまい、結果として自動車に乗れない老人や子供に不利益を与えているという。製品や仕組みを導入することによる、格差の拡大にも注目しているところが新鮮であった。自動車の増産や社会への流通は、社会全体の利益向上のために行われているものである一方で、社会が自動車中心になっていくことによる不利益を老人や子供が受け、格差が拡大されるという論理は、人間の社会にとって何が大切なのかということを訴えかけるものであった。このようなコストについては当時の経済学の枠組みでは検証することができない。環境のような不可逆的な資本については、個人に帰属させずに社会で管理させなければならないという社会的共通資本の概念は、まさしく2021年の今、叫ばれているので、宇沢氏の先見性には驚かされる。『人新世の資本論』でも、社会的共通資本の類似概念である「コモン」の概念について詳しく記載されており、昨今のカーボンプライシングなどについては、まさしく宇沢氏の指摘する社会的費用を、実際の市場経済において価格に上乗せしようという働きかけである。そう言った点で、今も色あせない名著と言えるであろう。
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特に印象に残った部分 → 近代社会を支えている社会的自由の原則は、他人の自由を侵害しない限りにおいて各人の自由が存在しうるということを、一方では意味していた。ところが、自動車の普及によって、この社会的自由の原則は崩壊しつつあり、またこのことが自動車のいっそうの普及をたすけるという悪循環がおきてきた。(P171)
日本が経済的に大きく成長した時代に損なわれたものの縮図が自動車産業において強く現れていたのだろうか。
経済的な成長を優先し、人々の生活や環境を犠牲にするとは皮肉な結果と言わざるをえない…。
「TPPは社会的共通資本を破壊する」videonews.com
https://m.youtube.com/watch?v=29XZo5p_ZY8
https://m.youtube.com/watch?v=2QGXmHUsAyg
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自動車の社会的便益と社会的費用を比較して、社会的便益が上回れば望ましい公共投資として採択されるという新古典派の経済理論に基づく費用=便益分析は、所得分配の不平等化を引き起こす。また、従前の社会的費用の計測の試みは、人間を経済的側面でのみ捉えようとする考え方だった。筆者は、市民の健康・安全歩行の権利が侵害されないように、予め社会的費用が発生しないようにした上で、その社会的便益と建設・管理費用とを比較することによって、公共投資の配分が決定されるべきという。原発などあらゆるものに応用できる考え方だと思う。