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認知症診断のものさしを作った長谷川先生がご自身が認知症になった経験から当事者の視点で認知症を語る。認知症診断の歴史などにも振れることができる。
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認知症とは暮らしの障害、
認知症になったからといって、急に別人になるわけではない。これまで生きてきた続きである。
学生から医療関係者、一般の方までよむことを勧めたい。認知症とは脳の自然の変化である。
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作者が認知症という病に対して、医療者として向き合い続けてきた姿勢がよくわかる。
認知症という病とともに、その病に苦しむ人を診続けてきた姿に胸を打たれた。
医療・介護の限界を誰よりも知りながら、少しでもこの認知症という病に苦しむ人が、「その人らしく生きる」事が出来る様に働き続けた姿が、この本を通してよくわかる。
高齢者社会が更に進む中で、誰もが認知症の方に関わる社会になるであろうし、また自分がそうなるかもしれない。その中で、どうすれば「その人らしく」「わたしらしく」生きる事ができるのか?という問題を、私たちも考えなければいけないのであろう。
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認知症研究の第一人者の長谷川先生が、自分自身が認知症になり、患者の目線でも、認知症について語った本。NHKのドキュメンタリーにもなりましたね。
印象に残った言葉をいくつか。
認知症は、いったんなったら固定しているものに思われがちだが、そうではない。普通の時との連続性がある。ボクの場合、朝起きたときは、いちばん調子がよい。午後になると、わからなくなってくる。夕方から夜は、やることが決まっているので、何とかこなせる。そして、眠って、翌日の朝になると、元どおり、頭がすっきりしている。
同じく、自分が認知症だとカミングアウトした、オーストラリアのブライデン氏の言葉。「私は最も私らしい私に戻るたびに出るのだ」。最初の著書は、「私は誰になっていくの?」。認知症になって、私はどうなるのかの不安。でも、2冊目は、「私は私になっていく」。脳の表面にある、認知脳は失われても、その下の感情脳、そして、その奥の私自身になっていく。
その人の存在そのものを支えることが、「スピリチュアル・ケア」ではないか。
YH
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長谷川スケールを開発した、国内において認知症の権威である長谷川先生の著作。「認知症の診断基準」を作成するほど、この病を知り尽くしている先生でさえ、認知症にかかるのは防げないのだということを知ってから、ずっと読みたかった本。
高齢化社会において、認知症は身近な存在となりましたが、正直なところ、よくわからない病気でした。
認知症になったらどうなるか、例えば、物忘れがひどくなる、今日が何月何日かわからなくなる、というのは知っていても、認知症になったらどう感じるか、どう症状が進行しているのか、というのをわかりやすく、専門家としての見地もまじえながら、当事者が語ってくれる、たいへんありがたい一冊でした。
確かさが、あいまいになっていく病気で、今日が何月何日何曜日かわからなくなってしまう。
それでも、人間は、生まれたときから現在まで連続して生きていて、認知症になったからといって、昨日の自分の続きに今日があることに変わりはなく、そのひとがいなくなってしまうことではない、ということにハッとしました。認知症になったら最後、何も分からなくなると思っていたのですが、そうではないことに気が付きました。
生きることは老いること。老いることは生きること。認知症の認識が、読了前後で変わりました。
認知症になっても、それは「暮らしのしょうがい」であり、認知症とうまく付き合って共生することができる社会の大事さを説く長谷川先生。
ですが、絶対にやってはいけないこととしてクルマの運転をあげていたことが印象的でした。昨今のニュースをみるに、これからも認知症のひとが増えるからには、きちんと社会の側からも対応していくことが大事だと思います。
そのほかには、かつては痴呆は差別的な名称だとして、認知症という新しい名前がつけられるまでの経緯(ほかの候補は、認知障害、記憶障害、アルツハイマー、もの忘れ症などがあったそうです)、認知症治療の歴史など、興味深いことがたくさんありました。
NHKドキュメンタリーの方は未視聴ですが、みてみたいです。
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認知症になったら自分は自分でなくなるのではないか…急にすべてが分からなくなって、今までの自分はなくなってしまうのではないか…そんな不安がずっとどこかにあった。認知症は誰でもなり得るものであることを知っていたし、症状を聞きかじっていたし、何より身近にそういう人を見てきてその人の内面が全く想像できなかったからである。
しかしこの本を読んで、認知症になってもその人はその人であるということ、その人として扱うのが正解なのだという、非常に当たり前だけど大事なことにまず気づけた。認知症について自分の捉え方もだいぶ変わり、自分が認知症になった時についても、また他者が認知症になった時についても、今回この本を読んで学んだことは必ず活きる考えになるだろう。
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認知症の医療に関わる第一人者である長谷川先生が認知症の当事者として書かれた本。誰もが避けて通ることのできない老いに真摯に向き合う姿勢が素晴らしい。母の介護をすること、自分の衰えを突きつけられて重荷を感じることもあるが、誰もがそうして生きていることに勇気付けられた。認知症の患者と介護者のみならず全ての人に読んで欲しい。
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認知症のレジェンド長谷川先生が、認知症になってから書いた本。わかりやすい文章で読みやすいので、多くの人に読んでもらいたい。
認知症になっても日々は続くし、その人の本質は変わらないから、パーソンセンタードケア(その人中心のケア)が大切。認知症の人の話をよく聴く、待つ、その人に時間をあげる。
認知症の本質は、暮らしの障害だから、地域ケアで支える。
トムキットウッドの「オールドカルチャー(疾患中心の見方)」から「ニューカルチャー(ケアの質により大きく変わるとする見方)」と呼んだそう。
アルツハイマー型認知症になった義父を訪問した際に「みなさまはどなたさまですか?どなたかわからなくて困っているんです」に対して、長谷川先生の娘さんが言った「おじいちゃん、私たちのことをわからなくなったみたいだけど、私たちはおじいちゃんのことをよく知っているから大丈夫。心配いらないよ」と返したというのが素敵だった。
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認知症の評価として有名な改訂長谷川式簡易知能スケールを作った長谷川和夫さんの本。
頭でロジカルに理解しているけど、体感が伴わないと、真に理解はできていないことは多い。
そんな中、認知症の大家として有名だった長谷川先生自身が認知症になられて、当事者としての感覚を発信されたこの本は非常に勉強になった。
認知症についての知識だてげなく、認知症になった人の気持ちも理解できた。
なかでも、ハッとさせられる言葉が何個もあった。
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「認知症になったからといって、人が急に変わるわけではない。自分が住んでいる世界は昔もいまも連続しているし、昨日から今日へと自分自身は続いている」
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「認知症」と診断されると、ステレオタイプに「この人は認知症だから理解できいだろう」と当人と話し合おうとしなくなりがち。
でも、実際は理解できないこともあるけれど、理解できることもある。1人の人として尊重しなければいけないなと改めて思った。
また認知症の人に限らず大切なことを学んだ。
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「聴く」というのは「待つ」ということ。そして、「待つ」というのはその人に自分の「時間を差し上げる」ことだと思うのです。
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ぼくはいままで、人の話を聞いているつもりで遮ったり結論を先に言ったりしがちになっていたけれど、その根底には「相手に時間を使いたくない」と思っていたからかもしれない。だからこの言葉が胸に刺さった。
相手のスピードに合わせて待つことこそ「聴く」ことなのだ。
最後に、大忙しの中様々な実績を挙げられてきた人ならではの話。
90になった今でも、やりたいことがいっぱいあり、やらなければいけないと活動し続けている長谷川先生。
その秘訣は、「明日やれることは今やる」だった。
ぼくは今まで「明日やれることは明日やろう」だったけれど、人にはそんなに時間はない。
本当にやりたいことな、1文でもいいから前に進もう。そうするとそれが未来につながり希望になることを学んだ。
まだ、ほかにも言葉にしきれないほど学びがあった本だった。
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認知症の本だと思ったら自分史の本だった。逆に、認知症になってもこれだけ覚えてるぞという文献としての価値があるかもしれない。
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肉親が認知症になってからどんな人が認知症になってしまうのかよく考えていた。どんな人でもなり得ることと個人の尊厳を大切にするべきだということを優しく諭してくれるような本。
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認知症を発症した人が書いた原稿なの?と思うほど分かりやすい。ただ、認知症を発症してからのことに関する記載は期待してたよりも少なかった。
「認知症を発症したからといって、人が変わるわけではない。自分が住んでいる世界は昔も今も連続しているし、昨日から今日へと自分自身は続いている」
いわれてみれば当たり前のことかもしれないけど、こういう視点が自分に欠けていたことを自覚する。
もう亡くなった祖母にももう少し違う対応ができたんじゃないかと、気持ちがチクチクしてしまった。
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自分の親もそろそろ危ないかなと思いつつ参考になればと思い手に取った一冊。ご自身が認知症になったと公表された著者の長谷川先生はすでに90歳で、認知症界の長嶋茂雄のような人らしい。認知症になった認知症研究者による新たな発見が綴られていることを期待したが、とりわけそういう内容ではなく、むしろ先生が関わってきた認知症の歴史と先生自身の人生の紹介、認知症というものがどういうものかを一般の人向けに分かってもらいたい、という内容でした。
老齢に伴う認知症は基本的には治らないもののようだが、認知症と診断されたからと言って旧に別の人間になるわけではない、連続した人間なんだということを周囲の人が理解して接し支えることが必要なのかも。読んでいて、認知症の研究というのは人間の脳、記憶と人間の意識、人格の研究に繋がるのだな、と感じた。
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以前テレビのドキュメンタリで先生のことを知りあれからお元気にされているようで嬉しくなった。文体がわかりやすく、ユーモア混じりで読みやすかったし、認知症に関心のある方からない方まで、話題にあがった時におすすめしたくなる一冊となった。パーソン・センタード・ケア=その人中心のケア、という考え方は認知症に限らず発達障害や保護犬との関わり方にも通じるなと思った。"にっこりわらった女の子"の章がとてもよかった。こういう人になりたい、という象徴。認知症の診断や薬についても具体的に知れて、以前より関心があったので興味深かった。生きているうちが花っていう考えは悟っているけど、先生がいうとすごく説得力がある。具体的な夢があるのも素敵だなって思った。まだまだ浸透していない問題も山積みだけど、これから自分も年老いてどんどん接する頻度が増えてくるはず、そういうときに自分のまわりで悩んでいる人にいち早く手助けできる人間でありたいと思うし認知症とかに限らず、人ひとりひとりを尊重して、尊重されて生きたいと思う
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読み飛ばせる話が多い本だった。孫娘さん(著者のではない)がしたという対応の仕方と,認知症は死のことばかり考えなくて済むようになるために与えられたものという考え方は,参考になったかな。