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途中まではなかなか読み進められなかったけど、ある出来事を境に一気に進み出した。
「悪人」と評されていることだけしか知らず、その裏側まで想像することはなかった。
本書に描かれた「人間とは」を問い続け、自分が生きた証を残そうともがいた男としての久秀には好感が持てる。
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読後、すぐにwikiで松永久秀を調べてしまう。まさか信長に語らせる構成とは思わず、勝手な刷り込みも手伝って「信長ってそんな長々話す人だったっけ」と違和感があったのも事実。色々な描かれ方をする戦国武将だけれども、今村さんが描いた姿が事実であって欲しい、と思う。「八本目の槍」でも同じことを思った。天も神も仏もない、と思い続けた人生が、実に出会いに恵まれて豊かなものであった事が羨ましい。そして賢い。彼の言葉全てが楽しかった。戦国武将に思い入れはなかったけれど、今村さんのおかげで二人ほど好きな人が出来た。感謝。
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読みごたえあった。さすがにこのサイズだと通勤に持ち歩くのは無理で、家で寝る前に少しずつ読み進めたので、結構時間かかった(苦笑)
松永久秀の人生を、織田信長が小姓頭に語り聞かせる、と言う形で進む。
松永久秀と言えば、三悪を犯した悪人、と言うイメージが強いが、実際には前半の人生については、ほとんど分かっていないそうで、
だとすると、本当はこんな魅力的な人だったのかもしれないな。
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“戦国の梟雄”・松永弾正久秀。個人的な彼のイメージは、“何をしでかすかわからん、危険なオヤジ”といったところでしょうか。そんな一般的には“ヤバイ奴”の印象が強い、松永久秀の生涯が描かれています。
なかなかのヴォリュームですが、飽きさせず最後まで物語にのめり込ませる展開は流石です。
もう、松永久秀のイメージが180度変わりましたね。勿論、本書はフィクションであり、エンタメ要素も多分に含まれているとはいえ、久秀の壮絶な生き様に魅了され、美しいとさえ思いました。こういう解釈もアリですねー・・大アリです。
登場人物のキャラも魅力的で、久秀を筆頭に、彼の仲間となる皆がカッコイイです。
新鮮な気持ちで楽しめるエンタメ歴史小説、堪能させて頂きました。
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麒麟がくるにも登場する松永久秀について、織田信長が語るという形式で進んでいく。
松永久秀はこの時代の話には脇役としてよく登場するが、主人公になる話はあまりなく、信長を裏切った人、というくらいのイメージしかなかった。
本書の見方はどこまで本当かはわからないが、世の評判とは違い実はこうだったという別の解釈を提示していて非常に面白かった。
三好元長の目指していた内容はどこまで本当なのだろう。
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ひらがなで書かれても意味のわからないタイトルだが、漢字で書くと“人間”となる。人と人とが織りなす間という意味だ。主人公の九兵衛は、自らの体験から神仏はいないと思い込んでいる。神仏ではなく、“じんかん”に存する目に見えない力が自分を縛っているのだと。舞台は16世紀の戦国時代だが、コロナ禍に見舞われた現在にも通じる内容だと思った。なぜ罪もない人々が命を落とさなければならないのか。なぜ本当に助けを必要としている人々に支援が届かないのか……。500ページを超える大作だが、読むのを止められず一気に読んだ。
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内容(「BOOK」データベースより)
民を想い、民を信じ、正義を貫こうとした青年武将は、なぜ稀代の悪人となったか?時は天正五年(一五七七年)。ある晩、天下統一に邁進する織田信長のもとへ急報が。信長に忠誠を尽くしていたはずの松永久秀が、二度目の謀叛を企てたという。前代未聞の事態を前に、主君の勘気に怯える伝聞役の小姓・狩野又九郎。だが、意外にも信長は、笑みを浮かべた。やがて信長は、かつて久秀と語り明かした時に直接聞いたという壮絶な半生を語り出す。大河ドラマのような重厚さと、胸アツな絆に合戦シーン。ここがエンターテインメントの最前線!
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「じんかん」とは人の世という意味があるそう。
久秀という「にんげん」ではなく、久秀が繋いだ思いを描いていると思う。
織田信長が小姓に語るは九兵衛(久秀)という人物。そこから久秀の話に展開しているので、読みながらも信長の話の中に入っているような気がしてくる。
後半の戦描写はちょっとゴチャゴチャして読みづらいところもあったが、読後感はなぜか爽やかにも感じる。
個人的には多門丸が九兵衛と共にいてくれたらと残念でならない。
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時代の統治者にとって不都合な人物ゆえに悪の看板を背負わされた松永弾正の評価が変わりつつある中での渾身の一作。
私も鬼の形相の人物画を見たことはあるが、実際の弾正は見目麗しい端正な武士らしく、全編に彼の生き様が余す所なく描かれている。五百ページ超えの大作だが一気読みした。
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本を読む手が止まらない。次のページを早く読みたいと終始思えた本。自分の最もお気に入りの本になった。
九兵衛が、たった一つの目的を果たすために突き進む姿、そして人生とは何か?という問いをという突き詰めていく姿が深かった。
そして、多聞丸、甚助、日夏、新五郎、元長、義興、信長、又九郎など、九兵衛を取り囲むあらゆる人間たちの意思を作者が巧みに描き、物語に彩りを与えていた。
『何のために生まれてきたのか?』
自分も平蜘蛛のような金銭的価値でなく、思い出や魂のこもった何かを遺せる人生にしたいと強く思った。
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小姓の狩野又九郎が戦国の黎明期を駆け抜けた男、織田信長より伝え聞いたという形式の松永弾正久秀の一代記です。
表題の<じんかん>とは人間という意味であり、人と人が織りなす間。つまりはこの世という意であるそうです。
物語は九兵衛(久秀)の少年期より始まります。
九兵衛は14歳弟の甚助は11歳の頃です。
九兵衛と甚助は足軽たちに父を殺され、母が自害し、孤児となり、野盗働きをする少年たちの集団に拾われます。
そこのリーダーは多聞丸という少年であり、日夏という少女には九兵衛は字を教えてやることにより、心を通わせていきます。
仲間だった少年の一人、梟の裏切りにより多聞丸は窃盗に失敗し、仲間を殺され全てを九兵衛に託して死んでいきます。
九兵衛は裏切った梟を自らの手で刺し、生き残った甚助と日夏を連れて本山寺に厄介になるところから九兵衛たちの旅が始まります。
そして、ここが、久秀の原点となります。
キャラクターがいいと思いました。
九兵衛の聡明さ、賢さ。
甚助の健やかさ、勇敢さ。天真爛漫さ。
日夏が九兵衛を慕う気持ち。
九兵衛と甚助は本山寺から堺に行くことになり、日夏は「迎えに来て」と九兵衛に言いますが、九兵衛は「いい縁があれば嫁げ」と言い残し旅立ちます。
九兵衛は祐筆ができ、茶の湯をたしなみます。
甚助は猟師たちと猟に行くのが好きでした。
そして戦乱の真っただ中に入っていく二人ですが、大人になり三好元長の家に仕えますが、少年時代のことは、いつも忘れず建てた城の名に多聞城という名をつけます。
そして三好元長が見た「民が執る政」という遥か遠くにあるという夢を一緒にどこまでも追いかけていきます。
甚助や日夏とのあまりにもせつない別れもあります。
最後は織田信長にも仕えますが、最後の最後は落涙しました。
九兵衛の信条は<いつも人間が切り開く>でした。
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ぶ、分厚い・・・。
小説は普段は文庫本で済ませており、単行本を手に取るのは直木賞ノミネート作ぐらいなのですが、ハードカバーで500ページもあると、やっぱり迫力が違います。
内容も装丁の重厚さに違わず、著者の情熱や思いがいっぱい詰まった渾身の力作です。
斎藤道三・宇喜多直家と並んで戦国時代の三大梟雄と呼ばれた武将、松永弾正久秀(久兵衛)の一生を描いた作品です。
全部で七章から成っていますが、各章とも織田信長と小姓の狩野又九郎が案内役となり、かつて聞いた九兵衛の半生を回想して各章が始まる、というフォーマットになっています。
最初、いきなり夜盗の一味が登場して、幼い九兵衛もその仲間になるもんですから、歴史上に名を残した人物に対してずいぶん大胆な解釈をしたもんだなあと思いました。
この夜盗集団を描いた第一章が、一番スピード感と迫力があって面白かったです。
ただ中盤以降、三好元長に従事したり、後に天下の悪人と呼ばれるような所業を行ったりした際に、九兵衛自身が主体的に動いたというよりも、やむにやまれぬ事情で行動を起こさざるを得なかった、という形で物語が展開しているため、第一章で感じた破天荒さが年齢を重ねるごとに失せていくような印象を受けました。
まあ現代のサラリーマンも、年齢や役職が上がっていくたびに行動が窮屈になっていくような面は確かにあるので、共感は得やすいのかもしれませんが。
また、戦国の世で「武士のいない世の中をつくる」という考えのもとに行動する、という点も「軍隊がなくなれば戦争は起こらない」的な考えの焼き直しとしか思えず、若干の違和感を覚えました。
とはいえ、弟である甚助との関係はよく描けていますし、現代に通じる部分(例えばパニック時の大衆の行動とか)をうまく取り入れていた点も良かったと思います。
トータルでは十分楽しめました。
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じんかんってそういう意味なのか!
描きたいのが歴史じゃなくて人間なので仕方ない部分もあるけど、ちょっと登場人物の考え方とか心情や価値観など現代の感覚に寄り過ぎてない?と思った。
私は少し違和感あったけれど、そういう持ち味の作家さんなのかな?
その分読みやすくはあるので、歴史上の人物とか設定を使った現代小説という感じ。なんだったか忘れたけど、ちょうど別の作品で違う解釈の松永久秀を見た直後だったので、色んな見方があるのねと面白かった。
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戦国時代黎明期、織田信長をして三悪をやってのけた男と評される。
曰く、主家殺し。
曰く、将軍殺し。
曰く、東大寺の焼き討ち。
その男こそ、松永弾正少弼久秀。
織田信長に二度も謀反を起こし、最期には信貴山城に立てこもり、茶の湯の名器”平蜘蛛”と共に爆死したと伝えられる。
神や仏がいるのなら、この世は何故救われない。
救われるべき民がこれほどいるのに死んでいく。
ゆえに、この世には神も仏もいない。
民に尽くし、主君に尽くし、仲間に尽くし、その汚名を全て背負ってきた男という解釈で松永久秀の一生を書きられる。
近年の歴史小説は明智光秀とか、石田三成とか、むしろ負けた側の将を描く名作が多い。
今村翔吾は「八本目の槍」を読んだけど、これは石田三成の死してなお残る主君を守る美学だった。
敗軍の将にこそ、後世に残らないドラマがあるはずだ。
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織田信長の回想という体で、梟雄・松永久秀を聖人のように描かれている事に違和感を感じる。
どうしても”松永久秀=三悪“に囚われてしまっているからかな。