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春樹訳。
「リッチな有名人になりたくないってわけじゃないんだよ。私としてもいちおうそのへんを目指しているし、いつかそれにもとりかかるつもりでいる。でももしそうなっても、私はなおかつ自分のエゴをしっかり引き連れていたいわけ。いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの」
イノセンスの中に生きようとする人達とその行く末。
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春樹訳。
「リッチな有名人になりたくないってわけじゃないんだよ。私としてもいちおうそのへんを目指しているし、いつかそれにもとりかかるつもりでいる。でももしそうなっても、私はなおかつ自分のエゴをしっかり引き連れていたいわけ。いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの」
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村上春樹が翻訳を手がけたせいもあるのだろうが、物語のストーリーといい、その背景に漂う雰囲気といい、まるで村上春樹の初期の作品そのもの。
ホリー(ヒロイン)の人間性や性格も、村上春樹の作品に出てきそうなタイプで、村上春樹がこの作品から多大なる影響を受けたことは想像に難くない。実際に訳者あとがきでもそう述べていたと思う。
個人的には、ホリーとある人物の再開後のシーン(本書P.113〜117)が圧巻。
こういう寂寥感漂う小説、好きですね。
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有名すぎるから読んでみたかった。
これ映画で観るだけのがいいかも…いや観たことないんだけど。
思った以上にまったりで、あんまり面白くなかった。春樹訳だから?残りの2話どうしよう…
とりあえずあとがきは読んでみるか。
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ホリーが凄く魅力的。醸しだしている雰囲気が良い。「ティファニーで朝食を」以外の短編を含め、結構過激な表現や展開が多くてびっくりした。
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はからずも映画のパッケージすら覚えてなかったので,
僕のホリーはオードリーより断然かわいいっす.おほほん
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村上春樹訳。名作。映画はまだ見てないんだけど、小説で満足してしまった感があるな・・・。
思い出ってのは、単純な過去とか記憶とは違うんだな〜と思わせる話。
でもそれがいいものとは限らないよね。無理にでも一緒になってしまったらいいのに、と思った。
感情移入しちまって、自分だったらって話になってしまうが、ホリーが去ったあと辛すぎると思うんだよな。作中で直接語られないし、猫のエピソードで綺麗にまとめられているけど、本当の所は後悔の激情が大変なことになっていたんじゃなかろうか。
読んでてひどく切なかった。
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映画はまだ観た事がない。
でも、どうしてもオードリー・ヘプバーンの顔が浮かんでしまう。
それが、とても残念。だって、全然違う。イメージと。
卑猥な発言等があっても、なんだか清々していて、爽やかで気持ちがよかった。
他の短編もとてもよい。私の会った事がない人間に出会えた。
村上春樹訳ってのが、またいいのです。文体が好きなので。
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村上春樹訳と言う点が気にはなるが、すごくきれいな文章であった。個人的に短編、中篇は消化不良になることから好みではなかったが、カポーティの文章はしっくりきた。
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麗しき美女ホリー・ゴライトリーと「僕」を軸に、物語は自由奔放に、芝居のようにくっきりとした場面ごとの輪郭を伴って進んでいく。
「人は誰しも、誰かに対して優越感を抱かなくてはならないようにできている」 村上春樹により瑞々しさを得た、トルーマンの綴る言葉が刺さった。
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自由か所有か。ロマンチックさと物悲しさがきれいだ。ティファニーはどこなのか、何なのか。ティファニーが前半後半で使われ方が違う。
それにしてもカポーティは実はホモと聞いてなるほど納得。それにしちゃ、(だからか?) ホリーの女らしさは違和感がない。個人的には清潔感もあるとすら思える。所有に執着しないから、さばさばしているせいか? あと、フレッドは誰といえるのか。唯一ホリーのものだったフレッド。黒い服の女は? あと、アカっぽいって、私、垢だと思ってたよ…映画で気付いたけど、redじゃんかよ…ぐすん。それにしても、久しぶりに、すきだわーこれ。
一番最後の、「クリスマスの思い出」もいい。物悲しさがわざとらしくない。笑っちゃうような、でも、悲しいんだ。
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野鳥のように自由な…ってどこかに書いてあった文句だと思いますが、ヒロインはまさにそんな感じでした。籠の中の鳥ではなく、自由で危なっかしくて生き生きした野鳥っていうイメージ。
カポーティも好きな作家さんです。冷たいけど、人間くささのあるお話を書く人っていう印象。
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美しい言葉。
儚いストーリー。
フィツジェラルドの文章を読んだときと同じ感覚だ。
しばらくはカポーティに傾倒するだろう。
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ゼミの先生に、「きみはホリー派か、アン・シャーリー派か」と聞かれて答えられなかったので今更ながら読みました。こんなに明るくいかがわしいことしてみたい、というわけじゃなくて、こんなに明るく自分の好きなように生きてみたい。自分の信念みたいなものが、まっすぐあるけれども、なんとなく陰のある人って、やっぱいいよな。個人的に、同時収録の「ダイヤモンドのギター」の救われなさも、なんかけっこう好きだけど。
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Breakfast at Tiffany's(1958年、米)。
時代を感じさせないというか、むしろ現代にこそ相応しいような、人格障害すれすれのヒロイン。その思想に共感することはできなかったが、「空を見上げている方が、空の上で暮らすよりはずっといい」というくだりで、彼女に愛おしさを覚えた。他人からは鳥のように自由に見える彼女が言うから、意味のある科白。心のままに生きるというより、心のままにしか生きられない人間が言うから、切なく胸を打つ言葉だ。彼女の自由は安息と引き換えで、疲労することは許されない。力尽きたら、それで終わりだ。そんな危うさを内包する女性を、悲劇のヒロインにしたてるのではなく、名もない「ぼく」の思い出として、淡く美しくまとめ上げている所に、この物語の魅力があると感じた。