投稿元:
レビューを見る
本書は「わかりやすい」です。著者である武田砂鉄が「わかりやすさ」について批判しているだけの内容だからです。
しかし,これで「わかった」と思うと「わかりやすさの罪」に陥っています。「「わかりやすさ」について批判しているだけの内容」と言ったとき,では具体的にどういうことを表しているのでしょうか。本当に批判しているだけの内容なのでしょうか。それだけでは表せない何かはないのでしょうか。
言葉で表現することは常に何かを「わかりやすく」しています。しかし,「わかりやすく」した結果,見えなくなるモノがあります。それを忘れないためには「わかりやすく」したモノを重ねることでわかりにくくするしかありません。その実践を怠ると「わかりやすさの罪」に陥ってしまいます。そうならないための実践を著者が身を以て示してくれている。それが本書です。
何かを理解しようと思って「わかりやすく」する。しかし,それは理解の終わりではなく,理解の始まりであり,永久に続く理解の実践である。そのことを忘れないようにしなければならないのだということを教えてもらいました。
投稿元:
レビューを見る
わかりやすさを追求していくと、大事なことまで削がれていってしまう、と。なるほどなあと思いながら、こう一文でまとめてしまおうとする私も大概毒されているなと思う。
初めての事柄に、パッとわかる系のモノはとてもありがたいけれど、そればかりだと何も深まらない。自分で求めて深めていくことが楽しいと思うのだけど、それは時間の無駄と切り捨ててしまう人が増えたのかな。もったいない。
投稿元:
レビューを見る
読み終わったけど、内容の要約や批判が書きにくい。
その理由は、著者が自著『紋切型社会』のamazonの★1のレビューを引用して、わかりやすさや爽快さを求めることについて批判しているからである。
というか、結論を述べて「その理由は、」と書く論法自体をも批判している。
というか、本の内容の要約してさっさと内容をわかろうとすること自体を批判している。
何か単純化してまとめようとすることを拒む本である。アト6でライムスター宇多丸さんが言葉を選んでいた感じがよくわかる。
わかりにくいことはわかりにくいままに、わかりにくさは理解への入口という態度を続けていきたいと思いました。
投稿元:
レビューを見る
読むのが苦痛でした。
おそらく私の理解力が低いのでしょう。
わかりやすい文章を書く必要はない、わかりにくさから学べることもある、的な内容でしたか?違うかもしれませんね。読んでいてもよくわかりませんでした。
河合隼雄先生の本からの引用が度々出てきましたが、ご自身と一緒にして語って欲しくないというか…次元が違うと思います。
言語学やコミュニケーション論でもなく、ただ言葉をこねくり回してニヤニヤしているように思えました。楽しそうで何よりです。
投稿元:
レビューを見る
「わかりやすい」説明や言葉、考えがどういう現象を生むのか。また逆に、ある現象について、その要因を探ると「わかりやすく」した結果である、ということなどが書かれている。
わかりにくいと突っ込まれることを拒まないこの本を読みきれるかどうかは、著者の考え方に同意できるかに依るような気がする。そうするとわかりやすさを何にでも求める人にはその"罪"は届かない、見えないことになり、もどかしい。
私はほとんど、そう、そうだな、と思いながら読んだ。ある現象の陰に「わかりやすさ」があるという分析には感じていたもやもやが晴れたし、わかりやすさを拒否することがどういう流れを生むのかというのもおもしろかった。
投稿元:
レビューを見る
なぜなら、要するに、情報過多社会の中で思考の近道をすべく「わかりやすさ」を重視してきた私たち。実際物事はそんな単純ではないはずなのに・・・。
著者武田さんの切れ味抜群。
投稿元:
レビューを見る
なぜ、文化(主に洋画の広告とか)はわかりやすいにカスタマイズされちゃうのか、ずっと考えてた時にたまたま見つけた本
個人に体を合わせにいく文化っていうフレーズ知れてよかったー
やっぱ本屋さんはすげー
投稿元:
レビューを見る
他の方のレビューで「感想が書きにくい」とありましたが、確かにそうだと思います。なぜならこの本は要約された分かりやすい状態が人々に受け入れられすぎている現象を拒む一冊だからです。しかし私はこの本を読んだ感想をどうしても書きたいので、自身の感想のみをここに書き残そうと思います。
現代に蔓延る分かりやすさに、私はどうも馴染めないと思っていました。テレビ番組はまろやかな分かりやすさを提供していますが、インターネットでは、分かりやすさを推進する分かりやすいコンテンツをいたるところで見かけます。これはインターネットの性質、インターネットのヘビーユーザーの性質上、こうならざるを得なかったという背景があるのではないでしょうか。テレビやラジオなどの音声メディアと比べて、インターネットは自ら調べ、選び、読むことを強制されます。しかし強制されている、強制するの関係はいつからか逆転し、ユーザーはインターネットより偉い存在となりました。使う者がいなければ、サービスは朽ちていくのだから当たり前だと思う方がいるかと思いますが、サービスがあって人々が集まる。この流れが本来だと私は思っています。
この逆転が起きたことにより、インターネットでは簡単に、短時間で、誰にでも分かりやすく読めるものが好まれるようになりました。これは定性的なデータではなく、定量的データとしても見られる事実です。インターネット側の人間は、そこに金の臭いを嗅ぎつけました。ここから、誰にでもわかりやすくまとまっているものが好まれ、大量生産され、分かりやすさ至上主義の時代が到来し、人々の思考を塗り替えていく流れが生まれたのだと思っています。ここまで考えたところで、私はようやくこの本と出会いました。偶然に。
大変失礼だとは思いながら、感想を書く前にあらかたの感想を拝読しました。低評価をつけている方の本棚をのぞき、高評価をつけている方の本棚ものぞきに行きました。もしかしたら分かりにくさを良いという人と、分かりやすさを良いという人では、読む本に違いがあるかと思ったのですが、別にそうではないことが分かりました。分かりやすさを好むか、分かりにくさを好むかは、行動にも、嗜好品にも表れない。おそらく一つひとつの物事に対して疑問を持つこと、本当にそうなのかということを考える習慣がついているかどうか、それだけなのだなと思いました。つまり、あらゆる事象に対して簡単に理解できることだけを抽出しない。面倒をあえてとるという姿勢。
投稿元:
レビューを見る
わからないという認識から、わかり始める。
教育の価値ってなんだと考えさせられる。
わかりやすいことが常に良い訳ではない。
投稿元:
レビューを見る
評価を点数化するのは放棄するけど確実に読んで良かったと言い切れる!
自分とは違うが故にわからない、理解できない、意見が違う思考、行動、立ち振舞いを認識できたおかげで自分の考えが明瞭になる(なりそうになる)と考えると他者のそれらには価値があると言えるのだろう
最近何度となく思っていた。ここで一旦止まってもう1回そもそも考えてみよう、そこの当然とされる物をもう1度疑ってみようと
すっかり飼い慣らされた自分はそこに書いてある事が理解しきれずに立ち止まり、戻り、調べ、考えた後にまた読むも疑問が消え去ったわけではない、という事がわかったな。と感じる
投稿元:
レビューを見る
分かりやすくなくたっていいじゃないか、分かりにくくてもいいじゃないか、選択肢が無数にあったっていいじゃないか(むしろ絞られてるのはどうなのよ)、分からないことがあってもいいじゃないか、分からないことをそのままにしておいてもいいじゃないか。分かりにくいことや曖昧なことを切り捨てなくてもいいじゃないか。
分かりやすいものを提供してもらうのではなく、自分の頭で考えようよ。
という本。
投稿元:
レビューを見る
近年、特にビジネスの場において絶対的な善となっている「わかりやすく伝える」ことを疑った一冊。わかりやすさが必要な場面もあるとは思うが、全てにおいてそれを追求してしまうと失われていくものがある。わからないからこそ人生は面白いし豊かなのだ。尤もこうやって内容を要約して理解した面して点数つけてレビューを書く行為それ自体が本書の中で手厳しく批判されていることもあり、私のような“批評家タイプ人間“は読んでいてなかなか辛いものがあった。第9章に出てくる映画『万引き家族』のあるシーンで笑った観客の話や第10章の明石家さんま論も(本書の主題とは少しズレるかもしれないが)興味深い。
投稿元:
レビューを見る
レビューは書きにくい。いや元から、つたない感想は書けてもレビューは不得手な私に、この本のレビューは書けない。
そもそも、本書で著者は、本の中身を簡単に要約して分かったつもりにさせること(なること)を問題だとおっしゃっているので。
いつも通り、個人的な感想を、、、
自分が望むか望まざるかは別として、どうしても、特にビジネスの場では”簡潔に””端的な言葉で”説明することを求められることが多い。そして、それを出来る人が=仕事がデキル人として評価されているのも事実としてあると思う。そういうことを繰り返しているうちに、まるで商品の説明のように、本来そんな単純には説明できるはずもない事柄までも、全て『わかりやすく』説明できることが、良いことであって優秀な人間の証、みたいになってしまっている。
でも、商品を紙面に限りある雑誌やネット広告で宣伝したり、秒数に限りのあるCMで宣伝したり、文字数に限りのある商品パッケージに説明を書くのとは違って、
何十秒・何十文字では説明できない事柄はいくらでもあるのに、と言うより、出来ないことの方が圧倒的に多いはずなのに、
商品なんかじゃない、人の心や考え方や、政治や経済や、そういったことまで、何でも『わかりやすく』したり、白黒つけたりしていることが、なんか変、なんか嫌!なんかむかつく!!と思っていた。それが良いこと・優秀なことなの?と。
特に、すごく嫌だと思っていたのが、特にネット界隈で見かける『論破』。
それから、政治界隈で見かける『理解が進まない』『誤解を与えた』『代替案を示せ』。
これらのことが、本書を読んで、自分の気持ちの置き場をもらえたと言うか、そんな気持ち。
ここからは、さらに超個人的に、あーやっぱり?と思ってしまったこと。
黒川伊保子さんへの違和感。さんまさんの番組がいまいち面白くないと思っていたのはなぜなのか。コーヒー吹いたって言う人多いよね(笑)
それから、「万引き家族」のある場面で笑いが起こっていたと言う話は衝撃だった。
と拙い感想を記してきましたが、こんな感想では、何も伝わらないと思うので、やっぱり本書は皆さん手に取ってじっくり読んでみてください。
投稿元:
レビューを見る
新刊が出るたびに
すぐに 手が出てしまう著者のお一人
武田砂鉄さん
今回も 十二分に楽しませてもらえました。
もうずいぶん前に
「(世界の、日本の)名作が、この一冊でわかる」
という本コンセプトの本たちが出てきた時に
「?・?・?・?」
と強く「違和感」を覚えました
その時の違和感を
文字にすれば
あぁ このようになるのだな
と改めて思いました。
どちらでも ない 自分
「わからない」から 面白い
大事にしていきたい 心構え です
投稿元:
レビューを見る
わかりやすさを、わかりやすくならないよう、思考の行ったり来たりを繰り返して考える本。武田さんの(公式なw)主張の軸となってるメッセージは、「万事は複雑であるのだし、自分の中の頭の中も複雑な作りをしているのだから、その複雑な状態を早々に手放すように促し、わかりやすく考えてみようよと促してくる動きに絡め取られないようにしよう」というもの。複雑さ、わかりにくさを処理していくことじたいが人間らしさであり社会活動において、多層的で多角的な視点に気づける素質だと思うのに、それを放棄してしまういろんな装置に、違和感を感じて過ごせるようになりたい。また、自分も仕事で、その単純化の一端を担ってしまっている気がするので、つねに相反する立場の「もう一人の私」を隣においておくくらいの気持ちでいなければ。