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■人が何を読んでいるのかはわかっても、人がどのように読んでいるかはわからない
■本というのは、長い時間をかけて世界のすべてを呑み尽くしてきたメディア
■本って実は背表紙を見ているときから読みが始まっている
■読書って二度するほうがいいんです。同じ本をね。というのは、読書にはその本のこととはべつに、いつ読んだのか、どんな気分で、どんな感受性のときに読んだのかということが、密接にかかわっている
■書物には「人」がくっついている
■本にはたくさんの「人の出入り」がある
■本というものは1人ずつに、なんと異なる読後感をもたらすんだろう
■授業はつまらなかったので、教室ではそれに関連する別の本を読む。先生が哲学や生物学や社会学の講義をしているあいだ、その先生の本と関連図書とをもちこんで、授業を聞きながら読むので、一種の「多重感覚読書」のようなことができるんです
■ぼくは自分がつきあったり、師事してみたくなった人の本は必ず読むということを徹底するんです。これも実は多読のコツかもしれません
■場所を思考や表現の下敷きにしていると、二重進行が可能になるんだとわかった
■「意識の流れ」と「実景描写」が二重進行している。場所を思考や表現の下敷きにしていると、二重進行が可能になるんだとわかった。これは、読書法のほうから言い換えれば、読書をするときに「場所」を下敷きにしながら読むという「二重引き出し読書」
■雑誌が読めれば本は読める
■やっぱり読書の頂点は「全集読書」
■読書というのはね、そもそもがマゾヒスティックなんです。だから、「参った」とか「空振り三振」するのも、とても大事なことです
ヘッドラインはそのメディアの歌い文句をあらわしている。歌でい
うなら「サビ」の部分なので、それが気にくわなければ読まないほ
うがいいでしょう(中略)また、ヘッドラインにふさわしい記事内
容になっているかどうかも、判断基準です
■読書には、守りの読書と攻めの読書があるんでしょう。それが「守読」と「攻読」
■本によって感じるレセプターのようなものを分けたり、連結させたり、とばしとばしにしていたり、ときにはオフっているからなんです。いわば「感読レセプター」
■読書というのは、書いてあることと、自分が感じることとが「まざる」ということ
■「読む」という行為はかなり重大な行為。単立した行為ではなく、複合認知。
■読んだ本が「当たり」とはかぎらないし、かなり「はずれ」もある。しかし、そこが読書の出発点。
■読書というのは、読む前に何かが始まっている。本はわれわれが読む以前から「読む本」になっている
■読書によって読み手は新たな時空に入ったんだという実感を持つこと
■こちらが無知だからこそ読書はおもしろいわけで、それに尽きます。無知から未知へ、それが読書の醍醐味です
■マーキングが読書行為のカギを握っている。マーキングの印をいろいろ決めておくといい。人名と概念を分けるとか、同意マークを分けるとか、著者の強調箇所と読み手が気になった箇所とに、別々のマーキングをするとか。なぜマ��キングするといいのか。すこぶる有効なことがあります。ひとつは読みに徹することができるということ、集中しやすいんですね。もうひとつは、再読するときにやたらにスピードが上がるということです
■メッセージが途中で変化しているのに、それでもコミュニケーションが成立すると思えるのはどうしてか。それは、社会のどこかに必ず「理解のコミュニティ」があるからです。そういう”理解の届け先”をそれぞれが想定しあっているからです
■「本をノートとみなす」
■本というのは著者の「ナマの姿」ではありません。「文章著者という姿」。著者は「文章著者」ですから、そこには文体があって、なんらかの「書くモデル」というものが動いている。それをズバッと見るのが読解力のための読書のコツ。
■執筆も読書も「双方向的な相互コミュニケーション」著者と読者のあいだは、なんらかの「コミュニケーション・モデルの交換」がおこっている。
■コミュニケーションでは「メッセージが通信されている」のではなく、「意味を交換するためのエディティング・モデルが動いている」
■人類が黙読ができるようになったのは、おそらく十四世紀か十六世紀以降のこと。それまではほとんど音読。
■人類の歴史は音読を忘れて黙読するようになってから、脳のなかに「無意識」を発生させてしまったのではないか
■「本は三冊の並びでつながっている」極端にいえば、自分だけの”三冊つなぎ”を作りあげるべきなんです。そこにこそ多読術が始まっていく
■どういう「ながら読書」をマスターするか
■読書は「わからないから読む」
■「読書は毒でもある」
■読書するにあたっては、書物に対してリスペクトをもつことも必要。馬鹿にして物事を見たら、どんなものも「薬」にも「毒」にもならない
■誰かに薦められた本は読むべき。その意味が十年後でもわからずとも、三十年後にわかろうとも
■読書はジグザグ運動で、ネットワーク読書活動
■書物を「良書」と「悪書」で分けるのだけはやめたほうがいい
■出来事や社会や世界を見るための視点は二つある。ひとつはオムニシエントな視線で、俯瞰的にその世界を眺められる「鳥の目」もうひとつはオムニプレゼントな目によってその世界に入っていって見る「足の目」
■コンピュータ・ネットワーク上のテクノロジーとコンテンツをいかに読書行為や編集行為と適合させていくかということは、その使い勝手がこれからの大きな課題。
課題?多くのソフトでは、知識や情報はピンポイントに引っ張り出されるために、自分がどのように「知の構造」と向き合っているかはわからない
課題?ピンポイントに検索しているということは、いちじるしく私たちの連想力を落としていることなんだということが、気づきにくくなっている。
■「知」には必ずアドレスがあり、「場所」があり、つまりは「来し方・行く末」がある
■本を贈りあう文化が日本に足りない
■欧米では子供の教育は「多読」と「討議」においている。
■読書は他者との交際
■読書の3R
リスク、リスペクト、リコメンデーション
■類書や似たような本はなるべく一緒に読むか、近い時期に読むかによって、想像以上に���く読めますし、アタマにも入りやすい
■そもそも思考や表現の本質は「アナロジー」であり、「連想」である
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本って奥が深いですね〜。
こっちに書評ではないですがちょいちょい書いてみました。
http://takeyas.belinko.net/2009/05/25/tadokujutsu/
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松岡正剛自身の読書体験を入り口に、読書の楽しみ方・耽り方・向かう姿勢(と書くと身構えちゃうかな(汗))、そして「読書」と「本」の向かう来し方、行く末を対話方式でまとめた本。
自分自身の読書体験や読書の面白さが重なる部分もあり(一つの本からいろんな方面に興味が拡散していき思わぬ所へ読みたい本が変わってしまうこととか)、また新たな発見もあり(本にマッピング-書き込み-する方法とか。これはワタシはあまりしてこなかったのですが、マッピングの方向性を視野に入れれば後から役に立つマッピングが可能なことを知ったのがなによりでした)。
また、どうしても「個人的な体験」になる読書を、どう「他者と共有する体験」に発展させるかについて、改めて考えさせられました。
欧米での「ブッククラブ」の存在や、「本をギフトとして贈る」習慣なんかも、貴重な情報でした。
(「本をギフト…」っていうのは、ワタシにとっては子供の頃からの最高のプレゼントだったのですけどね。…いまでもそうか(笑))
読書の他者との共有する体験にするための「場」について、都会ではなく自分の住んでいる田舎でどういう形で可能なのかな…といろいろ考えてみたりしました。
ワタシの住んでいる町は、「図書館」と呼べる施設はあるけれどもほとんど利用できる本がなく、「書店」も隣町に行かねばなく(でも松岡正剛の本などを購入しようとしたら、110km離れた札幌に行かねばならなかったりして)、つねづね危機感を感じていたので。
実際、「ほしい本」はネット通販という方法があるにはあるけれども、それだとターゲットポイントの本しか入手できなくて、本屋のような両隣の本との出会い、「こんな本が出てたんだ」という新鮮さを味わうことができなかったりしていて、そういう個人的な不満や焦燥感みたいなものに、この本は一つの方向性と可能性を与えてくれたような気がします。
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■本の内容・特徴
「千夜千冊」サイトを管理する正岡氏の人生で読書がどのように関わってきたのか、また正岡氏の読書論について、インタビュー形式でまとめられた本。
■目的
多読の必要性を知る。(シリーズ第3弾)
■感想
あまり満足できませんでした。私がこの本に求めたものとは違っていたので、満足度は★3つにしました。
しかし正岡氏の読書に対する思想を知るにはいい本です。インタビュー形式なので話が多岐にわたり、幅広く知ることができます。彼の本の読み方をモデルにして、ぜひ真似をしたい盗みたいと思う方には満足できる本ではないでしょうか。
私が参考にしたいと思えた部分は、「読書は編集」と「キーブック」についてでした。
■こんな人にオススメ 正岡氏に興味のある人
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最近感じていた、読書に対する自分の姿勢が、これを読んで少しかわりました。
そんなに肩肘はんなくていいんだ、って気持ちがすぅっとラクになりました。
むしろ、なにをそんなに凝り固まっていたのだ、自分よ、という感じ(笑)
読みたい本が多すぎて、でもそれに対する自分の読書量が追いつかない。
そのことにどこか苛立っていた自分。
苛立つ必要なんてないですよ。自分のペースで読むしかないですよ。
ってかそれでいいんですよ。 っていう当たり前のことを再認識。
もっと自由に。読みたい本を読みたいときに。ね。
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それぞれの生活シーンとそれぞれの読書。
とりあえず、朝から晩までの、それぞれの読書のスタイルを決めてみた。
本の3R
リスク・リスペクト・リコメンデーション
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【読書は”無知から未知へ”向うものであり、読前・読中・読後が存在する】
「読前」
―目次読書法
【目次を見て、ごくごくおおざっぱでいいからその本の内容を想像する。それによって自分と本との間に柔らかい知のマップのようなものを立ち上げる。知のマップが立ち上がると、内容が頭の中に入りやすくなる】
「読中」
―マーキング読書法
【読んでる最中に何を感じたかも、マークしておく。読書によって新たな時空に入ったということをリアルタイムに感じることが読書の醍醐味】
―マッピングで本を整理する
【引用ノートを用意して気になったフレーズやセンテンスを、“論理の面白さ””知的ジョーク”等の項目別に写す】
→【情報や知識は記憶構造に入れておくべきではない。頭の中に編集構造(場のようなもの)を入れていくように、自分なりのノートにマッピングしていく】
「読後」
―本は二度読む
【本は二度以上読まないと読書じゃない】
「読書の心得」
【本はわかったつもりで読まないほうがゼッタイにいい。読書は”伏せられたもの(書物)が開いていく(読書)”という作業】
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1).目次
1 多読・少読・広読・狭読
2 多様性を育てていく
3 読書の方法を探る
4 読書をすることは編集すること
5 自分に合った読書スタイル
6 キーブックを選ぶ
7 読書の未来
2).筆者の主張
・多読術とは、ロジカルなものではない。
・読書というものを生活体験と連動させ、本の意味の市場の中に位置づけ、読書行為を生活的な重層構造と捉える。
・読書プロセスには、読むだけではない。、読み手と売り手の間であり、読前、読中、読後を分断することなくつなげた。
・読書を神聖なものと思う必要はない。有意義なものとか特別なものと思わない。もともと多様なものであり、薬にもなるし毒にもなる。読書は常にリスクを伴うものと思ったほうがいい。
・本の責任は、著者3割、読者3割、製作販売3割、偶然1割である。それゆえ、読者自身が自分の得意な作法に照らし合わせ、会得しやすい柔軟な方法を身につけるほうがいい。
・人が何を読んでいるかはわかっても、人がどのように読んでいるかはわからない。ふつう読書体験は人にはわからないが、自分は千夜千冊として体験記としてつづっている。これは書評ではない。
・世界の本の総体は圧倒的な文字量になっており、言葉と意味が飛び交っている。人間と動物を区別するものが言葉と意味だとすれば、人間的なるものの源泉は、その大半が本にあると考えていい。読書をしようとして読書量を増やそうとしのたのではなく、そういうふうに記憶され、記録された世界と付き合ってきた。「
・読書って二度する本がいい。なぜなら、読書は本当は別に、いつ、どんな気分で、どんな感受性の時に読んだがに密接にかかわってくる。初読時の感想を今日の時点で眺める視線が必要。実際にかなりの開きがある。再読のきっかけは、読んでいるのに中身を思い出せない本がたくさんあったから。
・本は気分転換で読んでいい。
・雑誌であればヘッドラインを読んでみるといい。
・本の内容が頭に入らないのは、全力で読もうとしているから。
・本を読むときは、?良書、あった本を読む?じっくり読了する?自分のペースで読む。ただ、こういう助言は大体役に立たない。理解できなくてもいいからどんどん読む。読むということは、いろいろなものと自分とを一緒に感じることである。
・マーキングすることで、再読するときにやたらスピードが上がる。すでにテキストが入っているノートである。
・読書体験は消してはいけない。
・書くのも読むのもコミニケーションの一つである。
・似たものを読むのが速読術である。
・本を読むときには、書物を読んだら、本を閉じて頭の中でトレースしてみる。読書した内容を独り占めしないこと。
・読書はわからないから読むので、わかったつもりで読まないほうが絶対にいい。無知から未知へ。読書は何だって役に立つ。読書hが水たまりであり、見え方によって違ってくる。
・本から本へ、何かキーブックを探す。
・さまざまな読書をまぜこぜにしながら、遊びや息抜きを混ぜていく
・いい本に巡り合う確率は低い
・読書するときには、鳥���目と足の目の両方の視点から見る必要がある。
3).個人的感想
・自分の読んでい本と著書の読んでいる本の内容が違いすぎると感じた。千夜千冊の中で現時点で自分の読んでいる本はほとんどない。
・古い本や真面目そうな本が多いので、自分の読んでいる本とはずいぶん差があると感じる。もっとまじめな(?)な本を読んだほうがいいのではないかとも思う。まじめな本と考えるのではなく、多くの言葉と意味を知り、人間的なるものの源泉を探すために本を読めばいいのか?ただ筆者も言っているが、読書は多様なものでどんな本を読んでもいいはず。まずは一冊一冊、自分が読んでいく本を大事にしていこうと思う。ただ、最近の本やノウハウ本に傾注しすぎてはよくない。バランスよく本を読んでいくことが大事だと感じた。
・多読術とは、たくさんの類似した本を読むことで、キーブックを見つけることで、自分の知らないことを知っていく過程ということではないか?読む際には自分なりに理解し自分の考えを知っていくことではないか?
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「無知から未知へ」が読書の醍醐味。速読術やなんかとは全然違う切り口で読書について語られてますが、読書について語りながら同時に、人間や世界や文化についての様々な未知を覗かせてくれます。
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松岡正剛という人が一般的に知られるようになったのは、やはり、ネットにおける意欲作「千夜千冊」からであろう。いや、これでさえ、必ずしも一般的とはいえまい。しかしながら、この著作(インタビュー形式でまとめられたものなので、厳密に言えば、著作とはいえないのかな)によって、相当、リアルワールドに降りてきた人物となったのではないだろうか。
実際、既に、ネット上でこの著作の紹介が相当数の方からなされているし、私自身もひと月近く鞄の中に入れて持ち歩いて、何度か拾い読み。
ということで、面倒な説明をしない。私自身が、共感し、実は、既に取り組んでいた読書の仕方(松岡正剛ならともかく、私においては、「術」なんていえるほど敷居の高いものでもない)をいくつか。
「本は二度読む」
いわゆる、再読というやつ。読書というものは「いつ読んだか、どんな気分で、どんな感受性のときに読んだか」が密接に繋がっている。そして、「初読当時の感想を今日の時点からあらためて眺める視線が必要です。この時間と空間をまたぐ視線が、意外に読書力に必要」
40歳も過ぎると、つまんない本を読んだら(もっとも、そんな場合はさっさと見切りをつけるが。もちろん、あくまでも、そのときの私にとってそうだったという意味であり、いやしくも、正規の出版社を通して発刊されている本に、つまんないという表現も適切ではなかろう)人生を損したような気分にもなる。だからこそ、昔読んだ本で、印象に残ったものを再び読むことが本当に多くなった。
「たまには違ったものを食べてみる」
社会人になると、どうしても、仕事関係のもの、もしくはビジネス書、ハウツーものが多くなる。私も意識して、いわゆる小説というものも読むようにしている。
「本にドンドン書き込む」
「本はノートである」とも記述がある。本当にそうだ。私の所持している本も、ラインだらけである。だから、古本屋さんには持っていけない。それに、そのことは、「予想しながら読む」ということに繋がってくる。大体、そうしないと、よっぽど頭のいい人以外は、頭の中で整理をしながら読み続けていくことができるはずがない。
ただし、小説はそうとも言い切れないだろうな。
「掩巻(えんかん)」
江戸時代の先人の読書術から引用したもの。「これは書物を少し読んだら、そこでいったん本を閉じて、その内容を追想し、アタマの中ですぐにトレースしていくという方法です」
松岡正剛も今でも時々実践しているという。「おススメします」と書かれている。吉田松陰もしていたそうだ。
実は、私自身も、ここでは大きく膝を打った。私は学生時代、新聞を読む際、意識的にそうしていた。それなりの知識人ではいたかったし、それでも、なんども新聞を読み返すのは面倒だし、こうして時事問題等々を理解するようにしていった。
ある記事を読んだら、そこから目を離し、その記事内容を頭の中で整理する。時には、声にこそ出さないが、口の中で反芻する。効果はテキメンだったように思う。
ちなみに、この時期、これも意識的に新聞の速読をするようになった。最初は、数行をまとめて読む、慣れてきたら、記事の真ん中に視点を当てて、広がるように読む。記事が目に入ってくるタイミングはやや前後するが、ある程度「予想しながら読む」ことによって、十分理解はできるようになってきた。
まだ、他にもいくつかあるが、疲れてきた。
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日経の書評にあったので、早速購入。
会社の上司がおすすめの人なので、1冊買って読みかけましたが挫折・・・
とても信じられないぐらいの量の本を読んでおられる方です。
この本はとっても読みやすかったので一気に読んでしまいました。
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出会った感じ。
著者の松岡正剛氏に、まさに出会ってしまった感じ。
先日、速読関連書籍を購入したこと、すこ〜し後悔も。
でも、それすらも肯定してくれる、そんな本でした。
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情報科教員MTのBlog (『多読術』を読了!!)
https://willpwr.blog.jp/archives/51242495.html
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読書界の巨人、松岡正剛氏が読書についての自身の経歴、スタイル、方法論などをインタビュー形式で語っている。
あまりの読書量とそれに比例する文筆量がすごすぎて、何を真似していいのか、圧倒されてしまった。最終的に氏が言っているのは、多くの本を読みこなすことで、自分なりの読書スタイルを身に付けること。それがタイトルの「多読術」の意味するところなのだろう。
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花を終えた頃、丁度この本が発売された。
花で体験したことを、そのままキーワードにして読み進めるうちに理解したことがあった。ISIS田中さんからも勧められたこの本。メタモルフォーゼの言葉と共に、忘れられない一冊。