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「光は天からなど射してこない、光は深い深い穴の底のあらゆる不幸の詰まった、泥の下から射してきて、神の存在を教えてくれる。救いは低いところこそにある」
さすがは篠田さんと言うべきか
読ませる力が凄い
自我や自己たる物の弱さ
何を持って自分は自分とするのか
個性とは何とも危ういものなのだな。
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久々の篠田節子。
ブクログの本棚見たら、『ブラックボックス』以来だ。
篠田節子は、一時期すごく好きで。
唯一サイン会に並んだことがある作家だったりするんだけどw、最近はちょっと縁遠くなっている。
読めば面白いのはわかっているんだけど、「純文学以外だったら(ジャンルは)何と言われてもいい」と言っていた頃と比べて、エンタメ度がやや下がっちゃったというか、重々しさが強くなっちゃって、ちょっと辛気臭さがあるって言ったらいいのかなー(^^ゞ
そんなわけで、これも300ページちょっと前くらいまではイマイチで。
死んだその人が別人だった。じゃぁ生前のその人は誰?、みたいな話は大好きなので。これはハードカバーが出た時から狙ってたくらいなのに、なぁ~んかイマイチ話にのれない。
同じ説明を繰り返すのが2回くらいあったりで、あれー、篠田節子、文章書くのヘタになった?なんて(^^;
ただ、300ページ前後辺りかなー。
長島の原稿の後半辺りから、少しづつ面白くなり始めて。
さらに知佳がフィリピンに行ってから、いきなり歯車が噛み合ったみたいに面白くなった。
タハウという場所の風景の描写がすごくいいんだよねー。
その光景が、強烈な日差しの中にパァーっと浮かんでくる。
“なんだかんだ言っても、私たちは物も金も持っているんだよね。なのにすごく貧乏で辛いと思っている。どうにもならなくてお酒や薬や暴力や、ありとあらゆるものに追い詰められているし、自分を追い込んだりもしている。写真の子供たちの目を見て、私たちは感激して言葉もなくなった”
というのは、もう一人の主人公(というよりはミステリー小説で言う狂言回し?)優紀が、知佳がタハウの町から送ってきた添付された町の写真を見てメールで語っていたことなんだけど。
それって、日本のような豊かな国の人が発展途上国の貧しいけど明るい子供たちを見て言う定番の感想とはいえ、妙にハッとさせられる。
もちろん、それはこの物語のストーリーに直接関わっていることではないのだけれど、でも、終盤、この話の影の主人公である半田明美の手記(のようなもの)を読んでいると、妙に重なるものがあるような?
篠田節子は、物語の中で必ずなにかしら世間が普通に当たり前と思っていることに対して耳の痛い指摘をしてくる作家なのだが、この話は裏テーマとしてそれを読者に投げかけているような気がする。
注! 以下、結末に触れています
後半の、半田明美の手記ともいえないワープロの文章がもう圧巻!
自分の過去をつづった後、「。」を打たずに、「半田明美 昭和30年生まれ 半田明美千葉県成田市で生まれた 半田明美」と“ランダムに繰り返されページを埋め尽くしていた”の件は、思わずゾワっとする(^^;
解説に、「意外と自己意識はもろいもの。仮面をかぶり、演技して見せる外側と、内面、本質の線引きは人間のメカニズム中で切り分けにくい。我々は意思、情動、記憶などで行動するわけですが、行動すると必ずフィードバックがある。それによって人間の内面は容易に変わっていくことを書いてみたかった」という著者のインタビューがあるが、自分が変わっていくことを、一人その部屋で必死に抗っている半田明美のその様まざまざと浮かんできて、鬼気迫るものがあるのだ。
前に、TVで若年性認知症を発症した人の奥さんが、それを疑いつつ暮らしてた時にが奥さんに隠れて自分の名前を何百回と書き連ねていたノートを発見したというのを見た時、その人の恐怖が伝わってきて。
「うわっ!」と呟いちゃった後、背筋にゾワ~っときたことがあるが、ほぼ、それと一緒。
さらに、「私、半田明美には夢があった。(中略)チッチとサリーみたいにずっと好きあって暮らすこと。道隆はサリーそっくりだった。(中略)私、半田明美は、チッチになる」の件もリアルで怖い。
例の京王線のジョーカー男とか、ハルマゲドンとか言ってたオウムとか。
狂気の向こう側にいっちゃったような人っていうのは、心の奥にそういう気味の悪い幼稚なピュアさを持っていて。それを自らの善悪の規範として、心の拠り所にしている……
そういうことなんだろうなぁーと思った。
最後に。
半田明美は、自分が小野尚子になりきるために、その蔵書をも読むわけだが、この話の狂言回し役の知佳もそれを実際にやってみる。
その1週間後、知佳は一つの感想を持つのだが、それが以下。
「夏休みの小学生ならいざ知らず。いい大人が本ばかり読んでいると、やはり日常や現実から心が離れてしまってしまうようだ」
いや、もう、大爆笑(^^;
その他、知佳とともに狂言回し役である優紀が、施設内で心霊現象的なことが続いた後に思う言葉(正しくは小説上の文章)。
「知佳の運んでくる外の空気と外の常識が優紀には必要だった」
ていうか、中盤出てくる、いかにもな心霊現象(?)に、やっぱり篠田節子は怪談好きなんだなぁーって。
久しぶりに、『文藝百物語』で語っていた篠田怪談を読んでみたくなった。
いやはや…。
さすが、篠田節子!
恐れ入りましたm(_ _)m
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久々の篠田先生。
ごめんなさい、多分、『女たちのジハード』以来です。
キャラが光ってて良かった。面白かったです。
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割と冒頭の方であっさりと遺体の正体が分かり、そこから本当のテーマに入っていく。退屈はしないけれど全体的にやや冗長に感じた。
主人公や優紀の人物像があまり浮かび上がってこなくて、一番人間らしくて印象深かった登場人物は長島だった。
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長い、とにかく長い、つまらない、他人にもなれる人間の思い込みって怖い。
何とか読み進めてたけど、召喚??始まった時は「おーい、そっちいくのかよ」と途方にくれた。
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凄く長い本だった。初めは何の話がしたいんだろうという感じだったけど、途中小野先生が偽物だったと分かってから面白くなってきた。しかし中だるみ、最後はこの終わり方か~長かった割にと思った。
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どのような、結末に持っていくのか、全くイメージがつかないまま、読み進めていったけど、最後はこんな感じにするのか(というか、これしかないか?!)という終わり方。
やはり、面白くて、あっという間でした。
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ある人物として長年過ごしてきた人が実は違う人だったということが判明し、その足跡を辿り来し方を紐解いてゆく…という、類型の1つといっても差し支えないパターンを踏みながら、そこはさすがの筆力でぐいっと読者を引っ張っていく。
"女性"を描くという点においては人後に落ちぬ著者であるが、今作においてもそれが遺憾なく発揮されている。
そしてこれは、同性である女性にしか書けない小説であろうとも、同時に思う。
また、アジアの猥雑な街をリアルに描写する技術もまた、多数の作品で感じられる著者一流のものであり、ひりつくようなマニラの熱気がぶわっと襲い掛かってくるようだ。
骨子たるプロットについては、読み手の予測の範疇を大きく超えるものではなく、良心の呵責に苛まれて改心するのと自我が崩壊して取り込まれてしまうのとでは、どう違うのだろう…? とすんなり腑に落ちず、結末に至る過程から瞠目させられるほどのカタルシスを得られなかったのは、ひとえに私の読解力不足か?
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長い。
やっぱり篠田節子は私にはまだ早いのかな。
火事の遺体が別人だった、誰なのか。という謎を、施設の女性と記者の女性2人で解き明かしていくという筋立てなんだけれども、少しずつヒントを得て、仮説を立てていく流れで、どこまでが確定なのか分かりにくくて(2人ともオカルトに流される似たようなキャラだし)、最後にひっくり返されるのか?と疑いが拭えないまま(結局どんでん返しは別にない)読んでて終わってしまったので、最初から、ミステリーではなく人間ドラマ(半田明美物語)の頭で読めばもっと面白いのではないかと思う。
あと、余談だけれど、筆者の年齢を考えれば若い女性よく書いてると思うけど、どことなく「年配の方が若い女性を理解して描いた」という感じがしていて、気になった真ん中世代です。
小説って、自分の等身大で書く一作が1番面白いのかもしれないね……。