紙の本
気分が重くなるが読むべき本
2022/12/28 12:51
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひろとこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
陸軍船舶司令官、と言う切り口から戦争の実態を見た本。本部が現場に無理難題を押し付けるあたり、働く者としてはどうしても組織論のように見てしまう。自分の戦力を考えない戦線拡大、兵站は考慮せず、弾の当たらないところにいるものが勇ましいことを繰り返す不条理…。善意の人を悼むだけではなく、こういうことは二度と御免だと忘れないために読むべき本。
投稿元:
レビューを見る
日露戦争から太平洋戦争終戦後までの船舶輸送、そして宇品の船舶司令部の歴史を調べ上げた渾身の一冊。やはり堀川恵子さんはその調査の緻密さ、文章力とも今の日本で最高のノンフィクションライターだ。日露戦争の成功体験から抜け出せぬまま、現実を直視することなく無謀な戦争に突き進んでいった過程がよくわかる。船員の多くが兵士ではなく、丸腰の民間人だったとは。鳩より下に扱われた彼らのガダルカナルでの惨状などもっと知られていい。南方での死者のほとんどが餓死だったこと、杜撰な計画と甘い読みから船を作る資材もなくなり油布で石油を運ぼうとすらしていたこと、また、特攻は飛行機だけではなくベニヤ作りの船でも行われていたことなど、何もかも暗澹たる気持ちになる。
輸送や船員の地位の整備を訴えて罷免された田尻元司令官、無為に多くの兵を海で失わせてしまいながらも原爆投下直後から救援活動を的確に手配した佐伯司令官。彼らを通して輸送の歴史を俯瞰させてくれた堀川さんに感謝。自衛隊の災害活動の原点が関東大震災後の軍の活動にあったというのも目からウロコだった。佐伯司令官が原爆直後「流言飛語を防止し、民心を安定せしめる」よう説いたのも、関東大震災の時の経験によるものだったのだろう。
生涯の一冊とも言える素晴らしい作品。
投稿元:
レビューを見る
小さな島国が資源不足で補いきれない部分を精神論で埋めていこうとする姿勢。
実力を顧みず思い上がる。
それを正直に指摘しようとする者は組織から排除される。
こういう話しは昔話じゃない。
考えさせられます。
投稿元:
レビューを見る
広島市の南にある港、宇品。
例えばヒロシマの原爆投下後の記録や、証言を少し読めば、港の名前として「宇品」という地名はすぐに出てくる。
広島が原爆投下の目標とされた一つの理由として、広島が軍都であったという事が挙がる。何故ならば、宇品は日露戦争の時代から、日本から兵士や資源を戦地へと送り出すための日本帝国陸軍の港であったからだ。
本書ではその宇品がどのようにして日本の軍の兵站の中心となったのか、そして第二次大戦において日本は兵站を軽視したために、あらゆる作戦が破綻し、敗戦へと突き進むのだが、その時に宇品はどうなっていたのか、という歴史を当時の宇品の指導者たちの記録を丁寧に読み解いて語っていく。
そして、原爆が投下され、広島が焼け野原のヒロシマとなったとき、宇品にいた陸軍の兵士たちはどのように行動したのか。
今まで数多くの原爆とヒロシマの記録を読んできた。その中で何度となく見た「宇品」、「似島」という地名が、単なる漢字の組み合わせでしたなかった地名が、具体的な、そこで汗をかき、笑い、泣き、叫び、怒り、悲しむ人々の生きている土地として立ち上がってきた。
投稿元:
レビューを見る
あまり進んで読むようなジャンルではないが、堀川惠子さんという著者に惹かれて読んだ。素晴らしいノンフィクションに決まっていると。
で、著者の何を読んだのか振り返って見ると、多分『裁かれた命』1冊だけのような気がする。その時にすごい!と思ったのだろう(それなら他の著作も読めばいいのに)。
宇品という地名も聞いたことがあるようなないような。「暁部隊」というのは聞いたことがあるような。
それくらいのもともとなんの知識もない私だが、まずは、田尻昌次という陸軍中将の、本当の意味での軍人としての仕事ぶりというのか人間性というのかに惹きつけられた。日の目が当たって、ご遺族も喜んでおられるのではないか。自叙伝も残された甲斐があった。資料を掘り起こすというのはこういうことなのかとノンフィクション作家の素晴らしさ、堀川さんのお仕事ぶりに感銘を受けた。
"田尻昌次という、一人の軍人の人生の終わり方は、官僚組織としての昭和陸軍を象徴しているのか。
陸軍史を生涯のテーマとしてきた原さんが、ひとつ溜め息をついた後、こう付け加えた。
「少し大きな話になるけどね、ぼくは、やはり日露戦争の影響が大きかったと思う。日露は『勝った』のではなく『負けなかった』戦なんだ。それを大勝利とぶちあげて、酔ってしまって、あらゆる判断が狂っていった。兵站を軽視するのも、小さな島国が資源不足で補いきれない部分を精神論で埋めていこうとする姿勢も、あの頃から酷くなるだろう。実力を顧みず、思い上がってしまったんだ。それを正直に指摘しようとする者は組織からどんどん排除されていく。開戦に反対して首を切られたのは、なにも田尻さんだけじゃない。まあ、こういう話は決して昔噺じゃないけどね」" 186ページ
田尻中将が罷免された後、世界大戦へと突き進んでいく。全く船舶が足りないというのに「ナントカナル」!「何度読み返しても文脈が掴めない」。数字に則っていないのである。計算を無視している。足し算引き算ができていない。こちらの頭がおかしくなる。
分析に携わった元少佐の証言
"「あの当時の会議の空気はみんな強気でしてね。ここで弱音を吐いたら首になる、第一線に飛ばされてしまうという空気でした。『やっちゃえ、やっちゃえ』というような空気が満ち満ちているわけですから、弱音を吐くわけにはいかないんですよ。みんな無理だと内心では思いながらも、表面的には強気の姿勢を見せていましたね。私も同じですよ」"
根拠のない楽観的な予想、あからさまなグラフの細工。
開戦時の大蔵大臣賀屋興宣の遺稿
"冷静に議論をしようとしてもすでに意図が定まっていて議論はあとから理屈をつけるということが多い。たとえば、最も重要な海上輸送力の計算をするのに、新造船による増加と損傷船の修理能力を一方に計算し、一方に戦争による減耗を考える場合、減耗率を少しずつ少なくみて、増強力を少しずつ多くみれば結論のカーブは非常に違ったものになる。そこを人為的にやればなんとかやれるという数字になるのである。冷静な研究のようで、それはたいへんな誤算をはらむ状況である。"
「賀屋の指摘が前出の���ラフを指すものかどうかはわからない。似たような細工がほどこされた検討は他にも存在しただろう。確かなことは、明らかにおかしいとわかっていながら、誰もそれを指摘しなかったということだ」。
このあともホントに笑ってしまうような無茶苦茶な数字のごまかしが続く。全くごまかせてないのだが。どの数字が正しいのか…面白すぎて、どんどん引用したくなるのだが、キリがないのでやめる。
厳しい予想を出すと怒り、一蹴する。調査研究をしていない。まともな資料を作れない。デタラメな数字を出す。実際には厳しい結果が出てしまう。莫大な犠牲が払われる。
現在のコロナ対策(オリンピックも)と完全に私の中でかぶってしまい、歴史は繰り返すというのか、日本がそういう国なのか、どこの国でもそうなのか、こういうのって治らないのか、とか思ってしまう。
だめだ、引用してしまう…
日本の戦時経済を研究したアメリカの教授
"この戦争は、日本にとって伸るか反るかの大博打であったが、日本は博打を打つにあたって船舶事情に十分な注意を払わないまま飛び込んだ。日本の船舶に対する措置は、初期の過度の自信と無計画性、稚拙な行政、内部の利害対立という特色があった"
「陸海軍部も政府も、船舶の重要性は十分に知っていた。しかし彼らは、その脆弱性に真剣に向き合う誠意を持ち合わさなかった。圧倒的な船腹不足を証明する科学的データは排除され、脚色され、捻じ曲げられた。あらゆる疑問は保身のための沈黙の中で『ナントカナル』と封じられた。」
日本、何にも進歩してないな。
博打、無計画、稚拙な行政、科学の軽視、保身…
もう一人の司令官佐伯文郎中将についても書いておかなければならない。広島に原爆が落とされた後、すぐさま自分の判断で広島市内の救援救護、復旧に入られた。大混乱の中、自らの被曝も構うことなく(部下もなのだが)的確な判断で復旧に邁進された。船舶司令官が陸の人々を救う判断がすぐにでき、実行できる。ものすごいリーダーである。
素晴らしい取材力と文章力で紡がれたノンフィクションを読み、まだまだ思うことがたくさんあるのだが、あまりにも長くなってしまう。あとは心の中で復習しておこう。
投稿元:
レビューを見る
当時を生きた一人一人にそれぞれの人生があったという当たり前のことを改めて感じながら、のめり込むようにあっという間に読んでしまった。
以前『失敗の本質』で、太平洋戦争での兵站線確保ができていなかった問題点についてなんとなく読んだことがあった。本書では、兵站線確保について、戦地へ輸送する食糧や兵器、それらを運ぶ船舶の確保などを任務としていた陸軍船舶指令部の立場から当時の様子を窺い知ることができた。
船舶輸送に携わった無名の軍人の生き様にも泣けてきた。
田尻昌次、佐伯文郎、篠原優、覚えておきたい。
広島の宇品にも行ってみたい。
投稿元:
レビューを見る
ヒロシマ関連の著作の多い筆者。爆心地からは距離があるが目標となったきっかけの一つだろう、宇品の陸軍の船舶司令部にスポットをあてたノンフィクション。
ヒロシマ原爆に関して多くの著作のある筆者。今回のテーマは爆心より南西4キロほどの宇品陸軍船舶司令部。
あまり注目されないが広島が原爆の目標に選ばれるのに理由がある。その一つが陸軍の輸送の拠点だったということ。もちろん民間人が犠牲になったことを免責するつもりはない。
おそらく筆者は船舶司令部の被爆直後の応急活動をきっかけに取材を深めていったのだろう。そして出会った“船舶の神”と言われた田尻中将の手記。遺族の元にあった自叙伝から、筆者は軍都廣島の発展に至る陸軍の海上輸送にテーマを広げざるを得ない。
戦艦や空母、一線級の軍艦を攻撃することを至上とした海軍。陸軍は自前で輸送船も上陸用舟艇も整備しなくてはならない。陸海軍のセクショナリズムがただでさえ乏しい日本の資源を奪い合う。
輜重、補給の軽視、本書の主役田尻中将は建白と引き換えに昭和15年罷免される。
ヒロシマをテーマとした中でテーマが手に負えないほど広がった筆者の苦悩が本書から伝わってくる。それに負けず、真っ向から大きなテーマに立ち向かった筆者。原爆ではなく、もっと根本の日本軍の敗因とあまり知られぬ船員たちの戦争に迫った力作である。
綿密な構成のノンフィクションでなくともテーマと筆者の強い思いがあればこその素晴らしい作品でした。
投稿元:
レビューを見る
なぜ、広島に原爆が落とされたのか。
日本の戦争は宇品港の輸送に支えられていた。
原爆を新たな視点で捉えた力作。
投稿元:
レビューを見る
前半の主人公田尻氏の話だけでも良いじゃないかと思いながら読み進めて行ったが、後半のすごさ感動もさらにひとしおであった。
本を読む側としては数時間だが、作者の費やした時間、そして読者の心に残る時間のなんと膨大なことか
投稿元:
レビューを見る
なぜ広島に原爆が落とされなければならなかったのか? この疑問を突き詰めことから著者の取材は始まった。
かつて廣島は軍都だった。日清戦争を機に廣島に大本営が置かれた。それはよく知られた事実。
大本営から少し南、宇品の港から「陸軍」の兵士が大陸に送り込まれた。日清戦争から日露戦争、シベリア出兵、満州事変、日中戦争から太平洋戦争と陸軍の兵士は宇品から戦地へ送り込まれた。担ったのは陸軍船舶司令部、暁部隊と呼ばれた。補給と兵站も一手に担った。そんな港は全国で廣島だけだった。
暁部隊の3人の司令官を通じて、太平洋戦争の無謀と国民の無残を描く。海は生命線だった。資源のない日本にとって、海と船は生命線だった。全て海を通じて、もたらされた。安全な海と十分な船がない限り、戦争を遂行することは不可能だということを宇品の司令官は知っていた。だから、「船舶の神」田尻昌次中佐は対米開戦に反対し、そして罷免された。その他二人の司令官たちの思考と行動、そして破滅。
もう一つの「失敗の本質」。それにしても「ナントカナル」の戦争計画の杜撰。それが数百万の国民の命を奪った戦争のすべて。「輸送」は科学。現実。「ナントカ」はならないのである。
投稿元:
レビューを見る
広島市の宇品にあった陸軍船舶司令部を中心に、太平洋戦争における日本の船舶輸送について分析、研究した結果をまとめた本。研究が精緻で、歴代の陸軍船舶司令官に焦点を当て、精緻な研究がなされている。大戦直前まで司令官であった田尻昌次の自叙伝や回想録、大戦中を司令部で過ごした篠原優が纏めた始末記などを中心に、防衛研究所の専門家の意見を聞きながら的確に分析がなされていると思う。後方支援体制が整わない中、無謀な戦争に突き進んだことが、よくわかる。今でも船主協会が自衛隊に悪い印象を持っているのは、戦時中に民間船員たちが身分も保証されず、無茶な任務の中、次々に犠牲になった経緯があったことを、よく理解できた。
「明治27年、日清戦争を機に、東京の大本営が広島に移されたことはよく知られている。帝国議会も衆議院・貴族院ともに広島に議場を移し、議員たちが大挙して押しかけた。首都機能が丸ごと地方に移転した、近代日本で唯一の例である。たとえば総理大臣・伊藤博文の居宅は大手町四丁目、参謀本部次長の川上操六は大手町三丁目。第一軍司令官の山県有朋は比治山の麓。新聞社主事の徳富蘇峰が滞在した旅館は大手町四丁目。人力車で数分の距離に国内の要人のすべてがそろった。極めつけは広島の一丁目一番地たる広島城に、明治天皇その人が寝起きしていることだ」p4
「天皇自ら就寝するまで決して軍服を脱がず、侍従にも軍服を着させた。戦地の兵隊と同じように過ごさねばと場内への女官の立ち入りを禁じ、ストーブを持ち込むことすら拒んだ。約7か月の広島滞在の間、大本営から外に出たのはわずかに四度だけだった」p4
「(原爆投下候補地検討)何度も検討が重ねられた目標検討委員会で、広島が一度たりとも候補から外れなかった理由。それは広島の沖に、日本軍最大の輸送基地・宇品があったからである」p7
「太平洋戦争とは輸送船攻撃の指令から始まり、輸送基地たる広島への原子爆弾投下で終わりを告げる、まさに輸送の戦い、“補給戦”だった。その中心にあったのが、広島の宇品だったのである」p9
「船舶を使う海上輸送業務は本来、海のエキスパートたる海軍の仕事だ。事実、世界中のほぼすべての国の軍隊で、海上輸送を担うのは海軍である。陸軍の出番は船から荷が下ろされる揚陸の段階や、その荷を前線に運搬する陸上輸送業務から。陸軍が海洋業務全般を担うという宇品の形態は、世界でもまれな現象なのだ」p40
「海軍は、陸軍部隊を運ぶ海洋輸送の仕事は海軍の任務ではないと拒んだのである」p41
「(海軍の主張)陸軍の兵隊を船で運ぶ作業は陸軍が自力で行うべきであり、もし上陸するまでに海上で戦闘が発生するようなら、海軍の主任務ではないけれど護衛するのはやぶさかではないと主張した」p41
「海軍からすれば諸外国に伍する艦船も足りないのに、陸軍を輸送するどころではなかったとも考えられる」p42
「松原茂生は世界でも例をみない旧日本陸軍独自の海洋輸送システムについて、陸軍船舶司令部は、船と船員を持たない海運会社のようなもの、と位置付けているが、的を射た表現だろう」p44
「海軍は、出港・戦闘・上陸そして補給まで、すべての行動を最初から最���まで自力で完結できる。しかし海洋業務のノウハウを持たない陸軍は、そのほとんどを民間業者に頼らねばならなかった。当然、その船舶輸送は多くの問題を抱えることになる。日本が近代国家としての歩みを始めたときからずっと船舶輸送問題は陸軍のアキレス腱だったのである」p46
「(薩長中心の人事制度)私はこの事件により、但馬無閥の私が軍に一生を託して将来を開拓するには、私個人の実力を養成し、個性を磨き、他に遜色なき人格を修養し、以て茨の道を切り拓き、堂々と勇往邁進するより他なきをいやというほど思い知らされた」p55
「昭和17年春、田尻の長男・昌克の結婚式が行われたときのことだ。厳しい統制下で電灯にはカバーがかけられて会場は薄暗く、十分な馳走も用意できなかったというが、出席者の豪華な顔ぶれは人々を仰天させた。仲人を務めたのは海軍大将の中村良三.時の海軍大臣・嶋田繁太郎を筆頭に、陸海軍双方から大将や中将クラスがずらりそろってテーブルを囲んで談笑し、まるで大本営の連絡会議のような風景になった。陸海軍の関係が悪化する最中で、田尻もすでに軍籍を離れていたが、それでも大勢の海軍の大物たちが駆けつけた。このときのことは陸海軍の垣根を越えて人間関係を築き、「陸海軍中将」との異名をとった田尻の面目躍如たる一場面として関係者に語り継がれた」p86
「(杭州湾上陸作戦(昭和12年))アメリカの軍事史家アラン・ミレットは「1939年の時点で、日本のみが水陸両方作戦のためのドクトリン、戦術概念、作戦部隊を保持」していると分析。さらにアメリカ海軍情報部も「日本は艦船から海岸の攻撃要領を完全に開発した最初の大国」と認めた」p134
「(田尻昌次)之を以て決して満足してはならない。科学の進歩は駸々乎として止む所を知らない。今日の精鋭は必ずしも明日の精鋭ではない、と自戒している」p135
「戦時の一年は、戦術・兵器ともに平時の五倍から十倍の進歩がある」p144
「(鉄鋼の少ない造船業への配分)この背景には、鉄鋼の配分を統制する商工省鉄鋼統制協議会と企画院が大きな影響力を持ち、配下の産業を優遇したことがあった。かたや造船を担当する逓信省の発言権は小さく、十分な配給を得ることはできなかった。言い換えれば、船舶不足が国家の命運を左右する問題として認識されていなかったということである」p154
「島国から軍隊を運ぶのは船しかない。軍隊が外征すれば、そこへ軍需品や糧秣を届けるのも船。もし資源を入手するために南方に進出すれば、そこに兵を送るのも、資源を運んでくるのもまた船である。一にも二にも、船が必要だ。その船が圧倒的に不足する日本にとって、勇猛な南進論も、遠くに聞こえ始めた対米英開戦論も、田尻には夢物語のように響いたことだろう」p157
「(田尻の辞任の挨拶)駅長は、田尻が乗り込む車両の入り口にマイクスタンドを設置し、別れの挨拶を行ってほしいと促した。マイクは日本放送協会が特別に用意したもので、音声はそのまま広島市内の全家庭に流されるという」p179
「東京駅のプラットフォームには参謀本部、陸軍省、軍令部、海軍省、其の他の官庁、民間会社などから夥しい辱知の方々が出迎えて下さった。広島の火災の不始末が胸につかえていて何とも面映い思いだったが、これぞ私の三十数年にわたる長い官職奉仕の最後の一コマであった」p180
「幼いころから純粋な軍人教育だけを徹底的にほどこされて軍人になった者と、人間として世間で色んな苦労をして、それから軍人という職業に就いた者とではね、やっぱり違うよ。誰だって、ものを見る目だとか、何かを判断するときには、小さいころからの経験が影響するものでしょう。陸軍と言う組織のためにどう最善を尽くすのかという考え方において、両者は土台から異なる。田尻さんとか今村均さんのような人は、言ってみれば軍人としての巾が広い。だけど、それが官僚組織の中で生きていくのに良いことかどうかは別問題だ」p186
「(米戦略爆撃調査団 ジェローム・コーヘン教授)この戦争は、日本にとって乗るか反るかの大博打であったが、日本は賭博を打つにあたって船舶事情に十分に注意を払わないまま飛び込んだ。日本の船舶に対する措置は、初期の過度の自信と無計画性、稚拙な行政、内部の利害対立という特徴があった」p220
「船乗りたちの存在を「軍属は人間以下」「船員はハト以下」などと公然と蔑んだ当時の陸軍の風潮」p239
「(第17軍船舶参謀 三岡健次郎)輸送会議をやりましたときに、船の損害予測はどのくらいかと質問され、私は「6/10は見なきゃならん」と答えたら、井本熊男大本営参謀から「何を言うか、6/10もやられてたまるか」って、えらく叱られてしまって。相手は中佐で私は少佐ですから、「ハイ」と言って引き下がったが、結果は10/10、やられてしまいました」p264
(昭和17年6月)物資不足にあえぐ日本とは対照的に、昭南(シンガポール)の港湾倉庫には油やゴム、スズ、砂糖などの物資が入りきらないほどギュウギュウに積まれていた。しかし、それを日本へ運ぶための船がないのである」p286
「物資を輸送するための組織の準備は手つかずのまま、唯一決まっていたのは、南方物資を還送するという「方針」だけだったのである」p289
「(船舶参謀 嬉野)大東亜戦の天王山はガダルカナルです。ガダルは戦で負けたのではなくて、要するに手持ちの優秀船が、全部なくなっちゃったんです。高速輸送船という戦略兵器が局地戦で潰さっれちゃったんです。そのあとの戦というのは、掛け声だけですね」p308
「戦闘詳報などの一次資料でも脚色や改竄が行われることは珍しくない。後世に読まれることを想定して綴られた日記なども同様の危険性は常にはらんでいる」p338
「大正時代後半は軍縮が続き、近代でもっとも軍人への風あたりが厳しかった。軍人は軍服で電車に乗ることすら憚られ、時の逓信大臣・犬養毅が「軍人いじめが過ぎると、いつか反動がくる」と警鐘を鳴らしたほどだった。それでも、こと震災時における軍の行動についての報道は総じて好意的だ」p345
投稿元:
レビューを見る
この日の広島では、人間の生と死の境は紙一枚より薄かった(P328)
第二次世界大戦中に、広島の軍港・宇品に置かれ、陸軍ながら補給と兵站(後方支援)を担った「陸軍船舶司令部」が描かれた作品(テーマは人類初の原子爆弾はなぜ広島に投下されなくてはならなかったのか?)。第二次世界大戦を陸軍兵士の海上輸送という視点で追体験することができる、日本の教科書にも載っていない田尻と佐伯という司令官の生きざまが描かれており、第二次世界大戦の裏側を見れた感じ。まだまだ知らないことが多いなと思い知らされた、戦争のシーンはあまりにリアルで悲しい。ノンフィクション小説好きには全員読んでほしい作品。
投稿元:
レビューを見る
なぜ人類初の原爆は広島に落とされたのか。その疑問から始まった著者の探求は、広島に兵士を送りだしてきた軍港宇品があったことに行き着く。その宇品で「船舶の神」と呼ばれた司令官の田尻昌次は、貧困から身を起こして日本軍の上陸作戦を支えたが、太平洋戦争の開戦に船舶指令の立場から反対して罷免された。田尻の諫言を無視して「ナントカナル」と戦争に突入した結果、次々と輸送船が沈められる事態となった。その中で奮闘した船舶司令官佐伯文郎は、原爆の惨禍の中で率先して救命活動を行ったが、戦後は戦犯とされた。田尻と佐伯の間に船舶指令を務めた鈴木宗作は、ベニヤ板で作った舟による無謀な特攻作戦を実行した。日本は島国であるにもかかわらず船舶による補給を軽んじ、その結果死んでいった船員と兵士への慟哭の書。
投稿元:
レビューを見る
おもしろくてすごく勉強になる本だった。まず写真がすごい。戦争するというのがどんなことなのか具体的にイメージできる。なのでいかに無茶なことをしていたかというのもよく分かる。後半から端々で『日本軍兵士』を思い出しながら読んだ。宇品に行く時は,この本のことを思い出そうと思う。
投稿元:
レビューを見る
宇品、と聞いても全くピンとこなかったが、昔広島の宇品に陸軍の船舶輸送司令部があり、陸軍の各種派兵の海上輸送を担ったという。このことは、ヒロシマに原爆が落とされた理由のひとつになっている。
本書は、「船舶の神」田尻中将の歩みとともに発展した陸軍船舶輸送について、膨大な史料をもとに構成された大変な労作
田尻中将は、兵站の観点から、日中戦争が泥沼化するなか、ある意見具申をする(具申が原因か定かではないが、この直後司令官を罷免される)。その後は、田尻中将の懸念の通り、多くの船員の死を招き、戦局は益々悪化することになる。
そしてヒロシマに原爆が落とされたとき、被害を免れた船舶輸送司令部は、佐伯司令官の指揮のもと、迅速な救援活動を繰り広げる。(このとき、著者が疑うほど、迅速かつ的確な救助活動が行われている。その理由については本書参照)
この二人の指揮官は、当時としては傍流に置かれた軍人だったかもしれないが、国民の生命・財産を守る軍人としての本分を全うしたと言えるのではないか。
こういった人がいたことを、本書を通じて知ることができたことに感謝したい。
そして、防衛省は、今後島嶼部への脅威に対処するため水陸機動団を新編し、輸送力の強化を図ろうとしている。
歴史は繰り返さないが、韻を踏む。
まさに今、読むべき本だと思いました。