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ここまで強い想いではないから、私は名字を捨てたのでしょう。また、付帯物になってしまいたいという弱さがあったから。
でも思うところはわかる。わかるぞ。読まないと忘れてしまいそうな想いだけれど。
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現在妊娠9ヶ月で、いろんな妊娠&育児エッセイを読み漁っている中みつけた一冊。
初読の作者さんだったけど、出会えてよかったなー。装丁の雰囲気も好き。
印象に残ったとこ
●産む前も産んだ後も同じ人間、変わらない。産後すぐ、見れないと思ってた映画を観てた。みたいなところ、すごい勇気づけられた。
産んだ後はこれまでの人生がガラガラ崩れて、赤ちゃんファーストで自由なしの別の人生になるのかなぁって思ってたけど、諦めたくないことは諦めなくて良いよね。私の人生のままだ。
●「うるさくないね、かわいいね」ここの章のあたたかさと憤り。
妊婦は、その期間一旦社会のアウトサイダーになり、一度それを経験している者は現アウトサイダーに連帯して味方って伝えたくなる、っていうところ、わかるなぁって思った。私も今後妊婦さん見たら真っ先に席譲ると思うし、赤ちゃん泣いてたら「うるさくないよ、可愛いよ、お母さん気にしないでね」って光線を前より熱心に送るだろう。
●一方で、妊婦やベビーカーを邪魔なモノとして扱ったり、全然目に入ってない人がいるのも事実。これは本当に痛感する。
優先席にどかっと座って、寝たふりをしてるサラリーマンとか、スマホゲームから目を離さない若者とか、まじで?って思うくらい存在するし、妊婦が目の前に立っていてもお構いなしなのだ。妊娠を経験したことないから、全然他人事なんだなぁって他者との断絶を実感する機会。
私はつい、大きいお腹で誰かの前に立つと「席譲れの恐喝に見えないかな…」って遠慮して、電車では目立たない場所に立ってたりしたんだけど、日常の妊婦の扱いへの違和感、憤りをきちんと表明しててはっとした。
そうだな、蓋をしてたことがたくさんあったな。おかしいことはおかしいよね。
●入院中の壮絶さ。母親たちが集まってコミニケートせず、ボロボロで、みんな疲れという一点で連帯している…という。ひえー、これからそれが待っているのか。
怖い…でも否応なしにその日が来るのか。
●タイトルにもあるように、母性だのなんだの、人の決めた神話や定説に左右されることなく「自分で名付けていく」って姿勢、いいなと思ったしなんか勇気わいた。
これから起こることに、自由に向き合って自分だけの名前をつけていこう、わたしも。
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とても爽快な妊娠~子育てエッセイ。
共感できるところが多いと思っていたら、出てくる映画の趣味がバッチリ合っていて納得。
気張らず飾らず、自分の意思をもって、自分の子育てをしてみたいなと思った。
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妊娠から子育てで感じたこと経験したこと、諸々のおかしいんじゃないか?ということを言葉にしている。よくぞ言ってくれましたという事がありありだが、筆者のように母親がベビーシッターのように支えてくれる場合でもこうなのだから、実際の子育てはもっと深刻だ。妊婦やベビーカーの母親にはもちろん、障害者やお年寄りにやさしい社会にしたいものだ。
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私が常々考えていることと同じで、そうそうホントそれとうなずいたりわらったりしながら読んで本当におもしろかったし、あ~なるほどそこそう思うわけねふむふむなんて発見もあったりした。
子どもの人とか、保護する者ですとか、フラットであろうとする言葉の使い方がおもしろいと思った。
1個だけそこはそう思わないけどと思ったのは、「ご懐妊おめでとうございます」と言われたのを、そんな定型文いらないのに、というところ。私だったら多分、純粋に「そりゃおめでたいこっちゃ!」と思ってそう伝えると思う。そういう人もいるのかーとすこしびっくりしてしまった。
最後に本当にそうだなとちょっとだけドキッときたのは「今一時的にOの人生を仮どめしているだけなのだ」という言葉。ずっとそう思って育てていたはずなのに、少し大きくなってきてひらがなを覚え始めたりするとなんだか急にあれもこれもできるようにならせなければと焦るようになってしまった自分がいる。「仮止めの糸をすっと抜く」心構えはずっとしていなければわすれそうだ。
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読ませる!
いや 思わず 読み進められてしまう!
「そうそう (言葉にすれば)そういうことなのよ!」
の 見本のような一冊ですね。
さすが 松田青子さん
ひそかに 一人のファンではあるのですが
松田青子さんの感性と
抜群の(共感させられてしまう)文章に
あらためて
やっぱり 松田青子さん!
いいなぁ
と 思ってしまう
文章の中に
時おり 差し込まれる
ーひとりでできるもん!状態の私!
ー撮れよ私!
ーなにが「妊婦様」だよ この図を見てみろや
等々
の 心の中の言葉が
すばらしい決め台詞になっていて
思わず 爆笑させられてしまう
これは
女、男 関係なく
共感してしまう人たち
続出の一冊でしょうね
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ごく最初の方にあった次のくだりを読んで、はっとしてしまった。
「私は、日本では、結婚すると女性の名字が変わるのが納得いかなかった。制度上はどちらの名字を取ってもいいと言われているものの、現状名字を変えているのは九割以上が女性側であるらしい。九割以上て。ほとんど全員じゃんか。そんな状態では、選択する権利はないに等しい。」
そうなんだよねえ。制度上どうであろうが、今の状態はほぼ強制だ。軋轢を覚悟して、あるいは軽やかに、世の習いを飛び越えていく人もいるが、多くの人はそう強くも自由でもない。結婚や出産にからむあれこれについて、大勢に流されず、いちいちひっかかりながら考えていく著者の姿を見ると、わが身を振り返って忸怩たる思いがする。同時に、心強い気持ちにもなる。こんな風に、フェミニズムなんて言葉を使わなくても、それを血肉とした人たちが確かに出てきているんだなと思って。
著者は、ふと見たアメリカのドラマのセリフ「ホルモンのせいにしなくていいよ。あなたが怒るのは当然」に共感して書く。
「ホルモン云々ではなく、相手がひどい態度をとったら、怒るのは当然だ。ホルモンのせいで女性は感情的だと言われるけれど。彼女たちに対して周囲の人たちはひどい態度をとっていないと言えるのだろうか。生理もそうだが、女性は生理があるから感情的なのではなくて、生理でしんどいときにひどいことをされるから機嫌が悪くなったり、怒ったりするのだ。どんなときでも、ひどいことに対しては、怒っていい」
これもアメリカのドラマのセリフに「もし男が妊娠できたら、ATMで中絶できるようになってるはず」というのがあったそうだ。もし男性に生理があったら、もし男性が授乳する側なら、こんな苦痛や不便がそのまま放置されたはずがないと著者も思う。女性は不便や不快やさらには人生の大幅な変更もしのんで当然というのがこれまでの社会で、そうしたものはないことにされていて、見えないものだった。「女性特有の」って言い方があるけど、人類の半分に対して「特有」はないよね。
抱いていた赤ん坊が泣きだし、周囲に気兼ねした著者が「うるさくてすみません」と言ったら、近くにいた子連れの女性は「うるさくないね、かわいいね」と子どもに話しかけたそうだ。そんな小さなことでも、どれだけ嬉しいかと松田さんは書く。
「こういう瞬間に出会うたびに、その場に偶然居合わせたり、メールでやり取りをしただけだったりする間柄でも、ゆるいネットワークでつながっているんだなと感じられる。社会って、こういうところからはじまっているんだと」
大きなお腹をした著者が電車で立っていても、優先座席に座ったサラリーマンと男子高校生が知らん顔をしていたという経験から。
「自己責任、という言葉がいつからか幅を利かせているように、現状、何においても当事者や周囲の人だけがその大変さや不便さを知っていて、それを社会全体としては気にかけなくても別にいい、社会の「普通」についてこられない者は弾いていい、という態度が「普通」になっている」
本当にそうだなあと思うことばかり。で、松田さんのパートナーはどういう方なのかと思えば、���事育児に積極的というわけではなく(夜遅くまで平気で飲み歩いたりしてる)、著者の考え方を理解しているふうでもない。しかし、あまり物事にこだわらないタチで、その「おおらかさ」が生活していく上では助かるという(著者の母が子育てを手伝いにきてほとんど同居していることも全く気にしないそうだ)。これはよくわかる。実際の生活では、相手の考え方がフェミ的にどうかということとは別の側面のほうがより大きな問題だったりするのだよ(もちろん、男性優位主義を振りかざすようなヤツは論外だけど)。
松田さんの怒り方はごく自然だ。理不尽なことに対してきちんと腹を立てている。そこが胸に響く。常に「波風を立てないこと」を優先してきて、そういう生活態度が習い性になっている自分を情けなくまた悲しく感じてしまった。もっと怒ってきてよかったんだよね。女は感情的だと言われたくなくて呑み込んできた無数の言葉は、全然成仏してないんだと強く思った。
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読むのに普段より時間かかった。子育て中なので、興味深く読んだ。夫婦別姓のことを書かれていた。ジェンダーのことを書かれていた。納得できることとできないことがあった。
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図書館で借りようとしても人気でずっと貸し出し中でしたが、やっと入手出来ました。出産を間近に控えたタイミングで読了。「普通」「当たり前」が好きなわたしには共感しにくい部分が多かったですが、「そんな考えも当然あるよね」と思いながら読みました。何も考えずに生きていると気づけない疑問に気づかせてくれました。
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エッセイ系の本だと思わず図書館で借りた。
外ではニコニコしてなにも言わないけれど実際は思うところがあってそれを裏垢に書き込んでいる人が多い世の中だけど、そんな感じの本だなぁと思った。
みんな自分本位に考えるから何かに怒って生きてるんだなぁ
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産前産後について書かれたエッセイ。
2割ほど読んで、
読むのを止めました。
文中で出てくる映画や書物のタイトルが馴染みなく、
それに例えられてもよく分からなかったからです。
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ちょうどリアルタイムで経験した事が多く、共感することばかりだった。
私自身映画好きなので、途中いろんな映画のエピソードが出てくるところも好印象だ。
世知辛い世の中つい考える事から逃げたくなるが、この本を読んで『もっと考えよう』と感じる事ができた。
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うんうん、そうだそうだということばかり。これから子どもを持つかもしれない若い人だけではなく、「子どもは母親が育てるのが当たり前」と思っている政財界の偉い人にも読んでほしい。(読まないだろうけど)
妻が夫の姓に変わるのは(どんなに不自由したり違和感があったりしても)当然と思われているのに、夫が妻の姓に変わると「偉いね」とか「奥さん一人っ子?」とか(裏では妻の言いなりになっているのだろうとか)言われる。
母親が子供の面倒を見るのは当然なのに、父親が子どもの世話を一人でしていると褒められる。だいたいイクメンってなんだよ。誰の子どもなんだ。自分の子どもなら育てて当然だろ。などなど、現在小さい子供を育てていなくても腹が立つことでいっぱいだから、現在妊娠していたり、子育てしている人は本当に疲弊することが多いと思う。母親ばかりが疲弊する社会で子どもが増えることはない。
制度のほうが「普通」の枠を広げたらいいやないか、そっちの「普通」が狭いくせに、こっちにドヤ顔してくんなよ(p40)
女性は生理があるから感情的なのではなくて、生理でしんどいときにひどいことされるから機嫌が悪くなったり、怒ったりするのだ。(p54)
著者の松田さんはそれでもお母さんのフルサポートがあり、自由業である程度仕事のコントロールができる。パートナーも気づかず無神経な言動をすることはあるにせよ、松田さんの言い分をきちんと聞くし、へんなこだわりもない人で日本の母親の中では恵まれている方ではある。それでもこれだけの不自由、理不尽。
一番脱力して「あるある」と思ったのが、何の先入観もない幼児に「男のプライド」とか刷り込む母親。「男は泣くな」とか「女の子に負けてどうする」って言う母親いるんだよね。昭和なら仕方ない。父親ならまだわかる。けど、あれって何なんだろう。自分の属性を貶めていいことあるのか?子どもにとっても、自分にとっても。
あと「母性」っていうのも、本当にそうだと思った。「母性」と「父性」ってどこがどう違うの。小さいもの、幼いもの、弱いものを保護したい、世話したいという気持ちは母だろうが父だろうが他人だろうが同じだと思う。
甲斐信枝さんの『あしなが蜂と暮らした夏』を読んで、昆虫にもそういう感情を抱けるんだなとも思った。況んや犬猫や人の子どもをや。
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P150「恋愛」「結婚」「家族」などのファンタジーで、ここまで国が続くくらい多くの女性があの痛みとしんどさを耐えてきたこと自体がもうすでに奇跡だ。
P238母性 めちゃめちゃ大切にしなければならない存在をめちゃめちゃ大切にする
P248私は今一時的にOの人生を仮どめしているだけなのだ、ということだ。Oがいろんなことを自分で決められるようになったら、その仮止めどめの糸をすっと抜く。
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コロナ禍のこと、妊娠・出産・育児のことが
書かれてるようなので気になって読みました。
他の本は読んだことがないのですが、
淡々と、サラッと、フラットな感じで
書かれていてなんだか読みやすかったです。
また、妊娠や育児に関わる話が共感できることや
自分にない視点があり、興味深く読めました。
世の中の制度や意識が、なかなか刷新されてないことが
突きつけられる(んー、ピッタリの言い方・語彙力なくてすみません)ような感じでした。
この本を読んで、自分は結構色々と世間の見方・やり方に
染められてるなぁと感じたので
子どもの世代に少しでも薄めていけるよう、やっていけたらいいなぁと思いました。