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今年の6月22日に旭川医大の学長解任問題を取材していた北海道新聞の入社3か月の新人記者が建物侵入の疑いで逮捕された事件がありました。当の新聞社が早々に実名を公表した割に社内指示系統については不明なところもあり、いま新聞記者であることの辛さを示す事件だったと感じています。(三ケ月経って、いまどうなっているか…)そもそもすべての情報がネット上ではタダ、と思われている(?)時代に取材のコストとリスクを誰が持つのか?取材の主体である記者の育成を誰が担うのか?というのは大きな社会的テーマだと思っていたので、新刊広告で本書の題名に誘われるようにすぐ購入しました。ただ書名が「ニュースの未来」じゃなくて「ジャーナリズムの未来」だったら手を出さなかったかも。ジャーナリズムにはある種の保守的権威主義を感じるけど、ニュースにはYahoo!ニュースだってスマニューだって含まれるから、かな。いよいよGoogleニュースショーケースもローンチされたし。実際、著者は毎日新聞社に入社し、BuzzFeedに移籍し、現在はフリーライターになっているという、典型的なキャリアの人です。彼がそれぞれの場所で何に悩み、何に可能性を感じたか、が、まさに本書の内容となります。自らが地に足の着いた取材を重ねた経験によるストーリーなので、また新聞記者らしくわかりやすい整理になっています。そういう意味では「ニュースの未来」のイメージはなんとなくつかめるのですが、冒頭に挙げた北海道新聞の新人記者の問題を考えると難しいものがあると思います。今日もすべての報道が自民党総裁選の候補者をスポーツ記事のように取り扱うものばかり。その奥にある日本の争点は顕在化されてきません。この問題はニュースの発信者だけでなくニュースの受信者であろこちら側の問題でもあるかもしれませんね。
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ネットではPVを稼ぐために見出しは強いが読み終わる前に「なんだこれ!」と捨て台詞と共にページを離れたくなる『ニュース』が散見されるにつれ(人それぞれ欲する物が違うので、それが悪いという意味ではない)
情報発信者や著者を確認してからページを開くようになってきた
そしてこの本を買ったのはTBSラジオ、澤田記者のツイートしていたからである
自分の中で積み上げられた澤田記者への信頼が購買意欲となり、また新たな信頼できる人物を知ることができた
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報道写真に関わる人間として「ニュース」写真とは何かを考えたいと思った。
参考になりそうな教科書はSochi Project の写真集。Rob Hornstra & Arnold Van Bruggen: The Sochi Project: An Atlas of War and Tourism in the Caucasus https://www.amazon.co.jp/dp/1597113344/ref=cm_sw_r_cp_api_glt_i_1WEBFRJ6K3BWC2RXV272
五輪開催が決まったソチ周辺を舞台に2009年から約5年取材。ライターとフォトグラファーのコラボについても考える材料になる。
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おもしろく読めて、一気に読了した。
既存メディアには停滞、衰退といった言葉がついてまとうことが多くなった気がする。わたしも同様に思うことが多い。しかし、著者から見れば、まだまだ希望はあるし、努力や工夫の余地はある。古い考えに凝り固まった層より、著者の世代に期待したいと感じた。
これは発信する側が課題をしっかりとらえるべきという話とともに、受け手であり時にSNSで発信する側にも回れる私たち消費者への問題提起だと感じた。ツールは変わってもいかに伝えるか、分かってもらうか、という根底は変わらない。この辺りも本からの気付きだった。
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社会の広がりを意識した良いニュース、フェイクニュースと科学ニュースの違い、昔のニュースでもインターネットでは新しいストック情報となる等、興味深かった。
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Twitterで話題に挙がっていたことから興味持ち、購入。
大手(毎日)→ネットメディアへ移っても、ネットメディアもまた大手と同じような道に陥ったりする。著者の葛藤する様子が伝わるとともに、感情に訴えるタイトルや速報を出したところ勝ちな点というのは、凄く分かる感じがした。
著者が挙げた良いニュースの条件というのも、個人的に納得感あった。確かにそのような記事増えると、またニュースは面白くなると思う。
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新聞記者からネットニュースに転身した著者が、良いニュースについて考察した良書。旧メディアと新メディアへのバランス良い目配りが光る。
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とても面白かった。物語性を持たせたニュースは、読み手の力も問われるなと感じた。テレビのニュースがアナウンサーが読み上げるものからキャスターが語る時代になっていったように、文字媒体のニュースもより書き手の顔が浮かぶものへと変化しているように思う。
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SNSは種全体に情報発信する事で、本能として備わっている、物語を紡ぐ欲求。例えば、秘密話を共有したいとソワソワするような欲求を満たしてくれる。そうした人間本能に根差した新たな仕組みを見れば、本著で書かれる「巨大なデジタルプラットフォーム」を基盤にした「市民メディア」の実現はあり得たかもしれない。しかし、著者が言うように、その実現可能性は低い。
本題にされる「良いニュース」に対して、これら市民メディアのクオリティが落第点だという原因が確かに大きい。プロフェッショナルである著者が記載するニュースの基本型である三点。速報、分析、物語。仕事としての取材と原稿。とりわけ、市民とプロのクオリティの差は、速度で引けは取らないものの、取材と分析において圧倒的な差があるだろう。事件に深く関係する人が、敢えて無料のSNSで情報発信し欲を満たそうとするインセンティブは働かない。物語を集団で紡ぐ欲求は、自身の生存を繋ぐ欲求の次に来るからだ。情報は金で売る、あるいは、身の危険を回避する。
しかし、斯様に市民メディアからマスコミの領域は守れるだろうが、PVを稼ぐだけなら、大衆向けに低品質なニュースを流し、そのサイクルでもって情報産業全体が劣化していく恐れはある。新聞は読まないが、スマホは見る、非知識層のニュース界への読者としての侵入だ。ただこれも、元々文章を読むインテリ層は市場規模として維持されるため、その階層の知識欲をターゲットにする事で今のメディアの分担が成り立っており、下品なニュースの「稼ぎシロ」が無尽蔵に広くなる事はないだろう。両立できる。これらは私見だが、救いである。
一人の口から真実のニュースを語る事は難しいが、複数のニュースを咀嚼する事で、自分自身の脳内には、より真実の輪郭を描く事は可能だ。ならば、良いニュースとは。一人ひとり、それぞれのメディアに対し、違うニーズで接して良いものだろう。
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ニュース記者としての個人的な体験による、ニュースの原則がある。ニュースの原則の本を読んでその対比を述べてくれたら少しは卒論に役立ったのかもしれない。しかし、ニュース記者になりたい人にとっては一つの体験記としてやくだつであろう。
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インターネットメディアの普及の中で「ニュース」を巡る環境が大きく変化している。私達の暮らしに必要なニュースとは何なのか。良いニュースはどのように今後どのように社会に送りだされていくべきなのか。ニュースの本質を考えるための一冊。
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こんな思いを持って文章を書いている人がいるって嬉しい。
色んな葛藤が、キャリアの中であったんだろうな。
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【before】この本を読む前の私は、これらを知りませんでした。
・「例えば、象が空を飛んでいると言っても人は信じてくれない。しかし、4257頭の像が空を飛んでいると言えば、信じてもらえるかもしれない」ガルシア・マルケス
↑ニュースの本質を見事に表現している。
・ニュースとフェイクニュースは正反対なのに、全く同じ手法でリアリティを獲得。
・「分析」は起きたことを意味づけるニュース。いきなり発生したことだけ報じられても、その意味が分からない事はたくさんある。
・ニュース=サンスクリット語に起源「人間が思考するために必要な糧」の意。
・いいニュースには【謎・驚き・批評・個性・思考】がある。
・謎を提示するために必要なのは「問いを立てる力」解き明かすことで驚きに変わる。ニュースの黄金パターン。「驚き」は、納得がないと消化されない。
・秘密の計画、隠された真実を「知っている」という世界観が陰謀論を支持する。
・陰謀論は無知な人々がはまり込むのではなく、積極的な人々が接近するもの。
・彼らは他ジャンルのコンテンツを読むことは滅多にない。
・「1派を主張するニュース」は、いかに根拠に基づき科学的に正しかったとしても対立する側には届かず内輪の結束を固める効果をもたらして終わる。結果、対立する側は「よく分からない存在」となり、分断は深まっていく。
・ネットの見出しは「如何に読んで、シェアしてもらうか」の観点から発展。到達点は、感情にアプローチして揺さぶり「読まないとマズい」と思わせる手法。
・感情刺激競争は分断も加速させる。進行すると合致する意見同士で固まり、違う意見を敵とみなし、現場を踏まえた実務的な解決策から遠のく議論ばかり展開される。
・取材を「誰かの主張を代弁」とはき違えるとクオリティが低下し、力はつかない。
・リスクのトレードオフ(あるリスクの軽減達成のため、別のリスクが高まる)
・「社会的不利益が大きい、無根拠に基づく政策をゼロに」くらいの目標が適切。
・組織や業界を変えようとしても、コストがかかる割に成果を残せず終わる。
・私たちは「向こう側に共感すれば明快な分析ができなくなる」と思い込んでいるが、それは誤りだ。本当は、向こうに立ってこそ真に重要な分析に取り掛かれる。
・「いいニュース」とは、事実に基づき社会的なイシュー(論点・争点)について、読んだ人に新しい気づきを与え、かつ読まれるもの。
・ハミルが繰り返し「ニュースは動詞だ」と強調しているのも、有名人だからという理由で報道されていくニュースの危うさを知っているから。
・正しい知識が陰謀論の防波堤にはなり得ない。メディアを疑い鵜呑みにしないからこそ、彼らは証拠の有無に関係なく「報道の裏にある何か」を察知する。
・知識を積み上げた結果「マスコミは自分の考えと反対で、しかも大多数の人たちに悪影響を与えている」とさしたる根拠もなく思ってしまうのも人間の特性。
・ネガティブケイパビリティ「不確実さや不思議さ、懐疑に耐えられる能力」
・ケイパビリティ=力。生まれ持った才能ではないので、鍛えることができる��
【気づき】この本を読んで、これらについて気づきを得ました。
・プロであっても、豊かなディティールがある嘘を見抜くのはとても難しい。
・フェイクは、ディティール=細部、に宿る。
・人は見たいものを見て、共通点のある人とつながりたがり、感情は伝染しやすい。
・明確な間違いを指摘されても、自分の世界観に合わなければ「自らの世界観にさらに固執する」というバイアスの存在。
・人間は常に「こうあって欲しい」という情報に弱くなるバイアスがある。
・分析に強い記者に共通→都合の良い情報ほど「本当?」と疑うところから始める。
・「自己紹介」の場面でどんな風に自分のことを物語るか?
・「どうして彼らはこう考えるのか、どうしてこういう結果になったのか」と書き手が思考を深める過程と、立場を超えて共有している思いを丁寧に描くことが必要。
・人は「自分の信念を裏付ける情報」は、たとえ誤情報であっても受け入れてシェアするものの、それとは違う情報は受け付けない。
・締め切りと責任が人を鍛えていく。
・これが誤った情報だ、と指摘してファクトを提示したところで人は動かない。
・「善意」の感情は冷静な議論を吹っ飛ばす。
・大半の政策はよき目的(善意)に沿って作られているので「ほぼ無批判で万事 OK」ということになってしまう。そうなってしまうとメディアは要らない。
・少ない事案を防ぐために対策が取られるのは、社会的コストのかけ方がおかしい。
・書き手が思考を深めていくと、発信されるニュースも自ずとそうなっていく。
・巨大デジタルプラットフォームがオンライン利潤をほぼ全て独占している。市民ブログの大半が放置され、誰にも読まれることはない。
【TODO】今後、これらを実行していこうと思います。
・事実と論説を明確に切り分けて、かつその両方の良さを重ねていく。
・直感的・感情的な速い思考と、理性的・論理的な遅い思考のバランスをとる。
・自分が面白くないテーマは、見切りをつけて最低限の労力でいい。その代わりに面白いと思うものには全力で取り組む。
・「おぉ、そうなんですか。では改めましょう」のスタンスを心がける。
・「本当に実効的な手段、具体的な行動、その際のコスト」を考える習慣づけ。
・時間を奪っていく相手が一緒なら、意識的にターニングポイントを設定する。
【もっと深く知りたいテーマ】
・歴史に残るフェイクニュース「ジミーの世界」事件。
・サイモン・シンなど、超一流の科学ライターのノンフィクション。
・ゲイ・タリーズの、一つの手本となるくらい完成している服装について。
・ゲイ・タリーズの「シナトラ、風邪をひく」
・レポート「沖縄ラプソディー」
・ルポ「百田尚樹現象」愛国ポピュリズムの現在地
・その名を暴け ハッシュタグ mee to に火をつけたジャーナリストたちの戦い
・自粛警察
・STAP細胞