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どこかの国の首相が言っている、
「成長と分配」
成長なくして分配なし、の理論は、
生きづらさの典型ではないか。
全てのものが等価交換となりがちな、
資本主義社会においては、何かと引き換えで
なければ、何も得られないのか。
この論理に、ケアでさえも巻き込まれているのだ、
と感じさせてくれたのが本書であった。
ケアは、資本主義の外側になければいけない。
何も持たない私でも、受け取っていいのだ。
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倫理(ケア)には具体的な決断が伴う。だからこそ倫理には悩みや迷いが生じ、それゆえに創造的とも言える。
法や社会やモラルにただ盲目的に従う「道徳」ではなく、思わず逡巡してしまう「倫理」が人間の身体を作り出す。
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「正義の倫理」との対立により「ケアの倫理」が導入され、文学におけるその表象と細やかに往復を繰り返しながらその概念の変遷と未来が描き出されている。オスカー・ワイルドから平野啓一郎までを「ケアの倫理」を軸として一気に批評。「ネガティヴ・ケイパビリティー」など鍵概念が反復されたり、各章のむすびに小括が設けられたりしていて、一般書としての読みやすさにも配慮されているところからも「現代性」を感じさせる。
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いま「ケア」という言葉に注目が集まっている。反射的に職業としてのケアワーカーやケアギバーが連想されるが、この言葉の持つ意味は広く、ケアは誰もが日常的に行っている。世界はケアで成り立っている。ところが世の中には、ケアは女性が従事すべきものとする(特に男性を中心とした)見方が根強くある。
本書のタイトルにある「ケアの倫理」は著者の造語ではない。ローレンス・コールバーグのいわゆる「正義の倫理」やジョン・ロールズの「正義論」へのカウンターとして、倫理学者のキャロル・ギリガンによって提唱されたもので、ケアを他者への共感という視点で語るものだ。本書はその「ケアの倫理」を、文芸評論を通して論ずる興味深い内容だ。印象としては、序章と1章のヴァージニア・ウルフ、2章のオスカー・ワイルドまでで著者の意見の大方は語られている気がする。しかし全章を通して、文芸評論の枠に収まらず、政治哲学、社会学、倫理学、歴史学、ジェンダー論等、グローバルな知識が統合されていく心地よさがある。それだけに広範な基礎知識が求められ、読書のハードルは上がるけど、たまらない面白さ。
ギリガンのケアの倫理は、フェミニズム論者からは批判されることも多い。女性性を強調するものだ、ケアを女性の労働とすることを正当化するものだとの声もある。本書で著者はその点には明確に触れていないが、ワイルドや三島由紀夫など、境界を越境する作家たちを紹介する。また度々登場する両性具有的な存在は一つの解であるのかも知れない。
三島や平野啓一郎をケアの視点で読み解いた人はかつていただろうか。文学ってこういう読み方があるんだ。文学の可能性をググッと押し広げる一冊。
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『ケアの倫理とエンパワメント』
ケアの視点で文学を読むと、弱者の物語から横臥者や精神的苦痛を強いられる人々の視点が得られる
この視点からの思考が社会の現状を変える原動力となる
知らない用語が多かったので勉強しつつ、登場する作品をこれから読んでいきたい
とても面白かった
#読了 #君羅文庫
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キャロル・ギリガンが提唱した「ケアの倫理」を岡野先生の講演で初めて聞いて、まだ十分に咀嚼しきれてないために読んでみた。残念ながら、この概念は人口に膾炙しておらず、私自身も十分に血肉にはならないのは、これまでの価値観に左右されているからだろう。本書の価値は、ケアの価値の視点で文学を読み直し、「ケアの倫理」の再構築を試みたことで、今後の議論の短調にもなることではないかと思う。本書に取り上げられた著者の本はあまり読んだことはなく、十分な理解には至らなかったが、この概念は、今後の世界を変えていく概念の一つであることは間違いないだろう。
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ケアされたいと思った人が、ケアを求めるものであり、ケアする側が気づいて察するものでも無い。
また女性がすべきことでもなく、男性の中にもケアのエンパワメントは存在している。
男性、女性ではなく、両性具有的に捉えることで、ケアについての倫理観が変わるのかなと。
また人との関わりは水平的であり、平行でも交錯でもない。水平的にずっと続いて行くもので、ケアする人、ケアされる人との距離間はしっかり考慮する。
オーランドーはちょっと読んでみたいな。
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「ケア」という言葉を意識したのはブルシットジョブを読んだとき。コロナ禍の今、エッセンシャルワーカーによるケアが話題になっている中で広い意味を含むケアを知りたくて読んでみた。こちらの意図を十分満たす本だったのは当然のこと、優れたブックガイドの側面が強く読んでみたい本が増えた。
タイトルにある「ケアの倫理」はキャロル・ギリガンというイギリスの社会学者が唱えた言葉で、著者が彼女に影響を受けながらも社会学から文学研究へとシフトしていく話が序章として用意されている。フェミニズムの観点だとケアというより自立した個を目指すべき、という主張が強いと思うけど、その対義の存在となりがちなケアする立場の人について思いを巡らす必要性を説いている。
知らない言葉がたくさん出てきて、そのどれもが使いたくなる。ネガティブ・ケイパビリティ、クロノス的時間、カイロス的時間、緩衝材に覆われた自己、多孔的な自己など。こういった知らない概念を丁寧に説明してくれながら文学作品を読み解いていくので知的好奇心がとても刺激された。紹介される文学作品の多くは読んだことなかったけど、本著で提供されえう作品の立て付けを前提とすることで「ケア」の概念に関する理解を深めることができるだろう。唯一読んでいた多和田葉子の「献灯使」だけでもその視点の鋭さに唸りまくりだったし、ヴァージニア・ウルフ、三島由紀夫、平野啓一郎など興味あるものの個人的には未読系作家の話がどれも興味深かったのでそれらを読んで本著を再読したい。
文学を読みながらここまで深くメタファーや社会背景をふまえて理解していく姿勢はすべてが加速していく今の時代に立ち止まって思考することの大事さを教えてもらった。著者が文学に可能性を見出しているラインが好きだったので以下引用。文学によるエンパワメント!
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文学は読者のなかに新しい他者性の意識を芽生えさせる驚異的な営為なのだ。
他者の言葉を聴こう、他者の気持ちを理解しようとすることは忍耐力が必要であるという点で、文学の営為にも通じる。物語を創作すること、あるいは読むことは、誰かの経験に裏打ちされた想像世界に向き合い、じっくり考えて耐え抜くプロセスでもある。
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美術手帖から。文学にあらわれるケアの思想が網羅されている。ケアという言葉に逃げず、でもケアを頭に置いておきたい。再読したい。
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THE論文。学生時代ならまだしも、しばらく離れていた今にこういった論文を読むのにはかなり骨が折れるようになった。さまざまな文献が参考にされており、このテーマを真面目に研究する場合にはかなり役立つのだと思う。趣味の延長で読むのには結構重かった。読破はできなかったけど面白かった。
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雑誌 美術手帖でこの書籍を知り、手に取った。素晴らしい出会いだった。
文学研究者から見た、ケアの視点。全てにおいてリスペクトが感じられた。この書籍から、読んでみたいと思う本にたくさん出会えたのもよかった。2023年の幕開けにふさわしい。そして、私自身ネガティブ・ケイパビリティを持ち世界を見つめていきたいと思った。出会えてよかった!これからの私のベースになると思う。
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ケア、ネガティブケイパビリティ、クィア、ダイバーシティ、カイロス的時間、多孔的な自己、情動的転回、そしてホモソーシャリテイを背骨とした文芸批評である。一見とっつきにくそうだが、とても読みやすくヨーロッパや日本の文学作品を俎上にあげている。三島由紀夫文学から多様性の系譜を探る平野啓一郎の姿にシビれた。なお、本作で取り上げられる作品群の多くを私は未読なのだが、十分楽しめた。
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自己と他者との関係において「ケア」とはどのようなものか。近代社会以降では「自律する個」という価値観の影に隠れて、ケアの価値は不当に貶められてきたのではないか。強くある「個」に対して、弱く他者に依存する「ケア」、男性的な理性と女性的な共感、そうした二項対立を超えるあり方や眼差しを西洋文学、日本文学を題材に捉え直していく論考。最近考えてるネガティブ・ケイパビリティとも大きく関わるものだったのもまた視点が広がり、三島由紀夫から平野啓一郎への多様性を辿る系譜も面白かった。平野さんの三島論も読もう。
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ケアの倫理とエンパワーメントから読み解く近代文学。とてもいい読書案内。倫理の本じゃなかった。いや、タイトルだけで決めたこちらの問題なんだけど。
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ケアの倫理の本は初めて読んだけれど、私がここ半年くらい考え込んでいたことと予想以上に繋がっていた。作中に出てきた本も読みたいと感じた。
理論を語るというよりは、文学作品と絡めた説明が続く印象だった。