紙の本
奥さま想いの優しい旦那様
2017/10/16 06:34
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投稿者:L - この投稿者のレビュー一覧を見る
実は城山さんの小説を読んだことはありません。が、この本がとても素敵だとネットで見て読んでみたら・・・素敵!なんて奥さま想いの旦那様なんでしょう。こんな人に愛されてさぞ幸せだったろうな、と思いました。
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本当にいいご夫婦だったんだなぁと、涙が止まりませんでした。
薄くて文字も大きめですが内容はすごく伝わってきました。
もう一度読もう。
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文庫化にあたり。
初めの章で引き寄せられ
最後の方で号泣。
夫婦愛に涙が止まりませんでした。
お二人の出会いや
夫婦の距離感
奥様がなくなるまで。
熟年離婚が増えている
世の中にこそ
読んで貰いたい本です。
お二人は幸せだったんだなぁと思ったと
同時に、奥さんが亡くなってからの
城山さんの虚無感
想像を絶するものだったのではないかと
思います。
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何てことはない、作者自身の夫婦の歩み。
出会いから死別するまでの記録的エッセイなのだが、
読んでいて何とも言えないアタタカイ空気に包まれた。
切なくて、涙。
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方翼を、半身を失うということの切なさに涙した。
経済小説、歴史小説家の城山三郎の妻との出会いと、別れが、淡々と描かれている。いや、初めてあった妻を「妖精」と書いてたりするので、淡々というのはまた違うのかもしれない。が、やぱり色合いは、淡く、静謐だ。
彼が、多少の後悔はあるにしても、妻を愛しきったというプライドがそういう色合いにさせているのかもしれない。
巻末の次女の寄稿がさらに涙を誘う。
「死は、生の対極にあるのではなく、内在している」というのは、村上春樹の「ノルウェーの森」にあったと記憶している。
内在しているものだからこそ、それを精一杯受け入れる姿勢こそ、よく言いきるということなのかもしれない。
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泣ける!と感想を書いている方が多かったので、泣けるのかと思いきや奥様のお茶目さにほのぼのしてしまい、最後まで温かい気持ちで読み終えました。娘さんの追記を読んで男の人は妻に先立たれると弱いというのを痛感。自分はどうかな?男、女が逆になってもやはりこの上ない寂しさがあるだろうなぁ。
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しゃくりあげて泣いてしまった……。夫婦の絆と言うものを見せ付けられた思いです。
さらりと書き綴られる文面に、切ないほどたくさんの愛情と幸せと思い出が詰まっています。読み終えて改めて表紙の題名を見て、切なくて悲しくて寂しくて、また泣いてしまいました。
巻末の娘さんが寄せた言葉では、老いていく両親に対する気持ちにすごく共感する部分があり、また、まだ感じたことの無い感情もあり、ゆくゆくはこんな感情を抱くのだろうかと自分と重ね合わせて読了しました。
とても温かい、慈愛に満ちた手記でした。
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読み終わったあと、なんとも言えない清涼感というか心が満たされた上にすっきりとした感じがしました。
城山さんの本を読んだのは、恥ずかしながらこの本が初めてです。
書店でこの本の題名を見たときに「これは読んでみたい!」と思ったのがきっかけで、いっきに読んでしまいました。
筆者の思いや情熱が素直に表現されていたこともあって、非常に心に響いてくる作品だと思います。
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8/15 よかった。夫婦っていいな。昭和の夫婦の愛の形。恋愛を繰り返すことだけが幸せじゃなくて、晩年の旦那さんに出会いを語らせて「妖精のようだった」って言ってもらえるなんて、そんなに幸せなことがあるだろうか。こんなにドンと構えていられる妻がいるだろうか。それはやはり「好きだから」じゃないのかなあ。
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いやー、もうタイトルだけでぐいぐい来てしまうわけです。
社会派小説で名を馳せた城山三郎氏が
人生の最後に綴ったのは亡き妻への想いだった。
それはもうこちらが戸惑ってしまうほどまっすぐで、てらいのない表現。
これはきっと後できちんとお話にするための
自分用のメモ書きみたいなものだったんじゃないか。
死後、書斎から発見された何枚かの原稿用紙が、
その正しい順序も分からないまま出版社に持ち込まれ、
娘によるあとがきを追加して本書になっているらしいのだけど、
本人が生きていたらこういう形では世に出なかったはずのものじゃないかと思う。
そういう意味ではとても貴重な本ですね。
あとがきも、うまく別の視点から本編を補足していていいです。
あったかせつない気持ち。
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電車で次女の方の章と児玉さんの解説?を読んでしまい、かなり挙動不審者に。
夫人とのエピソードは楽しいことがたくさんで時にニヤニヤしながら読んだのに。。。最後は涙をこらえるのが大変でした。
シェー!のポーズ、「家事をしなくてすむから」と旅行に同行するなどなど、夫人が生き生きと描かれていて、素敵だった。
どんなときにも明るく笑顔でありたいと思っているけど、なかなか難しい。
癌の告知でさえ、笑顔。息子との最後の別れも笑顔。
自分が同じ立場になったときにはこの本を読んで笑顔で過ごしたい。
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著者の死後、みつかった文書を整理してまとめたもの。
妻との出会い、そして、死別までを描いた本。
印象は淡々という感じか
奥さんのキャラクターがいいですね
ただ、泣くことはなかったです
なんか、個人的には入り込めなかった。
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単行本でも読んだのですが書店で見かけて文庫も入手しました。著者の幸せな結婚生活とその裏返しの大きな喪失感がぐっと伝わってきます。寂しいようなあこがれるような気持ち。
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城山三郎の容子夫人が大きな病院に精密検査に行く。城山は仕事場でもあるマンションで待つことにする。検査結果を待っている間、城山は不安でしょうがない。芳しくない結果であったなら、妻に何と言葉をかければいいのか・・・。
やがて、エレベータの音。聞きなれた妻の足音。何かリズムが聞こえる。妻が歌を歌いながら歩いてきている!こんなときに、歌なんか・・・。その歌声がはっきりと聞き取れるような距離にまで来たとき、城山は愕然とする。
『「ガン、ガン、ガンちゃん ガンたらららら・・・」
癌が呆れるような明るい歌声であった。
(中略)
重い空気は吹き飛ばされたが、私は言葉が出なかった。
かわりに両腕をひろげ、その中で飛び込んできた容子を抱きしめた。
「大丈夫だ、大丈夫。おれがついている」
何が大丈夫かわからぬままに「大丈夫」を連発し、腕の中の容子の背を叩いた。』(「そうか、もう君はいないのか」)
世の夫は皆、城山と同じ行動をとる。
「何が大丈夫かわからぬままに、「大丈夫」を連発し、腕の中の容子の背を叩いた」
そして、今はの際には、江藤淳と同じ思いにいたる。
昏睡状態の妻慶子のベッドの脇で、妻を見つめている。
『 慶子は無言で語っていた。あらゆることにかかわらず、自分が幸せだったということを。告知せずにいたことを含めて、私の全てを赦すということを。41年半に及ぶ二人の結婚生活は、決して無意味ではなかった。いや、素晴らしいものだった、ということを』(「妻と私」)
老齢の大作家二人による、先立つ妻への最大のラブレターである。
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作家城山三郎が晩年、亡き妻との人生を振り返り残した手記。没後に原稿を収集し編集は出版社にて行っているが、妻への素直な愛情が穏やかな口調で語られている。
最愛という言葉は情熱的な響きをもつことも多いが、穏やかな形の最愛の人との時間が素直に描かれており、羨ましい。
ただ、一緒にいる。それだけで心が落ち着く。そういう伴侶を見つけたい、と思う。
p134---切ない。
もちろん、容子の死を受け入れるしかない、とは思うものの、彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。