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世界には、もはや未知の空間がないから、未知の体験をすることが現代の探検家である、というようなことを作者が言っており印象的でした。
極夜とは白夜の反対で、太陽が全く昇らない暗闇の世界。想像するだけで恐怖ですが、リアルで無駄のない文体がその世界を追体験させてくれます。夏にオススメ!
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白夜行……じゃなくてその反対、極夜行。
日が昇らない暗黒の極北を冒険するお話。
面白い!
とにかく面白かった!!
熱量のある文章、緊迫したシーンでも平然と挟まれる冗談描写、なのに話の張りつめた緊張感は損なわない、というとても危ういバランスの上で奇跡のように成り立っている作品。
なんだこれ、最高すぎる。
文庫版あとがきにある『カオスをいかに文章で表現するか』が大成功していると思う。
この本が発行されているということは無事生還しているという、存在自体がネタバレになっている作品なのに、そういったシーンを読んでドキドキソワソワが止まらなかった。
無事生還できるか以外にも、そもそもの旅の目的である「極夜明けの太陽を見る」や「犬との関係の行く末」など見どころがたくさんなので、飽きることなく……というか、胃もたれするくらいの楽しさがあった(笑
あと犬可愛い。これ。
ウヤミリック可愛い。
ひとつ不満を言わせてもらうなら、写真がいくつか欲しかった!
描写と想像で楽しむのも本の面白さなんだけど、それはそれとしてノンフィクション作品なら写真があってもいいかなーって。
使っているテントの大きさってどれくらいなの?とか、ウヤミリックってどんな感じの犬なの?とか、引いてる橇ってどんなサイズ感なの?とか、そのあたりの情報は写真があると嬉しかったなぁ。
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思ったよりもがっつり本気の探検であることにまず驚いた。
4年の年月をかけて慎重に念入りに準備された「極夜行」。
白夜とは反対に、一日中太陽の昇らない、夜だけの毎日。
条件のいい季節でさえ危険と隣り合わせの極地探検を、極夜に行おうというその意味とは。
危険を重々承知しているから充分に準備したはずなのに、ことごとく想像を上回ってくる自然の猛威。
相次ぐ危機の連続に笑えてくる。
”角幡はノンフィクション書いているって言っているけど、あいつのやっていることは単独行で第三者の目で事実検証できないから結局都合のいいところでフィクション書いているんじゃないの、などとアマゾンのレビューで書かれても仕方のないこの展開は、全て極夜の意志だったのではないか?”
と、本人さえも思えるほどの展開。
どん底だと思ったら上げ底で、さらにその下があったなんてことがざらに起こる。
結局生きて帰ってきてこの本を書いているんだから、大したことないんじゃない?なんて思う勿れ。
読んでいる最中、何度も私は「これは無理」とあきらめかけた。
そのくらい彼の文章には臨場感がある。
”昔の探検は地理的探検に縛られていたので、地図の空白部を目指すことや未接触部族を発見することばかりを目的としていた。実際、地図は人間界のシステムを空間的に可視化したメディアなので、地図の外側に行くことはすなわちシステムの外側に出ることに等しく、たしかにそれは冒険であり探検であった。しかしもう二十一世紀に突入して十六年目、さすがに本物の地理的空白部や秘境はほぼ消滅し、百年前の未接触部族も子供の誕生日にスマホをプレゼントする時代に入っている。”
探検は今や地理的空白部ではなく、体験的空白を目指して行われるのだ。
だから極夜に橇を引いて北を目指す、と。
極夜と一言で言っても、地平線のすぐ下まで太陽が来ている時と、まったく太陽の気配がないのとでは、闇の深さも違う。
それから、緯度の高さによってもそれは違ってくる。
彼は一番闇の深い時期を目指し探検をスタートさせ、一番闇の深いであろう北を目指した。
しかし人間は、太陽の光を浴びないと気力を保てないんだね。
気温の低さが体力を奪い、想定外の事態の連続で食料を節約する羽目になり、そして、「鬱」。
よく生きて帰ってこられたなあと思うくらいだ。
自分の体温と外気の間で、寝袋が結露するとか、テントの内側に氷が張るとか、考えてみたこともない過酷な状況で、太陽を目にする日を目指して極夜を行くって、本を読んだ後でも想像できないメンタルである。
”光は人間に未来を見通す力と心の平安を与えるのである。それを人は希望という。つまり光とは未来であり、希望だ。”
この光とはあくまで太陽の光のことで、極夜の中での唯一の自然光である月の光に著者は翻弄されまくる。
洋の東西を問わず、ルナティックなることが起こるのは、実に自然のことなのだなあ。
長年北極圏で犬橇活動をつづけている山崎哲秀さんや、エスキモーになった日本人こと大島育雄さんな���、極地で生活する日本人がいるということも、この本を読むまで考えたこともなかった。
自分の周囲の常識なんて、ほんとちっぽけだと思った。
生還できたからこそこの経験を本にすることができ、多くの人にその一部なりとも共有することができたわけで、冒険・探検の途中で命を失う可能性は割と高いことを思うと、家族を持った今、今後の人生をどう思っているのだろうと思ったら、既に次のステップに向けて準備をしているとのこと。
そのタフさには頭が下がります。
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今年のベスト5
極寒の極夜を一匹の犬と著者だけで行った時の探検記である。臨場感がある読ませる文章に引き込まれ最後までドキドキ、ハラハラしながらあっという間に読了。
探検というのは要するに人間社会のシステムの外側に出る活動と著者は書いている。
著者のような探検は自分には絶対出来っこないが、人間社会のシステムからちょっと飛び出してプチ探検をしてみたくなった。
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最高に面白かった。
私はどこかで冒険者や探検者に理解を示そうとしていなかった。
スリルを求めて旅をするなんて意味がわからない、無くて済むなら無いままでいいものが危険で、人間というのは安心安全に対する欲求が強い生き物なのだとマズローも言っているではないか!
それを現状に満足できず、刺激を求めすぎるからなのか、あるいは他人に自慢したい「俺はお前と違うぜ」的な何かを求める傲慢なやつだなとさえ思っていた。
けれど角幡さんは私が思い描いていた探検家とは全く違う人物だった。
生か死か、その二択の中で生きることなど、ごく普通に生きていれば起こることはない。
それをわざわざ体験しに行く著者は好奇心の塊だった。
極夜の中で旅をすること、極夜が明けたその瞬間に何を感じるのかを知りたくて、旅に出た。つまり、これも人間に備わっている好奇心という欲求なのだ。
本を通して、角幡さんの頭の中を共有しているかのような気分になる。いつの間にか共に夜明けの太陽を楽しみにしていたり、月を探したり、食べ物がなくなる恐怖に必死でジャコウ牛を探していた。目の前で起こっている現象をネットで調べ、少しでもその旅を感じたいと思った。
共に旅をしてきたウヤリミックを食べればいいという考えには絶対にムリ!と思っていたが、次々に襲いかかる過酷な環境に「最悪、それも仕方ないか…」と思い始めていたほどにはのめり込んでいたのだろう。
もちろん、百聞は一見にしかずであり、全てを理解できるはずなどない。
けれど、こんなにのめり込める本は滅多に出会えない。とても貴重な1冊だ。
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極夜を犬一匹と旅をする。何を好き好んで極寒の中、さらには極夜という暗闇の中を旅するのか。理解はまったくできないし、アホやなと正直に思う。仕事は段取り八割。は、昔のバイト先の社員さんが教えてくれた言葉で。それを踏まえると角幡さんの旅の段取りは言っちゃなんだけど無謀だ。真っ暗な闇の中で気が狂いそうになりながら、食糧となる生き物を探し彷徨く様は精神的によろしいものではなかった。ただ、彼なりにこの旅の意義を見出し、さらには生きて帰ってきたことは大きな成果だった。達成したことはすごいが、クレイジーだなと。
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探検家である著者角幡唯介氏は、とってもクレイジーな人間であることが良くわかりました。(悪口ではありません)
最近、この歳になって気付きました。常人ではできないことを平然とやってのける人、その人の生きざまを知ることが楽しくて仕方ない。
犬一匹と脱システムで、人生に勝負をかけた旅「極夜行」に挑んだ彼は、まさしく常人ではありませんでした。
未知の領域を教えてくれる冒険紀行です。
自然には抗えない。陽が昇る日常に感謝。
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たぶん、今日中に注文した『極夜行前』が届くはずなので、おさらい。毎回、すごいものを読んでしまったと思う。フィクションのような、フィクションを超すことが起こるノンフィクションの冒険。何度読んでも、肉体的にも精神的にも、もうだめだと思う。著者自身もそう思っていたはずだけど、だめでなく、村に生還し、太陽は再生する。私が体験したわけでないのに、消耗する。だから、今日届いても、少し置くと思う。サイン入りだから、たのしみ。月も太陽も、等しく、掛け値なしに、大切だ。
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グリーンランドから月の明かりもなくなる期間があると言う「極夜」を探検したノンフィクション。
犬と橇を引き旅をする。ツンドラの果ての果て氷と一瞬にして豪風の世界。
どんな旅にしようと計画しても、天気には逆らえない多くの変更を経てたどり着く。
何を考えどう行動したか、最悪の事態をシミュレーションしながら旅は終わる。
星野道夫、椎名誠、いくつかの極地の旅を読んではきたが、角幡唯介さんの旅も違う世界の扉を開きパズルのピースをもらった気分。
この著書の前に、極夜行前と言うものがあると言うのでこちらもこれから入手したいと思う。
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第15回本屋大賞ノンフィクション部門大賞受賞、大佛二郎賞受賞作品。
角幡唯介氏を知ったのは、YouTubeチャンネル『日経テレ東大学』でした。そこで自身の探検について語る内容に興味を惹かれて、本書を購入してみました。
本書は、グリーンランドのシオラパルクから北極点へ向かう最中での『極夜』にスポットを当てた探検記でした。
『極夜』とは、南極圏や北極圏で起こる太陽が昇らない現象で、三〜四ヶ月から六ヶ月間は闇に包まれます。極夜の反対は白夜といいます。
角幡氏を極夜へと駆り立てたのは、イヌイットの言い伝えで「お前は太陽から来たのか。月から来たのか」と、今から二百年前、初めて部族以外の人間に出会ったイヌイットが発した言葉だったと。この一言が著者自身の心の琴線に触れたそうで「極夜の世界に行けば、真の闇を経験し、本物の太陽を見られるのではないか」との想いから、犬と共に橇を引いて望む『単独行での探検』の実現に至ったとのことでした。
この探検の中では、著者自身の人生観や死生観、探検を共にした犬『ウヤミリック』との物語、更には極夜が明け『本物の太陽』が登った時に悟った、この探検の本当の意味付けが描かれており、展開が進むにつれて、僕自身のページを捲る指を加速させていきました。
著者は他にも探検記を出しており、僕ももう一冊別の探検記買ったので、またそのうち読み進めようかと思います。
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自分語りが多いけど単独行動だからそうなるのはしょうがないかも。
太陽を見た時の感想は確かにそうだろうなって感じだった。
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北極に近い北半球の高緯度地方では、夏の間、太陽が沈まない白夜が続く一方で、冬には何か月も太陽が昇らない極夜という状態が続く。本書は、2016年12月から2017年2月にかけての極夜の時期にグリーンランドを犬と一緒に橇を使って旅をした筆者の冒険の記録である。
本書に描かれている冒険は、ひとつ間違えれば簡単に命を落としてしまう危険と隣り合わせの、想像を絶するような体験だ。その体験を筆者は人生における大きな勝負の一つであると表現したり、また、極夜時期が開けて初めて上った太陽の光を人間が誕生して初めて見るこの世の光に模したり、また、それを妻の出産体験に重ねたりといった具合に、筆者自身の人生と重ね合わせての解釈を本書中で語っている。冒険談も面白いが、この語りの部分も面白い。
しかし、筆者が時々かます「おやじギャグ」的な表現やエピソード(かなり多い)は、好みが分かれるのではないか。私自身は、ない方が良いと思いながら読んでいた。
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探検家である著者がただでさえ過酷な環境である北極圏の旅で更に厳しい極夜を単独旅するという極限の中でも極限な環境を旅した旅行記。
実際に4カ月もの長きに渡り単独行を行った著者自身による著なので迫力が凄い。
その4か月も生死に直結するレベルのトラブル続きで、生きて帰れたのが奇跡なんじゃないかと思えるレベル。
本書を読むと本来、人が厳しい自然を生き抜くことがいかに困難な事か。
ちょっとしたことから餓死の恐怖に陥る事が良くわかる。
そして光、つまり太陽の重要さも。
常人には決して経験出来ない、極度の闇と極限の寒さの世界。そこで人は何を見出すのか。
を垣間見えるので、是非オススメな本です。
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北緯78度の冬の北極圏を単独行する冒険譚。敢えて極夜の冬期を選び、GPS無しで旅をすることで「現代における冒険」を実現している。
2ヶ月以上光がまったく無い世界を旅することの精神的な負担や恐怖が刻々と語られる。想像すらできないけど凄まじさは感じる。
氷河でブリザードに晒され、中継小屋の食料は白熊にあさられ、道に迷いながら、闇の中でそりを引き続けた犬たちが素晴らしい。
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『空白の五マイル』依頼の角幡作品。圧倒的な冒険譚。GPSや期せずして使用することが叶わなかった六分儀などから『脱システム』することで、否応のなく外界との接触点が増え外界を自分の中に取り込み世界化されている角幡さんのリアルな語り口で極夜探検を疑似体験することができた。その角幡さんですら、冒険の最終盤のブリザードのなかで天候確認として利用した衛星電話、一度使うとシステムに組みこまれてしまうという下りに、便利だ、便利だとスマホだキャッシュレスだと浮かれる現代人の不自由さを思った。