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時間と空間を越えてあらゆる文化に共通する人間活動としての「遊び」を論じた、古典的著作。遊びの四要素として、競争・運・眩暈・模擬を抽出したことでも名高い。
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遊びの種類をアゴン(競争)、アレア(運)、ミミクリ(模倣)、イリンクス(めまい)の四つの要素に分けて解説する。
また社会的慣例、習慣、祭儀が単純化して遊びとなったり、現行のそれらが遊びとして取り入れられたりしていることを指摘する。
また遊びの初期の無秩序・歓喜の段階をパイディア、ルールが形づくられ一種のスペクタクル的な障害物として存在するようになった段階をルドゥスとして、この二つに前段の四つの要素が絡み合う様子を概観する。
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2009/9/19ジュンク堂で購入
2009/
買うかな・・・。
ホイジンガの名著ホモ・ルーデンスを土台として、自説を発展させた本である。(澁澤龍彦)
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【目次】
日本版への序文
序論
第一部
1. 定義
2. 分類
(イ)基本的範疇
(ロ)喧騒から規則へ
3. 遊びの社会性
4. 遊びの堕落
5. 遊びを出発点とする社会学のために
第二部
6. 遊びの拡大理論
(イ)あり得ない組合わせ
(ロ)偶発的な組合わせ
(ハ)根源的な組合わせ
7. 模擬と眩暈
(イ)遊びと文化との相互依存
(ロ)仮面と失神
8. 競争と偶然
(イ)変遷
(ロ)能力と運
(ハ)代理
9. 現代社会への再湧出
仮面と制服
縁日
サーカス
空中サーカス
人真似し茶化す神々
補論
1. 偶発性の遊びの重要性
2. 教育学から数学まで
1. 教育心理学的分析
2. 数学的分析
3. 遊びと聖なるもの
参考資料
昆虫における擬態
メキシコの「ヴォラドレス」における眩暈
オマキザルにおける破壊の喜び
スロット・マシーンの発展、それの生んだ熱狂
偶然の遊び、星占いと迷信
蟻の「麻薬」嗜好
成人儀礼のメカニズム
仮面による政治権力の行使
スターへの同一化の強さ。たとえばジェイムス・ディーン崇拝
秩序ある文明の中への眩暈の再湧出。一九五六年十二月三十一日、ストックホルムの事件
仮面、濃いの手管と政治的陰謀の道具。秘密と不安の象徴。すなわちそのいかがわしい性格
訳者解説──ホイジンガからカイヨワへ
遊びを考えるための文献リスト
訳者後記
遊びの索引
*****
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ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』をうけて、「遊び」の定義をより広く、より細かくとるべきと指摘した一冊。
アゴン(競争)、アレア(賭け)、ミミクリ(模擬)、イリンクス(眩暈)の四分類と遊び手の姿勢を表すルドゥスとパイディアの二分類。
本書では主に前者の四分類に焦点を当て、遊びの分類を示した後は、文明の発展とそれら四分類の結びつきを論じている。
ミミクリとイリンクス、すなわち宗教的な儀式やそれに伴うある種のトランス状態が社会を動かす前近代、そこに理性が加わることで自らの手による能力や地位によって社会的な地位を得るアゴンと生まれつきの身分差や能力の差を左右するアレア(運)的な要因が近代的な社会において重要視されている、と論を展開。
遊び論というよりは遊びを用いた社会学といった印象。
訳が読みづらい。
訳者解説は未読。
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遊びについての古典。ホイジンガと比較すると、遊びの範囲を狭くとっている。ホイジンガは、あらゆる文化活動の基底に遊びをみたが、カイヨワは基本的に無償性を重視しており、「何も生み出さない」という点が重要だとしている。この限定によって、彼の有名な遊びの分類、アゴン、アレア、ミミクリ、イリンクス(あとパイデイアとルドゥス)が成立しえたのだろう。
重要な本ではあるが、考察の躍動性という点でいえばホイジンガが勝っている。
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まじめに遊びを考える一冊。
遊びを1.アゴン(競争)、2.アレア(運だめし)、3.ミミクリ(模擬)、4.イリンクス(目眩)に分類し、世界中のサンプルを当てはめ検証す る。まさに女の子がする「ままごと」なん てミミクリまんまっすよね。
遊びによって文化が始まるのではなく、遊びの中に文化があるとは至言ではないで しょうか。
見返りや目的といった制約を越えて遊ぶという究極に、「思いで作り」の儚さや脆さと儚く脆いからこそ、一瞬に永遠を求める人の姿を見た気がしました。
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久々に再読してみた。やはりそんなにピンとこないのは好みの問題か。カイヨワの類型化、そして遊びの神聖化のレベルに賛同し切れない。
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ブログに書評を書きました。 http://www.kunimiya.info/blog/2014/09/20/review-les-jeux-et-les-hommes/
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遊びを四種類に分類(競技、運、模倣、眩暈みたいな感じだった)、かつその組合せによるものとするのがなるほどなという感じだった。
また、遊びの定義の一つに現実世界からの遊離みたいなのも非常に共感できた。現実世界というか、実世界に支障をきたすものはもはや遊びではないとか
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遊びについて、先人のホイジンガの説も取り上げながらその分類や文化との関わりについて述べられた本。文章は非常に難解であるが、特に文化に関する分析は興味深い。多くの地域の事例を基に示された、ミミクリ・イリンクスの原始的文明からアレア・アゴンの秩序文明への改革のくだりは、遊びに対する新たな一面を気づかせてくれた。
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遊びの原理的な部分が解説されている。
4つの遊びのタイプの組み合わせが書かれている第2部は考えさせられることも多い。
筆者には”遊び”の地域性についても考察して欲しかった。
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テーマはひきつけられるんだけど、議論の仕方には物足りなさを感じました。図式的に定義をして、その図式にあわせて事象を解釈している気がして、どうにも不自然な印象をぬぐい切れませんでした。社会学といいながら、遊びについての間主観的な観点についての考察が薄いような…。これはあくまで印象論だけなので、具体的な展開を想定しているわけではありませんが。(2017年11月9日読了)
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ううっ
遊びを、ルドゥスとパイディアがあるとして、遊びの中のアレア(あてっこ系)、ミミックリ(真似っこ系)、イリンクス(ぐるぐる系)、アゴーン(喧嘩系)それぞれにさう言ふのがあると分析。
本著に出てくるナニがー、北欧とかから輸入されててー嫌。
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眩暈をあそびに入れたところがどういうことなのか気になってる
http://kyodo.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~fiction/fictionHP/papers/Caillois.pdf