紙の本
生きづらさゆえの面白さ
2022/02/21 14:16
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投稿者:atsu - この投稿者のレビュー一覧を見る
若林さんの斜めから物事を見て、斜めからから感じていることを知ることができてとっても面白かったです。
生きづらいだろうなぁと思いながらも、でもそれゆえ魅力が詰まっていて素敵だなぁと思いました。
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【オードリー若林、おじさんになる!】極度の人見知りを経て、著者はいかに立派なおじさんになったのか。文庫用に新たな書き下ろしを追加、これにて自分探しは完全終了!
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「ナナメの殺し方」がささりました。
「好きなことこがあるということは、それだけで朝起きる理由になる。好きという感情は肯定だ。
つまり、好きなことがあるということは世界を肯定していることになる。
そして、それは世界が好きということになるという三段論法が成立する。
だから、逆に、なんでも否定してばかりしている人は世界を否定していることになるから、生きているのが辛いのだ。
それは、世界が嫌いということになるから。」
私は世界を嫌いになって自分も嫌いになっていた。そのことを、思い知りました。何かを否定することで自己肯定していた。それが、普通だろうとできないことや現実や理想とのギャップを埋めるために否定してきた。それも、世界のすべてを知ったようにかっこよく。
違ったな〜と最近は思う。自分が肯定してきた価値観がことごとく壊れたからだろう。失うことが怖かったけど、失って得るものがあるんだなあと気づいた。先人がたらたらと若者に説教たれてるのはダサいと思ってたけど、今ならわかるかもしれない。
掲示板やネットニュースで、正論をかかげて誰かを攻撃する様子を見ると疑問を抱く。なんで間違っていないと思えるのか。ネットの向こうに人がいることはわかっているのかな。正論をかかげている人はどこまで清廉潔白なのだろうか。テレビでもなんの関係もない人が故人のことを語る。ネットもテレビもでたらめだなと最近気づいた。テレビっ子も卒業だ。
読んだ人とどうだった?と話したくなる本。
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先日歳を一つ重ねて、これまでなんとかミドサーで誤魔化してきたけれど、いよいよアラフォーと言わざるを得なくなってきた。
嫌だよ…介護保険料払いたくないよ…
だけど、生きることを続けられなかった人もいるこの世界で、わたしはそれでもいろんなことを考えながら、生きていこうと思うんだ。
改めて、そんな決意をする。
『まえがき』から付箋がつきまくる。
そして、『2009年とぼくと』の章。
P58「理想の自分にずっと苦しめられてきた」
P61「地点は低くても等身大の自分の方がユニーク(気楽という言い方でも良いだろう)じゃないだろうか?」「理想の自分に追いつこうとしているから、今日の自分を生きることはなく、常に未来の理想化された自分を生きている。だから、今日をずっと楽しめなかったんだ。今日じゃないな、今だな、もっといえばこの一瞬を楽しく生きてこれなかったんだ。37年もね」
わたしの中で、何かがバチンと弾けた。
わたしの中にずーーーっと存在し続けている、理想の自分。
何をしててもわたしを監視し続ける、その人。
その人によって、わたしはどれだけのものを奪われてきたんだろう。
想像してみる。
確かに、理想の自分が活躍している世界はシビアで「楽しい」ものではない。
若林さんの言う通り、そんな世界よりも、今の自分がいる、今自分を取り巻いている世界のどれほど気楽なことか。
気を張りつめなくていい、一緒にいて楽しいと思う人たちに囲まれていること。
でも、わたしはずっと、「今」「楽しい」を選択することに躊躇いがあった。
なぜか。
理想の自分がそれを止めるからだ。
でもこれじゃあつまらないばかりで、理想の自分になった時に本当に自分は幸せなのか?
もしかしたら幸せかも。
だけど、なんかものすごく大切な感情が欠落しているような気がする。
それならわたしは今の自分を救ってあげたい。
今の楽しいと思う気持ちに寄り添って、楽しくいたい。
その後どん底が待っているかもしれない。
そしたらそれを受け止めるしかない。
理想の自分の「そっちに行ってはダメ」という声ではなく、今の自分の「でもさ、今しかできないじゃん?」っていう声に耳をすませたい。
そしたらね、ものすごいことが起きたんだ。
何を相談されても動じずに対応できる人でありたいと思った、専門家として。だけど、やっぱり内容によって動揺することはある。
理想の自分は、どんな相談内容でも動揺せずに毅然と対応してて、かっこいい。
一方、その時のわたしといえば。
個室にこもって気持ちをクールダウンしないと、何も手につかないくらい動揺してた。
だけどその時、クールダウンの時間を取らずに毅然と対応してる自分、なんか嫌だなと思ったんだ。
こんな風に動揺して、ちょっと仕事が手につかないくらいの自分の方が、なんだか人間らしくていいじゃん、って。
たぶんこのクールダウンの時間で感じている、うまく言葉にできない気持ちこそが、「なんかものすごく大切な感情」のような気がするんだ。欠落させてはいけない、理想の自���が削ぎ落としてしまったであろう、とっても大切な感情のような気がする。
だからわたしは、この気持ちを大切にしながら、生きていくことにする。
ふう…わたしも若林さんと同じ、37年かかったことになる。
ここまで具体的に「今の自分の方が好き」って思えたのは、初めてな気がする。
P149「死の間際、病室で親父が『ありがとな』と言いながら痩せこけた手で母親と握手している姿を見たからだ。その時にやっと、人間は内ではなく外に向かって生きた方が良いということを全身で理解できた。教訓めいたことでもなくて、内(自意識)ではなく外に大事なものを作った方が人生はイージーだとうことだ。外の世界には仕事や趣味、そして人間がいる。内(自意識)を守るために、誰かが楽しんでいる姿や挑戦している姿を冷笑していたらあっという間に時間は過ぎる。だから、ぼくの10代と20代はそのほとんどが後悔で埋め尽くされている」
→若林さんをはじめとする「冷笑仲間」がどんどん結婚したり出産したり家族を持っていくことは、わたしにとって、「外に向かって生きて」いる「誰かが楽しんでいる姿」である。言ってることはわかる。だけどわたしは怖いのだ。ずっとずっと。若林さんのように、これほどの大きな衝撃的な出来事を前にしないときっとわたしは動けない。自分の人生を置いて、外のためだけに家族や子どもを持つ、ということが、どうしてもできない。体感なしに「言ってることはわかる」程度の理解で動くことができない。これからわたしも、何らかの出来事を前に、外に大事なものを作れるのだろうか。
P155「他人への否定的な視点は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを奪う」
→カーーーーーーーーーーー!言われてしまいましたね…そしてもう一発くる。
P163「ぼくが子どもの頃から、喉から手が出るほど欲しかった”根拠のない自信”とは、”おそらく自分は他人から肯定的に見られているだろう”というイメージのことだったのである」「自分の生きづらさの原因のほとんどが、”他人の否定的な視線”への恐怖だった。その視線を殺すには、まず自分が”他人への否定的な視線”をやめるしかない」
→ヒエーーーーーーーー!!もうそれ以上言わないで!!!
P160「ぼくのようなネイティブ・ネガティブが人生を生き抜くには、没頭できる仕事や趣味は命綱と同等の価値がある」
→わたしがネイティブの方のネガティブなのかはさておき、フェスが大好き!音楽は没頭できる趣味の一つかもしれません。よろしければお読みください。
それでもわたしがロッキンオンのフェスに行く理由
https://note.com/tattychannel/n/nbb35b62cd391
P225「誰とでも合う自分じゃないからこそ、本当に心の底から合う人に会えることの喜びと奇跡を深く感じられた」
こうして涙をこらえながら読んできて、最後の朝井リョウさんのあとがきの一文「私は基本的に、他者の幸福を願えない」という言葉に深く安堵する。これほどの作家さんがこんなに素直にそんな言葉を言えてしまう。その度胸と勇気に衝撃を受けた。でもこれこそが、若林さんが言うP97「自分の気持ちを素直に言えるようになるための第一歩は『自分に自信を持つ』みたいなしょうもない絵空事じゃない。自分が臆病であることを認めること」なんだろうな。
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ナナメをどう殺して、今どう生きているのか、若林さんのテレビやラジオから見えてくる姿とともに、不思議と勇気をもらえている気がする。
ナナメやたりなさへずっとずっと向き合ってきた人だから、今とても強く生き生きと自分を肯定でき始めているのではないかと、自分もそうありたいと、向き合う強さをもらえるとても素敵な本。
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ご自分のことをすごくよく分かっていて
それを言葉にすることがうまいから
すごく彼を理解できる
片頭痛の話を、片頭痛持ちの同僚に教えてあげたい
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過去に感じたような、今感じているような、これから感じるであろうようなことが沢山散りばめられている。
共感できたり、恥ずかしくなったり、惨めに思ったり、感謝したり、色々な感情が湧き上がってくる。
油断すると涙が溢れてくる。
これから自分がどんな歳の重ね方をしていくのかわからないけど、
またふいに読み返したときに何を、どう感じるのか楽しみで仕方ない。
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星3.5
「社会人大学〜」に比べたら、
本当に大人になった感じ。
世の中をひねくれた見方で、
「人見知り芸人」に出ていた頃と
色々な番組のMCをやるようになったいま。
そのうち、そんなひねくれていた頃を
知らない子達も出てくるんだろうなぁ。
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すごく良かった。
また読み返したい一冊。
【合う人に会える】ように、人生頑張る。
誰とでも合う自分じゃないからこそ、
本当に心の底から合う人に会えることの
喜びと奇跡。
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元気がなくなったときにそっと開きたい本である。
・ぼくはずっと毎日を楽しんで生きている人に憧れてきた。(中略)だけど、結論から言うとそういう人間になることを諦めたし、飽きた。
・仲の良い友達と草野球をして、勝利することより刺激的な遊びってどんな遊びなのだろう?気が合うスタッフさんとライブをやってそれが成功した時に味わえる充実感を凌ぐ一流の遊びはこの世界のどこに転がっているのだろう?
・ぼく自身も見返りを求めない愛を垂れ流す側にとっくにいってないといけない年齢なんだけどな。なかなかどうして。
・好きなことがあるということはそれだけで朝起きる理由になる。
・エネルギーを上に向けられなくなったら終わりはしない。正面に向ける方が全然奥深いのかもしれないと思えたのだ。
・考えるな心臓の喜ぶことをしろ
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流石にここまでではないが本に似たような状況の時に読んでいたのでとても勇気がもらえた。
この考え方が面白いので他の本も読んでみたい
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若林さんのネイティブ・ネガティヴという感覚は、私も同じような気がして、そんじゃそこらの啓発本より生きやすくなるヒントがたくさん書かれていた。
生まれ持ったネイティブ・ポジティブに憧れるけれど、現世で簡単にそうなれるほど遺伝子は簡単ではなくて。
結局はまず足りない自分を認めることが、自信を持つ第一歩という言葉がすごく響いた。
また自分で「スタバのグランデL頼むやつなんて」って他人を否定しているから、気づいたらブーメランになって自分に返ってくる感覚もすごく分かる。
他人の価値を下げることで自己肯定感を高めるのは楽だけど、おいおい自分のやりたいことが分からなくなり苦しめるものとなる。
それを避ける方法が「自分の好きなものを認めて」「没頭」することなんだなと思った。
そうすると気づくと世界を否定する自分がいなくなって、とやかく言う相手がいたとしても、自分にとっては聞こえなくなって、朝を楽しみに迎えられるようになる。
自分の好きなもの、ネガティヴを潰す没頭できるものを大事にする。
そしてあとがきにあった「会いたい人にもう会えない」という事実が「合う人に会う」という大切さを教えてくれたというのは、なんだか目から鱗だった。
過去に囚われると、会えないという事実ばかりに苦しんで辛くなるけれど、その大切さを噛み締めて今を生きることが大事なんだなと思った。
自分探し…私も自分で自分が分からない。
他人に合わせて生きてきたのか、自分が分からなかった。
そんな私にとって大切なヒントが詰め込まれた一冊だった。
これからもリトルトゥースでいます☝️
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誰もやったことがないことをやるのは簡単だ。だって、誰もやったことないことをやればいいんだから。でも、誰もやったことがなくて、笑いも起こるというネタを作ることはとても難しいことだなと思った。
ぼくは、それを作る手筈を手に入れるために、とりあえず誰もやっていないことをやっていて、笑いも取っている先輩に近づいた。どうやら、誰もやっていないことに到達する前に、「自分の特性」を経由していることに気づいた。相方が「上から目線」であることはどうやら相方の特性だった。そして「ツッコミが冷たい」ことはぼくの特性らしかった。そのネタを引っさげて事務所のネタ見せに臨んだ。
前作のエッセイで、スターバックスで注文の時に、「グランデ」と言えないと書いた。
何か自分が気取っているような気がして、恥ずかしかったのである。
「L」とは言えるのだが「グランデ」は言えない。
自意識過剰である。
自意識過剰なことに対して、「誰も見てないよ」と言う人がいるがそんなことは百も承知だ。
誰も見てないのは知っているけど、自分が見ているのだ、と書いた。
〝自分が見ている〟と言うのはどういうことかと言うと、「グランデとか言って気取っている自分が嫌だ」と言うことだ。
こういう気持ちはどこから来るかというと、まず自分が他人に「スターバックスでグランデとか言っちゃって気取ってんじゃねえよ」と心の内で散々バカにしてきたことが原因なのである。
他者に向かって剥いた牙が、ブーメランのように弧を描いて自分に突き刺さっている状態なのである。
昔から言っているのだが、他人の目を気にする人は〝おとなしくて奥手な人〟などでは絶対にない。
心の中で他人をバカにしまくっている、正真正銘のクソ野郎なのである。
その筆頭が、何を隠そう私である。
いつからブーメランを投げ始めたのだろうか。
高校の文化祭のステージ上で、おちゃらけるクラスの人気者をベランダからナナメに見ていた。
内輪ウケで満足している、レベルの低い奴らだと。
ステージ上で爆笑をかっさらうクラスの人気者を「みっともない」と価値下げして、臆病でステージ上に立てない自分を肯定しようと画策したのである。
そういう思考は確かに自己防衛になるかもしれないが、同時に自分が文化祭のステージに立つ機会も奪ってしまう。
価値下げによる自己肯定は楽だから癖になる。
ハロウィンの仮装、バーベキュー、海外旅行など、それらをSNSでコソコソと価値下げ攻撃していれば、反撃を食らうこともないし自分がそういうムーヴメントに流されない高尚な人間のような気分も味わえる。
ぼくの場合、高校を卒業してから物事に対する価値下げは加速していった。
大学でサークルに入ること。
学園祭に本気で取り組むこと。
海外に一人旅に出ること。
告白すること。
何でも〝みっともない〟と片付けて、自分は参加しなかった。
そうやって他人がはしゃいでいる姿をバカにしていると、自分が我を忘れてはしゃぐことも恥ずかしくてできなくなってしまう。
���れが〝スタバでグランデと言えない〟原因である。
誰かに〝みっともない〟と思われることが、怖くて仕方がないのである。
そうなると、自分が好きなことも、他人の目が気になっておもいっきり楽しむことができなくなってしまう。
それが行き着く先は「あれ? 生きてて全然楽しくない」である。
他人への否定的な視線は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを奪う。
「知り合いを紹介するのでデータの取り込み方のアイデアを一緒に話しませんか?」
収録が終わってから、AIの開発者の人にお誘いを受けた。
なんか悔しかったけど、もしかしたら漫才のネタが忙しいスケジュールの中でも量産できるようになるかもしれないという下心が顔を出した。
帰りの新幹線の中で、自分だったらどういう風にデータを取り込むかを思案していた。
最適なワードやタイミングには、〝この間だと笑いが起こった〟というデータと〝この間だと笑いが起こらなかった〟というデータの両方が必要だろうなと思った。
早すぎてウケない間と、遅すぎてウケない間のあいだが最適の間となるのだろう。と、考えていた。
それも、その日の空気によって変わるんだろうな。と、思ったところで「はっ!」とした。
「いや、それ芸人がみんなやってるわ!」
わざわざAIに頼まなくても、脳みそで全部やっていることだった。
そう考えると、〝勘〟といわれるものは今までウケたことと、ウケなかったことのデータの総量の瞬間的な結論なんだということに気づいた。
だから「これは大丈夫そうだな」と思ったり、「これは危なそうだな」と発言する前に感じたりするのだろう。
そして、脳の中のデータにウケたことが色濃く残っている人はアグレッシブだし、スベったことが色濃く残っている人は臆病になるのだろう。
当然、ぼくは後者だ。
どちらにせよ、データの総量は多いほうが良いから「スベり続けていた20代の10年間はあれはあれで意味のあるものだったんだな」と、なんだか鑑賞的な気持ちになって猛スピードで過ぎていく新幹線の窓の外の夜の闇に見入ってしまった。
だから、打席に立たないとダメだし挑戦しないとデータが集まらないのだろうな。
ぼくは、世の中の成功者が書く啓発本の「挑戦しなさい!」という言葉は強者の論理感が強くて嫌いだ。
でも、精神論ではなくてデータの総量の増大という意味での挑戦の大切さのことなら、納得できる。
それには〝今〟をデータの総量のお披露目の時期と認識するか、データの最終の時期と認識するかで心持ちもだいぶ変わってくるだろう。
これからスベったら「データの総量の増大に繋がったな」と自分に言い聞かせて乗り越えることにする(仕事の総量は減るかもしれないけど)。
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等身大で読んでいて気持ちがいい。前作と同様にものすごく共感できた、けど前作ほどではない。若林さんは常に自分と向き合い、考えることでどんどん変化している。今作はむしろ憧れるような少し先を行かれたような気持ちになった。今年一年で著書3冊を一気に読んだので見かけ上めちゃくちゃな速度で成長している。共感できない事もあった。正解は自分の中にあると思うので、共感できない事は一理あるかも、と少しだけ吸収しつつ自分自身と向き合っていきたい。
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斜に構えるというか天邪鬼というか
ほんとに考えが似てるから凄く共感した
そんな自分が嫌だったけど別にいいや〜って思えた話でした。
どの編も面白かった!