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あけすけな所まで行かない正直さを持つというのは、損でもあり得でもある、ということ。それと、必ず感じるのは事物事象を的確に捉えようと凝らされた視線の強さです。それが正直さを支えているのだと思います。言葉の選び方が厳しいところも、それでも何処かものごとにたいする愛着や愛情を感じさせるところも、やはり大好きです。
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時代設定や小説の舞台を把握するのに苦労はしたが、思っていたよりも、ずっと読みやすかった。というのも、文章が、丁寧なで優しくて温かで、日本語って本当はこういうものじゃないのかな、と考えさせられました。そして、何より「流れる」というタイトルがぴったり合うような、主人公・梨花の要領の良さと言うか、処世術は羨ましいばかりです。
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幸田露伴も読んだことないのですが、とっても読みやすいというなんかのレビューみたら読みたくなっちゃって図書館で借りてきました。
文庫版でないやつは、誰も借りた形跡がなかったのだけど、渋い桜色の装丁でとっても可愛かった。
とある芸者小屋のお手伝いをしてしまうことになった日々のお話。
今でいうと、「きょうの猫村さん」
知らない世界の常識とかってこんなんなのねーあらまー。
みたいな。
とっても読みやすい本です。
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小説は好まない。中でも私小説は嫌いだ。この作品を書くために作者の幸田文は実際に住み込みの女中を経験したそうだ。そう言う意味では嫌いな作品の候補であった。しかし、面白かった。暗い作品ではあったが、確実に滅びに向かっていることを意識しながらも何もすることができない、することをしない人々の逃げ場のない閉塞感が二〇〇八年現在の時代の閉塞感と符合して息苦しく、時にめまいを感じながらもワクワクした気分を維持しながら読了した。
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地に足の着いたかんじ。鄙びたかんじ。観察眼の鋭さ。率直な描写。
日本人だけどいまだに芸者の世界は未知だらけ。
「SAYURI」「さくらん」「舞妓HAAAAN!!!」など映画にもけっこうあるけど
どうもいまいち私自身が誤解しているような気がいつもしている。
まあ祇園で遊んだことなどないからわからなくて当然といえば当然?
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ばあちゃんから進められて読んだ、幸田文
初めて読んだのは「闘」だった。
意外と一生懸命読んだけど何せ中学くらいだったから
全然、そのよさとかじゃなく、ストーリーを目で追うばかりだった。
でも、久々に手に取ったこの「流れる」で
こんなに薄い本なのに、こんなにお腹一杯になるんかっていうくらい
すごい本なのにビックリした。
女の人の強さ、そしてボロボロの芸者長屋の雰囲気?
貧乏だけど、外面やお付き合いとかがしっかりしてる暮らしていうか
とにかくカッコイイ文体なのだ。
古い本だけど、すごいおすすめです
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図書館。
置屋の住み込み女中になったアラフォー寡婦・梨花の物語。
どちらかというと、ヒロインは傍観者的な存在。
口語体が心地よかった。
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四十過ぎの未亡人梨花は、没落しかけの芸者置屋に女中として住み込みます。
しろうとから見る花柳界は、芸者達のふとした仕草や姿の美しさに目を奪われたり、芸者を取り巻く風習の合理的な部分と曖昧な部分が入り混じった様子や、出入りする女の表裏が見えたりして、美しく華やかであると同時に、脆く哀しくもあります。
裕福な旦那の後妻に納まる女もあれば、貢いだ挙句に捨てられる女もあり、
美しく芸達者な主人の娘は醜く売れなかったり、そうかと思うと病気の姪は素行がおかしいが美しかったり。
どこか不揃いな人間同士が寄り合ったり交差したりしながら生きている、人間模様・人生模様がおもしろかったです。
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時代の流れで落ち目になっている芸者家の主人、年を取っても芸者としての実力の持ち主染香姉さんのすばらしさ、弱み、その両方を梨花が見ながら、また、くろうとの世界にしろうとが入って、下に見られながらも、しろうとの怖さを垣間見させる場面、梨花のすぐれたところが次第に認められながら、次第にこの世界を好ましく、離れられなくなってしまう梨花の気持ちが、最後の場面では強く感じられ、気持ちの良い読書になった。
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幸田文は、露伴を父とし、厳格に育てられ、結婚し一女をもうけるも離婚、離婚後に作家として成功自立しており、「家守る女」と「経済的に自立する女」との両方を体験した人。ちなみに、幸田露伴の妹たちは洋楽の先駆者であり、自立する女の先がけでもありました。その著者が、実際に花柳界に住み込んだ経験をもとに書きあげた昭和30年の作品。
そこから半世紀、「男女雇用機会均等法」からもう30年以上たつというのに、幸田文が抱え、彼女の小説にでてくる「女の葛藤」は今に通じる。「女が仕事で成功するためには女を捨てるか、女を武器にするかどちらか」とは今でもよくいわれる話でしょう?
この「流れる」では、女を武器にしているほうの女の葛藤を描いているわけですが、特にウーマンリブ的な女人に読んでもらいたい。「女らしさ」について、あるいは「女らしい女」について勉強になると思います。女同士だからこそ、わかっているつもりで、何もわかっていないことはよくあるでしょ? 社会の変化は緩やかだし、こと「女の経済的自立」という問題は、人間の根源(産む育てるという女の性)にからむ問題で、あと50年、いや100年後も「思うに任せない」状態が続くに違いないもの。
この本から女の自立についての答えは見つからないけれど、時間や時代の趨勢の流れ(=つまり社会)と自分との距離感、「流れに乗りたい」「落ちこぼれてもそれも良しとする」「流れに乗れない人(あるいは自分の側にいない人)にどういう態度をとるのか」等、隅田川の流れのようにゆるやかに肩ひじ張らず考える時間を持てる一冊だと思います。
How toの書かれたビジネス本や男女の性を精神的医学的な本で、ロジカルなアプローチをするのも良いけれど、同様に、もっと皮膚感覚で「女」というものを感じることって、遠回りのようで「女の社会適応」にとって必要なことだなと思われてなりません。
成瀬巳喜男監督、山田五鈴、杉村春子、高峰三枝子、岡田茉莉子等オールスターキャストで 映画化もされています。この映画のほうもオススメ。変わりゆく日本の街の風景、花柳界、建築、服装などが見事に映像化されていて、素晴らしい。
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すっげ!
と思った。
しなやかにして強靭。
流れるような文体。
登場人物の、誰をも憎めない。
人間臭いのに、愛しい人がいっぱいです。
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大分前ですがきものを読み面白いな~と思って購入。そのまま忘れていたのですが本棚を発掘したときに出てきたので読みました。
読み出したら面白くて!
でも読み終わって考えてみると結構切ない、寂しい話だなあと思いました。その辺りも橋のたもとで行こか行くまいか考えてるような心持なのでしょうか。
女性はたくましい!と言うかたくましくありたいなと思いました。
面白かったです。
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初めて読んだのは中学の時です。難しい話ではないけれど、古い言い回しや物の名前等、分からない部分も結構ありました。
でも時にたゆたい、時に蕩々と流れる文章のリズムが心地よくて。
何度も読み返し、少しずつ腑に落ちて、そのたび味わいが増すように思います。
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今時人の所作にどきりとしたり、見惚れたりってないもんなあとしみじみ。
全てが素敵で憧れるわけではないけれど、全てが眉を顰めることばかりではない。
主人公が妙にその世界に惹かれてしまう気持ちがわかるかも。
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いい!絶対いい! たぶん3回目くらいに読むのだが何回読んでも良いと思う。これは少し語りたい。読むたびに発見するものがあるのだ。 最初読んだのは高校生のとき。「おとうと」から始まって文庫を何冊か続けて呼んだ。そのときは文体のリズム感とかそんなのがよかったんだと思う。 2回目は古い映画を見た後。梨花は田中絹代、染香が杉村春子、ななこは岡田真理子(こんな字だっけ?)、勝代はえーとほらあの日と灯台守の映画に出てた人、24の瞳の人。主人が誰だったか忘れちゃったけど。佐伯は中谷何とかって人だった。30代のときだったかな。そのときは、「なんどり」が朝起きる場面にやられたのだ。 横になったまま細い手を出して赤い友禅の掛蒲団を一枚一枚はねておいて、片手を力にすっと半身を起すと同時に膝が縮んできて、それなり横坐りに起きかえる。蒲団からからだを引きぬくように、あとの蒲団に寝皺も残らないししっとりとした起きあがりかたをする。藤紫に白くしだれ桜と青く柳とを置いた長襦袢に銀ねずの襟がかかって、ふところが少し崩れ、青竹に白の一本独鈷の伊達じめをゆるく巻いている。紅い色はどこにもないのに花やかである。若くつくっていてももう老婆というはずのひとの夜を考えさせられるのである。なんと云ってもひとといっしょにいる夜、いたい夜ではなかろうと思うが、それはしろうとの推察である。この紅より色の深い紫の襦袢を着なした本体というものには、およそ燃えるだけのものはすでに尽きていると見るのである。過去の燃えた記憶しかあるまいけれど、いまもこうした風情のある寝起きなのである。・・・(略)・・・高速度写真のようにスロー・モーションでなよやかに起き上がって、少しも急いた気持ちなどなく手鏡に髪をそろえる。 梨花は自分の「ざっぱくない起きかた」を思い「ふたりの床からしなやかにからだを引き抜」いた日を遠く思う。赤いものがもう何回あるかという年になってそれよりもずっと年いった女の過去の情事を垣間見たような気持ち。 やられた、これなんだな。梨花の気持ちが30すぎてなんとなくわかったのだ。高校生ではわからなかった情景が見えたって云うか。・・・現在のことはたしかに主人のうちのしみじみとする年の瀬である。自分の世帯のうえならしみじみなどという余裕はなかった、ただ迫られることの恐ろしさでがじがじするのである。 「しみじみ」のなんという心もとなさ。「がじがじ」のなんと言う歯軋りのような切なさ。 今回、ふと他のひとの感想も読んでみようと途中で検索してみました。 ハイジさんの「梨花=市原悦子、家政婦は見た的負け犬ストーリー」なるほど、そういえば「聞くまいとする耳が勝手にあちらに延びて行く。」だの好奇心からなな子のノートを見ちゃったり、佐伯をめぐる女たちの思惑や佐伯の反応を探ったり。みんな頼るもののない一人で生きていく女。なるほど。 スミスさんのスリルとサスペンスというのもなんとなく納得。 そして今回気がついたこと、結局私の理解力では以下の2点がどうなったのかはっきりわからないということ。 第1点、なな子が云った「2階に行ってはいけない」の疑問。いくらかわかったって云うけど「器量と芸の2本立てのやきもち」よりもっと複雑な��とってなに?掃除やお茶は持って行っているんだから親子の中に関係するなってことかな。そんな抽象的なことなな子が云う?鈍感な読者だからよっぽっどこうでこうでと書いてないとわからない。 第2点、作者本人はこのあと病院の付添婦みたいな仕事に変わったけどこの後梨花さんはどうしたの。「一つは主人、露を光らせて咲き崩れようとする花のようなあでやかな笑顔、それがいまはなんとさびしい顔なことか。一つは佐伯、この男に感心しながらも年長者の優越で優しくしてやりたいと思ったこと。その二つが自分の心のめど」、ってどうなったの。読解力ないんです。どっちにも取れるような気がして。なんどりとのやり取りが伏線で佐伯を取ったと思うんだけど。05・3・15