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金融資本主義に別れを告げ、低成長の資本主義にしようと言っている。
そのために、経済活動から排除されている女性学校(特に非エリート層)を排除せず、多様な人が参加できる経済活動をしようと言っている。
序章からずーと同じ主張が続くので、序章と一章だけ読めば良いかな
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古典派経済学の父と言われ、個人の利益追求が社会の利益追求につながることがあると説いたアダム・スミス。利己的な「経済人」像の確立に大きな影響を与えたスミスは生涯独身で、食事をはじめ身の回りの世話は母親に頼っていた。でも、彼の経済学からは、主に女性が担ってきたケア労働のことがすっぽり抜け落ちているのでは?
作者はアダム・スミスの話をつかみに、経済学が長らく無視してきたケアの問題、カウントされない経済行為の問題に踏み込んでいく。ケアは無償で行うべきものだという誤った捉え方が、常に国家の富に貢献してきた女性の労働を、ひいてはその地位を貶めていると指摘する。
うまいタイトルだなと思う。このタイトルに心を奪われて、手にとってしまった。
原著はリーマンショック後の2012年にスウェーデンで刊行された。刊行から10年経っての翻訳だが、2012年当時の日本ではまだ受け入れられなかったかもしれない。この間、国際的に日本の女性の地位の低さが指摘され、国内的にもケアという言葉が注目されるようになってきた。労働にはそれに見合った対価があるのが当たり前。経済活動に組み込まれるべきだろう。社会でバリバリ働く女性がいていいし、ケアに従事する主夫がいてもいい。働き方や性別で区別する意味はない。
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図書館で購入してもらった本
でも、自分で買ってもよかったかも
少しずつだけれど、日本でも
「どうして家事育児介護は女性がやらないといけないのか」
と疑問に思う女性が(男性も)増えてきているのを感じる
この本のラストは、前半の勢いと比べると物足りなかったけれど、
今までと違った視点を与えてくれた
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アダム・スミスが研究に勤しむ間、身の周りの世話をしたのは誰!?女性不在で欠陥だらけの経済神話を終わらせ、新たな社会を志向する、スウェーデン発、21世紀の経済本。格差、環境問題、少子化――現代社会の諸問題を解決する糸口は、経済学そのものを問い直すことにあった。
アダム・スミスは経済学の授業で習ったけれど、そこにジェンダーの問題を組み合わせて考えたことは一度もなかった。でも言われてみるとここまで女性の存在が無視されていること・主に女性や貧困層が担っている『家事労働』の価値が非常に低いことは経済学者たちが定義してきたことで、根本的に変えていく必要がある。具体的にどうしたらいいのか、この本が書かれた当時(2012年)から10年たつにも関わらず明確な答えは出ていない。だけど、経済人にならないために、ひとりの力は小さいとしても今後も声を上げ続けたい。
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すごい考えさせられる本だった。
たしかに、昔から経済は男性視点での話ばかりだったし、歴史的に見ても、男性が国や地域を占めるということがほとんどだった。
それが現代経済でも引き継がれていて、その経済に率直な疑問をぶつけたのがこの本だと思う。
僕は今、雇い主が女性で、その方は企業で活躍されて、今は独立している。「女性だから〜」とかそういう一言で片付けるのは大変失礼だし、女性だからこその魅力をたくさん持っている。
「家事や育児は女性がやるもの」という考えは古い。確かに、身体の大きさや腕力といった部分は男性のが強いのは明らかだけど、頭の良さやリーダーシップ、人間性は男性も女性もフラットだし、男性よりも優れた能力を持つ女性はたくさんいる。
そして、「女性が首相になったら戦争が起きなかったのではないか?」という疑問は、僕は激しく同意する。女性が核兵器を作って、国を破壊し合うというのが僕には想像できない。それこそ、激しい口論で、バチバチとやって解決するのではなかろうか。
今の世の中を見るための、新しい視点をくれる本でした。
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アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?
#読了
今までのモノの見方では、見えなかった世界。
radicalに物事を抽象化して構造的に考えるのとはまた違う。
「女性のため」というより「みんなのため」のフェミニズムという感じがして、面白かった!!
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人生では身体性は無視出来ず、むしろ身体が原点となっている、という感覚を直近持っていたけれど、著者は同じようなことを考えているのかなと思う。
痛快な一冊ですが、原文か訳文かどっちかわからないけれど、ちょっと私には合わない文体でした。
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最初はとても引き込まれただけど、翻訳ものにありがちな、同じような内容の繰り返しが多く。。
著者の視点の鋭さやジェンダーに対する論理はすごく納得いくものの、じゃあどうすれば?っていうのがなく、ふーんなるほどね!で終わった。
そういう意味では勉強になった。
特にデビッドボウイの話が面白かった。
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2022.6.26市立図書館
原著は2015年刊。しばらく前から話題で、図書館で予約を入れてようやく回ってきた。
アダム・スミスらの経済学がとなえた「市場」にまかせておけば見えざる手が進むべき道に導いてくれるという幻想。そもそもその「市場」とやらはとんだご都合主義の「ブラックボックス」だったのではないか、という話。「男性によって男性のためにつくられた枠組み」「経済人(ホモ・エコノミクス)」という間違った前提を問い直し、これまで意図的にか非意図的にか考えの外に置かれてきた「ケア」や「依存」「分配」をに目を向け、金銭で測りえなかった家庭内労働も含め、社会をどう維持・運営していくか考えるフェミニスト経済学を提案している。
前に「存在しない女たち」を読んでいるので、世界の様々なシステムの中で女性が疎外されているという話はいまさら新しくもないが、この本を読みながら、もっともらしい数字やはったりでなんとなく大きな顔をしてきた「経済理論」や「市場」の根拠の弱さ、頼りなさをひしひしと感じてしまった。そしてまた、市場経済が政治をも呑みこみ、なんでも自己責任で格差が広がる一方の新自由主義へという歴史的潮流がどういう前提の上に立っていかに世界を息苦しくしてきているか、自分の今まで体験してきたことと考え合わせても説得力があった(ロシアでプーチン大統領が生まれ支持されてきたのもこの世界市場経済の所産だと言及あり)。
コロナ禍の2年間で世界経済は大きな打撃を被ったが、雇用の面でも家庭内外でのケアの面でも女性は男性以上の苦労やストレスを負わされているというのも世界的な現実。著者の母国スウェーデンはさまざまな政策を打ち出し世界でも有数のジェンダー格差が少ない国であるのに、それでもなお賃金をはじめとする格差は消えないらしいが、それこそが「経済」や「世界」の前提が間違っている証拠だとも言えるのだろう。選挙やさまざまな政治経済のニュースを考えるための支えが一つ増えた。とはいえ、敵は手強いなあ。
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シカゴ学派やゲーリー・ベッカーが「人のあらゆる活動は経済モデルで分析できる」として、女性は非生産的だから賃金が低い、女性の稼ぎが少ないのは、女性は高い賃金に値しないからと、堂々巡りの論を展開し、賃金の少ない女性が家事を担当するのは当然だと、偉そうに言うところ、腹立たしく読んだ。
しかし、全て数式で生産性は割り切れるわけはないと、ゲーリー・ベッカーを喝破してくれるので、腹立ちもカタルシスとなってクセになる(笑)
当たり前だが、全て数式で生産性は割り切れるわけはないのだ。
世の中は全て合理的にできているから市場は常に正しいとするシカゴ学派が新自由主義を生み、今もなお、多くの国の経済を低迷させ、格差を生み続けている。
「アフリカの人口の少ない地域では環境汚染が不当に少ない。所得水準の最も低い国に有毒廃棄物を移動するのは経済合理性のある話」なんて寒気のする言説がまことしやかに公の場で話されたりすることになる。
作者の言うように、もし先進国が産業廃棄物の責任を引き受けたら、将来を見据えた技術的な解決策が見出されるかもしれないのに…。
現代の課題を安易に現代の技術のみで解決できる合理性で片付けると、そこからは何も生み出されない。停滞だ。ゲーリー・ベッカーにノーベル賞を与えてしまったのは、痛恨のミスだ。
「コンゴに住む女性が缶詰3個を手に入れるために武装組織の男性と寝ることも、チリの女性が危険な農薬をたっぷり使った農園で働き脳に障害のある子どもを産むことも、モロッコの女性が工場に働かに出るため長女に学校をやめさせて幼い妹や弟の面倒をみさせること」
これら全て合理的な意思決定ということの残酷さ。
他者からの支え、ケアがないと社会は成り立たないことは自明のことだ。その点を無視する経済が成立すると思うことがあまり賢いことではないだろう。
これからの経済学がどうあるべきか、よくわかる本だ。
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男性中心のシステムとして、経済学を批判している点については、確かにと思わされる部分があった。一方で、男性の役割の固定化にもより触れてほしかったと感じるものの、本書で強調されているこれまで経済中心に構築されてきた社会が女性たちを切り捨ててきた歴史を考えると、男の側(私も男だが)からこれ以上を求めるということも女性の視点からすれば高望みかもしれないと感じた。
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フェミニストの語りや経済について基礎的なことが学べる1冊。2012年に書かれたものなのでやや論調が古いかもしれない。定常社会や厚生経済学については触れられておらず物足りない人もいるかもしれません。
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アダム・スミスの夕食を作ったのは彼の母親だった。母はアダムの行くところにはどこでも付き添い、生活を支えていたという。しかし、アダム・スミスの思想からは経済を支える「母」あるいは「ケア」の視点はすっかり抜け落ちているように見える。それはなぜか?それは問題ではないのだろうか?この本はそのような問題意識を出発点にしている。
男性と女性、精神と肉体、論理と感情、競争とケア、など西欧の社会は世界を二項対立で捉え、どちらか一方に高い価値を置いてきた。女性は、自分たちに伝統的に充てがわれてきた低い価値の役割から高い価値の役割への転換を試みてきたが、この挑戦は正しかったのだろうか?
結局、二項対立のどちらか一方に価値を置き、その価値観自体を問わないのであれば、苦しみは再生産され続けるのだろう。ただ、問題は見えても解決策はなかなか見えない。
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2022/10/18読了。
フェミニスト経済学的一冊。
2008年金融危機後に発行されたらしいが日本語訳ができたのは2021年のよう。
経済学というと大変に小難しい単語が羅列され頭が回ってしまう私でも読破できた貴重な一冊。
経済人という人々はケアに従事してきた女性を排除した断片的な枠組みの中で語られている幻想であって、そこには無理が生じていること。
経済について読めるかなと思っていたら、着地はジェンダーでした。
人が人であるため、資本主義経済の中で語られない役割や土台について、向き合わなければならない時代が来ているのでしょう。
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従来の経済学が設定する「経済人」の考え方の欠陥と、そこに「女性」がいないことの問題を指摘する。前半それらが繰り返し書かれており、そこからどう考察するのかと思っていたら、さらに繰り返し指摘するだけで終了。私には合わず。