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私達は民主主義というものを前提においた社会を生きている。生きているはずだが、果たしてその民主主義とは何であるか。民主主義の危機、という言葉を聞く機会も多いが、何がどうして危機なのか。
本書では民主主義の歴史を集会民主主義、選挙民主主義、牽制民主主義という三区分に分け、その時々での民主主義をとりまく毀誉褒貶を紹介している。
集会型には限界がある、というのは想像に難くないところだ。では選挙民主主義はどうだったか。選挙で選ばれたうえで独裁の道を選んだ者は少なくない。そのカウンターとして「牽制」が出てくるのはなんとなくの寂しさを感じるが、現実と向き合い変化していくことこそ民主主義が民主主義たるゆえんなのだろう。
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日本人が系統だてて学ばない分野について知見を広げられた。概説書をこうしてうまくまとめることもひとつの見識である。特にイベリア半島の民主主義のあけぼのには目を身開かされた。
翻って、日本は民主主義を自分たちが勝ち取ったものではないから、お上のいうことに文句を言うだけという風土なのだろう。今は2022年。もうかなり昔に思えるが、安全保障法制の整備のときに一部で盛り上がっていた反対運動はどこへ行ったのだろう。日本人は民衆が立ち上がって「制度」を勝ち取ろうということはないのだろうか。18歳選挙権も「偉大な」ことだけど、「勝ち取った」ものではないから、当該世代は選挙に行くわけではない。
「なんとかに小判」「なんとかに真珠」それが「民主主義」「選挙権」というのでは、イーロンマスクに指摘されるまでもなく、日本は縮んで消えていく。
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原子民主制=シリアメソポタミア一帯に紀元前2000~1000年に見られた。高齢者が指導的な役割、女性は参加資格がなかった。
ギリシャの民主制はコリント人のアンブラキアという都市国家。
アテネ民主主義は宗教色が強い。男性至上主義、奴隷制度に依存。陶片追放=任期制、人気取り政治家を追放できる。
プラトンにとっては、民主主義は見掛け倒しの発明。アテネの哲学者はそのほとんどが反民主主義。
アテネの絶頂期後に、軍の指導者が不当な権力を持つようになる。軍が政治を飲み込む。
マケドニアに負ける。
アテネ式の集会民主主義はいったん終了し、その後別に発展した選挙民主主義が始まった。選挙民主主義は、衆愚政治に陥る危険性があることは当初から懸念されていた。
代議制民主主義(アメリカの制度)ではジェファーソンの言葉によって、任期制が定められた。平和のための優れたレシピ。意見の相違は前提条件と考えられた。
選挙民主主義の終焉の始まり。=選挙民が広がり多様な意見が出たため、短命政権が繰り返される。
全体主義の始まり。民主主義の上位形態かのように見せかけた。
普通選挙権はデマゴーグを招く。大衆は暗示を受けやすい。
民主的な制度は不変ではない。
牽制民主主義=マンデラの民主主義に代表される。
民主主義の後退=戦後、石油国家、中国、ブラジルなどで独裁体制に変わった。
暴力なき抵抗によって、復活する例、ポルトガル、スペインなど。
ビロード革命=ソ連の崩壊を生む。市民の反乱エストニア、ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキアなど。
本質的に20世紀は民主主義の世紀。
牽制民主主義とは、権力を監視抑制するための仕組みや機構を特徴とする。代議制民主主義とは違う。議会以外の団体による評価によって牽制されている。
選挙民主主義は、メディアの発達によって危機に陥った。対して、牽制民主主義は、それらに依っている。
大統領主義=選ばれた専制、悠然と進められているクーデター。立法府の承認を必要としない権限が強い。
若年層の民主主義への支持が薄い。貧富の格差拡大に不満がいきつく。
トルコ、ロシア、ハンガリー、アラブ首長国連邦、イラン、中国ではトップダウンの政治構造をもつ。牽制民主主義のライバルとなっている。
民主主義は本質的には寡頭制であり大多数の犠牲のもとに少数の利益に資する制度、という批判がある。
アマゾン、Googleなどの監視資本主義もその一種といえる。
民主主義は多元主義を擁護することで利己的な権力者から解放される。
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代表制の議会が始まったのが1095年スペインであることを知った。これは大収穫。
あとは抽象的なもったいぶった表現に耐え続けなければならない。