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まとまりがない
2023/02/06 18:31
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:HTAH - この投稿者のレビュー一覧を見る
内容に論理的な展開がないため、ダラダラと最後まで文章が続くが、結局何を伝えたかったのかわからない。
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東畑開人さんの本はいつだって最高。この人は時代をよく見てるなぁと本当に思います。だから求められるのでしょうね。
西村佳哲さんはよく"話し手よりも聞き手の方が、実は会話においてイニシアチブをとっている"みたいなことを仰っているが、幼少期から今までの人生で上手いこと"聞いてくれる人"が近くにいるかどうかで本当に人生変わるなと思った。聞くというと簡単な感じに見えるが、その実"相手の気持ちに想像を巡らせ、相手が話したい言葉を自然と引き出す"という高等な動作だ。
聞くことが苦手なのは、聞いてもらった経験がないから。やっぱり人間関係でも色んなことが循環して、関わり合っているのだと実感する一冊。
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話を聞くのが上手になりたいという場合、「聞く技術 小手先編」を読むだけでも、発見や学びがある。個人的に大事だと思ったのは、それと対になる「聞いてもらう技術」の部分。
「聞いてもらう技術 小手先編」は以下のような項目で構成されている。
日常編
1 隣の席に座ろう
2 トイレは一緒に
3 一緒に帰ろう
4 ZOOMで最後まで残ろう
5 たき火を囲もう
6 単純作業を一緒にしよう
7 悪口を言ってみよう
緊急事態編
8 早めにまわりに言っておこう
9 ワケありげな顔をしよう
10 トイレに頻繁に行こう
11 薬を飲み、健康診断の話をしよう
12 黒いマスクをしてみよう
13 遅刻して、締切を破ろう
一見すると、周りに心配してもらう、気にかけてもらう立ち振舞いのように見えるかもしれないが、それが大事であると筆者は言う。
”「聞く技術」の本質は、「聞いてもらう技術」を使っている人を見つけ出すところにあります。「ちょっと聞いて」とは言えないけれど、聞いてもらう必要がある人が戸惑う心を滲ませている。そこに向けて、「なにかあった?」と尋ねることにこそ「聞く技術」の核心があります。
ですから、「聞いてもらう技術」と「聞く技術」はセットです。”(p.148)
聞く技術と聞いてもらう技術がセットというのが大事。どちらの技術も単体で機能するのではなく、両方が合わさって機能するということだ。むしろ「聞いてもらう技術」を知った人が「聞く」とアクションを起こして、聞いてあげるということにつながるのだろう。
【聞くことは循環する】
”「大丈夫?」
「あまり大丈夫そうには見えないんだけどな、眠れてる?」
「いつから調子悪いの?」
「なにかあった?」
「聞く技術」の本質は、「聞いてもらう技術」を使ってモジモジしている人にそう声をかけるところにあります。
「なにかあった?」と声をかけることで、話が始まります。
聞いてもらった人は少し回復し、危機を乗り越えることができるかもしれません。すると、次はその人が別のモジモジしている誰かに「なにかあった?」と声をかけることができる。
あるとき、声はあなたにかかります。
「なにかあった?」
第三者として誰かの話を聞いていたはずのあなたが当事者としてモジモジしているところを見ている人がいたのです。
聞くが循環するとはこういうことです。”(p.236)
誰かの話を聞いた人が、別の場面では他の人に話を聞いてもらっているというように、聞く・聞いてもらうは循環し、巡っていくと言う。
【自分からできること(聞く・聞いてもらう)から始める】
では、聞く・聞いてもらうはどちらから始めればいいのか?
筆者は自分からできるところから始めようと呼びかける。
可能なところから始めることで、「聞けない・聞いてもらえない」状態から「聞く・聞いてもらう」へ変わり、循環は起こっていくと締めている。
聞く・聞いてもらうことについて、できるところから始めることが第一歩だと思える一冊。
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タイトルに引かれて手に取ってみた本。恐らく誰しものが「聞いてもらいたい」と思ったことがあるのではないか。あるいは、家族、友人、部下の話をもっとちゃんと聞いてあげられるようになりたいと感じたことがある人も多いと思う。個人的には、どちらかというと「聞いてもらいたい」という気持ちから強かったように思う。
本書では「聞いてもらう」ためには「聞くこと」が重要なのであり、「聞いてもらう」と「聞くこと」の連続性、関係性こそが鍵であることが指摘されている。「聞く」技術と「聞いてもらう」技術なのではなく、聞く・聞いてもらうは連続性をもった行為であるというのは、今の世の中において非常に重要なメッセージではないかと感じる。折を見て読み返してみたい本だと思う。
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人を孤立させる「ふつう」は、悪しき「ふつう」。これに対して、他者とのつながりをもたらす「ふつう」は、善き「ふつう」(第3章 聞くことのちから、心配のちから p.198)。読み進める行為が終始カウンセリングそのものといってもいいような不思議な感覚だった。
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「聞く」だけじゃなくて「聞いてもらう」ところにまで踏み込んで会話することの重要性が書かれていてすごいです。
簡単な言葉でゆるい感じで書かれていますけど、かなり研究と実践をして、際どいところを乗り越えてきたあとに書かれている文章だと感じます。
個人的に自分が聞いてもらうが苦手で。露骨に聞いてもらいたがっている人も苦手で。聞いてもらう技術を使わな過ぎて煮詰まっている人も苦手で。聞いてもらうのところでいろいろと苦手なシーンを思い出しました。
実感なのですけど、会話というのはほんとうに命を救うと思います。
話せればなんでもないことばっかりな気がします。
なにかうまく行ってない時は話せてません。
話せなくなるとほんとに話せません。
そういう時に死にたくなります。
だから、普通にたのしい雑談とかができてる時って
すごいことなんだと思いました。
そういう瞬間で切実に生き伸びているし、そういう瞬間を生み出すためのスキルを新書で学べてよかったです。東畑先生の他の著書も読んでみたいと思いました。
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何度も読み返したい良書。様々なリソースが限られ、人々の分断や不協和が点在する現代の窮屈な社会において、「人の話を聞くこと」の循環を取り戻すことが個人にとっても社会にとっても重要であるという指摘には目から鱗が落ちました。「聞くこと」あるいは「聞いてもらうこと」には、絶望や孤独を、希望や信頼に変える力がある。ぜひ忘れないようにしたいですね。
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新刊をすぐ買ったものの積読にしている間に次から次へと賛辞が飛びこんできていて、年末近くなってようやく読み始めることができた。
書き下ろしならぬ語りおろしスタイルで、大事なところは太字で強調されているし、読み始めればどんどん読める。(ただでさえ余裕がない世の中で「聞く」「聞いてもらう」の第一歩をとにもかくにも踏み出してもらうために、読むのに時間をかけさせるわけにはいかない、という思いやりかな…)
身近な人間関係でも、社会や政治、外交などもっと広い世界でも「聞いてもらえない」ことによる分断や断絶が問題になっている今、「聞く」ためにどうすればいいのか。その解決方法はとりもなおさず「自分のうちに積もっている話を聞いてもらうことでだれかの話を聞ける場所(余白)を作る」ということで、聞くプロ=カウンセラーたちが無意識に活用している小手先(技)を紹介しつつ、新聞に書いたコラムを種に、聞くこと聞いてもらうことのもつ力、「金は天下の回りもの」「情けは人の為ならず」というようにケアや心身の重荷もたがいに分かち合い回していく必要があることをやさしく解説している。
コラムは私も毎回切り抜いては読み返している「社会季評(朝日新聞オピニオン面)」の2021年掲載分4本。最後のコラムからちょうど一年がすぎたけれど、新型コロナや政治・外交・経済などをめぐるギスギスと余裕のない社会の現実は相変わらずで、ちょうどこの12月の季評はこの本の短い変奏曲だと感じた。
思えば、私自身が教室や親子のコミュニケーションでいちばんだいじにしているのも「聞いてもらえる」「なんでも話せる」と思ってもらえるような信頼関係と雰囲気づくりなので、我が意を得たりと思うことばかりだった。
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いろいろ心に響いたことはあったと思うが、結局心に残っていない。残っているのは、東畑さんが対談相手といっしょに帰る段になって、ちょっとタバコと言って逃げたという話。僕も似たようなことがある。どうも帰り道に人といっしょにしゃべりながらというのが苦手だ。というか雑談が苦手だ。自分の仕事を考えると、まずは人に話を聞いてもらうのが大きな仕事。どうやって聞いてもらうか、眠たそうな子の意識をどうやってこちらに向けるか、それが一番目。それから、相談に乗るという意味で聞くのも大きな仕事の一つ。子どもの話も親の話も。カウンセリングを専門的に勉強したわけではないが、いくらかは本を読んで知っているつもり。けれど、しゃべり過ぎていることが多い。特に子どもの場合はよほど時間をかけて待ってあげないとしゃべり出さないので、ついこちらから話を進めてしまう。保護者なら、たっぷり聞いてあげると、だいたいは満足して帰られる。話しているうちに自分で解決策を見つけていかれることも多い。仕事の愚痴とかは基本的にしゃべらない。パートナーの愚痴はよく聞く。自分は読んだ本の内容とか、見たドラマのこととかしゃべりたいし、よくしゃべる。たいがい聞き流されている。妻の仕事の愚痴を聞いて、ちょっと意見をするとだいたいはいやがられる。同調してあげる方がいいと思うのだが、たいがい、いやでもこういうふうにも考えられるよ、などと自分の考えを言ってしまう。だからと言ってしゃべらなくなってしまうということでもないので、僕の意見を聞いて少しは考えることもあるのだろうか。何でも気軽に話を聞いてもらえる友人というのは2人くらいしかいない。それも近くには住んでいないので、もう何年もしゃべっていない。ということで話をする相手は最近ではつれあいだけとなっている。したがって妻のことで何かあっても、相談する相手がいないということになる。まあ、いまのところ大した不満はないし、自分の中で解決してしまうのでうまくいっている。話を聞いてもらうには話を聞いてあげないといけない。きっとこれは双方向でなくてもよいのだろう。聞いてもらって聞いてあげる、この連鎖ができるといいのだろう。なんだか恩送りと同じような発想に思えてくる。そうして良い世の中になるといいなあ。ところで、朝日の記者がしゃべりまくったというのはきっと東畑さんが聞き上手だからなのだろう。
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タイトルから想像される需要を満たすためにテクニック集も載ってはいますが、基本的には「聞く」⇔「聞いてもらう」の循環とその破綻時の回復の話に終始しています。テクニック集を期待する人には不向きでしょう(もう少し良いタイトルがあったのでは?)
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聞かないと聞いてもらえない気がしてしまう。が、聞くためには聞いてもらうから始めようと筆者。その理由が分かりやすく語られる。とはいえ難しい。大事なのは、人に弱みを見せることを躊躇しないということ。
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聞くと聞いてもらうはグルグル循環してはじめて成り立つ。自分が聞くためのスペースを聞いてもらって作る。納得の一冊です。そして今は本当に難しい時代だなと思いました。他の著作も読んでみたくなりました!
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感想
相手の話を聞いてこちらの話を聞いてもらう。基本を忘れている。聞くのは得意だと思っているが、その後話せないということは聞けてないということ。
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お話を聞くように読める新書です。
筆者が小手先という聞く技術は、知っていても改めて大切。珍しいのは聞いてもらう技術の方。私は「一緒に帰る」がすごーーーく苦手な人間です。聞いてもらうの苦手かも。でもそういう人間は聞くことも上手くできない気がするよ。
仕事の面でも、自分自身のためにも、これは買って手元に置きたいかも。
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心身共に不調が続いていた頃、ふと目に飛び込んできたのが公民館の傾聴講座。人見知りだしサークル活動などしたこともないのに「聞く」ことくらいならできるかな?と軽い気持ちで受講したのがキッカケで「聞く」の奥深さに驚かされたり救われてきた。(介護資格を取得して仕事したほど!)
「聞いてもらう」ができていないと「聞く」ことはできない。でも、どちらにしても「小手先の技術」や、ちょっとだけ練習が必要な場合もあると思う。私の場合は傾聴講座がとても自分に合っていたけれど、本書は「聞く」「聞かれる」双方の入門書として最適!