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(2013.01.25読了)(1999.11.04購入)
【平清盛関連】
内容は、単行本で読んだので、最後の高橋英夫さんの解説だけ読みました。
●『背教者ユリアヌス』と双璧(709頁)
『西行花伝』は、流麗そのものでありながらしかも雄偉であるという重層をもった辻邦生の大作のなかでも、ひときわ作者の語りの力量と、人物に移入された想念の高さとにおいて、輝いている。個人的な印象の中に還って思い返すと、それはもう三十年近くも以前の長篇『背教者ユリアヌス』と双璧を形作る作品のように見える。
●秋実はフィクションか(713頁)
最初の「語り手」藤原秋実とは、何者なのか。
秋実は果たして史上に実在した人物であろうか。おそらく作者のフィクションではなかろうか。
(実在の人物だと思って読んだのに、・・・まいった。)
●「花」(714頁)
作者は西行の本質を「花」と見定め、いかにそこを言い表すかに長い時をかけたのに違いない。その沈潜と構想の果てに、弟子の視点から師西行を望み見るという人物の配置が閃いた。弟子の視点を加えることで、その他もろもろの人物たちの目で見定められた西行という多面体に、フィクティシャスな焦点が成立する。
【目次】
序の帖 藤原秋実、甲斐国八代荘の騒擾を語ること、
ならびに長楽寺歌会に及ぶ条々
一の帖 蓮照尼、紀ノ国田仲荘に西行幼時の乳母たりし往昔を語ること、
ならびに黒菱武者こと氷見三郎に及ぶ条々
二の帖 藤原秋実、憑女黒禅尼に佐藤憲康の霊を喚招させ西行年少時の
諸相を語らしむること、義清成功に及ぶ条々
三の帖 西住、草庵で若き西行の思い出を語るを語ること、
鳥羽院北面の事績に及ぶ条々
四の帖 堀河局の語る、義清の歌の心と恋の行方、
ならびに忠盛清盛親子の野心に及ぶ条々
五の帖 西行の語る、女院観桜の宴に侍すること、
ならびに三条京極第で見る弓張り月に及ぶ条々
六の帖 西住、病床で語る清盛論争のこと、
ならびに憲康の死と西行遁世の志を述べる条々
七の帖 西住、西行の出離と草庵の日々を語り継ぐこと、
ならびに関白忠通の野心に及ぶ条々
八の帖 西行の語る、女院御所別当清隆の心変りのこと、
ならびに待賢門院の落飾に及ぶ条々
九の帖 堀河局の語る、待賢門院隠棲の大略、
ならびに西行歌道修行の委細に及ぶ条々
十の帖 西行の語る、菩提院前斎院のこと、
ならびに陸奥の旅立ちに及ぶ条々
十一の帖 西行が語る、陸奥の旅の大略、
ならびに氷見三郎追討に及ぶ条々
十二の帖 寂然、西行との交遊を語ること、
ならびに崇徳院の苦悶に及ぶ条々
十三の帖 寂然、高野の西行を語ること、
ならびに鳥羽院崩御、保元の乱に及ぶ条々
十四の帖 寂然の語る、新院讃岐御配流のこと、
ならびに西行高野入りに及ぶ条々
十五の帖 寂然、引きつづき讃岐の新院を語ること、
ならびに新院崩御に及ぶ条々
��六の帖 西行、宮の法印の行状を語ること、
ならびに四国白峰鎮魂に及ぶ条々
十七の帖 秋実、西行の日々と歌道を語ること、
ならびに源平盛衰に及ぶ条々
十八の帖 秋実、西行の高野出離の真相を語ること、
蓮華乗院勧進に及ぶ条々
十九の帖 西行の独語する重源来訪のこと、
ならびに陸奥の旅に及ぶ条々
二十の帖 秋実の語る、玄徹治療のこと、
ならびに西行、俊成父子に判詞懇請に及ぶ条々
二十一の帖 秋実、慈円と出遇うこと、
ならびに弘川寺にて西行寂滅に及ぶ条々
「声」と化した「花」 高橋英夫
☆関連図書(既読)
「西行-魂の旅路-」西澤美仁編、角川ソフィア文庫、2010.02.25
「西行」高橋英夫著、岩波新書、1993.04.20
「西行」白洲正子著、新潮文庫、1996.06.01
「白道」瀬戸内寂聴著、講談社文庫、1998.09.15
「西行と清盛」嵐山光三郎著、集英社、1992.04.25
「西行花伝」辻邦生著、新潮社、1995.04.30
(「BOOK」データベースより)
花も鳥も風も月も―森羅万象が、お慕いしてやまぬ女院のお姿。なればこそ北面の勤めも捨て、浮島の俗世を出離した。笑む花を、歌う鳥を、物ぐるおしさもろともに、ひしと心に抱かんがために…。高貴なる世界に吹きかよう乱気流のさなか、権能・武力の現実とせめぎ合う“美”に身を置き通した行動の歌人。流麗雄偉なその生涯を、多彩な音色で唱いあげる交響絵巻。谷崎潤一郎賞受賞。
(2013年1月26日・記)
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この世のあらゆるものは変成する、それが宿命であり我執をすてながら常世をみとめる。
そんな道理をしたがいながら、歌として世界の
姿をかたちとしてのこす
素敵だね。確かに勅撰集とかで歌が残されていなかったら日本文化はいまのままだったのだろうか?
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西行の歌の弟子藤原秋実が記す形を取った西行の物語。序の帖に始まり二十一帖に至るまで、西行を時代の流れの中心におき、彼の秀歌と併せて語ってゆく。//前半は物語の筋が読めず少し退屈感を覚えた。中ほどから、平安末期の乱れた世の激変を活き活きと描き面白くなる。皇族・女性・僧侶・源平の武士達が、史実にフィクションを織り交ぜて西行と係ってゆく。西行の人生観も深みを示す。//西行は十五帖で、「我を捨て、この世の花とひとつに溶ける」と説き、二十帖で「歌こそが真言、森羅万象の中に御仏の微笑を現前するもの」と現す。この生き方の基本は終生変わらない。しかし西行は浮世を捨てたわけではない。我を捨ててこの世の花に染み込んで浮世を楽しんでゆく。//西行の歌は、浅学な私でもまだ分かり易い。「ゆくへなく 月に心のすみすみて 果てはいかにか ならむとすらむ」//しかし歌にて世の中を変えるという本書の中の西行は、非現実的で理想主義。
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10数年ぶりに読み返してみた。「利休にたずねよ」があまりにもつまらなかったので、もう歴史小説は自分には合わないのかと思ったが、読み返した本書はやっぱり面白かった。辻邦生作品の中でも「背教者ユリアヌス」と並ぶ傑作だろう。
物語は歌人西行の生涯を弟子の藤原秋実が、西行その人や、さまざまな周辺の人から聞き取っていくという形で進む。
前半は恋物語が基軸。終盤は保元の乱がクライマックスとなる。
歴史的事実からは踏み外さず、そこに小説としての肉付けを丹念にしていく姿は素晴らしい。大著だが多くの人に読んでほしい。
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花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に
身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ
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平氏と貴族間の葛藤の時一歩身を引いて世の中を見つめた西行の生き方、宗教のよりどころ。角幡さんが勧めていた本。辻邦生は時の扉を中学の時、これも先生の勧めで読み進めた。
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歌人西行を描いた辻邦生の晩年の長編.いつか読もうと思っていたが,源氏物語から平安つながりでようやく読了.緻密で精緻な文体で,読者にもゆっくり読むことを要求する.
私は和歌に関する教養がなく,本書に出てくる歌も肝心な部分の意味がわからず,したがって全体の意味もおぼろげにしかわからない.それでも全体の4分の3にあたる崇徳天皇の崩御までは物語に強く引き込まれた.そのあとは,西行の人生哲学みたいな部分が多くなって,共感が薄くなってしまった.
それでも,摂関政治,院政,武士階級の勃興,平氏,鎌倉幕府にいたる歴史の流れの描写は見事.時代の空気をよく伝えている.
実は私は西行よりも崇徳院の人生にいろいろ感じるものがあった.鳥羽上皇からはうとまれ,帝位を追われ,院政もできず,歌の道に邁進するが,自分の子を帝位につけることを諦めきれず,保元の乱に巻き込まれ,そして敗れ,讃岐配流.配流先で半狂人になりながら不遇の死.悟ること,諦めることの難しさをしみじみ感じさせ,同情せずにいられない.
追記: エッセイ集微光の道に谷崎賞受賞を機に書かれたと思われる同題の自作解説がある.
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西行の一生を描くというより、西行の精神を構築していくという作品。
時にはこういう作品を制覇するのもいいだろうと自虐的な読書になった。
理解できなかったり、冗長に感じる部分もある。西行の生き方自体にも共感を覚えない。が、最後の感慨はちょっと得難いものだった。
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かなり前に買って積読だった文庫本。
想像していたのとは全く違った西行像と小説の内容。院政、荘園、北面の武士、保元の乱、清盛と頼朝など日本史の授業で覚えた馴染みある時代感とその中で生き生きと描かれる西行の人間臭さ。和歌の世界は難しいが、歌がわからなくても西行の生きた時代がよくわかる素晴らしい作品でした。
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読書って、出会った時の体力と精神力の充実度で、読める・読めないということに繋がる時がある。
辻さんの本は、気力充実、且つ、心に遊びがある時に手に取れると、スゴく良い時間になってくれる。
その意味で、いいタイミングで読めて大変楽しめました。
【たとえば鳥が空を飛んでゆく。それは日々気にもとめずに見る平凡な風景である。だが、なぜ〔その〕鳥が〔その〕とき〔そこ〕を飛んだのか、と考えはじめると、平凡な風景が突然平凡ではなくなり、何か神秘な因縁に結びついた「現象(あらわれ)」に見えてくる】
西行法師、として生き切ったのではなく、佐藤義清として自身の生涯と格闘していたのだな~と、とても身近に感じれた一冊でした。
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長い、そして文章の流れが少なくとも現在の私に合わない。
本作の出来云々とは違った次元で、単に好み等にマッチしなかったということでしょう。
しかし俗世と離れていた人のように勝手に思い込んでいましたが、なかなか、俗世の中を立ち向かって生き抜いた人という感を抱きました、本作を読んで。超越したいと思いつつも、そうは出来ない人々の格闘の物語だなと。
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花の季節に、西行墳のある弘川寺を訪ねようと思っていた。今年になって鳥羽の城南宮を尋ねた帰り、桜の季節までに評伝を読んでおこうと思いたって、辻邦生著のこの本を選んだ。
藤原鎌足を祖とする裕福な領主の家に生まれたが、母の願いで官職を得るために京都に出た。
馬術、弓道、蹴鞠、貴族社会の中で身につけなくてはならないものは寝食を惜しんでその道を極めた。
流鏑馬では一矢も外さない腕を見せ、蹴鞠は高く蹴り上げた鞠を足でぴたりと止めて見せた。
当時の社会で歌の会に連なることも立身出世の道だった。武芸が認められて鳥羽院の北面の武士になり、歌の道でも知られてきた。
鳥羽上皇の寵愛を失った待賢門院を慕ったことや、突然従兄の憲康を亡くし、その失意から出家したといわれてはいるが、辻邦生著の「西行花伝」は著者の想像力と、残る史実を基にした壮大な芸術論で、西行が歌の中で見出した世界が、語りつくされている。
そんな中で出家の動機がなんであろうと、その後、この世を浮世と見て、自然の移り変わりを過ぎ行くものとして受け止める心境を抱く切っ掛けが、出家ということだった。
「惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ」
引用ーーー人間の性には、どこか可愛いところがある。そうした性の自然らしさを大切に生きることが歌の心を生きることでもある。肩肘張って生きることなど、歌とは関係がないーーー
「はかなくて過ぎにしかたを思ふにも今もさこそは朝顔の露」
時代は院政から武家に政がうつっていき、保元・平治の乱が起き、地方領主は領地境で争っていた。
西行は、待賢門院の子、崇徳帝の乱を鎮めるために力を尽くし、高野山に寺院を建立し、東大寺再建の勧進行のために遠く陸奥の藤原秀衡を訪ねたのは70歳の時だった。
「年たけてまた越ゆべしと思ひきやいのちなりけり小夜の中山」
こうして出家したとはいえ時代の流れに関わり続けながら、それを現世の姿に捕らえ、歌は広く宇宙の心にあるとして、四季の移り変わり、人の世の儚さを越えた者になっていった。森羅万象のなかで、花や月を愛で、草庵を吹く風の音を聴いて歌を読み人の世も定まったものではないと思い定めた。
そうした西行の人生を、辻邦生という作家の筆を通して感じ取ることが出来た。
「仏には桜の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば」
「なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな 」(百人一首86番)
「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」
と詠んだ時期、春桜が満開の時に900年の後、西行墳を訪れ、遠い平安・鎌倉の時代に生きた人の心が少し実感になって感じられた。
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辻邦生 「 西行 花伝 」
小説形式の西行論。ストーリテラーが 西行や西行に関係する人々の声を集めて西行像を作っていく構成。傑作。
今まで読んだ 西行論(白洲正子氏の恋愛側面、山折哲雄氏の宗教側面、吉本隆明氏の政治歴史側面)が 全て盛り込まれている。ただ 連歌「地獄絵を見て」の解釈が入ってないのが残念。
著者の人生観や芸術観が 西行像に組み込まれており、正義と不条理、雅な心、歌とは、運命とは、旅とは、権力論批判など 名言が多い。
この世に正しいことは存在しない
*全ての人は、自分は正しく生きていると思っている
*自分が正しいことをしてると思ってはいけない〜そんなものは初めからない〜正しいことなどできないと思った方がいい
*正しいものを求めるから、正しくないものも生まれてくる
雅であるとは、この世の花を楽しむ心
*余裕があるとき初めてこの世を楽しもうと思う。楽しもうと思う心が雅。雅とは余裕の心
*目的に達しても、またすぐ次の目的ができる〜目的に走っている人は満足するときがない。満足とは留まること。この世を楽しむには留まることが必要
西行にとって歌とは
*虚空に浮かぶ存在を、歌という土台石で支える
*歌によってこの世のはかなさを超え、永劫不壊の言葉の器に無光量の心を盛る
*歌によって生きる道を切り開く〜人々を無明の闇から救い出す
*歌こそすべての根本〜歌による政治がなければ、権力や栄華は人間にとって意味が分からなくなる
*歌を仏性として生きる
出家、運命
*森羅万象をいっそう美しく見るために浮世を離れる
*西行の心が天地自然と一体化し、自身への愛着が存在しない
*我を捨て、この世の花と一つに溶ける
*人間の願わしい姿=すべてを宿命に託すこと→もはや自分がどうなるかくよくよ求めず、与えられたすべてを引き受ける
*人の世の宿命は動かすことができない〜私たちにできることは、外面では宿命に従い、内面では問題にしないこと
旅
*旅に出て初めて森羅万象がすべて滅びの中に置かれていることを知る
*旅には明日の旅も、昨日の旅もない〜今日の旅しかない。今日の旅を心ゆくまで楽しむこと
*旅で六道輪廻の姿をまざまざと見た〜それを受け入れるほかない。受け入れるとは それを慈悲で包み自分の中へ同化すること
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出家をするというのは、心が自由になるということなのかな、とこの小説を読んで何となく思った。
落ち着いた雰囲気の長編だからか、読みながら何となく別の考えに没頭してしまったりするので、小説の感想といえるのかどうかはわからないが、時々読み返して小説の世界に浸れるようになりたいと思う。
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西行に歌の道を学んだ藤原秋実が、師の亡きあとそのすがたを思い起こし、また生前に交流のあったさまざまな人物のもとを訪ねて、西行の生涯をたどるという形式で書かれた歴史小説です。
待賢門院との恋や、崇徳院の悲運などをくぐり抜けて、西行が歌の世界になにを求め、現世(うつしみ)とどのように切り結んだのかというテーマが、全編にわたってえがかれています。
西行が崇徳院に「歌による政治(まつりごと)」の道に入るように説得しながらも、けっきょく院は重仁親王を王位に就けたいという思いを振り切ることができず、恨みにとらわれたまま崩御することになります。「歌による政治」の具体的な内実は、院の崩御のときまで読者に明確に示されていませんが、その後西行がことばをうしなうという経験によってあらためて世界に出会いなおすにいたったことがえがかれており、いわば「うたのはじまり」というテーマにつながっていることが明かされます。こうしたテーマにつながることで、日本文化史の深層に「うた」を見いだし、その豊かな地下水脈のうちに西行を位置づけるような解釈の枠組みに沿って本作を理解することができるのではないかとも考えたのですが、勅撰集についての本書の叙述をあらためて読みなおしたところでは、当方の解釈が先走りすぎていたかもしれません。