投稿元:
レビューを見る
子供時代に見ていたけど、ヤラセとは思ってなかったかな。特集によって内容に差があったような記憶がある。
本はとても興味深い内容でした。
投稿元:
レビューを見る
私はテレビが好きだ。いや、好きだった。テレビは、ためになることもならないことも、面白いこともそうでないことも、毎日毎日、ほぼタダで(公共放送以外は)垂れ流している、不思議な機械だ。最近のテレビはつまらなくなった。テレビをつけても、昔見た2時間ドラマの再放送か、プロ野球の中継、好きな海外ドラマの録画と、あと時々ニュースを見るくらいだ。ちょっと前まではそんなことはなかったように思うが、ここ数年、本当にテレビを積極的に視ようとは思わなくなった。楽しみにしているテレビ番組は、5本の指でも余るくらいしかない。
平成も、前半のころはそんなことはなかったし、ましてや子供のころ、昭和の後半から末期にかけては、テレビは本当に楽しいおもちゃ箱だった。楽しいことやくだらないことがいっぱい詰まっていた。スイッチを入れると歌謡曲が流れ、時代劇ではばったばったと悪人が切り殺されていた。心霊写真やUFOが子供たちを恐怖に陥れ、川口浩がジャングルの奥深くへと謎の生物を求め分け入っていった。人生において、くその役に立たないものに、我々はくぎ付けになった。この本は、そんな時代とその終焉を告げる転換点について、時代の生き証人たちの言葉から浮かび上がらせていく。テレビ番組において「ヤラセ」とは何なのか。真実とは?事実とは?取材を進めるうちに曖昧になっていく「事実」と「ヤラセ」の境界線。そして、迷走し逆転する価値観。「川口浩探検隊」を探す探検は、思いがけなくもテレビそのものが持つ暗部というか、宿痾にたどり着いてしまう。伝説のプロデューサーへの直接取材を探検の最終目的地と設定していたのだが、果たしてその計画は実現するのか。はたまた・・・。
ここ2、3年、懐かしい昭和のテレビ番組関係の出版物が相次ぎ、その高い資料性に釣られて何冊か買い求めた。本書もそんな中の1冊であり、「ヤラセと揶揄され、嘉門達夫の歌で面白おかしく人口に膾炙したテレビ朝日『水曜スペシャル』の「川口浩探検隊」について、それこそ、面白おかしく語った」本だと思い込んで、読み始めたところ、私は大きく裏切られた。もちろん、よい意味で、である。「水曜スペシャル」、中でも「川口浩探検隊」への並々ならぬ敬愛と憧れにあふれた著者のスタンスは、毒蛇や崖をものともせず密林や洞窟にに分け入る探検隊の姿そのものだ。次第に深い闇とぬかるみに踏み込んでいく著者のあくなき冒険心と「真実を知りたいと思う心」には圧倒される。そして、たどり着いた果てに彼らが見たものは。
読み終わって、なにか物悲しい、寂しいものが心に残ったことに、私は戸惑っている。もう、あんなにおもしろくむちゃくちゃなテレビ番組は、作られることはないのだろう。すべてはゆめまぼろし、密林のかなたに消えた双頭の大蛇のごとく、それはあったのかなかったのかすらいずれわからなくなるのだろう。そして、それ作った男たちのわけのわからないパッション。彼らもまた、時代とともにあとかもなく消え去るのだろう。
私は、そんな番組が作られた時代に、リアルに出会えていたことに、感謝するほかない。すべては一期一会。テレビ、テレビマン、視聴者が同じ夢を��ていたころ。本書はそんな時代への鎮魂歌に思えてならない。
投稿元:
レビューを見る
我々は数多の書籍があるジャングルで、遂に本書を発見したっ!
40代後半以上の人なら覚えておいでだろう。テレビ朝日で放送
されていた「水曜スペシャル」。そのなかで当時の子供たちが
手に汗握り、固唾を飲み、心を躍らせた「川口浩探検隊」。
嘉門達夫氏が番組内容を茶化して歌った「行け!行け!川口浩」
というパロディ・ソングを覚えている方もいるだろう。
著者もそんなひとりだ。探検隊の放送を毎回楽しみにしていた。
そんな著者が、川口浩探検隊の隊員として参加した当時の
スタッフを探し出して番組の真実に迫った。探検隊のみならず、
「ヤラセ」と言われるテレビ番組の真相にも迫っている。
と、川口浩探検隊のナレーション風に書こうと思ったのだけれど
無理だったので、ここら辺で止めときます。
凄かったと思うのよ、この探検隊シリーズ。今のように気軽に
インターネットでなんでも調べられる時代ではなかったのだから。
その土地に伝わる伝説などを参考にしながら、原始猿人やら、
怪鳥やら、双頭の蛇やら、未知の生き物を探しに行っちゃう
のだもの。
番組に携わったスタッフの情熱もとんでもなかったよ。「どう
したら面白くなるか」を常に考えて、遂には蛇と蜥蜴を縫い合わせ
て、存在しない動物を作っちゃう。
だが、そんな番組も今は作るのが難しいだろう。同じテレビ朝日
「アフタヌーン・ショー」でのヤラセが発覚してからというもの、
コンプライアンスが厳しくなったから。
白か黒か。それだけで判断できないものってあると思うんだ。
特にバラエティ番組なんかはね。見終わって「面白かったけど、
これって本当にいたんだろうか?」って視聴者に思わせる
のもいいんじゃないかな。
当時はオカルト番組だっていっぱいあった。オウム真理教の
一連の事件以降、オカルト封印になっちゃったけどね。心霊
治療なんて「んなわけあるかぁい」って突っ込みながら見て
いたわ。見る側の「見方の自由」さえ奪われた感じ。
川口浩探検隊や「水曜スペシャル」だけではなく、前記の
「アフタヌーン・ショー」ヤラセ事件や、旧石器捏造事件、
ロス疑惑事件まで話が及んで、読み手を引きつける。
テレビがエンターテインメントとして機能していた頃の、
ハチャメチャな裏話としても楽しめる。
尚、ロス疑惑事件では発生当時、ロサンゼルス警察の取材を
していた「水曜スペシャル」取材班が真っ先に三浦和義の
インタビューを取っていたことにびっくり。
そして、「作り物」の番組を制作していたスタッフたちは
一様に「これの事件、おかしいよね」と感じていたのだとか。
なるほどな…って、変なところで納得。
テレビで放映されない裏側に、本当の「ドキュメンタリー」が
存在していたんだね。スタッフたち、かなり危険な目にあって
いるのだ。それさえも、今じゃ出来ない取材準備かもしれないね。
投稿元:
レビューを見る
●=引用
●TBSは2015年の正月に『財宝伝説は本当だった!バミューダ海400億円沈没船&パナマの秘宝歴史的大発見SP』を放送した。「沈没船は2014年の夏の収録時にすでに発見されていて、ニュースになっているわけですよ。だから実際にお宝が出てくるんです」つまり公的な正しさがちゃんとあるのだ。
●「一番ヤバい時っていうのはカメラが回せないときなんですよ」ハッとした。これはキラーワードである。我々がすでにテレビで見ているものは、予測不能な大いなるガチ”を除いた安心安全なものなのである。だからといって、ヤラセや茶番という否定的な言葉では片づけられない。あえて言うなら絞りに絞った”エンターテーメントの塊”戸でも言おうか。
●藤岡の言う「嘘と本当の狭間のバラエティー」という言葉はエンタメ論として重要ではないだろうか。つまり、嘘だからいい加減につくっているかと言えばそうではない。人びとを楽しませるために真面目につくっている。そして嘘の中にも本当のことは”たまに”ある。
●わかったことは、ドキュメンタリーをドキュメンタリーたらしめているのは、映像の真実味ではなくて「山を3日間ちゃんと歩いて行くこと」である。視聴者を納得させるプロセス(過程)こそが、ドキュメンタリーにおいて大事である。川口浩探検隊は山に行かずに現地の人の交渉に任せた。探検隊がそこまで行かないのは、自分たちの線引きがあっとのだろうか。「いや、行くのが大変だったからですよ」恩田はあっさりと答えた。
●なるほど、川口浩探検隊のとは何だったのかがだんだん見えてきた。バラエティーでもない、ましてやドキュメンタリーでもない。目的地は『インディー・ジョーンズ』。彼らのライバルはハリウッド映画だったのである。
●「世の中でよく言う、『数字を取るためにやむなくやりました』とか、『チェック体制が甘かった』とか、っていうのはほとんど嘘だと思っている。現場はいかに面白くするかっていう点にどんどん没入していくし、チェック体制だって『これ、大丈夫だよな?』『いいよな』みたいな上からの要望に現場が、『平気です。OKです』と応えるから嘘のナレーションができたりする。