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久しぶりに村上春樹さんの短編集を読んでいます。『ウィズ・ザ・ビートルズ With The Beatles』という4つ目の物語を読んで、こういうのは村上春樹さん特有の雰囲気が出ているなと感じました。
主人公と高校生の女の子が付き合って、何の問題もなく時を過ごして、でも20歳の頃に別れて、35歳になるまでそれ以来一度も会わずにいたら、女の子の兄から「妹はもう死んだ」ときかされるというような展開。女の子は結婚して、子どもが二人いたのに睡眠薬を飲んで自殺したということなのだが、さかのぼって20歳の時に別れた理由が、主人公が東京の他の女の子を好きになったせいであり、「彼女が僕の耳の奥にある特別な鈴を鳴らしてくれなかった」からということが語られる。またその彼女は「自分はとても嫉妬深い」ということを付き合っているときにさりげなく主人公に伝えている。読み手はそれをつなげ合わせて、彼女が自殺した理由をなんとなく推察するものの、決定的に僕との関係が原因だったということについては物語の中では語られず、人生はそのような決定的な原因が曖昧なまま、すれ違いによって織りなされることが真実であるとでもういうように半ば冷たく伝えて物語が閉じられる。
終盤の短編である「品川猿の告白」と「一人称単数」は正直に言って全然面白くありませんでした。
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村上ワールド全開!
フィクションなのに、現実にあった出来事のように感じる。再読するとさらなる味わいが出そう!
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村上春樹自身のエッセイとも取れるし、エッセイをふんだんに取り入れつつもノンフィクションを絡めた作品とも取れるような一冊。
この際フィクションかどうかなんてどうでも良くて、ただただ文章にのめり込めて読んでいる時間が幸福で、読み終わるのがなんだか寂しい、と思える作品が久しぶりで、満ち足りた気持ちになれた。
勝手な想像だけれど、大筋はノンフィクションで、そこにあってほしかった話やあるべきだった話、そう伝えれば読者により伝わりやすくなる話、作者本人の中でイメージとしてあった話、のうちの何かを追加したのかな、という印象だった。
関西圏に住む野球ファンとしては、ヤクルトスワローズの話が物凄く面白かった。
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短編集から入るのは正攻法ではないとは思いつつも、初めての村上春樹作品。電車の中で一日一話ずつゆっくり。意外と読みやすかった。
フィクションともエッセイとも取れるような、よく分からないようでなぜか共感できる気もする文章に気づいたらハマっていたかも。知り合いの何気ない話を聞きながら、気づいたら我を忘れて考え込まされていたような読後感。
まだこの方がなぜこんなに評価されているのかはまだ正直分からなかった(短編集ゆえ?)けど良い足がかりにはなった 別作品にもチャレンジしたい
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気に入ったフレーズを見つけた
バードが夢の中でボサノヴァ音楽を演奏してくれた話の締めくくり
「信じた方がいい。それはなにしろ実際に起きたことなのだから。」
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タイトルからもわかるように、
ぼく、僕、あるいは私といった、
一人称で書かれた短編集です。
作者自身が過去を振り返り、
想い出の一場面を
ひとり語りするという趣向です。
お話の中に作家自身の名前が出てきたり、
仕事に関する事柄が語られていたりするので、
読み進むうちに私小説かと
錯覚を起こしそうになるものもありますが、
これはあくまでフィクション。
少なからず実体験がもとになっているものも
中にはあるのかもしれませんが、
おそらくほとんどは作り事、
虚構だと思われます。
その虚構にどっぷりと浸って、
騙されたふりをして読む・・・
それがこの一冊の楽しみ方ではないでしょうか?
容赦なく時が過ぎ去っていく、
つまり年齢を重ねるってことは、
やっぱりさびしく、
辛いことなのだなぁと感じました。
べそかきアルルカンの詩的日常
http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え”
http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a
べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2
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この本はあんまり春樹の私の苦手な部分みたいなのが描かれていなくて好きだった。
8つの短編集が載っていて品川猿の告白が興味深かった。
人生って思うようじゃない。でもその分岐点を経て今ここにいる。その人生にある分岐点のお話。
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村上春樹は好きなので今回も面白かったです。特に「クリーム」「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」「謝肉祭(Carnaval)」「品川猿の告白」が印象的でした。
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一人称単数 村上春樹
エッセイなのか?フィクションなのか?
狭間のような作集。
夏目漱石を想起した。
今回の作集だけなのかは分からない。
※作者の作品は、ノルウェーの森を十数年前に読んだきり。
読みやすさは、彼のイメージと乖離していた。
彼の長編作を読んでみたくなった。
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村上先生の長編も現在読んでいますが、短編小説はサクッとでも、おもしろく読めるので大好きです。
品川猿のお話がお気に入りです。
超能力持ちで日本語をしゃべって宿で働いてる(しかもビールまで飲む!)という設定にまず、びっくりさせられまぢた。雌猿でなく人間の女性に恋をする品川猿。好きになった人の名前をもらう。異種間を超えた、プラトニックラブなお話だと思ってたら、ラストで度肝を抜かれました。
品川猿が名前を盗んだわけじゃないといいなと、個人的には思います。
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ただそれだけのこと。
理由もなく憶えているイメージや音楽があります。前触れもなくふと脳裏に過るだけで、それ自体の存在は確かなのに、なぜ出てきたのか、そしてどうしてそこから何処にも辿り着かないのか、理由もなく憶えているだけのイメージや音楽。
ある時からずっと心に留まって、留まるだけでなく時々勝手に想い起こされて、何にも繋がらずまた消えて次の機会を待つ、だけのフレーズや言葉。かつて心に隙間ができた時、ちょうどそのかたちにぴったりと収まってしまっただけのもの。
空いた隙間のかたちにはわたしにとって意味があり、そのかたちにぴったりなイメージや音楽にも隙間にはまる必然性があり、決して偶然ではなくって、なぜなら隙間のかたちはわたし特有のものだから、などという錯覚として脈絡のないもの。
ただそれだけのことがいつまでものこる。
それがだいじなのかどうかはべつとして。
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ぼーとした気分で読んでたせいもあってか、あまり驚きがなかったです。メンタル的に落ち着いていて余裕があるときに読み返したいです。
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「女のいない男たち」を更に薄味にしたような、ある種キャリアの中で彼の暗黒期なのでは?と心配になるような一作だった。「ぶすい」とか「パッとしない」とか女性の見た目をフックにした話はもうやめてほしい。短歌を読む女とセックスした一夜が忘れられない話は本当にがっかりというか、彼の初期作を何か意味ありげなものだと思って読んでた自分が恥ずかしくなる一作だった。
良い所としては、村上春樹特有の「偶然に何かが起きてそれが継続しない不条理」という不思議シチュエーションの新作が楽しめる。「コンサートのために山の上にバスで登って行ったら会場自体が見当たらなかった」は、個人的に超名作だと思っている「めくらやなぎと眠る女」に通じるような良さを感じた。その一方で表題作「一人称単数」のスーツを着てバーに行くシチュエーションは自虐的でもあり本当にがっかりした(2度目)。
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学生の頃、鼠三部作を何度も、それこそセリフを覚える位に読んでいた。ビールにサンドイッチなんて合わないよな、と思いながらも試してみたりしながら。その頃世間では、赤と緑の表紙の『ノルウェイの森』がちょっとした騒ぎになってたけど、それ以前の作品の方が短編も含めてぜんぜん好きだった。
それでこの『一人称単数』。「僕」の生きてる世界がまだ続いてたんだなあ、と感慨深げに読んだ。まあ当人が書き続けてるんだから当然なのだけれど。しばらくぶり(多分『海辺のカフカ』以来)に触れたけど、やっぱり村上春樹の世界だった。
失うこと、失われることをモチーフに描かれる奇妙な体験、不思議の国のような出来事、そして、分かるような分からないような比喩。
この歳になっても、昔のことを振り返るたびに湧き上がる、心の揺らぎや想い、痛みがある。それらを文章にすることで発散するしか縁の無い人種が小説家になってるのか、それとも、そういった心の動きも俯瞰して作品に仕上げられないと作家になれないのか。どちらにせよ、自分が村上春樹という作家に影響を受けたことは間違いないと改めて思う。
一つだけツッコミ。1960年代にパナソニックのトランジスタラジオは無いよね(ラジエーター付きのビートルが無いように)。
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実際にあった出来ごとに世にも奇妙な物語風(村上春樹版)のエッセンスを与えたような8篇。
起きたことと、考えたことが混沌としていて、それを振り分けていったら出来上がっていた物語ように感じる。
一人称単数が1番好きだった。