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とても心が温まるお話だった。ぜひ色んな方に勧めたい作品。
何度も目頭が熱くなって、会社のデスクで泣きながら読んだ小説は初めてかもしれない。
ここからはレビューではなくただの1人語りです。
私の両親は私が小1の頃に離婚している。離婚してからは母親の実家で暮らしていたので、離婚後の父のことは何一つ知らない。養育費すら入れてなかったらしいので、消息不明。生きてるとは思う。今何歳なのかも知らない。あまり父の記憶もない。
いい別れ方をしなかったようで、離婚して25年以上経つがいまだに母の前では父の話はタブーだ。
母からは嫌と言うほど父の悪口を聞かされた。何かと「ここが似ている」と嫌味ぽく言われた子供時代。それがとても嫌だった。
子供の頃からそうやって刷り込まれていたので、父の記憶は無いはずなのに、悪い印象しかない。
父に対する良い印象がない点は、主人公や姉と一緒だなぁと思いながら読んでいた。
フィクションのように結末は丸くおさまらないのはわかってるし、この現状を変えたいとも、変えようとも思わない。
でも、わたしもいつか父を受け入れられるようになるのだろうか。今まで考えたこともなかったことが頭に浮かんだ。
無理してならなくてもいい。でもあの人は私の父親だと言うことはまごうことなき事実なんだよな。そんな当たり前なことを、この作品を読んで初めて気付かされた。
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人は、ある日を境に得るものより失うものが多くなる。それまで与えられ、または自らの意思で得たものの多くが蒸発するかの如く失われてゆく。それら全てが存在を示す証であって、失う度に心には穴があき、心許なさが募る。失ってしまうのは人との繋がり、心の穴は寂しさ、この過程を老いという。あいた穴の埋め方で老いた時の居場所や居心地が変わるのだが、それは人との繋がりを如何に保って行くかということ。最たるものは血の承継。これだけは何事にも揺らぐことのない、逆に言えば決して断つことのできない、理屈抜きの繋がりなのだ。
「おい、息子。わかったようなこと書いてんじゃねーぞ。」
「やっぱり干物ですよ。水分の抜き方が大切ってことです。」
「あんたね、そんなこと書いてる暇あるなら、他にやることあるでしょ。」
「いや、どうでもいいことなんですけどね。うちの息子なら、もう少し気の利いたことが書けますよ。」
「これでいいの。老いるってね、難しいのよ。」
(合掌。念仏・・・)
濃ゆーいキャラクター達の声が聞こえてきます。私もお近づきになりたい。
長編ではありますが、とても読みやすく、残りの人生についてあれこれ考えさせられます。心に残るフレーズが沢山出てきます。老若男女、全ての人に読んでいただきたい作品です。老いたら迷惑じゃなく面倒かける。いいなこれ。
週末は墓参りに行ってこよう。
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父の知人たちから拾い集めた記憶と、自身の内から甦る記憶。その足跡を巡る旅は、自分自身のこれまでの、そして、これからの人生と向きあう旅でもあった。(e-honより)
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亡き父が作ろうとしていた自分史・・・
父の生前の僅かな繋がりを頼りに、父との記憶を甦らせていく洋一郎。父の生きて来た道を巡る旅は、洋一郎自身の人生と向き合う旅でもあった。
上巻で朧げだった物語の輪郭が、下巻で頁を捲るごとにどんどん鮮明になって来た。そして重松清さんがタイトル『ひこばえ』に託した意味がひしひしと伝わって来る。
心に響くフレーズがたくさんあった。
単体で読むより物語の内容と繋げて触れる方が響くと思うので、ここでは敢えて割愛。
また、七夕の笹飾りに人生の今までの願い事を沢山書くシーンが印象的だった。
何だか願い事って、その時の心の鏡みたいだ。
気付けば息子の幸せばかり祈っていた後藤さん。
成長と共に願いが家族の形になっていた洋一郎。
ほぼ野球監督の目線になっていた神田さん。
私はどんな願い事を書くだろう・・・
そんなことを考えながら、今までの人生、そしてこれから先の人生に自然と思いを馳せた。
生きるということは、人と出会い別れるということ。
どんな思い出であっても良い悪いで決めず、どんな形であれ、時には身勝手に脚色しても心に留めておきたいと思った。
血の繋がりの有無に関係なく、そうして紡いでいくこともまたひこばえなんだろう。
時が経つことは、若い人にとっては「育つ」だが、年寄りにとっては「老いる」だ。
老いる時に一番怖いのは間違いなく「寂しさ」だろう。子供がいるから寂しくない訳ではないし、結婚しているから寂しくない訳でもない。
年齢を経たからこそ気付いてしまう「寂しさ」にどう向き合うかが、人生の後半戦の生き方に大きく影響してくるのだと思う。きっと、本作で重松清さんが教えてくれた『ひこばえ』を意識しながら日々を暮らしていくことにそのヒントが隠されているんだろうなぁと感じた。
大切な人を亡くされた経験がある方や、人生の折り返し辺りを過ぎた方には、特に心に響く作品だと思う。
読後はじんわりと心が温かくなった。
失敗したって後悔したって、それもまた人生なんだ。
何処かでふと誰かの思い出話にあがったり、或いはその苦労が次の世代に繋がれば、きっとそれで十分なんだと、別の角度で肯定出来る勇気をもらえた。
ひこばえがそこに芽吹いていくこと・・・
そんな生き方を少しずつ意識していけたらと思う。
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上巻で登場したいろいろな人物や出来事がとても綺麗に収まり、最後はとても前向きになれるような終わり方。
じんわりと心が温かくなるお話でした。
洋一郎の母の言葉、「思い出を勝ち負けで分けたら、いけん。」「ええ悪いで分けても、いけん」「嫌な思い出があっても、そっちの方がぎょうさんあっても、ええことも悪いこともひっくるめて、ひとはひとなんよ」そして、小雪さんの「なに、あんた、自分の親がどんな人だったか、他人の評判で決めちゃうの?情けないね、まったく。
思い出は身勝手なものに決まってるじゃないか」という言葉に、父親への思いを新たにし、
そして、後藤さんが息子に叱るシーンでは、幼い頃に息子に叱られて、褒められた記憶を思い出す。
そうやって、自分が確かに父の「息子」だったということを取り戻していく。
物語を通じて、自分が「老いていくこと」逆に「世代を通じて受け継がれていくこと」という両面を考えさせられた。
重松清のもう一つの父と息子の作品、『とんび』も久しぶりに読み返そうかな!!