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今の世の中の流れに対し、グッと引き戻すようや問題提起はとても共感しましたが、各章のつながりが曖昧なことと、最終章の提起が筆者の活動を通してのことなので、やや飛躍している印象でした。
ただ新書の限界もあると思いますので星は4つとしました。
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客観性を過度に信頼し、数値が絶対的な価値基準として人々を支配する世界は、人間の個別性や経験の生々しさが忘れ去られ、差別や排除も生まれて非常に生きづらい世界になってしまう。一人ひとりの顔と声から出発して社会を作ることの重要性を、現象学の思考様式や西成区での取組などをヒントに提唱しています。
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客観性、エビデンス、コスパといった現代社会における1つの正義に警鐘を鳴らす本。本書では人の気持ち、個別の経験といった数値化できないものを拾い出し数字による束縛から脱出する道筋を探していきます。障害者、ヤングケアラー、介護、教育に興味がある方におすすめです。
私自身、数値を示されるとどこか安心したり信じてしまう節があります。客観性という言葉に頼り過ぎず、別の視点を持つという考えには納得する部分が多くあるなと感じました。
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客観性に囚われるあまり、個別の経験、個別の事象を見落としがちなることに警鐘を鳴らす。
自分の手の届く範囲の事象について、しっかりと目を凝らし傾聴していきたい。
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「客観性」という言葉、このタイトルでハッとさせられたが、なんか危ういものを含んでいるような気がする。筆者は「客観性」にどんな落とし穴があると考えているのか知りたい
#客観性の落とし穴
#村上靖彦
23/6/8出版
#読書好きな人と繋がりたい
#読書
#本好き
#読みたい本
https://amzn.to/3Cmp64B
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現代的なデータによる可視化や比較の問題点が論じられている。乱雑な表現になってしまうが要するに「現代の数値化の文化って結果的に良くない影響もあるよね」みたいな話で、「統計は集団に対するラベル付けであり、個人の数値とは別物であるため、数値の比較に固執するべきではない」とか、「ヒトが可視化・比較をすることを選ぶようになって、あるいは可視化・比較できるような仕組みを作ったことで、便利になった反面でこれができてしまったことによる弊害が社会に悪い影響を与えている」とか、こういった指摘や批判を認識させられる。
読んでいて共感できる部分はあるが、全体的に客観性の盲信への批判に寄せられている。しかし、客観性自体を軽視や批判しているわけではないため、「こういう考え方もあるけど読み手が受け入れるかどうかは別の話」というくらいに見るべきだと思う。
言葉の表現が少し回りくどくて、文が冗長になっている。個々の主張はわかるにはわかるが、表現の問題で読むのに時間がかかってしまったので、全体感として何を言いたいのかが見えづらかったし、印象は少し悪い。4章までは精読したが、5章以降は精読が苦しくなったため周辺視的な飛ばし読みをしてしまった。
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自分の経験を自分の言葉で切り取ること。それこそがデータで溢れた今の時代に求められることなのかな。
「エビデンスを重視する自分」を、見つめ直すきっかけになった。
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「本書では客観性と数値を盲信することに警鐘を鳴らした。顔の見えないデータや制度からではなく、一人ひとりの経験と語りから出発する思考方法を提案した。この思考は社会的な困難のなかにいる人、病や差別に苦しむ人の声を尊重する社会を志向することにつながる。」(第8章 競争から脱却したときに見えてくる風景、p.171より)
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某論破王「それってあなたの感想ですよね?」が小学生にまではやって、個人の感想や感覚、感情の価値を軽く見がちな今の世の中、数値データ=客観的であることこそが真実と思われているが、数値や客観性に頼った科学は実は万能ではないし、数値が生み出す無用な序列化による弊害も少なくはないのではないか、という危機感から生まれた本。
最後の「第8章 競争から脱却したときに見えてくる風景」は、『世界』(2022年1月号)掲載「ケアから社会を組み立てる」が初出で大幅に加筆修正、第1〜7章は描き下ろし。客観性と数値化の来し方を振り返る前半を経て、後半は客観性や数値化への過剰な信仰を離れた研究・思考や現場のあり方を紹介してケアを中心にして社会を作っていく可能性を問いかけている。
大規模なデータから導き出される「平均点」「偏差値」の無意味さや数値で分断された中からうまれる優生主義的思考の危険性といった予想される方向をはるかにこえて、当事者による経験の語りに耳を傾けてそれを丸ごと受け止めるようなケースワークから「普通」とはなにかなどを考え直す「現象学」という方法の話になるのがちょっと急展開な感じもしたが、まあたしかに、不可分ではあるなあと思った。個別のケースをじかにみて困りごとに答えることができない専門分野の分断・タコツボ化、縦割り行政なども、けっきょく抽象的な数字や一般論に頼りすぎてしまい、大きなところから全体をつかむような視点や小さいところからできることを探すような視点がないからなのかもしれない。
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個人の経験をもっと研究しましょう、という話だけど、そんなに「客観性」をディスる必要ないと思うんだけどな。客観性が「真理」ではありません!みたいなのはなんかポイントをはずしている気がする。むしろ主観的な経験や判断にあるバイアスや歪み、見落しなどをどう考えるのかが問題で、そういうことは論じられていないように見える。
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客観性であることは公平性はあるが、一人一人の経験の中で生み出されたドラマを見落としがちになる。
数字や統計よりも人を見ろ、ですね。
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かねてからなんとなくモヤモヤと問題意識を持っていた論点で、とても興味深く読ませていただきました。
「数字やデータだけが真実を示すものではない」「個別具体で一回限りの経験を丁寧に聞き取り書き起こすことの大事さ」というのは、書いてしまえば、なんてことのないようにも思ってしまいがちです。
社会がどんどん複雑化している中で、マクロでものごとを捉える視点と分析する道具立ても必要です。ただ、うまく言えませんが、本書は、他者と交わるときに、その時の相手の語りをできる限り等身大で受け止めるという倫理的な態度を求めているように感じました。
ただ、途中で示されていた、現象学を通じたアプローチの部分が、前後とどう繋がっているのか少し読み解けなかったです。
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ちょっと頭に入ってこなかった。著者が悪いのではなく、私の理解の問題。現在色々テンパっているので、もう少し落ち着いて余裕が出てから再読したい。
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p48 1957年に東京都港区の中学校教員だった桑田昭三が、学力偏差値を考案した
p50 EBM 1991年に体の医師 ゴードンガイアットが提唱した考え方である
p53 エビデンスに基づくリスク計算に追われてしまうと、人生の残りの時間が確率と不安に支配されるものになってしまうだろう
p56 リスク計算は自分の身を守るために他者をしばりつけるものなのだ。
p134 数字による束縛から脱出する道筋を本書は探してきたが、それは数字や客観性を捨てるということではない。繰り返すが、問題は、客観性だけを真理として侵攻するときに、経験の価値が切り詰められること、さらには経験を数字へとすり替えたときに生の大事な要素である偶然性やダイナミズムが失われてしまうことだ。「客体化と数値化だけが真理の場ではない」ことを理解する方法が問われている
p136 経験の内側に視点を取る思考法 現象学
1900 オーストリアの哲学者エトムント・フッサールが現象学が創始 その後 メルロポンティ
p167 地域社会でSOSをキャッチし、声を聴き取っていくためには、アウトリーチと居場所という2つの基本的な活動が必要になる
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エビデンスが重視される現代社会であるが、その流れが人文系にも広がっている。確かにデータを取り客観化することは大事であるが、それをどのような立場で使うかが臨床現場では重要になる。エビデンスもナラティブも相互補完的なものなのが現実である。著者はケアの分野でその重要性をあらためて本書で述べる。最後に著者の経験から、方法論として、「重層的なアウトリーチでケアしケアされること、複数の居場所が利用可能であること、このような場が熟成したときに一人一人の声が聞き取られる」と提起されている。そのような活動を目指したい。