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袴田事件の無罪を確信しながら死刑判決文を書いた元エリート裁判官 熊本典道の転落、というサブタイトルからこの事が裁判官熊本に及ぼした影響はどんなものなのか?と興味を持ち読んだ。冒頭に熊本氏が美談にしないでほしいと言った事が書かれておりどういうことかと疑問に思いながら熊本氏を取り巻く人たちへの取材で得られる人間熊本典道の一面が明らかになる。
家庭人として褒められた人ではなかったようだ。
そんな熊本氏の法律家としての苦悩と人間性を描きながら袴田事件を通して冤罪を生み出してしまう裁判の仕組みを知る事ができた。
自分の仕事でも思い込みの排除は必要だが人間である以上、感情や思い込みはある。間違いを認め前に進む勇気を持って生きていきたいとつくづく思った。
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実質一日で読了。
取材メモをそのまま時系列に文章化したようなところがあって、重複した繰り返しが多く、やや冗漫にも感じるところがあるが、それが取材者(著者)の心の動きを活写しているところもある。
とはいえ、全体としてはかなりプライバシーに踏み込んだ週刊誌的な‘のぞき見趣味臭’も漂っている。
最高裁判事も務めた団藤重光氏が死刑廃止論に傾いたように、死刑制度は冤罪事件では取り返しがつかないということで廃止の論が活発な一方で、近年の保守化の流れから、かつての「こまわりくん」みたいにすぐに「死刑!」と叫ぶ風潮も目立っている。
冤罪の余地もない凄惨な事件では、遺族の心情を考えると一律死刑廃止を言うのはいささか躊躇があるのも間違いない。
一方で権力が面子のために犯人をでっち上げるのは、遠い昔の話のようだが、つい最近NHKのドキュメンタリーでも取り上げられた大川原化工機事件も、この袴田事件と同じ構図で、明日また起きても不思議ではない。
冤罪の再発を防ぐには裁判所の役割が最後の一線なのだが、青法協弾圧以降の最高裁からの締め付けでリベラル裁判官が徹底排除されたいまの裁判所には望みがあるだろうか。
江川紹子が巻末の解説で再審を含め、すべての裁判に関わった全裁判官の実名を明記しているのは「これら裁判官が職責を果たさなかったために起こったものだと思うからだ。」と手厳しい。(第三小法廷で東京高裁の再審否認判断を覆して破棄自判して再審をすべきと少数意見を書いた林景一(外交官出身)、宇賀克也(学者出身)両裁判官の名前も明記している。)
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いろんな冤罪事件のニュースを見てきた。
袴田さんの事件については、証拠が余りにいかがわしいし、裁判の過程もいかがわしいし、この方が犯罪を犯したという十分に合理的で疑いのない心証など、形成できるはずも無い。
としか思えない。
57年も愚鈍な官僚機構に人生をすり潰されてきたことについて、恐怖と憤りしか感じないのだが。
この本は、そこにそんなに灯りを当てているわけではなく、無罪を確信しながら有罪判決を書かねばならなかった裁判官の物語だ。
この方も、官僚機構に人生をすり潰された一人。
テレビにも出ておられたようだが、全く存じ上げていなかった。
しかも、確かに、美談ではない。
一人の人間の、弱さと、正義感、いろんな矛盾を素人の筆致で愚直に記録した。
そんな感じの本。
「プロの」ノンフィクションライターでないせいか、本としての完成度が高いとは思えなかったのだが、引き込まれた。
この方は余りの十字架に押し潰されてしまったのだが、そうした助教で、いろんなことを飲み込んで、誤魔化しておられる方もたくさんいらっしゃることと思う。
綺麗事抜きにして、おまんまの食い扶持だもんな。
本の構成としては、制度の矛盾をあんまり著者が書いてないせいか、やたら後書き解説みたいな方達が沢山、そこを埋めてるのが余計だよ。
朝日新聞社やもんな。
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袴田事件で死刑判決を出した当時の裁判官で、ひとり無罪の心象をもつも判決を覆せなかった熊本典道の人生を追う。興味深く読みましたが、熊本氏の人生を晒す目的がわからなかった。判決決定時に、なにか知られざる真実があったかというとそういうわけでもなく。本の中でも書かれているように家族へのモラハラや酒浸り、幾度も離婚したその生涯は、すべてが袴田事件によるもの、とは限らず、であればなおさらそれを暴く理由がわからない。袴田事件への社会の興味をひく呼水であれば、そこまでする必要があるだろうか。そんな疑問が残る読後感でした。ただただ気の毒だなぁと思うのと同時に、判決時に極刑を選んだ他の2人の裁判官や、もっというと非人道的な取り調べを行った警察が糾弾されない、いびつなバランスの悪さも感じました。そしてなにより、真犯人へと社会の興味が向かわないのも謎。ただただ悲惨で謎の多い半世紀を超え、今も続く事件です。
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袴田事件自体をなんとなくしか知らなかったが、自分の人生よりずっと長い期間冤罪と思われる罪で収監されている袴田さんという方がいるなんて悲しすぎると思った。熊本さんに関しては、著者と一緒に「すごい人だ、聖人だ」から「事件の影響という理由だけで結論づけられないような問題もある人だな」、最後に「本人にも問題があったかもしれないけれど、袴田事件に関する告白をしたことはとんでもない勇気がいるだろうし、やはりすごい人だ」と意見が変遷していった。
熊本さんの告白が袴田さんやその家族の救いになったことは間違いないだろうけれど、そこまで何十年もかかり、その間に袴田さんは死刑執行に日々怯えていたのだろうし、会話がままならない状態まで陥ってしまっている。お姉さんの秀子さんも明るく前向きで素晴らしい人だと思うが、検察の捜査や裁判のせいで2人の人生が奪われてしまったと思う。そう思うことも2人に対して失礼なのかもしれないけれど…。
検察も裁判官も、袴田さんを陥れようとして行動していたわけではないはず。正義の反対には別の正義があるということなのか、正義感が強いことが必ずしもプラスに働かないという例なのかなとも思う