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大江健三郎の文学以外の作品は、出たときには読むことがありますが、後から読み返すことはありませんでした。
記事で、
「標題の「あいまいな日本の私」が、ノーベル文学書受賞の際の記念講演の標題だということ。」
「ノーベル文学賞を受賞した川端康成の「美しい日本の私」を引いていること。」
を知って、読み返す気になりました。
「ハックルベリーフィンの冒険」と「ニルスホーゲルソンの不思議な旅」の2冊の書籍を紹介しています。
「裏切り者(トラディトーレ)としての翻訳者(トラデュトーレ)とはいえない」
アイルランドの詩人ウィリアムバトラーイエーツに親近感を感じるとのこと。
上品な(ディーセント)。
渡辺一夫の弟子とのこと。ユマニスム。
鳥の歌から音楽に向けて育った知的な障害を担って生きる息子。
大江健三郎のような大作家の考えることは、私にはよく分かりませんが、一つの立場の表明として尊重すべきものだと理解しました。
この本を読むまでは、川端康成よりも大江健三郎をより好んでいましたが、この本を読んで、川端康成の理解が不十分であったことを知り、川端康成を読み直そうと思いました。
自分がそれに対して、意見を持てるようなところまで、まだ至っていません。
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たいへん良かったです。
文学に対して、このくらい真剣に考えていないと、素晴らしい話は書けないですよね。
「あいまいな日本の私」って、川端康成のスピーチを受けてのことだったんですね。
これを読みながら、ノーベル文学賞の発表を待っていたのですが・・・今年も残念でした。
12.10.14
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[2013-01-06]
1回目読了。特に印象に残った点は以下の通り。
1. p61 「家庭をつくるとなると、子供たちを育てていく役割とそれを弾圧する役割を…持つ…。それから子供たちは父親にあるいは母親に…反逆しなければ成長していけない側面…そういう両義性があ(る)。」
→フロイトによれば、父親からの抑圧(エディプスコンプレックス)に従うことが自己形成に不可欠の過程。
2. p194- 日本の近代文学の特殊性と漱石の位置づけ
→日本近代文学の特殊性=言文一致。
漱石はこの文体を通じた文化革命を「主題と人物についての文化革命と一致させることで完成した。」=パロール(話され書かれる言葉の文体化)
3. 2の漱石から大江健三郎自身を「あいまいな日本の私」と位置付ける過程
→「漱石は日本と西欧の対立と共存…を日本人の運命として知識人たちの上に担わせた小説を書きながら、つねに日本人に向かって語りかけている。」「決して西洋人に語りかける姿勢を持つことはない」
→しかし、日本人はもう日本人のみの閉じた回路を保つことはできなくなっている。
→「あいまいな日本の私」を外に向かって発信していく必要。
*1995 年当時
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1990年代に日本人とは何かについて考え、それを絞り出すように言葉を選び、発信していった講演がまとめられた良書。2014年の今でも著者の主張は錆びていないと思う。まだ私には経験が浅く、著者の主張を受け止めきれていない部分があるが、年を取り経験を積み読み返すことでまた新たな発見が得られると思う。
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後半がおもしろい。
文学観について語られているところが特に。
純文学の作家はけっこう責務があるんだなと感じた。
というより、大江健三郎は責務を全うしようとがんばって書いていたんだなと思った。(小並感)
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大きく括り、文学、語学、戦争、政治、家族、日本の事などがまとめられている。
彼のようにすべての日本人とすべての人間が、時代の流れと事柄(教訓、精神などを含め)を文学やその他の媒体を使い理解しようとするならば、良いことだしこの本を理解できるのだろうが、多くの人間が生まれ、死ぬまでに見るものはやはりその人間の時代だけで手一杯なだろうなと思う。
私は冷めた人間なので、今の時代の者が誤ちを繰り返すのならそれはそれで良い。日本の、各々の国の美しさや精神、魂というものを理解せず共有しないのならばそれで良い。自業自得なのだから。
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2016/05読了。ノーベル賞受賞記念講演ほか。文学のこと、家族のこと、光さんのこと、光さんの音楽のこと。そして日本のこと。難解な部分が多く理解はできていないけれど、心に響く話ばかりだった。
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今期,大学の非常勤でテッサ・モーリス=スズキの『日本を再発明する』を教科書として使っている。今回はとてもいい選択だったと思う。とても授業がやりやすいし,学生の反応もまずまず。もちろん,理解が浅い部分もあるが,そのくらいの難しさを兼ね備えているところも理想的。
ということで,レポートのテーマとして「日本論・日本人論・日本文化論を読む」という課題を設定した。この件については,西川長夫『地球時代の民族=文化理論』を読んだ時にも,主要な日本論については読んでおかなくてはと思ったが,今回そのいくつかをレポートの課題図書として設定することで自らも読むことにした。
まず,読み始めたのがこちら。ノーベル文学賞を受賞したときの公演が書名となっているように,1994年の受賞前後の公演の内容を収録したもの。岩波新書の一冊です。
あいまいな日本の私(1994年12月,ストックホルム・ノーベル賞授賞式)
癒される者(1994年10月,東京・国際医療フォーラム)
新しい光の音楽と深まりについて(1994年10月,東京・サントリーホール)
「家族のきずな」の両義性(1994年11月,東京・上智大学)
井伏さんの祈りとリアリズム(1994年11月,広島)
日米の新しい文化関係のために(1992年5月,シカゴ大学)
北欧で日本文化を語る(1992年10月,北欧諸国)
回路を閉じた日本人ではなく(1993年5月,ニューヨーク)
世界文学は日本文学たりうるか?(1994年10月,京都・国際日本文化研究センター)
こうして目次を見ると,公演がかなり多いことに驚きます。ノーベル賞を受賞するくらいの作家になると公演も主な収入源になるんですかね。大江健三郎の作品はきちんと読んだことがない。以前,母の家に泊まった時に,暇を持て余して書棚にあった日本文学全集の大江の巻をちょっと読んだが,非常に驚いて,今度改めて読もうと思った以来,岩波現代選書の『小説の方法』は読んだが,小説作品には手を出せていない。しかも,『小説の方法』を読んで,彼がミラン・クンデラやバフチンを読んでいることを知って,やはりノーベル賞を受賞するくらいだから,日本の小説家としては珍しく批評もしっかりしている人だという認識は持っていた。
目次からも分かるが,講演先でその場にあったテーマを選んで素晴らしい話をしている。しかし,ノーベル賞受賞が決まってからはあまりにも頻繁に公演があったので,やはり内容が重複しているのは仕方がない。また,彼には障害を持つ息子さんがいて,そのこと自体を作品に書いているということは知っていたが,その息子さんが音楽家としてCDも出しているという話は初めて知って,しかもその話をいろんなところでしているということだ。
まあともかく,大江健三郎という作家は国内外にさまざまな目を向けている世界的視野に立った人であるということが再認識できる一冊です。一度きちんと彼の作品を読まなくてはと思いました。
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随分と前に登録してたんだな。ブックオフでたまたま、と思ったんだが。大江さんが気になったのはもちろん、加藤典洋本の影響。
mmsn01-
【要約】
・
【ノート】
・新書がベスト
・これは確か、トンデモな例で挙げられてなかったっけ?
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ノーベル賞作家 大江健三郎の講演集。知的障害を持つ、息子さんの話しを中心に、家族の絆、日本人としてあるべき姿を語っている。私は、純文学は非常に苦手であまり読まない。だからなのか、大江氏の文体もすっと頭に入ってこない。合わないのかなと思った。
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四国の山奥に生まれた大江健三郎
彼は少年時代、海外の児童文学にふれて広い世界に憧れ
やがて小説家になるのだが
初期の作風は、実存主義的なものであった
それは一口に言えば、外に目を向けようとする自分に対して
抑圧をかけてくる社会への反発であり
そういう社会を象徴する存在として、天皇を仮想敵とするものだった
しかし1964年の「個人的な体験」以降、作風は大きく変化する
きっかけは、脳に障害を持って生まれてきた息子だった
息子の存在は、世界に跳ぼうとする大江にとって
言ってしまえば足枷だったが
そんな息子との向き合いを書いた「個人的な体験」は
国際的な評価を得て
結果的に、大江を飛躍させた
そういったことから、大江は自らの息子を
天皇に対置される存在…トリックスターと定義するようになった
だから、ノーベル賞を受賞した際のスピーチでも
息子・大江光のことは大きく取り上げている
天皇を嫌う自分が、ある意味では天皇主義者と同じく
息子に依存している様は
確かに「あいまいな日本の私」と称するにふさわしいだろう
父親から自立する道のない息子は
ひょっとすると悲しい存在かもしれないが
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日本は西欧とアジアの間にあって、あいまいさを保持するよりほかありませんでした。引き裂かれてきたと言ってもいいでしょう。それは日本を孤立させる要因にもなりましたし、戦後においても、アジアへの侵略者という刻印と、人類史における初めての被爆者という苦しみの両極の中を歩んできたのです。「民主主義の実現」という旗印のもとに不戦の誓いを立て、それを戦後日本のモラルと位置づけました。又、戦後の日本が成し遂げた経済の繁栄も、日本人が持ち続けた「あいまいさ」を加速させる要因となりました。「日本人が繁栄の先にある不安をも耐え忍ぼうとしている」と著者は見ています。なぜなら、日本はすでに巨大なアジア経済に、生産も消費も飲み込まれてしまったからです。
ここで著者は問題を提起します。
「真面目な文学の創造をねがう私たちは、どのような日本人たる自己の表現をもくろんでいるのでしょうか?」
小説家である著者は、自分の仕事が、魂の傷を癒すものになることを願っていると言います。そして、その想いは「人類の全体の癒しと和解に、どのようにディーセントかつユマニスト的な貢献がなしうるのかを、探りたい」という言葉で締めくくられます。
※「ディーセントかつユマニスト的」というのは、「良識にかなった知識人」といった意味になるでしょうか。
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志學館大学図書館の【ノーベル文学賞受賞者作品】の企画展示で紹介された本です!
1994年ノーベル文学賞 受賞記念講演内容収録!
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大江健三郎のいくつかの講演を集めた新書。
刊行は1995年、大江がひとまず、作家としての生活に区切りをつけようとしていた時期にあたる。60歳となるこの年、『燃え上がる緑の木』を最後に、小説を書く筆を折り、スピノザ研究にその後の生涯をあてたいと考えていたのだ(実際のところ、翌年、1996年の武満徹の死を契機に、再度、小説に向っていくのだが)。
表題ともなっている本書冒頭の講演は、1994年のノーベル文学賞受賞記念講演のものである。
これと合わせ、1992年から1994年の間に行われた、9回の講演原稿が収録されている。
大まかには、文学論と、家族についてのものの2つに分けられる。
大江の長男、光は知的障害を持って生まれている。幼いころは言葉を発しなかったが、鳥の声をよく聞き分け、音感が優れていた。13歳のころから作曲をするようになり、CDも何枚かリリースされている。大江の作品とも深い関わりを持つ。
家族についての講演は、光との関わりを中心にしている。講演の1つは光の音楽の演奏会の際に行われたものである。
苦悩の時代もあったのだろうが、さまざまなことを乗り越えた円熟の感じられる基調である。時にはユーモアも漂う。
互いに理解しあえないこと、乗り越えられない壁を抱えつつ、それでもそこには思いやりがあり、愛情がある。
障害を持つ光は、普通の子供のようには話さなかった。鳥の声への興味から、音楽へと関心が向き、曲を作るようになる。それはある種、彼の「言葉」だったのかもしれない。その音楽を聴き、大江や妻は、息子の内面に思いを馳せる。
光は涙を流したことがないという。夢も見たことがないようだ。それはどういうことなのか。作家は思索する。
光はいくつか曲を作るうち、「暗い魂が泣き叫ぶ」ような曲も作る。
美しいもの、きれいなものだけを見ていられればそれは幸せではあるが、一方、魂の深いところに降り、暗い澱を見つけること、そしてそれを表現すること、それによって自分が癒されることも、あるいは幸せではあるまいか。その不幸と幸せとの重なり合いが芸術の深まりをもたらすのではないか。
息子を見つめる父のまなざしからは慈愛が滲み出る。
文学論では、日本文学と世界のつながりを見据える。
「あいまいな日本の私」は、大江の前にノーベル文学賞を受賞した川端康成の受賞記念講演「美しい日本の私」を受けている。
川端は日本の美しさをあいまいなものとして提示している。この場合のあいまいは英語ではvagueで、不明瞭で漠然としたものを指す。大江が言う「あいまいな日本の私」のあいまいはambiguousで両義性を指す。
日本の近代化は、西欧に倣う形で進んできた。しかし一方で、アジアに位置し、伝統文化を守り続けてもいる。戦後民主主義はアジアの侵略者としての過去を抱えながら不戦を誓っている。
そうした日本にあって、文学ができることとは何か。世界に対して閉じるのではなく、開かれたものにするにはどのような道があるのか。
井伏鱒二、安部公房、夏目漱石といった作家を論じつつ、大江は、日本文学はもっと外に語り掛けねばならぬ���主張する。
一方で、大江の大学時代の師、渡辺一夫にも触れながら、「上品な(decent)」、「ユマニスト(humaniste)(フランス語で「人文主義者」)」としての貢献を目指したいとする。
大江が引くW.H.オーデンによる小説家の定義は、どこか祈りの言葉のようでもある。
正しい者たちのなかで正しく、
不浄の中で不浄に、
もしできるものなら、
ひ弱い彼みずからの身を以て、
人類すべての被害を、
鈍痛で受けとめねばならぬ。
その思いは、障害を抱えた息子・光との日々と無縁ではないだろう。
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講演内容をまとめたものであり読みやすかったが、前提知識ゼロで挑んだので難しい部分もあった。
日本に生きる私としてもっと日本を知るべきかと思う。