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前作はロシアの侵攻が始まる前に書かれた作品だったけど、今作はきっとはっきり今の世界情勢を意識して執筆されたはず。
第二次世界大戦、軍国主義が国を覆い尽くすドイツ。人々は、密告に怯えながら、あるいは国を盲信して、あの恐ろしいホロコーストにのまれていくしかなかったのだと思っていたけれど、エーデルヴァイス海賊団のようにナチスを拒否し自由を求める子供たちもいたなんて…
ヴェルナーをはじめ、海賊団に加わっていく少年少女たちの思い切った言動は、信じられないほど肝が座った勇ましいものにも思えたけど、まるで冒険譚を語るかのような描写の奥に、それぞれどれだけの苦しみ悲しみがあったのか、現実にあったこととしてその重さを考えずにはいられなかった。
もし自分なら何ができたのか、
今、私には何ができるのか。
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前作とはまったく違う読後感。
第二次大戦下のドイツが舞台ではあるけれど、彼らの抱えている悩みや生きづらさ、自分の在り方に迷う様は、現代にも通ずるものですごくリアルだった。
過去の戦争の中にあった悲劇や事実を忘れてはいけないと突きつけてくる現代パートは秀逸。
戦争描写は薄いので、戦争モノが苦手な人でも読めるのもよい。でも綿密な調査によって事実を取り入れ組み立てられた構成によって、戦時下の状況も知ることができる。
次回作も楽しみ!
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前作の「同志少女〜」が想定以上に面白かったから、期待し過ぎないようにしてたけど、その期待を裏切ることはなかった!
ナチの支配下にあった普通の人々の保身故の残酷さ。戦争の恐ろしさを再認識。
次作も楽しみ。
印象に残ったクリスティアン先生の言葉。
「人が受け取ることができる他人のあり方などほんの断片であり、一個人の持つ複雑な内面の全てを推し量ることなど決してできない〜そして自らの作り上げた虚像を眺めることで、他人を理解したつもりになる」
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期待がとても高かったからか、前作ほどの衝撃は感じられなかった(それでも考えさせられる小説だったことには変わりないけれど)。
作者は、ロシア側から描かれた前作で敵であったドイツ側の物語を語ることで、物事を一面的に判断すべきでないという理念を体現しているのではないかと思った。この2作を合わせてやっと作品が完成するのではないだろうか。
都合の悪いことには目を逸らして、その犠牲のもとに快適な暮らしを享受するという人間の弱さは私にもある。私はこの矛盾に気がついていたけれど、それは曖昧な認識でそれすらも見て見ぬふりをしていた。けれども、この本で私の人間としての弱さをうまく言語化してくれたと思ったし、それはみんなが持つ矛盾だと知ることができた。
私は戦時中の人々を批判することもできないし、自分が同じように戦時下に置かれたら集団性に隠れて保身すると思ってしまう。
他人の全てを知ることはできないというメッセージも考えさせられた。人を判断するときに属性を用いるし、一定の属性を持った人は同じ性質を持つと勝手に判断してしまう。その方が考えるときに便利だけれど、そこから出る結論は憶測であって真実は自分で見て聞いたことからしかわからない。それは、読者が読んでいるうちに悪役として刷り込まれていったホルンガッハー先生が迎合主義にとどまらない彼女の行動をとっていたというラストにも綺麗に描かれていると思った。
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#読書記録 2023.10
#歌われなかった海賊へ
#逢坂冬馬
再び、作者から大きな贈り物を受け取った。
読書をしていると、稀に自身の眼を見開かされる作品に出会うことがある。本作がそういう作品だ。
ヴェルナーたちは、1944年のドイツから、80年の時を超えて、現代の私たちの価値観を撃ち抜いてくる。
彼らの敵はナチスではなく、ごく普通の人々の無関心、単一的なものの見方、未知のものを既知の枠に無理やりはめようとする無自覚な思考の暴力。
あの時代に起こっていたことは、そのまま現在の世界に当てはまる。
「同志少女よ」を上梓してすぐにウクライナ侵攻が勃発。昨年11月のトークショーで、「ロシアでは反戦を口にするだけで逮捕・連行される。第三国だからこそ言えること、行動できることがある。まず自分にやれることを何かやること。それが無関心の罪を犯さないことにつながると思う」と語った作者を思い出す。
「同志少女よ」でロシアと戦争を描いた作者は、自らの作品と戦争の関わりをひたすら問い続けたのではないか。そして生み出した答えが本作なのだ。
差別と分断の現代を生きる我々(子ども、大人問わず)の必読書。自分の子どもに読ませたい本が増えたよ。
#読書好きな人と繋がりたい
#読了
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ナチス占領下のドイツで、反体制を掲げる少年少女たちの物語。
…驚いた。こんなふうに思想を持って行動することができるなんて。しかも成人してない子どもたちが。
強制収容所で目にするショッキングなシーンがあるが、それを見て、何とかしなきゃいけないと思えるだろうか。
大人たちは目を瞑っているし、何なら軍需産業による利益のため、この事態を迎合している節すらある。
そんな中、彼らは、自分たちの思想のために生きた。彼らの起こした事件により、何人も人が死んでいることから、彼らを礼賛するつもりはないのだが、彼らの生き様に感動を覚えた。
容赦なく奪われてしまった命が、後世に残したものは大きい。
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読み応え抜群の大作の力作。
当然ながら、ここでも(日本とは)別の戦争と戦後があったのだなぁ。
残念ながら、このお話の的確な感想を語るには、我が乏しい語彙力では如何ともしがたい。
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他者を完璧に理解することは出来ない。無意識にどこかで偏見が生まれる。カテゴリー分けをしてしまう。見て見ぬふりの狡さ、恐ろしさ、わかっていてもやってしまう弱さ、賢さ、柔軟さ。歌われなかった海賊へ。歌わなかった市民から。
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隣の町に、ナチスの強制収容所があると知ったら、あなたはどうしますか?
の帯文対して、喜んで騙される行為を続けていた。の一文が真っ直ぐ突き刺さります。
エーデルヴァイス海賊団達は巨悪に諦めず立ち向かいましたが、その原動力である怒りの根源は、生まれた土地や環境、境遇で大きく異なるだろうと…というように自分も正当化する言葉が出てきてしまうのが辛いです…。
ただ、歌が文化となり、怒り以外のものが人々の原動力に、希望になっていくのが良かったです。
ごめんなさい。正直装画は綺麗なドイツ風景の方が…と思ってましたが、読後、これが良いです。その目から、目の前の事実から、目を逸らさないように、努めます。
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すごく面白かった。
私の中の今年一番面白かった本が塗り替えられたかも。
特に後半、久々に、読むのを止められない本を読んだ!
エーデルヴァイス海賊団の4人が捕まらないか、ハラハラドキドキの展開がずっと続くだけではなく、戦後、伝わっている歴史が正しいのか、生き残った人たちに都合の悪いことは見て見ぬふりをしてなかったことにされているのではないか、と考えさせられた。
最後の方を読んでいる時、もう一度冒頭の現代パートの、生徒の戦争の課題の内容を読み返した。
冒頭では、よくできている優等生のレポートとして書かれている内容と、フランツ・アランベルガーが書いた小説の内容とでは、人物の評価がかなり違っていた。
参考文献の数もすごい。読み応えのある作品だった。
『同志少女よ、敵を撃て』も面白くて、本屋大賞をとったけど、この本もまた本屋大賞で良いのでは!?と思うほど、良かった!
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ナチスの非道な行いに目を瞑りたくなるようなヘビーな描写ですが、読む手が止まらなかったです。翻訳して他国の人にも広めたい!と思ったぐらい近年稀に見る傑作だと思いました。
レオの手紙に涙止まらん。
私は歌えなかったんだと後で言い訳する市民です。自分が歌ったらあの時の状況は少しは良くなったんじゃないかと後悔していることはあります。
海賊団のルールが沁みる…
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大戦末期のドイツでナチスに抵抗し、自由を望む若者のエーデルヴァイス海賊団(参考文献リストを見ると海賊団は実際に存在していたようだ)。ゲシュタポやヒトラーユーゲントとの諍いは絶えない。彼らが住んでいる村に鉄道が敷設され、その延長線上に強制収容所があることを突き止めた海賊団は、遂に破壊活動を実行する計画を始める。
話の内容もあるが、前作ほどの痛快な面白さにはならない。昨今のポリティカルコレクトネス的な考えと、ナチス的な優生思想のぶつかり合いが主要テーマの一つでもある。
これを読んで私が卒業した高校に戦時中だろうが、ヒトラーユーゲントの使節団一行が来校し、大きな歓迎を受けたという話を思い出した。ナチスドイツは日本国が同盟を結んでいた最後の国である(現在の日米関係は、まぁ隷属関係となっており同盟ではないだろう)。そんなこともありなかなかナチスドイツの話となると感情は複雑なものとなる。更にイスラエルという国がその建国以来、中東アラブ諸国民を、ナチス顔負けの非道さで虐殺し続けているという事実がある。この本で書かれているような仕打ちをナチスからされていたユダヤ人が、同様の行為を他民族に出来るものなのだろうか。強烈な復讐心のなせる業なのか。それとも被害者特権だとでも勘違いしていて、世界はそれを許すべきだと考えているのだろうか。
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同志少女ほどでは無かったけど、
面白かったです
映像映えしそうな描写が多かったので
是非、映像化を!
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逢坂冬馬の第二作目。手に入れて読みかけの本を放り出して読む。
少年少女小説といった体裁だが、逢坂さんが書きたいテーマだなと思う。(「文学キョウダイ」での情報)
そして、私も読みたいテーマだった。
主人公たちよりも、印象に残ったのは、彼らの周りにいた普通の人々。
ドイツでナチス政権の元、普通の人々はどうしていたか。強制収容所の存在や、そこに大勢のユダヤ人たちを運ぶ列車のレールが自分たちの街にひかれていること、何が行われているか、知っていたのに何も知らない、わからない、自分は罪がないフリをする人々。戦争に加担する発言を繰り返していても、善良な市民として何食わぬ顔で過ごす人々。
日本もおそらくそうなのだろう。
ドイツを舞台とした小説を書きながら、そこに普遍性を持たせているのが、逢坂さんらしい。
森達也の「虐殺のスイッチ」に通ずるものがある。映画の「福田村事件」も。
普通の善良な市民の罪。
それはわたし自身でもあるだろうなと思う。
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戦争は憎しみを産む。人としての尊厳を踏みにじり、良心を砕き、憎悪の炎を植え付ける。
そして戦争は分断を産む。国の、組織の、集団の、地域の、友人の、そして家族の。
ナチスが人々を管理統制するために用いたさまざまな手。戦争が終わり、他人事として、あるいは過去の出来事として振り返るとき、したり顔で「なぜ理性で抑えられなかったのか」とか「なぜそんなに簡単に隣人を売ることができたのか」とか言うだろう。まるで自分ならそんなことはしない、とでもいうように。
でも、本当にそうなのか。一方的な圧力に「否」と正面から答えることができたのか。命を懸けて戦うことができたのか。理不尽が正しい世の中では、自分の命を守るためになら喜んで体制に飲み込まれていたのではないのか。
逢坂冬馬は歴史の中に「あったかもしれない物語」という形で、その理不尽と戦い抜いた少年少女を描く。
第二次世界大戦末期、ナチによる地獄のような強制収容所での非道。だれもがうっすらと気付いていたのに、気づかないふりをして、自分に火の粉がかからないようにと目をつぶってやり過ごしていたその体制と真っ向から戦おうとした若者たち。
実在の「エーデルヴァイス海賊団」という組織をモデルに、ただただ正しく生きようと命を懸けてて戦った若者たちのその人生が描かれる。
それぞれに戦う理由がある。それは強制ではない。自分が自分の意志で参加する。高邁な理想を持たない、自分たちの好きなように生きる、助け合わない、何が起きても自分で責任を取る。そういう多角的な組織だからこそたどり着ける地平があるのかもしれない。
私たちがナチの非道を語る時、その中に自分たちはいない。けれど、ある組織の外側にいる人たちを一方的に攻撃し、「正義の拳」でもって叩きのめすその思想は、今の私たちの中にもある。
小さな集団、同一性で担保された組織の中で、その他大勢であることの安心感。そこにあるのは異質なものへの恐怖。だからこそ、この物語が私たちの心に大きく響くのだろう。お前はどうなんだ、と心に刃を突きつけられる。
重く苦しく辛い物語なのに、文章は極めて読みやすく心の内側へと流れ込んでくる。そして読み終わった後に残るのは、苦しみを超えた後に見える希望の光。心に突きつけられた刃は憎しみや分断を断ち切ることもできるのだという光。
国と国という大きな物語としてではなく、自分の半径5メートルの関係の中で自分が選ぶべき物語としてこの一冊は必要なのだろう。