紙の本
人それぞれの休み方
2024/05/11 23:11
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投稿者:ttmm - この投稿者のレビュー一覧を見る
元日向坂の宮田愛萌が参加しているので購入。オムニバス的に様々なジャンルから自分にとって休むとは何かを記載している。ただ一般的な会社員の働き方ではない方々なので仕事からの解放での休み方というよりも、休日や時間の使い方の部分も大きいように感じた。
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私は休むのが苦手、休むのが下手という自覚がある。
休みの日に好きなことをしようと思うと、研修受けたり本読んだりなんか仕事みたいなことをやっちゃう。そこで支援者仲間に会ったりするのが本当に私としては楽しいんだけれど。
友人から、過労で倒れそうになった、今日はやばいから休む、という連絡が来た日に、同じタイミングでこの本の情報が入ってきた(石井ゆかりさんをフォローしてるから)。友人にプレゼントするか確認するためにまず自分で買って読んでみた。
33人の著者が「休むヒント」をテーマに書いたエッセイ集。まず知らない著者が多かったので、この人面白そう、っていう出会いになる本だったのは嬉しい。
自分と似てる人(この本の中なら、「ホリ子ちゃん」の向坂くじらさんとか)を見つけるとちょっとほっこりする。
これやってみたい、と思ったのは、「何もしない」小西康陽さんの中に出てくる、「目的もなく路線バスに乗って終点まで行くあそび」。
予定を決めてきっちり動くことが極めて苦手なのに、今日常でそれを求められることに窮屈感があるからかな。予定なくふらっと出かけて、直感でここ行きたいって思ったところに行ってみたくなる。
この本でいろんな人の休みを垣間見て、どの休み方に自分が反応するか確認するのも面白い。
この本を読んでいて、原稿を書く仕事も面白そうだなってちょっと思う。(実際仕事にしたらきっと大変なんだろうけど)
書評的なのもも書いてみたいなぁと思って、この文章を書いてみた。
今日は夕方空いた時間に、携帯ショップか歯医者に行きたかったけどどちらも予約が取れず、カフェで考え事をしながら、やってみたかった原稿書きをやってみた。これも素敵なお休み。
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蓮實重彦が終わらん会議にイラついて、机をジャンプで飛び越えて向かいの席に座ってる人の胸ぐら掴んだ話が面白かった
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#ヨンデルホン
#休むヒント。 / #群像編集部
#講談社 #ドクリョウ #ヨミオワリ
『鬱の本』(点滅社)への線上のどこか(近くはないが、遠くもない場所)に位置するアンソロジーのように感じた。
どれもおもしろく、特に、#武田砂鉄 さんと、#宮内悠介 さんのエッセイには気づかさた。「休み」からイメージするところは、#斉藤壮馬 さんのそれに近く、脳内で鮮明に光景を再生できた。
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p.51 疲れているときは忙しいときだから、自分の時間をうまく取れなくなっていることが多い。わたしは貴重な自分の時間を「家で静かに休む」という「やるべきこと」に喰われてしまうのが癪だ。あたりまえかもしれないけれど、休むためには「休もう」と自分で納得したうえで疲労回復を実践することが必要で、休むのがうまい人は「休もう」と自分に納得させるのがうまい人なのだと思う。わたしはそれがとても苦手だから、「休みなよ」と言ってくれる人のところにまずは会いに行くことにしている。わたしは自分の言うことは聞けないのに、好きな人に言われたことならあっさり鵜呑みにする。だから八戸へ行き、仙台へ行き、福島へ行き、向ヶ丘遊園へ行き、北千住へ行き、鎌倉へ行った。だれかに近況を話して「忙しいね」と言われてようやく自分の忙しさを自覚できる。旅先ではしゃぐと当然からだが疲れて心の底から「休もう」と思う。それは自分のための「休もう」として納得できているので、思う存分休むことができる。「休もう」と思うことが苦手でも「行こう」と思うことが得意なら、思い切っていまいる場所から飛び出ればいい。
自分の疲労でだれかに迷惑をかけたくない、気を遣わせたくない、と思う人もいるかもしれないが、わたしは自分が飛び出すのと同じくらい、飛び出してきた人に「休みなよ」と言ったことがあるのでわかる。弱っている人が自分を頼りに来てくれるというのは、案外とてもうれしいものだ。
休職した友人が盛岡に会いに来た。明日行っていい?と連絡が来て、あまりに急だったけれどすべての予定を融通させて時間を作った。合流したその子の顔はどう見ても疲弊しており、すべてのパワーが底をついた人にしか出せない笑顔をしていた。なにしたい?と訊ねると「わからない」と力なく笑ったので、それなら付き合って貰おうか、と本当にわたしの用事に付き合わせた。買い物をして、コーヒーを飲んで、また買い物をした。会話をしていくにつれてだんだんテンションの上がってきた彼女は、立ち寄った染物屋で高値のバッグを買おうとした。「おい、だいじょうぶか、疲れてるぞ」と言うと「疲れてる、疲れた!」と彼女は笑って、そのバッグを買った。茜色の綺麗なバッグだった。休む前に、自分が疲れているということを一旦ぜんぶ広げて、疲れておるわい、がっはっは、と笑うことが何よりも必要なのではないかと思った。その子はその後会うたびに茜色の綺麗なバッグを持っていて、とても似合っている。疲労には買い物も効く。
生命力を維持するために、わたしたちにも脱走が必要だと思う。うまく休めないなら、休むしかないくらい大きな脱走をすればいい。いつでも自分の脱走の背中を押し、誰かの脱走も笑って受け入れられる人でありたい。実家のふぐは今夜も透明な天井に頭突きをし続けている。
p.79
一つ問題なのは、お稽古事があまりに楽しすぎて「もっとしたい!」という気持ちが止められないこと。お稽古事は私にとっての逃避行動であり、「お稽古事だけしていたい」とすら思うのですが、しかし本当にそうなったら、今度はお稽古事が仕事のようになり、嫌気がさすに違いありません。
戻るべきホームがあるからこそ、旅行も逃避���楽しい。それらを楽しむためには、まずホームを整え、大切にしなくてはいけないということで、もう一つお稽古事を増やすことを、今はギリギリのところで我慢しているのでした。
p.85 私は【育休中】に自分の弱さを知り、そして、大切な人の強さを知りました。【育休( )】の( )の中には、それぞれ自分だけの経験が入るから事前に知ることができないのかなと思いました。【育休(愛が育つ)】で、私はちょっとだけ強くなりました。
p.124 TO DOリストを消化しきれなかった自分はダメな人間で、SN
Sに豊かな私生活を投稿している人たちと自分を比較して落ち込んで·・・・・なんていうネガティブなself talk(自分への話しかけ)を始めてしまっては、終わりのないスパイラルに陥ってしまう。
産性マミュアルや起業家のライフハックとして汎用されてしまっているが)「マインドフルネス」の考え方だ。
厄介なことに、目標としていたことが叶えば叶うほど、不安も増える。がむしゃらな向上心の根源となっていた夢や憧れも、達成してしまっては「意外とこんなものか」という呆気なさがある。残るのは、目標を達成した先に何もないことの絶望。そして世界に対して実際に変化を起こせたのか、意義はあったのかという疑い。例えば、私の本を誰かが読んで何かを感じるのか、今書いているこの文章も誰にも読まれないまま過ぎ去るかもしれない、読まれたとしても結局何のためにやっているのか…・・・。そんなことをぐるぐると考えつつ、結局は今の自分の生活にあるものに目を向けるしかない。生活環境も人間関係も仕事も功績も、全部いつかの自分が憧れ、夢を見て、切望していたものだから。
それと同時に、「達成すること」に囚われすぎている自分がいることにも気づく。ション・レノンが「If you enjoyed the time you wasted, then it wasnt wasted time (急にした時間が楽しければ、無駄な時間ではなかった)」と言ったとされるように、休むことや何もしないこと、「やらなきゃいけないこと」をいったん放棄しリラックスして休息を楽しむことは、生産と消費を人間の価値に結びつける資本主義社会においてはかとつの「抵抗」だ。資本主義に飼い慣らされた私たちは、休みに対して罪悪感を抱いて当然なのだ。
私は人を観察するのが好きだ。SNS上でも、街中でも、他者の生活を通して、自分の人生を生きている節がある。しかし人生とは自分のものでしかなく、自分でなんとかするしかない。他者に嫉妬や羨望を抱いても仕方がないから、自分に対する約束を大切にして、自分が納得いくまで、そして納得いかなくても、「生活」という人生の輪郭を作っていかなければならない。
だから今日もやらなきゃいけないことをぐるぐると考えながら横になって天井を見つめ、動けない自分を認めながら、焦りをかきすように、自分にあるもの、自分にある「今」に感謝を寄せる。スマホを無限にスクロールしてしまう手を止め、ベッドから起き上がり、一歩外に出る。外の秋の早朝の空気は冷たくて木の葉の香りがするし、自分のことを大切に思ってくれている人もたくさんいるんだから。
p.136
私の勤務先では「配偶者」においては届け出や同居をしていなくとも事実上の婚姻関係に類する者は配偶者として扱うと注釈が��いており、近年多様化する家族構成への歩み寄りを示してはいる。とはいえ、この世にある親密な関係性が全て「配者」の形に帰結するわけではない以上、あぶれる人々は必ず出てくる。
「阿佐ヶ谷姉妹みたいに仲良い友達と一緒に暮らして年を取りたい」と口にする人を近頃見聞きするようになったが、現状の制度では、市井の阿佐ヶ谷姉妹が互いの骨を拾うために忌引き休暇を申請することは難しいだろう。同居しているならまだしも、本物の阿佐ヶ谷姉妹のように同じ集合住宅の別室にそれぞれ居住していた場合、申請の難易度はさらに上がりそうだ。人事に相談すれば特例として考慮してくれるケースもあるのかもしれないが、ただでさえ失意の中、所属組織に私的な関係性を検閲される負担を背負える人がどれだけいるだろうか。
わざわざ特別休暇の範囲を拡大せずとも各々の判断で有休など使えばいいだろうとは、私は思えない。「血縁」と「婚姻」のみを休む価値のある関係性とみなす制度を多くの組織が採用して、それがほとんど疑問に思われることなく運用される社会のままでいいとは思いたくない。
学生の頃、飼い大が死んだという理由で部活を休んだ先輩がいた。ペットごときで大事な時期の部活休むなよという声なき声が、その先輩の休みを知らされた部員たちの一部で確かに漂っていた。
私が祖父を弔えたのは、たまたま祖父が私の祖父だったからだ。祖父が祖父でなければ、危篤の連絡を受けて当日勤することも、そのまま何日も休むことも許されなかった。
私と祖父は、血縁と婚姻を重視する社会に運良く生まれただけだった。
先輩と、飼い犬と、私と、祖父の、どこに違いがあったというのだろう。
祖父の類はよく照っていた。写真で見た犬は笑っているような顔つきだった。私は絶に泣くことが増えて、先輩は、どうしているか分からない。
p.159 体がずいぶん回復しても、私は休んだままだった。子どもが大きくなって、そんなに手がかからなくなっても、かわらず歩いて、草木を眺めて、本を読んで、空を見ていた。倒れないために無理をしないでいることが命を守ることだった時期を、とうにすぎても、まだ休んでいた。
湖のほとりで、枯葉を落とした桜の枝に、わずかに花が咲いているのを見ていた。秋に咲く桜は、時期を間違えているのではなくて、ただひたむきに生きているだけだと思う。ただじっと待って、咲くべきときに咲いた。咲くためにずっとたくわえてきたもの、準備してきたものが、花開いている。それを私は見ているのだと思った。
長い休みを経て、さびしい、という感情が、じゅうぶん育ってきた気がする。人に会うようになったら、その人の命やことばが存在することがうれしくて、会ったあとの余韻までうれしかった。人に会えなかったときはよく夢を見た。だれかに会う夢。そこにある豊かさが命を守ってくれもした。でもそろそろ、動いて、会いに行きたい、と思うようになった。人にかぎらず、離れていたたくさんのものごとに。長く休んだこの期間に、ゆっくりと養い、しずかにしずかに熱ちていったものが、なにかに会いたがっている。
くもりの日の白い海に行ったとき、ひさしぶりに子どもの写真を撮った。寒い風が吹いて波が高かった。水あったかい、と言っ��はしゃぐ姿を見ていた。いつのまにか草花だらけになっていたカメラロールのなかに子どもの顔がならぶ生きること。とにかく、生きてゆくこと。なんども唱えつづけていた日々が離れてゆく。カメラロールには、たくさんの命の写真がある。枯れゆく枝。つぼみ。赤くなってゆく実。風にそよぐすがた。駆ける子ども。みんなひたむきに生きていた。
p.189 ろう。寝るのは体力の回復や記憶の整理だし、妻とゲームをやるのは、コミュニケーションの一端になる。それぞれ、作用も効果も異なるのだ。
たぶん、ここに休むことが難しい理由がある。
休むことが難しいのは、そしてこれという確一の処方製を見出しにくいのは、休みという言葉の種類や定義があまりにも多岐にわたるからではないか。より正確に書くなら世の中には多種多様なストレスや精神的・肉体的疲労があり、それにぴたりと対応するような休みかたが異なって存在し、そして健康な人はなんらかの休息を必要としたとき、無意識下で、状況にあった適切な休息を選び取る。しかしながら、ぼくたちのほとんどは漠然と「休み」と大きな枠でくくり1!そして、適切な種類の休息を本能的に選べないような、なんらかの不健康に見舞われたとき、休みかたを間違えたり、休めな
くなったりするのではないかと思う。
だからそのような場合は、まずストレスや「休み」の解像度を上げ、客観的な自己診断をもって、適切に、自分をケアしなければならないのだろうと思う。では、ぼくの場合はどうしたらよいのか。最初のほうに書いたことを読み返してみる。ーーたとえばゲームとかをやっても、「いま仕事をさぼっている」という意識が先に働きしうん、ワ
1カホリックだ。検索窓に「ワーカホリック対策」と打つ。「休め」と出てくる。う
るせぇ。
普通に考えるならば、まずは、強引に休日を作るところからだろうか。ぼくのようなフリーランスは、好きなときに働ける一方で、えてして休みなく働いてしまう。だから日曜なら日曜と決め、家族との時間を持つ。友達と遊ぶ。趣味の時間を確保する。そして様子を見る。たぶん、最初は休息を感じられないだろう。でもおそらくは、それをくりかえすうちに、休むのがうまくなっていく。そういう気がする。こんなところだろうか。
なお、このエッセイの依頼のメールがあったのは、敬老の日であった。祝日である。
編集さん、休んでください。
p.200 「体」という字から、横に引いた線を一本抜きとると、なんと驚くなかれ、「休」という字になるではないか。
これぞ、極意なのであった。
抜くのである。
体から力を抜いて、心から気を抜く。
しかしまぁ、これがじつに難しい。ビールやコーラは、「線」ならぬ「栓」を抜くと気が抜けていくが、人間の栓は、どこにあって、どうしたら抜けるのか。
文字遊びのついでに、発見をもうひとつ。
そもそも、人はなぜ疲れるのだろう?
疲弊の原因のひとつに、労働があるのだとしたら、自分の労力は、あらかた「本」を書いたり作ったりする仕事に費やされている。ほとんど休みなく「本」のことばかり考えているのだが、この「本」という字が、「体」という字の中に含まれているのは、はたして偶然なのだろうか。
文字��教えを肝に銘じるとすれば、「本」のことばかり、あれこれ考えていると、まさに文字どおり、いつまでたっても、「体」から横線が抜けなくて、「休」にならない。
困ったものである。
「書を捨てよ、町へ出よう」と書いたのはアンドレ・ジッドだったか。
では、机の上にひろげた本を閉じ、町へ出て行くのは疲れそうだから、散歩がてら、近くの公園へ行ってみよう。
その公園には子供の頃から通っている。公園というより、「森」と呼んだ方がふさわしく、無数の木々が、いくつもの緑を重ねて、色濃い森をかたちづくっている。
子供の頃は森が恐かった。得体が知れなくて恐いのではなく、あまりにも静かで穏やかで、自分が森とひとつになっていくような感覚に、まだ馴染みがなかった。
木は「おとなしく静かに暮しているもの」と書いたのは幸田文だ。
毎年、とある書店の求めに応じ、「これぞ」と太鼓判を捺せる愛読書を選んで、推薦の言葉を書き添えている。今年は、「いまこそ」という思いから、幸田文の「木』を選んだ。
「もし、人間に徳があるとすれば、それは、『おとなしく静かに暮しているもの』を慈しむ思いが備わっていることです」
推薦文にそう書いた。これは人間に対する手放しの礼賛ではなく、ぜひ、そうであってほしいという希望だ。
森の中を歩き、静けさの中に木々の声を聞きとれないものかと夢想する。
人は小さな声を聞こうとするとき、耳を澄ますだけではなく、心も澄ましているように思う。心なんてない、と豪語したばかりだが、あるはずのない心が胸の奥に意識され、言葉ではないもので、森と交歓しているように感じる。
そうして森をめぐり歩いていると、「本」から離れて、言葉や文字を知らなかった子供の頃に戻されている。乱れて散らばっていたものが、あるべきところに収まり、殲県った力が体から抜けて、余計な気負いが栓を抜いたように消えていく。
自分を休ませるのは、ひとつも難しいことではない。自分がーあるいは人間がー元いたところに戻ればいいのである。
そういえば、「本」という字から横線を一本抜くと、「木」になるではないか。
これはきっと偶然ではない。
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作家の皆さんがいかに休めていないかが切実に伝わってきて、ちょっと息がつまってしまったかもです。休むための具体的な方法は得られるものではありませんが、自分を休ませたいのに自分からそれを遠ざけてしまい苦しむ人が多いとわかってちょっと気が楽になります。
「自分のために使った と、思える時間が 一日のうちにあるのがええな」
益田ミリさんの言葉がじんわり残りました。
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文筆家をはじめとした色々な方が「休むヒント」をテーマに書いたエッセイ集。なので休むヒントそのものがこの人数分載ってるわけじゃないけど(休み下手を自覚してる人も多かった笑)、でも新しい書き手の方を多く知れて、軽い読み物として楽しめました。
買った理由は伊沢拓司さん、角田光代さん、つづ井さんなどなど知ってて好きな人が何名かいたのと、色んな人が書いてれば色んな考えがあるだろうから、休むヒントを知りたくなったときに参考になったり気が楽になったりするかも、と思ったからでした。
実際、本当にこの本1冊の中で正反対の考えを言ってるひとたちとかもいて、色んな人がいるんだなあと思えるだけでも良いことだったかも。
印象に残ったのは伊沢拓司さん、くどうれいんさん、古賀及子さん、酒井順子さん、酒寄希望さん、つづ井さん、年森瑛さん、永井玲さん、かなあ。
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欲しい単行本があったのだが、X眺めていたら欲しくなり衝動買いした一冊。私が書店で新刊を買うのは珍しい。
群像、に掲載されたものを編集したような短編集。驚くほど、知らない執筆者が多くて驚いたが楽しめた。帰省中に何か読みたいなと思い、最近忙しかったのでヒントになるかなぁ?と思い手に取った。やはり、休み方はその方の置かれた環境人それぞれで、サラリーマンが休み方を知ろうと思ったら、サラリーマンたちが書いたものを見てみるしかないだろうか。
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良い。今一番求めていることが散りばめられている感じ。
ゴールデンウィークだから休みなのだけど、実際に心が休めているのかと考えるとわからなくなる。何をもって休んだとなるのか、自分の解を見つけるヒントとして定期的に開いていきたい。
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仕事して、YouTube見て、ご飯食べて、寝る、の繰り返しの毎日。
休むのが下手くそな現代人に贈る「休み方、休むとは?」を綴ったエッセイ本。
旅、習い事、観劇、バッターボックス、知らない駅で降りてみるなど、ちょっとした非日常を無理のない範囲で生活に取り入れてみるといいんじゃない?と教えてくれた本でした。
◎特にオススメの読者層
社会人、大人。
働いたり子育てしたりと忙しい人へ。