紙の本
田沼時代に仮託された第二次世界大戦前の日本
2011/10/28 17:53
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投稿者:saihikarunogo - この投稿者のレビュー一覧を見る
冒頭、中洲の料亭で逢曳をしている男女の会話から始まっている。風と大川の波に洗われる音が部屋の中まで聞こえてくる。その男、青山信二郎は、松平定信の部下の注文で田沼意次の誹謗文書を作成して、田沼憎しの輿論を盛り上げるのに成功し、多額の報酬を得ていた。
そして、小説は、青山信二郎が、もう一度、女に逢うために、中洲へ行こうとするところで終わる。そのときまでに青山信二郎は、田沼意次と松平定信、両者に会って話をし、両者の政治家として人間としての力量識見を知り、意次への誹謗文書作成を断るようになった結果、定信の一派に狙われ、抹殺されようとしていた。今しも中洲へ向かう青山信二郎の跡を、二人の男がつけていた。
この構成と描写を、うまい、と思う。この小説ではそこまで書かれていないが、中洲の歓楽街は田沼時代に繁栄したものの、意次が失脚して定信が老中首座に就くと、風紀紊乱のもととして撤去されてしまうのだ。この小説を読むのは二度目で、十年以上前、初めて読んだときには、私は、中洲にまつわることを知らなかった。今でこそ、佐藤雅美の多数の小説で読んで知っているけれど。
山本周五郎は、田沼時代を借りて、周五郎自身が生きていた時代の出来事を書き込んでいると思う。青山信二郎と藤代その子との逢曳のさなかに踏み込んでくる、目付とその配下の役人たち、将軍の狩りの一行を迎えた小金ヶ原(佐藤雅美の小説では小金牧)で、田沼暗殺を企む男「田舎小僧」に少年が語り聞かせる、郡代役人の悪辣さ……、
>そしてかれらの悪質なやり方について、少年はひどく能弁に語り続けた。それはどこにでもある話であり、多くは事実より誇張されていることのわかるもので、大人たちの茶飲み話をそのまま口写しにしたということも明らかであったが、しかもそのなかには、長い年代にわたる農民たちのひそめられた怨嗟や、深い溜息の声が聞えるようであった。
また、一揆を起こした農民を捕える役人たちの、必要以上の暴力、残酷さ……。
それは、私にとっては、1960年代ぐらいまでの日本の小説や映画やテレビドラマで読み慣れ見慣れた、特高警察とか、小作争議か労働争議かなにかの描写を、彷彿とさせるものだ。
また、たとえば、青山信二郎の親友の河井保之助の実家の、ひどい吝嗇で家族みんなに憎まれている父親と、その反対に浪費家で怠惰で親族みんなから疎まれている叔父、また、保之助の養子先の藤代家の、人が好いのは結構だが職場でも家庭でもいていなくてもいい人として軽んじられ、その境遇に甘んじて飄々とつつがなく人生を送っていければ満足というようすの義父。
武家の多くが貧乏で、倹約をしなければならなかったのは事実だが、そのなかでもとりわけ厳しく神経質なまでに倹約して何の楽しみも潤いも余裕もなくただ倹約のための倹約をしている……、いや、実際に、そうであるかもしれないし、あるいは、倹約を強いられる家族にはとりわけそう見えるのかもしれない。
そういう倹約と吝嗇とその反動の浪費の例は、山本周五郎が生きていた時代にもあり、また、私の子供時代にも、似たような例を、見聞きした。
>「いやだね」信二郎は盃を取った。「以前ならともかく、こんな恰好を見られるのはまっぴらだ」
>「だって寝言に名を呼ぶくらい案じているんだぜ」
>そう云われたとたんに、信二郎は酒を飲みそこねて激しく噎せた。
この会話だけでも、青山信二郎と保之助とその子の性格がわかっておもしろい。その子は、信二郎が指摘したとおり、初めは、その無邪気さゆえに、世間の常識や道徳を軽々と乗り越えて魅力的だった。しかし、彼女の心に、信二郎への怨みが芽生えてからは、残酷な毒婦に変貌している。彼女は、愛する男が、彼女への愛よりも友情を優先しているように見えたことが、許せなかったのだ。
彼ら三人を中心とする話だけならば現代小説でもよいが、信二郎と保之助が巻き込まれる、開明的であるがゆえに理解されず憎まれ中傷される老政治家の悲壮な負け戦を描くために、田沼時代をもってきた。「田沼の」悪政に苦しむ庶民の呻吟と怨嗟と抵抗と破滅、または、サバイバルの種々相が、手に汗握る事件の連続によって生き生きと語られていく。ことに「田舎小僧」の話は切なく、彼を主人公としたピカレスクロマンもあったらいいのに、と思う。
『栄花物語』は、田沼時代であるとともに、たぶん、1920年代~40年代の日本でもあった、といえるだろう。その当時の言葉遣いで、江戸の街並みと情緒をみごとに再現し、人々の哀歓、弱さとたくましさとを描いている。
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タイトルと田沼意次のつながりがわからなかったのは自分の力不足。でも,やはり政治の世界は努力しても報われるものではない。でも,何とかしようとする気持ちが痛いくらいわかる。今の政治家には望めそうもない。
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ソンやらトクで物事を判断している限り、どんな情報も自分の血肉にはならない。
情報は、黄ばんだ白い、ブヨブヨとした脂肪に簡単にその姿を変えて、本当の自由を味わうだけの体力をあなたから奪う。
背骨は痩せ細るばかりだ。
「社会」は準備されているものではなく、自分の脳と体を駆使して、出来るだけ美しく作り上げていくものだと思う。
美しさは、善悪という概念を軽く飛び越える。
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初めての山本周五郎、堪能できた。
田沼意次の政治を善しとして、逆に白河侯、松平定信を復古を目指す悪として描き出している点に特徴がある本作。
しかし、青山信二郎と河合(のち藤代)保之助を主人公(だと僕は解したい)として物語は進んでいく。この二人は「その子」という女性に人生を翻弄され、はじめは信二郎と「その子」が愛人関係にあったのだが、保之助が「その子」の婿に来たことにより、関係が引き裂かれてしまう。
保之助が藤代、つまり「その子」の家に婿に来たのは、田沼を糾弾するためであった。しかし、調べれば調べるほど、田沼の政治は良い政策ばかり。保之助は裏切りを決意する。
「その子」は自由奔放な性格で、いやなことはしない、という女性である。保之助という良人がありながら、浮気を重ね、それが保之助を苦しめることになる。
信二郎は、戯作家として、田沼を糾弾する小説を書いて大ヒットした。
この3人が核となって、物語は進んでいく。それぞれの人物の結末というか顛末についてはみなさんに読んでもらうことにして、一つだけ書いておきたい。
信二郎は、「その子」が保之助を迎えることになったとき、「その子」に言った。「自分の好ましいように生きる勇気がなければ、人間に生まれてきた甲斐がない」と。
それを物語の最後で再認識し、信二郎が「その子」を褒め称えている場面は山本周五郎作品の魅力を結集したところであろう。
田沼を核とした政治小説かと思ったが、これは人間ドラマである。
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史実、田沼意次を描いた作品。田沼の政道は賄賂政治として批判が目立つがその田沼を、強い志を貫く自身の命までも賭した改革者として描いた視点は新しかった。
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再読了。
寛文事件の原田甲斐(伽蘿先代萩の仁木弾正)を実は忠臣だったと描いた「樅の木は残った」、慶安の変の由井正雪を江戸転覆を図った極悪人と云う既存の歴史観とは違った視点で捉えた「正雪記」、それらと同様、賄賂政治で一代を築いたと謂われる田沼意次を実は優れた政治家だったと描いたのが本作です。
正に「曲軒」と呼ばれた周五郎先生ならではの視点で捉えた作品です。
そしてこれらの作品を読んだ後、甲斐も正雪も意知も本当にこんな人だったのではないか・・と、素直に思え、好きになってしまうのが、周五郎マジックの真髄です。
小学生だか中学生だか・・、歴史を学びはじめた頃に周五郎先生のこれらの作品に触れていれば、もう少しは身を入れて学んだかも知れませぬ。
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よく悪い政治家の代名詞として挙げられる田沼意次の話。現世の評価とは完全に違って、幕府財政の改革者として描かれている。案外こちらのほうが真実味があるかもしれない。
歴史というのは権力者によって語り継がれていて、ある意味恣意的なものだと思うし、世に言う名君が築き上げた現代がこうして行き詰まっている。実際には今と違う未来を描こうとした人のほうが実際には名君と言われるべき人かもしれない。
また、いわゆる市民は政治には無関心で、何も変わらないと諦めているのはどこの世界でも不変だ。
国という単位を個人が実感することはまずないし、政治家もどこまで国のことを考えているか疑問だ。
そういった意味でも本作はリアルだ。
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全1巻。
田沼意次を背景に置いた、
時代ものな感じ。
表題やあらすじだと
田沼意次が主役っぽいけど、
その周りの身分のそんな高くない人達が主役ぽい。
田沼意次もメインだけど。
群像劇な感じ。
全編通して、
退廃的でニヒルな感じで、
しっとりした哀しさがただよってる。
山本作品らしい感じ。
最後に「人間て」みたいに目が開けるのに、
そいつの後ろに怪しい影な終わり方で、
とても暗示的だった。
賄賂の象徴とされてきた田沼が、
孤独にがんばる政治家な感じで新鮮。
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田沼意次の政治を中心とした人間ドラマ。先鋭的な政策を打ち出すも、ことごとく排除されてついには諦めの境地へと陥ってしまう老政治家。転がるように人生を反転させて、しぐれの中ひっそりと息をひきとった二人。
当事者が複雑に絡み合い、それぞれの生きる目的・価値観を考えながら行動している。人間の心の内面を映し出している。
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著者:山本周五郎(1903-1967、大月市、小説家)
解説:山田宗睦(1925-、下関市、評論家)
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賄賂政治で悪名高い田沼意次を、幕府の経済基盤の再構築を目指す政治家ととして描いています。旧態然とした武家社会にこだわる松平定信と新しい時代に即した理想を掲げる意次の対立は、現代の政治に似たところがあって興味深いです。
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耐え忍ぶがテーマの根底にあるか。
通説の中にある悪評高き歴史上の人物に光を当て直し、人間的魅力を強く引き出す事を旨とした周五郎。本作品田沼意次の人間と生活に焦点をあてた筆者渾身の力作。武家生活が困窮を極める中経済政策を推し進めるため旧態依然の反田沼体制に追い詰められていく様を描く。時代を先取りした改革開放路線への強き信念。シビレル生き様♪~(´ε` )
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歴史上は悪評のある田沼意次が、評価の高い人物として描かれていて、しかも無理がなくしっくりくる物語となっている。自分の好きなことをしないと良い人生とは言えないとする一方、人との関わりの中で、また日常の環境の中で生きている、ということをモチーフとしている。13.8.13
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「風雲児たち」をきっかけとして読んだ。「ザンボット」のように、正しい者が迫害され、落ちぶれていく鬱展開である。一つの発見は、田沼意次の登用・重用が「たまたま」だったということだ。
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『樅の木は残った』と言い、どうしてそこまで体制維持に腐心するのか理解できない面は否定できないが、本当に愚劣な、もとい正確を期せば「犬」のように世に阿る人間への怒りがこの作家を支える骨の一つかと。田沼意次を軸に据えるというのは余程性根が座っていないと出来ない芸当、かつ締め方も苦渋に満ちていて、この作家はどこまでも底を見つめ続けていると思われ。