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戦争と人間 完結
著者 五味川純平 (著)
国会の空転、軍部内の不統一のなか、戦争拡大派の挑発と謀略から蘆溝橋事件が勃発。日中は全面戦争に突入した。上海戦線で苦戦する柘植。北支で捕虜を射殺してしまう千田。思わぬ苦戦を強いられた日本軍の行く手には、やがて南京事件の地獄絵が繰り広げられた。戦争の残虐な劫火と醜悪な人間狩りを描破する迫真の第5巻!
戦争と人間 1~運命の序曲1、2~
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2018/01/02 10:45
時代の空気がひしひしと伝わってくる
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:バブシュカ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、かなり詳細な、盧溝橋事件、満州事変、張作霖爆殺事件、二・二六事件、南京事件、日米開戦等々の歴史的事実の記述と平行して、伍代財閥という、日産財閥がモデルと思われる架空の財閥の周辺のひとびとの物語が同時に進行する。場面は、歴史的事実の分析の部分とフィクションの章が明確に分離されており、たとえば、司馬遼太郎のように、すべてを辻褄のあったものがたりとして、構築しようというような意図は、著者の五味川純平にはない。五味川純平は、その時代に満州で従軍し、さらには、シベリアに抑留されたという経緯がある。「歴史」や「ものがたり」や「政治」に回収されることを意図的に回避したのだろう。よって、内容は、政治的問題を扱いながらも政治談議にならず、そしてまた、男女の恋の物語もロマンスに埋没せず、戦闘行為もナショナリズムや虚無主義に回収されることもなく、その時代の空気がひしひしと伝わってくる。推測するに、フィクションに回収することで、失われる事実の重みを著者は、尊んび、このような書き方をしたのだろう。たとえば、二・二六事件歴史的な事実の分析のこところなどは、僕などは、あまりの詳細さと、やるせなさと残酷さで読み進むのが非常に辛くなったが、フィクションの部分を通じて、その時代の空気、そして人々が伝わってきて、読み進むことができた。歴史的事実というのは、いまだに消化できないものも多々あるのだ。我々は、ただ事実として、そこに置いておくしかないようなものもある。そんなものを多々設置しつつも、我々は生きていくわけで、この部分は、望むと望まないとの関わらず、我々の営み、そして自体が進行していくのは、このフィクションの部分と重なる。この本を読んでいると、この「戦争と人間」をもとにして、いろいろな人がこの時代の物語を現代人に消化できるようにアレンジして、希釈化して、商売にしていることがわかる。あえて、そのような本については、ここでは述べないが、司馬遼太郎よりも五味川純平こそが国民作家と呼ばれるべきだろう。