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  5. 自死という生き方 覚悟して逝った哲学者
  • みんなの評価 5つ星のうち 3.5 2件

自死という生き方 覚悟して逝った哲学者

著者 著者:須原一秀

著者は立命館大学の哲学講師。2006年4月、自死を遂げるが、そこには一冊分の完成原稿が残されていた。自殺の意味と理由、方法、哲学的背景、そして決行日に向けての心理分析と行動録……淡々と描かれる「積極的な死の受容」の記録がここに。

※2008年に刊行された本書は、「人生観を試される衝撃の書」として話題になりました。
65歳の春。晴朗で健全で、そして平常心で決行されたひとつの自死。
「人生の果実は充分味わった。」そう感じた著者の遺稿『新葉隠 死の積極的受容と消極的受容』に、評論家・浅羽通明氏による解説と御子息による巻末文を加え、『自死という生き方 覚悟して逝った哲学者』と改題して出版したものです。
電子書籍化した本書を読むことで、様々に変容する世の中を生きる我々もまた「老いと死」に向き合えるかも知れません。

自死という生き方 覚悟して逝った哲学者

税込 1,980 18pt

自死という生き方 覚悟して逝った哲学者

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評価内訳

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自死という生き方 覚悟して逝った哲学者

2009/11/16 00:57

著者に対して、山積する疑問。

12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:反形而上学者 - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書には興味はあったものの、どうしても読む気になれず、いわゆる「積読」状態で1年以上経ってしまい、その存在すら忘れていた頃になってたまたまダンボールの中から発見したので、読んでみた。
まず、私の読後の感想というのは、非常に複雑なものであった。故人である著者の言っていることが、何か「彼自身の言葉」でないような、奇妙な感覚が第一に生じたのだ。
果たしてこういう須原氏の行為は、須原氏が書いているように、ただ「死に時」がきたようだから、死んでしまおう。ついては死ぬまでの記録や思考でも残そうか。」というような、日常的な文章には、どうしても私には思えなかったのだ。
須原氏については、本書で書かれている以外のことも、独自に調べてみたが、そういう須原氏のプライバシーについては、やはりここに書くべきではないことなので、書くことはやめておく。
65歳という年齢は現代では決して「老い過ぎた」という年齢ではない。むしろ一般的な社会では、仕事も定年を迎えて、第二の人生にでも入ろう、という年齢だ。しかし、須原氏はごく普通に、「老人」であり、「人生をもう十分堪能した」ということを言っている。しかし、そういうことが、全体のトーンとは全く合っていないのをどうしても感じてしまう。
私が思うに、須原氏はやはり「絶望」していたのだと思う。そしてその「絶望感」は、彼の学者としての「探究心」も、「日常生活の楽しみ」もどんどん侵食して奪っていったに違いない。もちろん、そういうことを裏づけるようなことは、本書には一切書いてはいない。これはあくまでも私なりに感じ、調べた上での個人的な感想に過ぎない。
そして更に言えば、鬱病であっても、こうした緻密な記録を残して自殺した例というのは、実際問題としては、特に珍しいことではない。
私は須原氏が鬱病であったとまでは言わないが、やはり「人生に絶望していた」のだと考えている。
本書を読んだ読者は、ゆめゆめ「自殺という生き方」もあるのかとは、思って欲しくない。絶対にそれは違う。違うのだ・・・。

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自死という生き方 覚悟して逝った哲学者

2008/12/06 22:54

自然死も悪くない

10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ゆうどう - この投稿者のレビュー一覧を見る

2006年4月、65歳で自身の哲学的事業として自死を遂げた哲学者須原一秀の「遺書」。本書の中心部をなす「新葉隠」の中で、「死の能動的・積極的受容」によって人生の極みのうちに自ら死を選ぶ生き方を提唱する。
例として挙げられているのがソクラテス、三島由紀夫、伊丹十三である。彼らは、人生を十分に堪能した後に、老醜をさらす前に自ら死を選んで逝ったという。
『死ぬ瞬間』(読売新聞社)などの著書で有名な精神科医、聖女とも呼ばれたキューブラー・ロスは、40数年の間に数千人の最期を看取り、ターミナルケア(終末医療)の先駆者として知られる。彼女によれば、癌を告知された患者のほとんどは、否認、怒り、取り引き、抑鬱、受容という5つの段階を経て死を迎えるという。これが、死の受容に関する「五段階説」である。
癌患者に限らず、普通の人々の態度は自然死の受動的受容である。しかし、『人間らしい死に方』(ヌーランド著、河出文庫)によれば、自然死というものはかなりの苦痛を伴い、悲惨なものであるらしい。決して「眠るような老衰死」といった状態ではない。さらには、死に至るまでの長い期間、体が不自由になって他人の介護を受けたり、寝たきりの状態になって床ずれなどの苦しみを味わったりすることもあるだろう。人間の尊厳を保つことが困難な状況に陥るのである。それならば、頭もしっかりして元気なうちに自らの手で人生を終わらせたほうがよっぽどましなのではないだろうか、というのが著者の考え方だ。先ほどの受動的な「五段階説」に対して、「死の能動的ないし積極的な受容の理論」としての五段階説を唱える。それは、(自分自身の)高の認知、(第一・第二・第三人称の)死の体感知、主体性、キッカケ、行動ということになる。
自死を肯定した書としては山本常朝『葉隠』がある。武士道とは、「死にたがり」になることによって、武人にとっては窮屈な官僚的幕藩体制を生き抜こうとした思想である。常に死を覚悟することによって前向きに生きようという姿勢である。須原氏は、死の能動的受容を、武士道になぞらえて「老人道」と名づけている。人生をおおいに楽しんだ後に「意志的な死」を迎えようというのである。老衰と老醜を拒否する自殺の流行を予想し、それを受け入れるような社会の到来を望んでいる。『自死の日本史』(ちくま文芸文庫)の中で、モーリス・パンゲも、「自死」はますます許容される傾向にあると述べているという。

といった内容であるが、決して人に薦めたい書ではない。私は、やはり「受動的な自然死」を望む者である。いかに苦しくとも、その苦しみこそが生きている証だからだ。死んでからでは味わえないものだ、と思う。『臨死体験』(立花隆著、文藝春秋)によれば、死に臨んで人は混濁した意識の中でお花畑を見るという。そこを超えていった先が死の世界だ。幽体離脱も経験するとか。同書を読むと、死ぬ瞬間には快楽を感じる脳内物質を分泌して気持ちよくなっているのではないかと思えてくる。ひょっとすると自然死は苦しくないかも知れないのである。もっとも、その体験を語った人はこの世にいないのであるが。

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